27話 悪魔ルーシェルの配下
ファアの体に触れ、さらに、ファアの体内に私の短い手が入る。
母とマルレイは動揺しても、私を止めようとはしなかった。
手首までがファアの体内に入り、私はファアの体内に硬い物質があることを知り、掴みだした。
「……悪魔ルーシェルの印ですね」
私が放り出した金属のエムブレムを見て、マルレイが言った。悪魔ルーシェルは、人間を滅ぼそうとしている軍勢の一つを率いる大悪魔だ。
かつて、父王が言ったことを私は覚えていた。
人間を滅ぼそうとしている軍勢は4つある。
魔族に落ちたササレルの従える邪悪なオークの群れ。
魔界から這い出てきた悪魔ルーシェルに従う百鬼。
魔物を従えるブリュッス男爵。
死せるユウメル王が従える亡者たち。
私はいずれも知らなかったが、そのうちの一人の印が体内に埋まっていたのだ。
「……どういうこと?」
「誰かが、ファアの体内に埋め込んだということでしょう」
母の問いに、マルレイが答える。
「でも……どうやって? 体の、どこに入っていたというの?」
「取り出したのがキール殿下の魔力のおかげなら、埋め込んだのも、強力な魔力の持ち主ということでしょうか」
「……ドゥーラ?」
母は私を見る。疑わしいのは確かだが、決めつけるだけの確証はない。ただし、もう一度会えば、正体を明かさせる方法はあるかもしれない。
「んっ? ……あっ王妃様、どうしたの?」
悪魔の印象を取り出した途端に、ファアは目を覚ました。
すかさずマルレイが尋ねた。
「ファア、ドゥーラに何かされませんでしたか?」
「何かって?」
「いえ……何でもありません」
ファアの表情を見たからだろう。マルレイはファアが何も知らないことを確信したのだ。代わりに母が尋ねた。
「ファアは、ドゥーラのところに戻りたい?」
ファアは、少し困ったような顔をした。
「別に、戻らなくてもいいのよ。部屋はたくさんあるし、食べ物も分けてあげるし」
「ほんとう? ……でも、だめだよ。ドゥーラが探しに来る。それに、ドゥーラはわたしが見ていないと……兵隊さんを殺そうとするんだ」
「殺すって、どうやって?」
母が尋ねる。マルレイはファアを抱いたまま、考え込むように黙っていた。
「呪うんだって言っていたよ。どうせ助からないから、静かに眠らせてあげるんだって……」
「ドゥーラの呪いで、誰か死にましたか?」
「ううん。知らない」
「どんな呪いかわかりますか?」
「なんだか……水晶みたいなのに話しかけているよ」
「それは呪いじゃないわ。誰かと連絡をとっているのよ。ファアに見られたから、呪いをかけているんだと咄嗟に言ったんでしょうね」
もはや、私の出る幕はなかった。
「では、悪魔ルーシェルにこの場所を知らせているのでしょうね」
母の推測に、マルレイもうなずいた。
「それで、どうするの?」
かつて軍師であったマルレイは、相手を利用し裏をかくのは得意だろう。母が尋ねたのももっともだ。
マルレイはファアに尋ねた。
「ドゥーラとは、いつ出会ったんですか?」
「うぅんとね……もう、ずっと前だよ。わたしも神婦になるんだって……言ってくれた」
再びマルレイは黙り込む。しばらく腕を組み、さらに尋ねる。
「最近になって、様子が変わったりはしていませんか? ここ……半年とか、一年とか」
ファアも、まるでマルレイの真似をしているかのように考え込む。こちらはあまり長くなかった。
「ええっとね……ずっと血を見るのを嫌がっていたけど……最近は凄く楽しそうに……怪我をした兵士さんの治療をしているぐらいかな。でも……それは診療所を作ったんだから当たり前だって……ドゥーラは言っていたよ」
私はハイハイして部屋に戻ろうとした。
部屋には、私が作り出した形ばかりの剣がまだ大量に転がっている。本当に役に立たないのなら土に戻してしまうこともできるが、物資が少ない状況である。身を守るものぐらいはほしい人たちも多いだろう。
「キール、飽きちゃった?」
母が私を抱き上げる。マルレイが、私を不思議そうに見ていた。
「ドゥーラが何者か、とても大事なことだと思いますが……キール殿下にはどうでもいいことなのでしょうか」
ファアがすっかり目を覚まし、昨晩見たようなきらきらとした目を輝かし出したので、マルレイはファアを床に下ろした。
「キール、どうなの?」
母が問い詰めるように尋ねた。あまり赤ん坊に期待されても困るが、私の責任でもある。私は答えた。
『この城塞の場所はもう魔物たちに知られているのです。遅くとも、4日後には魔物の本体が来るでしょう。その前に、先行した魔物たちとの戦いも始まることと予想されます。いまさら、ドゥーラの正体を暴いても何も変わりません。私は、ドゥーラはそのまま放置したほうがいいと思います。ただ、私が魔法を使えることと……この城塞についての情報は与えないように注意が必要です。たとえば……この城塞に抜け道があるかどうかわかりませんが、ドゥーラも知らないなら、何も知らないままの方が、人間が一人でも多く生き残れるでしょう』
母が、私の言ったことを要約して伝えた。
「……って考えているみたい」
かなり端折ったが、マルレイは賢く、ほぼ正確に理解した。
「なるほど。そうですね。では……ドゥーラに誰か兵士をつけるように進言しましょう。ドゥーラが何か動きを見せたら、処理できるように」
マルレイは『殺す』とは言わなかった。仮にも軍師を勤めてきた女性である。場合によっては容易に殺すだろうが、私はあえて『殺すな』とも言えなかった。
母が私を見た。
『マルレイに任せれば間違いないでしょう。こういうことについては、私よりよほど専門でしょうから』
「……って思っているみたい」
「ありがとうございます」
マルレイは腰を折り、部屋を出ていった。現在のマルレイの立場は、第一王子付きの騎士である。普通の兵士に命令を下すぐらいはできる。
私は、母からファアの手に渡された。
「キール殿下、こんにちは」
「あばぁ」
私が挨拶を返すと、ファアは楽し気に笑った。
「キールは、ファアに会うのを楽しみにしていたのよ」
「ほんと?」
まだ幼いため、母の王妃であるという意味を理解していない。ファアは屈託なく言った。嬉しそうだが、もちろん私に特別な感情を抱いているはずがない。ただ、赤ん坊が珍しかったのだろう。
「ええ。キールがファアに会いたがっているから、ここに呼んだのだもの」
「嬉しい。わたしの力、キール殿下がくれたの。だから、師匠って呼ぶね」
ファアは、私が思っていたより、私のことを特別視していた。ファアの手が光っていた。この世界の治療術師の力は、光る手によって生物を癒すというものらしい。
『源魔法』の記述どおりだ。
私はファアに指で指示をすると、ファアは私の意図をかなり正確に理解してくれた。
魔力を持つ者には、私の意図は伝わりやすいらしい。例外はマルレイで、マルレイには魔力はない。だが、彼女は洞察力が優れているので、本来は理解しがたいことも、私には理解できない方法で悟ってくれる。
部屋には母とファアと私の3人で戻り、私はファアの力を確認するために、魔力を詳細に探らせてもらった。




