49話 塔の戦い
4年が経過し、私は5歳になった。
地獄の捜索は終了した。
完了、とは言い難いが、これ以上探しても無駄だと結論づけた。どこかで結論付けなくては、永遠に終わらないと判断したのだ。
結果として、人間は504人が生き延びた。
世界中のすべての人間の数が、504人というのは少なすぎる。
しかも、もっと深刻なことに、5歳の私が人間の中でもっとも幼いのだ。
私が産れて以降、一人として産れていない。あるいは、産れても生存できていない。
私は塔の中の出来事をすべて知っているわけではなく、どこかで産れていても、部屋を閉め切っていればわからない。
ただ、マルレイに話を聴く限り、産れていないのだろう。
地獄は、環境にさえ慣れてしまえば平和である。
時折巨大な生物が塔の近くを通過するが、巨大な生物にとっては塔全体が岩のように見えるらしく、こちらに興味を示さない。
塔の中に根を張る黒い巨樹は、私が焼き討ちして以降、すっかり大きくなった。
その巨樹の栄養は魔物であり、魔物を塔に呼び寄せているのだが、さすがに巨大な生物を呼び寄せないように気をつけているらしい。
小さな魔物は毎日のようにやってくるが、最近では20階を越える魔物はほとんど出なくなった。小さな魔物といっても、地上で見た時は人間に絶望を与える程度には巨大だったはずだ。
あまりにも巨大な生物をこの地獄で見てしまったため、感覚が少しおかしいらしい。
毎日が平和である。
このまま、地獄に住んでしまってもいいかもしれない。だが、その場合は私が最後の人間になるだろう。
それではいけない。結局、人間が滅ぶのを数十年遅らせただけだということになってしまうのだ。
魔物が20階以上に到達できなくなったことには理由がある。
人々の生活が安定し、私が暇になったのだ。
体が成長し、言葉も話せるようになると、どこにでも自由に行けるようになった。
人々はすでに生活できるようにしてあるのだ。
私は、マルレイやファアを連れて塔を下ることが多くなった。母も、最初の数週間を経過すると、私を自由にしてくれることも多くなった。私がそばに居ないと困るということも、少なくなったのだ。
私が塔を往復しているのは、当然、塔を登ろうとする魔物を駆逐するためである。
5歳にもなれば、歩くのに支障はない。走ることもできる。
62階から20階まで何度も往復するのは辛いが、毎日やっていれば体力もつく。魔法を使えば筋力の強化も簡単だ。
ただし、私は魔力の衰えを感じていた。
赤ん坊の時は、どれだけ魔法を使っても疲れるということはなかった。
あらゆることができるような気がしていた。
この世界に産れて5年が経過し、少しずつ、思うように魔法を操れなくなってきた。
異世界から降りてきた私の魂が、この世界になじんできたのだろうか。
最終的に、どこまで魔力が落ちるかわからない。
解っているのは、今の私に、新しく塔を建てるような力はないということだ。
「殿下、今日はどこまで降りますか?」
マルレイが尋ねた。人口504人の集団で、もはや王妃も王子も関係ないが、マルレイは私を『殿下』と呼ぶ。何度か直させようとしたが、他の呼び方でしっくりくるのがなかったため、結局戻ってしまった。
「キールでいいです」
「キール殿下、今日はどこまで降りますか?」
「『殿下』とつけなくてもいいです」
「そうですね。そろそろ『陛下』とお呼びするべきかもしれませんね」
マルレイは割と頑固なのだ。
「『殿下』でいいです」
「承知しました」
大抵は私が折れる。マルレイの正確な年齢は尋ねたことはないが、20歳ぐらいだろう。見た目は5年前からほとんど変わらない。若い、というより幼い印象を受ける。
年齢的には印象が変わる時期だろうが、変化はなかった。特に体形は、成長しなかった。これはマルレイの体質というより、十分な栄養を摂取できなかったのではないかと思っている。
私のせいだ。
「魔物と遭遇するまで降りてみましょう」
「それは、20階より下でも、でしょうか?」
マルレイの声に緊張が走った。20階以下ということは、黒い大樹が塔の中心に据えられている空間に降りるということである。
魔物からの守りとして据えた大樹だが、初対面で人間を養分にしようとしたのだ。私が話をつけて、魔物のみを狙うようになっているはずだが、この4年間、人間が20階以下に降りたことはない。
本当に安全かどうかは、降りてみないとわからないのだ。
「そうですね。人間が降りても、大樹に誘われないかどうか、大樹が誘わないかどうか、確認する必要があります。それに、そろそろ魔物の強さを、知っておきたいのです」
本当は、自分の弱さを知りたいのだ。この5年で、私は力が弱まっている実感がある。まだ戦える力を残しているうちに、地上を目指したい。どこまで弱くなるか、ある程度のとこで止まるのかどうかもわからない。
能力のピークが0歳だとは、皮肉なものである。
私が度々、塔の守りに置いた石像を強化しているため、塔の21階以上に魔物が出ることはほとんどない。
私は、実に4年ぶりに塔の20階に降りた。
そこは、21階から上とは、全くの別世界だった。
まず、21階と20階をつなぐ階段を下りる前から、立ち込める臭気に鼻が曲がった。もちろん、私は自分の足で歩いている。これが数年前は、まずここまで歩いてくることさえ、考えられなかった。もっとも、飛んでくることはできたので、現在より移動は楽だったとさえいえるのだが。
20階に降りると、まだ動きを停止しない召喚された石像が、私に対して騎士のような礼を取った。
サイズは人間の成人男子が鎧をまとったのと変わらない。
ただし、21階以上の石像とは明らかに違う。
全身が魔物の体液に汚れ、欠損が激しい。
しばらくすれば、動くこともできなくなるだろう。
まだ、しばらくは大丈夫そうだ。
強力な魔物が訪れなければ。
私は、傷ついた兵士像を癒すことにした。
「人々を守る柔らかい土よ。我が導きに応じ、人間の盾となる雄々しき武者たちの糧となれ」
私の手から土塊が生じ、兵士像に付着する。像の欠損を埋めるべく、土塊がもぞもぞと動く。
土塊の動きが止まったとき、兵士の像は元の姿を取り戻すだろう。
私は、魔法を使うのに、詠唱を必要とするようになっていたのだ。
詠唱の長さと魔術の効果が釣り合っていない、というのは魔術師である母の弁である。
まだ、世界は私に有利に働いているらしい。
だが、私はまだ5歳にすぎないのだ。
このままだと、私は10歳ぐらいでどこにでもいる普通の魔術師ぐらいの力になりそうだ。
10歳で成人の魔術師と同等の力を持っているのなら、それでも十分にすごいと言えるだろうが、5年後に人間が置かれた立場いかんによっては、私は何の役にも立てず、人間の滅亡を眺めていることになりかねない。
それではいけないのだ。
少しでも力が残っているうちに、人間が生き残れる状況にしなければならない。
地獄の環境は過酷すぎる。
新しい子供が生まれていないことを考えても、一日も早く地上に戻ることを考えねばならないだろう。
時間がない。私には絶望的なほど、時間が足りない。
マルレイとファアは私に着いてきていたが、私の悩みを理解できるだろうか。
5つの私は、お抱えの騎士と治療術師を連れ、塔の20階を見回ることにした。




