46話 滅びゆく人間の行く末
翌日、私はこの塔に向かってくる魔物について、マルレイと母に語った。
「つまり、魔物がまだ地獄にいるっていうのね。せっかく、のんびりできそうだったのに」
母は地獄でのんびりするつもりだったらしい。ファアはまだベッドで寝ていた。かなりの力を使ったし、地獄の環境は過酷だ。疲れているのだろう。
「この塔に向かっているのですか?」
マルレイが現実的に対処しようと、私に尋ねた。
『マルレイにも以前見せたことがあると思いますが、遠くを見る魔法を使いました。夢や推測ではありません。血の沼に、次々に魔物が生まれ落ち、この塔がある方向に歩き出しました。目標はこの塔ではないのかもしれません。ですが、この塔の守りとして中央に置いた黒い木は、魔物を呼び寄せて餌にしているのです。間違いなく塔に来るでしょう』
「なら、安心じゃない。その魔物は、この塔の一階で全滅するわ」
母は安心したように伸びをした。私を抱き上げる。乳房を出した。私の口に含めるが、私は念話を使用するのに口は使わない。
『そう願いたいものです』
「大丈夫よ。そうでしょ?」
「キール殿下が手なずけた木は、長い間そうしてきたのです。大丈夫……かもしれませんが……魔物の進む先に、木しかないのであれば、ゆっくりと栄養を吸って、木の栄養になり、魔物は死ぬか、逃げるでしょう。しかし、現在この塔には、200人の人間がいます。黒い木が魔物を殺しきれなければ、人間の臭いに惹かれて塔を上ってくるかもしれません」
「……どうするの?」
マルレイの言葉に、母は不安になったようだ。私が言うより不安そうになるのは、マルレイを信頼しているのか、あるいは私はあまり信用がないのだろうか。
『塔を守る兵士を作りましょう。地上で私たちをこの地獄に逃がしたくれた、石像を作ります。それで勝てるとは限りませんが、しばらくは防げるでしょう』
私は母を安心させるつもりで言ったのだが、母は不服そうに私の頬を両手で挟んだ。
「キールが守るのではないの?」
「聖女様、キール殿下には、他にやることがあるのです」
マルレイは解っている。母は理解できないようで、唇を尖らせた。
「この塔を守るより大事なことって何?」
『生きている人間を探さなくてはなりません』
「……いないかもよ」
『少なくとも、階段に残してきたナニーたちは迎えに行かなくてはならないでしょう』
地獄に降りる階段を最後まで降りず、まだ階段でとどまっていた人間が、ナニーと呼ばれる母に近しい人間を含めて100人ほどいるはずだ。
階段には私たちが遭遇した巨大な魔物は入れないだろうが、大きな魔物だけとは限らない。魔物に殺されなくても、地獄のこの環境で、食べ物も水もなく晒されていれば、衰弱死するかもしれない。
一刻も早く、助けに行かなくてはならないのだ。
「……体が痛いのよ」
『癒しましょう』
「癒しの押し売りって……どうなの?」
「殿下の優しさです」
「わかっているけどね」
母は愚痴を言っても、私を手放そうとはしない。私の魔法の力を頼っているというより、私を手ばなして後悔したくないと思っているようだ。
私は、目覚めたばかりのファアに命じた。
『私は母と、人々を迎えに行きます。ファアはマルレイと、塔を頼みます』
「……うん」
返事だけして、ファアはぱたりと倒れた。二度寝を始めたのだとわかった。
「殿下、私は殿下と共に行きます」
マルレイはけなげにも私との同行を申し出たが、私は止めた。
『しばらくは、この塔で生活することになるでしょう。魔物から人々をどう守るか、知恵を貸してください。私は守るための兵士を作ったら、地上に戻る方法を探すつもりです』
「……わかりました」
マルレイは私に膝をついて、命令の履行を誓った。誓われた私のほうは、母の乳房を吸っているので、あまり様にならない。
