44話 塔での生活
大樹が根を張っていた場所をぐるりと取り巻くように塔を立ち上げたので、内部は十分な広さがある。黒い大樹を取り囲む、ほぼ円柱形をした巨大な塔である。
内部は簡単に魔物が入ってこられように、複雑に壁を組み合わせてある。結果として迷路になった。
迷路が60階以上続くとなれば、簡単には入ってこられないだろう。
もっとも、塔の内部に侵入して登ろうという魔物は、この地獄では小型の魔物である。そんな魔物が、まだ地獄に残っているのかどうかは解らない。
いままでに遭遇したような巨大な魔物が近づいてきても、大樹が枝を伸ばして栄養にするはずだ。大樹を取り巻く塔の壁は、巨大な盾の役割を果たすことだろう。
大樹は塔に守られているが、塔の内部いっぱいに枝をひろげているわけではない。私が燃やしてしまったので、かなり小さくなっている。地上から塔に入った者は、まず迷宮に挑戦し、上への階段か、中央の大樹かの、どちらかを見つけることになるだろう。
魔物を栄養とする大樹に遭遇してしまった段階で、ゲームオーバーだ。
いかに大きな木であっても、塔の途中までしか届かない。私は、最上階を人間が住むスペースとして、迷宮から寮に作り替えた。
その後で、マルレイが人々を誘導する。
地獄で文字通り死ぬ目にあった人々は、口々に母をたたえながら、ある者は一人で、ある者は何人かと共同で、空いている部屋に入っていった。
ちなみに、母の求めに応じて、母とマルレイ、ファアが住むスペースは間取りが大きい。
「これで、少しは落ち着けるわね」
屋上にいた人々を収容し、自分の部屋を確保したあと、母は私に言った。
新しい部屋は、なんとなく地上の城塞で使用していた部屋に似ていた。故意に似せたわけではないが、私の中にイメージとして残っていたのだろう。
殺伐とした時期ではあったが、私にとってはもっとも平和で、幸せだった頃だ。まだ半年しか生きていないので、人生を振り返るのは早すぎるかもしれないが。
『では、生き残った人々を探しに行きましょう』
落ち着いた母に、私は提案した。
「……少しぐらい、休憩しない?」
母が疲れているのは、私にも解った。この塔に人々を住まわせて、まだ地獄をさまよっている人間たちを集めるつもりだった。この塔の最上階なら安全だろう。そのための塔なのだ。
だが、私が行くと言えば、母は着いてくる。他の誰が留まっても、母は私から離れる気はないはずだ。かといって、眠らせて出ていくのは、母を裏切ることになる。
仕方なく、私は手のひらをマルレイに差し出した。
私の忠実な騎士は、私の意図を察して手のひらに植物の種を乗せてくれた。
強制的に成長させ、果物を生らせる。水分をたっぷりと含んだ果物だ。
私たちだけで満足しているわけにはいかない。
人間たち全員の分も、生み出さなければならないだろう。
どうやら、人間たちが生活できる場所を用意するということは、さらに生活できるように環境を整えなければならないということらしい。
私の思慮が足りなかったのだ。
では、地獄をさまよう人間たちを探しに行くのは、いつになるのか。
少なくとも、休憩をとってからだ。
どれだけの力があっても、世の中はままならないものらしい。
最上階をさらに少し作り変えて、私は水汲み場を用意した。大量の水を張り、水を汲むための桶も土で作成し、同時に火で焼きを入れる。
作業は誰も見ていない時を見計らい、マルレイに付き添ってもらった。母は眠ってしまった。少しぐらい離れても、母を裏切ったことにはならないだろう。
「お見事です。こうして武器も作られたのですね」
地上の城塞で大量の剣を作りだしたのが、遠い昔のことのように思いだされた。
『食べ物も、ここでいいでしょうか?』
「はい。水辺の近くのほうが、不自然ではないでしょう」
突然塔がせり上がり、中で生活を始めた段階で、自然であるかどうかを気にする必要があるかどうかは疑問だが、人々を無暗に不安にさせないための配慮なのだ。
水は腐る。新鮮な水を供給し続けるには、私か母が定期的に魔法を使って水を溜めないといけないだろう。あるいは、ファアも魔術を使えるようになるかもしれない。しかし、ファアはまだ幼い。私に言われたくはないだろうが、現在でも過剰なほど力を使っている。無理はさせたくない。
水の供給と食料にめどをつけ、排水を確認した。
下水か浄化槽か、ということになると、浄化槽を用意することは、私にはできない。結果的に、住居に使う予定のすべての部屋に、私は汚物を流す管を取り付けた。糞尿を落とし込む穴を作り、その先は壁の中を通り、最下層の黒い巨樹の根元に落ちる。
大樹の栄養になるはずだ。人間の放った糞尿の匂いで魔物が集まってくれれば、大樹が腹を空かせて万が一にも人間を襲いだすことを防げるだろう。
やや変形ではあるが、下水溝ということになる。
各部屋を見回ると、人間たちが私とマルレイに対して、這いつくばるように平伏した。
マルレイは落ち着くように諭したが、人々も、さすがにこのすべてが母の力であるはずがないと感じ始めていた。マルレイか私が、強力な魔力を操っているのだという結論に達したらしい。
私は王族に産れた気持ちの悪い赤ん坊と思われていたし、兵士としてはあまりにも幼いマルレイも、普通に考えれば、まともな少女ではないと思われていたようだ。
人々を落ち着かせ、水汲み場と食料のある場所を指示して、母とファアが休憩している部屋に戻る。
「このフロアに、どれぐらいの人間が生活できるでしょうか」
帰りがけに、マルレイが私に問いかけた。
『生活するだけのスペースとして……最大で500人でしょうね。一つ下のフロアに、畑を作ろうかと思っています。人々が、塔の中でも自力で生活するために、必要な場所を用意しましょう』
「それはいいですね。もう少し、人々が落ち着いてくれるといいのですが」
『まずは、生き残った人々を探すことです』
「そうですね」
部屋に戻る。
母は、私が見たこともない不思議な容器を作り出し、ファアを楽しがらせていたところだった。
「思ったように形を作るのは難しいわ。同時に火を入れて形を固定しているみたいだけど、キールはどうやっているの?」
私とマルレイが部屋に戻るなり、休憩をしているとばかり思っていた母が私に尋ねてきた。
地獄に降りてきて以降、母の持ち物は魔法の杖と私だけだった。母が生活するのに、もっとも大切な道具がティーセットだったらしく、母は魔法で作りだそうとしていた。
私が色々な武器を、土と火の魔法で作りだしたことを知っている。試してみたのだろう。
部屋の中に、微妙なオブジェのようなものが落ちていた。
『急には無理でしょう。慣れが必要です。そもそも、母上は魔術を攻撃の手段としてしか使用してこなかったのでしょう?』
「ええ……そうね」
『魔力の微妙な操作は、これから学ぶ必要があります』
「……仕方ないわね。暇を見て、練習するわ……でも……私はお茶が飲みたいのよ」
『茶葉はどうします?』
「……キールが作ってくれるでしょ?」
無理を言う。
私が断れないことを知っているのだ。結局のところ、私の生存は母の母乳にかかっているのだから。




