43話 塔
私は、母やマルレイの動きを封じたまま、自分の魔力を地獄の黒い大樹に注ぎこんだ。私には、私自身のもつ魔力という感覚が、実のところあまりなかった。
世界の理に働きかける、というのが魔法の本質に違いないと感じ、その通り実践してきた。つまり、世界に満ちている魔力のすべてが、私自身の魔力なのだと感じている。だから、黒い大樹に魔力を注ぎ込むことは、ほぼ永遠にできそうな気もしている。
その前に終わる。私は確信していた。
魔力を注ぎながら、私は尋ねた。
『あなたは植物ですか?』
『そうだ』
『自分の力で歩くこともできるあなたが、どうしてこんなところに居るんですか?』
『ここに根付いたのだ。移動する必要があるか?』
『栄養を求めるのなら、生物が多く居る場所が良いでしょう』
『生き物なら、向こうからやってくる。おびき寄せるほうが簡単だ』
つまり、この大樹の栄養になりかけていた人間たちも、大樹の放つ何かに引き寄せられたということになる。
いつもそうしているのだろう。地獄に魔物があふれていた時代から、そうしていたのだろう。ならば、この大樹は魔物にとっても恐るべき天敵ではないのか。
私は質問を変えた。
『人間の味はどうでした?』
『不味いな。量が少ない』
『最近、美味い魔物たちがいないのでは?』
『……その通りだ』
『私はどうです?』
『……悪くない』
大樹には、私のもつ魔力を与え続けている。私自身には、全く疲弊した感じはない。それは、私が世界の理に働きかけて、世界に満ちる魔力そのものを与えているからだろう。大樹に吸わせるのに任せてなにもしていなかったら、簡単に干からびてしまったはずだ。
いずれにしろ、私の心は決まった。
『しばらくの間、私の魔力を差し上げます。その代わり、お願いがあるのです』
『なんだ?』
『ここに、地上の人間たちが生きるために塔を建てたいと思います。人間を狙って魔物たちが近づいてくることでしょう。その魔物を、あなたに食べてほしいのです』
『……人間を守れと?』
『結果的には、そうなるかもしれません』
この大樹も、人間を嫌っているだろうか。私は、自ら地獄にとどまっている魔物たちは、地上に出てきた魔物たちよりはるかに強く、人間そのものには執着していないと思っていた。それ故に、取引を持ちかけたのだ。そもそも大樹が人間を嫌っているなら、この取引は成立しない。
私は待った。大樹は、さほど悩むでもなく答えを出した。
『近づいてくる魔物を吸収するだけなら、いつもの通りだ』
『ありがとうございます』
了承は得た。
私は、母とマルレイの拘束を解いた。
二人は、腰が砕けるかのようにへたり込む。私に刺さっていた棘が抜ける。伸びていた枝は、母に抱かれた私が、へたりこむ母と一緒に地面に近づくと、自然に抜け落ちた。
強引に体の動きを奪う魔法は、肉体にも負担を強いるのだろうか。
「キール……どうなったの?」
「あの魔物は、死んだのですか?」
腰が立たないながらも、母とマルレイが争うように私に尋ねてくる。ファアは一人で黙々と、人々の治療にいそしんでいた。先に大樹の餌食となった人たちも、衰弱こそしていたが、命は奪われていなかった。大樹に栄養を吸われたことより、私が燃やしたことにより、高所から落下した怪我の方が深刻だった。
大樹に遭遇したばかりの段階では、私にもそこまで気をつかう余裕がなかったのだ。
『死んではいません。ですが、もう人間を襲うことはないでしょう。この大樹は、ずっとこの場所で、魔物を食らって生きてきたのです。人間は、この大樹には弱弱しく美味しくない食事のようです。人々を集めてください。ここを、しばらくは人間の住処としましょう』
「ここを?」
「キール殿下、お言葉ですが、この巨大な木は人間をも食らうのです。その下で暮らすのは無理があります」