塔の最上階を借りの住まいとしている人々に、母から食料と水の説明をしてもらった。生き残った全員が話を聴いたわけではない。生活できそうな場所を与えられ、これまでの苦難を思いだし、半分以上の人間が身動きすらできずに寝込んでいるらしい。
しばらくは仕方ないだろう。母は、聞くことができる人間たちだけに語り掛けた。母の聖女としての地位は揺るぎないものとなっている。
皆に背を向け、生きている人間を迎えに行く時には、涙を流して見送る者が続出した。
「聖女なんて荷が重いわ。キールのせいよ」
私に向かって苦情をいうものの、まんざらでもなさそうだった。
塔を下る途中までは、マルレイとファアに同行させる。私がどんな守りを施すのか、説明しなければならないからだ。
最上階とその下は人間たちの居住空間なので、その下の階から一階までの全ての階が、魔物たちの侵入を防ぐために使われる。
塔の最上階は、私の計算では62階だったので、60層の迷宮が魔物たちを待ち受ける。
なら、60階と61階の間に階段を作らなければいいという意見もあるだろうが、上空からの接近や、塔をよじ登る魔物の存在も想定しなければならない。いざとなったら、下の階に逃げるという場面も出てくるだろう。
なので、61階に上る階段は最奥に設置し、その前に玉座っぽい形の椅子を作る。さらにその上に、巨大な剣士の像をつくった。
条件を満たせば、剣士の像は立ち上がって戦うのだ。その条件は、これからマルレイと相談しなければならないだろう。
私は、人型の石像と犬型の石像を作りながら階層を下っていった。
どうして人型と犬型なのかといえば、整形が私のイメージにかかっているので、作りやすかったというのが最大の理由だ。犬型を混ぜたのは、攻撃に緩急をつけるためで、特別の意味はない。
下っていくと、迷宮は複雑で、私でさえ迷うほどだ。作った私を差し置いて、マルレイはほぼ迷うことはない。一度通過した場所は覚えているらしい。
迷宮の壁は、外見がほとんど変わらないはずなので、どうやって見分けているのだろう。
時々、宝箱を設置した。魔物が宝箱を欲しがるかどうかは別として、人間のように欲が深い相手なら、宝箱があれば探したくなるというものだ。
箱の中には、私が作りだした武具を入れておく。
単に力が強い相手より、知恵が回る相手の方が苦戦するものだ。足止めぐらいにはなるだろう。
さらに階層を下り、20階層から下は、迷宮の中央部が吹き抜けになっている。
黒い大樹が、そのうち成長して枝を伸ばすはずだ。
現在のところ、私が枝を焼き払ってしまったので、ただの枯れ木にしか見えない。
20階層までの石像が動きだす方法は単純にした。
同フロアで動く者がいれば動き、接近すれば破壊しろというものだ。
マルレイとは21階層で別れた。
出口まで見送られると、マルレイとファアが石像の攻撃対象になり戻れないという困ったことになるのだ。
マルレイと別れて私は塔から外に出た。
すでに、遠くに魔物が迫ってきていた。
あまり大きくはない。
地上で見た、山のような盛り上がった体をした人狼のような魔物だ。
「キール、どうする?」
魔物が塔に向かっているのは間違いない。私が向かう予定の方向とは違うので、このままナニーたちを迎えに行けば素通りすることになる。
『魔物のくる方向が解っているのです。少しだけ邪魔をしましょう』
私は大地に語り掛け、地面の形状を変えた。本来の高さより凹ませ、代わりに槍上の岩を無数に並べる。地獄に相応しい、針の山だ。
母に好評だったので、私は塔を針の山、正確には針の堀で囲んだ。
私が出られなくなったので、一時的に橋を架けて渡り、渡り終えた橋は崩す。
これで、私が戻るまではもつだろう。
私はナニーたちを迎えに、再び地獄に踏みだした。実際に踏みだしたのは、私を抱いた母だったが。




