28話 市民集会
私が心配していたように、魔物の軍勢の本体が到着する前に、足の速い魔物たちが城塞を囲み始めた。
マルレイは軍師の職を解かれていたが、母は単独ではもっとも大きな戦力だと考えられており、母が戦えるのは、傍でマルレイが騎士として私を守っているからだという勝手な解釈を兵士たちがしてくれた。
そのために、マルレイも騎士として扱われ、私は戦場と化している城塞の内外の情報を得ることができた。
まず私が驚いたのは、魔物と呼ばれる者たちの強さである。
人間は、魔術を使えなければほとんど戦力にならない。人間の本来の力は集団での戦法であり、個々の力は魔物に遠く及ばない。
ファアを手元に置くことになった母は、その日のうちに3度呼び出され、私をつれて城壁に挟まれた広場に行き、魔物を屠った。
先行して到着した魔物はやはり翼を持つ者が多く、風の魔法を自由に操る母は、空を飛ぶ魔物をいとも簡単に地面に落したのだ。
私が手を貸さなくとも、飛ぶ魔物を落とすことはできた。問題はその後で、兵士たちが怪我をせずに魔物を倒せるよう、私がこっそり魔物の動きを封じていた。
この日の日中、マルレイは姿を見せなかった。
私が再びマルレイに会ったのは夜のことで、父王も戻ってきたため、マルレイは遠慮して別の部屋に行こうとした。そこで、私も遠慮してマルレイに従った。ファアも遠慮した。
何に遠慮したのか。私の父である王にではない。父と母が夜間に行うことについて遠慮したのだ。この中では一番年長のマルレイでさえ、まだ若い。
昨晩は勝手にいなくなった私に母は激昂したが、はじめからマルレイが一緒だとわかっていれば、むしろ笑顔で送り出してくれた。
「さて……どうしましょう」
すでに日は落ちており、深夜に近かった。マルレイは空腹を抱えているようだった。
私は自ら光を放ち、あたりの闇を遠ざけた。一方を指さす。理解したのはファアだった。
「殿下……じゃなくて師匠が、市民広場に行こうって」
「『師匠』?」
マルレイが聴き返す。
「うん。だって、わたしが魔法を使えるようにしてくれたの、キール殿下だから。だから、師匠なの」
「だぶ」
「なるほど、それはいいですね」
何が『いい』のかは私には解らなかった。私も、そういう呼ばれ方をするのは、100年間で慣れてしまっていた。特に珍しいことでもない。
私は意思が通じていたことに満足して、堂々とマルレイの腕に抱かれていた。
市民広場とは、岩壁に張り付いたマンションのような形をしたこの城塞に、ぽっかりとあいた広大な空間のことだった。
東西に巣穴のように家がならび、その東西の真ん中がぽっかりと空いているのだ。
兵士詰め所よりはるかに広く、戦闘員ではない一般の市民が集会場として使うのに適している。そのため、いつの間にか市民広場と呼ばれていた。
いまのところ、集会が開かれたという実績はない。
この城塞にようやくたどりついて、まだ3日しか経過しておらず、しかも噂は広がっていた。
魔物たちが、人間を追い出しただけでは満足せず、皆殺しにしようとしていること。また、その魔物が4日後には、人間を殺すためだけにやってくること、がかなり信憑性のある噂として広まっていた。私はそれが事実であることを知っている。
母から離れてすぐに、私は魔法を使った。生物を探す魔法を使い、城塞内に感覚を広げてみた。魔物が侵入していないか、探ってみたのだ。
その結果、市民広場に多くの人間が集まっていることを感じ取っていた。私がその方向に行きたかったのは、不安を抱えた市民が何を話し合うつもりなのか、知りたかったのである。
私とマルレイとファアが市民広場についた時には、深夜だというのに人があふれんばかりになっていた。
中央に台が作られ、一人の男が熱弁を振るっている。
私は、古代ギリシアの民主政治を思いだした。もちろん、前世で知識として知っていただけで、その場に立ち会ったことはない。私が生きていた時代より、数千年は前のことだ。