マルレイは母の前に、つまり私の足元に跪き、本当に申し訳なさそうに首を垂れた。
「そうよ、キール……でも、安全なの?」
母は少しだけ乗り気なようだ。
『大樹と話はつきました。しかし、この木の下で暮らす必要はありません。マルレイ、人々を集めてください。母を信じるようにと』
「……はい」
マルレイはまだ承服しかねているようだったが、私に従った。私がマルレイを騙したことはない。そのことを思い出してくれたのだろう。
マルレイに対する信頼もあったのか、母の存在が大きかったのか、人々は枝を失って一本の立ち木となった黒い大樹を背にした母の前に集まった。
決して母の後ろに回ろうとしないのは、大樹に近づくことを恐れているのだろう。
200人の人間がいた。まだ、他にも生きている者たちがいるはずだ。
当面の拠点を作るべきだ。
「キール……どうするつもり?」
『この地に、塔を作りましょう』
「……どうやって?」
『土に呼びかけてください』
「私、いくらなんでも……ひょっとして、今までも、私の魔術を利用したの?」
母単独の魔術で、巨大な魔物を巻き上げる竜巻を生み出したり、地面に巨人を埋めたり、空を覆い尽くすほどの炎を呼び出したりすることはできない。どうやら、気づいていなかったようだ。
『ほんの少しです』
「どうだか。でも、いいわ。キールの体は私のお乳でできているのだから、同じことよね。みんな! 屈んで! 土よ!」
一か所に集まった人々の、足元の地面がぐらつく。私は続いて土に語り掛けた。
人々がいる地面、大樹が根を張った周りの大地が、大樹を中心に、囲むようにせり上がる。
一気に押し上げた。
人々の悲鳴が聞こえる。
絶叫に近い。
だが、それも一瞬だった。
上への加速が止んだとき、私と母を含む200人ほどの人間は、高い塔の上にいた。
大地から塔を作る。
私にとっては、ごく一瞬の出来事だ。
大樹を囲み、塔の中に収めているが、私が作った塔に比べれば、大樹は中心にいるごく一部にすぎない。
最上階の高さは300メートルを超え、塔にして60階以上になる。
「……これも……王妃様が?」
人々は、何が起きたのか、ようやく理解し始めていた。本格的に理解できるまでには、もう少しかかるだろう。
「さすがに、こんなことできないわ。ただ、こういう事が起きることは……わかっていたわ。なんとなくね」
母は少し謙虚になった。
一瞬で地面から塔を作り上げることができるということになれば、世の中にほとんどできないことなどないことになる。母としても、そこまでの評価は重荷なのだ。
「しかし、さすが王妃様です」
「いいえ、もう王はいないのです。王妃様という呼び方もないでしょう。さすが、聖女様です」
「ま……まあ……ね」
母は、私をぎゅっと抱きしめた。その手が少し震えている。
「聖女様、この塔の中が安全かどうか、確認いたしましょう」
マルレイが誘う。最上階には、下る階段が備えついていた。当然である。私がそのように作ったのだ。
「ええ……そうね」
マルレイがファアの手を取って、先に階段を下りた。母を呼んだのは、私と話したかったのだと理解した。
階段を下りはじめて、屋上の直下の最上階にたどり着く前に、マルレイは体を返し、膝をついた。
「キール殿下、申し訳ありませんでした。私が短慮でした」
マルレイは、私がこの地にとどまる判断を下したのに反対した。そのための侘びである。とてもまじめな騎士であり、まじめな女性だ。
「だぶぅ」
「はいはい」
母は、私の気持ちを察して、マルレイに近づけた。
私は、ただマルレイに抱き付き、その平たい胸に顔を埋めた。
「大丈夫よ。キールはあなたのこと、お気に入りなのだから」
「……もったいないことです」
私はマルレイに抱かれたまま、塔の内部に降りた。




