表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
41/76

41話 希望への行進

 地獄の生物は、どういうわけかグロテスクにできているらしい。砂地の中から這い出てきたのは、巨大な頭部と無数の手足を持つ魔物だった。

 それだけなら、どこにでもいる巨大化した昆虫だが、私が頭部だと思ったのは、その部位が野ざらしにされた人間の生首に酷似していたからである。


 ただの顔ではない。首を落とされ、地面に転がり落ち、腐る寸前まで放置され、苦悶と無念の表情を浮かべた生首に酷似している。

 生首そっくりの体から直接生えた手足は、人間の手足に似ていた。もっとずっと大きく力強いのに違いないが、ぬめりとした柔らかそうな肌艶が、かわって気持ち悪かった。


 魔物の出現に、人々は恐慌に陥った。無理もない。ただの流砂だと思っていたのが、アリ地獄だったというだけでも衝撃だったはずだ。あの外見を近くで見れば、なにもされなくてもショック死してもおかしくはない。

 魔物が出てくる前に、地面を固めて動けなくすることもできた。人型の巨人に対してはそうしたのだ。だが、今回それをすれば、逃げようとしている人間たちの足まで固まってしまう。


 一人でも多く、危険の少ない方法で助けようとした私の判断が、地面から気持ちの悪い魔物を徘徊させるという結果になった。

 後悔はしていない。だが、対処しなくてはならない。


「風よ!」


 母が生み出す風は、ここでも力強い。地獄は土と火の精力が強いようだが、風も弱いわけではない。ただ、水の力は弱そうだ。

 地面から這い出た魔物が吠える。いかにも地獄で聞きそうな怨嗟の声に、人々は逃げながら耳を塞いだ。

 人々に、自ら耳を塞ぐだけの余裕がある。先だって私が地面に埋めた巨人のように、声そのものを武器としてはいないのだ。


「で、キール、この後どうする?」


 母は目の前に風が渦巻く玉を生み出したまま、私に尋ねた。

 こんなことを並みの魔術師がやったら、風の玉は四散したところである。難なく維持しているだけで、母の魔術師としての技量がいかに高いか知れる。もちろん、一般的な水準として考えた場合に限定したことであるし、母の力の使い方を見ている私の推測にすぎないが。


 私は母の作りだした風の玉を操り、飛び上がろうとした魔物を包み込んだ。魔物は巨人同様に巨大だったが、魔物の全身を包み込むまでに風の玉を大きく育てながら差し向けると、風は竜巻に成長していった。

 いかに巨大な魔物といえども、大自然の前には無力である。風の魔法は、放たれた後は自然現象へと変化することもあり、その割合は他の魔法と比べて多い。


 巨大な魔物が竜巻に巻き込まれ、舞い上がった。

 人々は母をたたえながら、すり鉢状の砂地を上る。

 だが、あまりにも巨大な魔物は、竜巻でも遠くに運びさることはできず、ほぼ巻き上げられたのと同じ位置に降ってきた。

 幸運にも、その間に人々はすり鉢状の窪地からは登り切っていた。


 私は再び大地に語り掛け、砂状よりもさらに柔らかい地面に仕立てた。まるで、羽毛布団の中に沈むように、すさまじい勢いで落下した巨大な魔物が地面に沈む。

 もともとそうであったように、体の全部が地面に沈んだ。

 私は再度大地に語り掛ける。


 今度は、砂地を固めた。

 コンクリートより、鉄の塊よりも、強固に固めた。

 地面の中の魔物に動きはない。

 しばらくは、そのまま放置させてもらうとしよう。






 私が母に魔物の処理を終えたことを告げると、母は何が起きたのか、すべては理解できないようだったが、役目を理解していた。


「安全な場所に移動しましょう。せっかく、こんなところまで生きてこられたのだから、もう一人も死ぬことはないわ」


 王妃である母の前には、およそ70名の人間がいる。

 マルレイとファアも集団に合流した。

 生き残った人間のすべてではないだろう。

 あまりにも少なすぎる。

 まだ、この地獄のどこかで生きているはずだ。


 しかし、目の前の70名の命を守ることの方が優先だ。

 人々の中から声が上がる。市民集会や魔物に追いつめられたような声ではなかった。むしろ、母にすがるような声だった。無理もない。巨体な二体の魔物から人々を守ったのは、私のことを知らない人間たちには、母でしかあり得ないのだ。


「しかし、ここはどこなのでしょう? 突然、このような過酷な環境に放り出されて、どうして生きていけるのでしょう?」

「ここはおそらく、地獄です。伝説や神話で語られる、魔物たちの故郷です」


 マルレイがファアを抱き、人々をかき分けて私に近づきながら言った。あくまでも冷静だ。


「そんな……それでは、生きられるはずがない」


 人々がざわめく。私は黙ってマルレイを見つめた。マルレイが、ただ人々を不安に貶めるために発言するはずがない。

 もっとも、監禁された上に、人々が殺しあう醜い様を目の前で見ていたはずだ。ちょっとだけ意地悪をしたくなったとしても、私は責めるつもりはない。


「神話や伝説で語られるということは、誰かがかつて訪れ、地上に戻ったのです。戻るすべもあるし、生きることもできるはずです。水と食料さえあれば、生きられます。後は、魔物たちから身を守れる場所さえあれば……この地獄の魔物たちの多くは、地上へ出たものと思われます。むしろ、地上より安全でしょう。現在地獄に残っている魔物は、人間に対して興味はないはずです。もちろん、すでに見たとおり、大きく、強力です。しかし、私たちには王妃様がいます」


 マルレイの淡々とした語り口は、人々を落ち着かせた。言いながら、母の目の前に達したマルレイは、母から額に口づけを受け、私の額に口づけをした。


「余計なことをいたしました」


 マルレイが囁く。


『いえ。よくやってくれました』


 私が返すと、マルレイは少しはにかんだ。母が人々に告げる。


「人間の希望はまだ潰えていないわ。それを信じられるものは、私に着いてきなさい」


 母が、魔法の杖を持った腕を上げた。もう片方の腕には、私を抱いている。人々が手を合わせる。さながら、革命を率いる聖女のように、母は人々を引き連れて行進を始めた。






 巨人とアリジゴクの二体を地面に埋めた後、母と民衆は移動を開始する。目的地はない。ただ、安全と思える場所に向かう。

 私が行先を決めた。

 人間の感じが強い方に誘導した。巨大な魔物があちこちにいることが解る。それだけに、小さな人間は、魔法を使っても見つけるのは難しかった。

 人数が固まっている場所は解りやすい。

 私は、多くの人間がいると感じる場所に母を誘導した。

 真っ黒い幹をした、巨大な木が生えていた。


 枝の伸ばし方は低木に近い。地面を這うように枝を伸ばしていながら、私の頭上数十メートルの高さまで枝を伸ばし、ただ枝だけを伸ばしている。

 一切の葉がない、枝だけの真っ黒な樹木が、いばらのように絡まって成長し、人間を捉えていた。

 木に人間が実っている。

 私には、そのように見えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