「俺たちは騙されている! どうして人間が皆殺しにされなくてはいけない! どうせこのままでは、全員が飢え死にだ! 兵士の数は少ない。魔物たちの狙いは王だ。王を殺して魔物に差し出せば、俺たちまで殺されるはずがない!」
拳を振り上げ、力強く熱弁を振るう男に、市民広場の人々は同調し始めていた。
ここに、絶対王政が終わりを迎え、民主政治が幕を開ける。
という展開でも、私は構わない。
ただし、魔物が狙っているのは王の命だけで、他の人間に見向きもしないというのは、理由がない。ただの希望にすぎず、魔物が人間を好んで食べている現場を見た私としては、妄想としか思えない。
私たちは市民広場に着いたばかりなので、人々の背中を眺めていた。
誰も、私たちの存在に気づいていなかった。
ファアがマルレイの袖を引いた。
怖がっているのが、私にもわかる。
ファアがこの民衆に見られて敵意を向けられるとは思えないが、ファアは人一倍感受性が強い。優れた魔力の持ち主が全員そうなるのかはわからないが、私の考えを読んだりするぐらい鋭い。
人々の狂気を感じ取り、恐れているのだとしても不思議ではない。
「どうします?」
マルレイは私の耳元に囁いた。どうすべきか、マルレイの方が解っているのではないかと思ったが、私に判断をゆだねてくれたのだ。
私は言った。
「ばぶ」
あえて声を落としたが、上手く伝わったかどうかは、マルレイの反応を待つしかない。
「……そうですね。少し様子を見ましょう。もし、実際に行動を起こすことになれば、力づくでも止めなければなりませんね……私の力では、どうやっても止まりませんが」
「だぶ」
「わかりました。その時はお願いします」
どうして私の言いたいことが伝わるのか、私にもわからない。ただ、私は頭の中は赤ん坊ではなく、幼児ですらないことに確信を持っているのは間違いない。
台上の男は、ますます声を張り上げていた。
「立ち上がれ! 諸君! 王を殺せ! 我々は十分に代償を払った! 今度は王に払わせる番だ!」
民主主義の原点から、革命に移ってしまった。
私は、王の過去を知らない。魔物が人間を滅ぼそうとする原因を知らない。だから、男の言っていることが正しいかどうかもわからない。
ただ、人間どうし、殺し合っている時ではない。
私は気になって、演説をしている男に魔法を使った。『知覚魔法―魔力感知―応用―呪い看破』により、隠された魔法も見つけることができるはずだ。
ファアの体内に埋められた悪魔の紋章も見つけた優れた魔法だが、残念ながら、男はただの人間だった。
人間が、人間である王を『殺せ』と言っているのだ。
演説している男が、魔物が姿を変えていればいいと思った。ドゥーラのように、疑わしい存在であるだけで、私は救われた。
人間を信じたいと思う私には、純粋な人間が、自らの信じることに従い、人間を殺そうとしているのを見るのが辛かった。
「キール殿下、泣いているよ」
ファアがマルレイに言った。赤ん坊のように、泣き声を上げていればよかったのかもしれない。だが、私は目から静かに涙を流し、人間の愚かさが自らを滅ぼすことにならないように祈った。
「……キール殿下、出ましょうか?」
私たちは、まだ誰にも気づかれてはいない。このまま、知らなかったふりをすることもできる。ただし、人々は本当に行動を起こすかもしれない。
「王は我々を裏切った! その証拠に、その息子は魔物に取りつかれている!産れてから半年だというのに、泣きも笑いもせず、大人の言葉を理解しているというではないか! これが、魔物でなくてなんだというのか!」
「やめなさい!」
私を抱いていたマルレイが、突如大声を放った。小さな体からは想像もつかないような音声を張り上げ、男の演説を黙らせた。
私のために怒りをあらわにしたマルレイに、私はただ目を瞑った。




