47話 地獄で生きるために
ナニーをはじめ、100人を超す人々が、地獄に踏みだすこともできずに階段で待っていた。憔悴している。経過したのは一日だが、水も食料もなく、階段で寝起きしていれば疲労もするはずだ。
母の姿は、やはり聖女降臨としてあがめられた。
「安全な塔があるわ。しばらくはそこで暮らしましょう。いずれ地上に戻るにしても、この階段を使って出られるのは山の上だけよ。あの城塞には、魔物があふれているはず。しばらく、地獄で暮らすしかないわ」
「地獄に……安全な場所などがあるのですか?」
「……作ったのよ」
母は、私が作ったことは言わなかった。あまりにも巨大な力である。私のことを人々が恐れるのを忌避したのだ。
ナニーたちも塔に向かうことを了承した。
地獄に残った魔物の数は多くないらしく、100人の人間を率いた行進も、無事終わった。
大地というか、足元から数百メートル立ち上がった円柱形の塔に、人々は驚きの声を上げた。
「地獄の魔物が作った塔でしょうか。ひょっとして……魔王と呼ばれるような魔物が住んでいるのではないですか?」
ナニーが不安そうに母に尋ねた。確かに、地上ですら全く見かけないほどの塔だろう。この世界の地上の様子を、私は限られた部分しか知らないが、62階建ての塔を建てる建築技術があるとは思えない。
雨風が無い分、地上より建物そのものは維持しやすいのではなかとすら私は思っていたが、口ではなにも話せないので黙っておく。母に伝えたところで、反応も想像がつく。
「大丈夫よ。きちんと中は調べてあるし……いたのは一匹だけね」
その一匹が、現在でも20階より下層では守りの中核となっているが、これは人々に知らせる必要もないことだ。
「やはり……最上階の魔王でしょうか。地上にあれだけの魔物を送り出したので……配下の魔物がいなくて、代わりに人間を従えるということなのでしょうか。しかし……それなら、命は守られるかもしれませんね」
ナニーはぶつぶつと呟いていた。意外と想像力がたくましいようだ。まあ、完全に的外れというわけでもない。
この地に本来巣食っていた魔物の大半は地上に出ていってしまい、地獄の環境に適応していた特に強力な魔物連中だけが残っているらしいというのは、私の経験とも一致する。
その中で、魔物を栄養として育ってきた塔の中央にいる黒い大樹は、魔王といっても差し支えないだろう。あるいは、地獄では動物より植物の方が強いという状況もあるのかもしれない。
この地に現在向かっている新たな魔物たちを生み出していたのも、やはり植物に見えた。
塔そのものに変化は見られず、塔の周囲にめぐらせた針の掘りにも魔物の死骸らしきものはなかったため、一応の安堵感を得られた。
だが、問題は塔の中に戻るのに、どうしようかということである。
「さあ、行くわよ」
と母は気軽に言ってくれたが、私は出る時に塔に戻ることを失念していた。
私のこの世界での欠点を再確認させられる思いだ。
あまりにも力を自在に振るえるため、計画に穴があるのだ。
魔物から守るために、塔に簡単には入れないようにしたのはいいが、戻る方法を考えていなかったのだ。
「土よ!」
母が魔術を使う。母の前で、土が盛り上がる。
私が個人的に反省しているということを、母は理解していなかったようだ。
「キール、どうしたの?」
母が、やや緊張した声を出して私に呼びかけた。母は、魔術を始めれば当然私が引き継ぐと思っていたようだ。
間違いではないが、私も考え事や反省をしていることもある。常に母のフォローができるわけではないが、この場は塔に入れないと困ったことになる。私は謝罪した。
『申し訳ありません。考え事をしていたので』
「0歳の子供が、考え事なんてするもんじゃないわ」
その0歳の子供の魔術を頼りにしている母に言われても、どう反応したものか理解しかねるが、私は母が呼びだした土の土台を発展させた。
塔まで渡れる橋を作りだす。人の体重に耐えられるよう、火で加熱して硬度を増した。
人々が驚く中、炎の中から強固な金属にも似た橋が出来上がる。私は少量の水でそれを冷やした。あまりに高温になっていたので、そのままでは人が渡れなかったからだ。
驚きと同時に感謝を口にして、人々は橋を渡って塔に至る。だが、私は母をせかした。
『母上、あのまま塔に入ると、大樹の餌食になります』
塔の中には、魔物を誘いだして栄養にする黒い大樹がある。魔物を呼び寄せる力は人間にも作用し、私が発見した時には、数百人の人間が抵抗もできずに捉えられていた。
だからこそ、私たちを送り出した時、マルレイとファアは20階までしか降りてこなかったのだ。
「そ、そうね。塔に入らないで。中に魔物がいるわ」
「せ、聖女様、どういうことでしょうか」
塔の入口で、ナニーが立ち止まった。100人ほどの人々が、不安そうに振り返る。母は列の最後に橋を渡り、母が渡り切ったところで、私は橋を崩した。
「と、塔の内部にいる魔物は、外から魔物が入って来ても、撃退するためよ」
「な、なるほど。では、人間には襲い掛かってこないのですね」
「えっと……どうかしらね」
『襲われます。塔に登るには、別の道を用意しましょう』
「だそうよ」
「「「「「えっ?」」」」」
説明を端折った母に、人々は疑問符だらけの顔を向けた。母は話すのを止めた。上手く説明できないときは、黙っているのに限るというのが、母の処世術の一つであるらしい。
王妃である時はそれでもよかったのだが、聖女としてはどうなのだろうか。
「キール、頼んだわよ」
「ばぶぅ」
まあ、結果は変わらないのか。
私は一階から最上階まで、らせん状に塔を上る階段を塔の壁に設置した。もちん魔法である。
人々は感嘆の声を上げた。
塔をぐるりと囲むように登れ、しかも手すりつきである。至れり尽くせりなのだ。
これで塔に登れないと言われれば、エレベーターでも設置しなければいけないところだ。
できないかと言われれば、できるが、そこまでするとさすがに過剰サービスだろう。
足腰が立たない者がいた場合には、検討することにする。
人々は階段を上り、塔の屋上から最上階の居住空間に移動した。
私と母は最後になり、階段を崩しながら登っていった。
ひとまず、人々は地獄で暮らすことを受け入れた。
いずれ人間が滅びるか、地上に復権を果たすか、私にかかっているのだろう。
難しい世界に降りてしまったものだ。




