25話 『源魔法』の書
私はようやく、『源魔法』の書を読む時間を与えてもらった。
母がのんびりとお茶を飲む横で、騎士となったマルレイに見守られ、私はむさぼり読んだ。
世界創生の物語が終わると、主人公は一人になった。その出生は明かされておらず性別もわからないが、ただ世界を巡って人々に奇蹟を与える物語だった。
知ることのできないはずのことを知り、飢えた人々に食べ物を与え、通ることのできない場所を通過した。
ある場所では火に語り掛けて火事を収め、水に語り掛けて洪水を割り、風に語り掛けて実りをもたらし、土に語り掛けて住居を作った。
働き手がいない村では、一時的に死者に語り掛けて労働力とし、誰もいない場所では万物に語り掛けて寂しさを紛らわせた。
病気の人々には手をかざして癒し、手足を失った人々には、残りの寿命と引き換えになることを条件に、失われた体を復元させた。
やがてその人物は魂に語り掛けることを知り、万物の世界と無の世界が表裏一体であることを悟る。
万物の世界のことを人間に委ね、自らは無の世界、魂の世界へと旅立った。
「面白かったですか?」
「ばぶ」
満足した私に、私に仕える唯一の騎士であり、子守りでもあるマルレイが話しかけた。
私は母と私が一緒に使用している、大きなベッドの上で読書をしていた。
母は椅子に腰かけたまま、満足そうにうたた寝をしていた。
その椅子は揺り椅子である。床との接地面に反りのついた板を張り、座るとゆらゆらと揺れて気持ちがいいのだ。
当然持ってきたわけではないし、作る時間もなかった。ただ、私が木の成長を操って魔物を退治した場面を見た母が、私にどんぐりを渡して揺り椅子が欲しいと言った。
私は拒否する理由もなく、魔法の研修にもなると思い木の成長を細かく操作して、揺り椅子を作り上げた。お尻が乗る座席部分は細い枝を幾重にも絡めてクッション性を持たせるなど、苦心したのだ。
それをいつ作ったのかと言うと、マルレイが騎士に就任した直後、私が読書を始める前である。
マルレイは私に本の内容を問いたそうにしていたが、私がまだ言葉を発せないのは事実である。
こればかりは待ってもらうしかない。
だが、とても多くのことを知ることができた。
私の脳裡には、この世界で『知覚魔法』と『生命魔法』と『基礎魔法』以外の選択肢が出たことがなかった。幾ら考えても、それ以外の選択肢が浮かび上がることはない。『応用魔法』を使ったことはあるが、『基礎魔法』の発展形にすぎない。
母が行うような魔術も、召喚術も、どうやって使うのか私にはわからなかった。
ただ、治療術は解らなかったが、『生命魔法』で代用できた。
『源魔法』の書に基づいて考えれば、私が知っている3つの魔法が、すべての魔術の元になっているようだ。
つまり、母が使う火、水、風、土の魔術も、死者やゴーレムを操る召喚術も根本は一つである。
目に見えないがそこにいる力に対する『語り掛け』なのだ。
私は試してみることにした。マルレイは私が大人しくしている間は無理に構おうともしなかった。ありがたいことだが、私は誰かにかまわれない限りずっと大人しくしているつもりだ。
マルレイのことは気にせず、私は脳裡に意識を集中させた。
『知覚魔法―念話』を呼び出す。
さらに細かく設定する。
『知覚魔法―念話―対象―土―応用魔法―土』
私の脳裡で、選択肢が増えていく。私は魔法を使い、目の前に土の塊を作りだした。マルレイが驚きの声を漏らすが、驚くのはまだ早いだろう。
さらに呼び出した土に念じ、生みだした土の姿を変える。
私はマルレイの体に見合う剣と防具を作り出し、さらに土の密度を上げて強化した。
同時に火に語り掛けて、作りだした土の道具に焼き入れを施す。
一瞬で高温にさらされ、土の成分がガラス状に変化する。
水に語り掛けて冷やし、さらに土に語り掛けて熱で変化した形状を修正する。
何度か繰り返し、私が満足すると、空中に生み出された防具と剣が床に落ちて硬い音を上げた。
土から呼び出したものの、材質はまさに金属である。この世界での金属量が一定であれば、どこかで金属の量が減っているだろうが、誰にも見出されずに深い土中で眠っていた分だと感じている。
「……キール殿下……これは……」
「ばぶぅ」
私は剣と防具とマルレイを指で示した。
ただ金属部分を生み出しただけなので、身に着けるわけにはいかないだろうが、木の繊維で紐を作り出すことはたやすいことだ。
私が実行しようとしたが、マルレイがさせてくれなかった。私を抱き上げ、とても大切なものを扱うような手つきで抱き上げた。
「……殿下は、どこまでのお力を持っているのです?」
「ばぶばぶ」
私の力など知れている。ただたまたま、魔法の使い方を知っている体に産れただけのことだ。ただの100歳の老人である。人間に必要なのは、生きる知恵を持ったマルレイのような存在なのだ。
私はその意味を込めて、マルレイの頬をぴたぴたと叩いた。
マルレイは笑った。意味は伝わらなかった。
私を降ろし、マルレイは床に落ちた剣と防具を拾い上げた。私は戦わないことを、前世の100年間は訴え続けてきた。だから、戦いの道具については詳しくない。
いまは、相手が人間を滅ぼそうとしているのだし、戦わないということもできないだろう。だから道具を作ってみたが、見よう見まねで形だけ作ってみても、まともな品になるはずもない。
だが、マルレイは優しかった。
私が作りだした剣と防具をもって隣に座り、剣を振ったり防具を体にあてがった。
「そろそろ、ファアの仕事もひと段落した頃でしょう。様子を見てきます」
マルレイは私が作りだしたものを持って出ていこうとしたので、私は止めた。浮遊させ、私の手元に引き寄せた。
「ばぶう」
出来が気に入らないのだ。そもそも、試しに作ってみただけで、実用品として使えるとは思っていないのだ。
「なるほど、私が騎士に任じられたことは、まだ誰も知りません。下手に武装して、王の目に留まればまだお叱りを受けるかもしれませんね」
マルレイは一礼した。マルレイもまだ若いので、万能ではない。武器についての知識などはないのだろう。
私は焦った。少しでもまともなものを作りだしておかなければ、マルレイに恥をかかせてしまう。
マルレイは外に出ていった。
私は母が寝ている横で、大量の剣を作りだしていった。
なぜ剣からなのか。本人が隣にいてくれないと、マルレイの体のサイズがわからないため、防具を作れないのだ。
騎士マルレイの声で母が目覚め、謁見の場にファアを待たせてあることが告げられた。その間に、床ができそこないの剣で埋め尽くされており、母は明らかにいぶかしんだ。
中々出てこない私と母を待ちかね。マルレイが部屋に入ってくる。
「なるほど……このままでは戦力が不足するから、一般の人々も戦いに参加しなければならないだろうということですか……確かに、殿下の考えるとおりです。私はまだ、そこまでの覚悟はできていませんでした。ですが、五日後には、必要になるでしょうね」
上手く作れないから、何度も繰り返していただけなのだ。マルレイは私を過大評価している。
もっとも、魔法の発動について知識がないマルレイが、私が作った剣を、でき損ないかもしれないと考える余地はなかったのだろう。
「キールですもの」
母もまた、私の力を疑っていない。
私にも、できないことはできないのだ。
私はファアに会うために移動したかったが、ベッドから降りるためには魔法を使わなくてはならない。
床には物騒な道具で埋め尽くされている。
私が躊躇っていると、マルレイが抱き上げた。
「私が連れていって、よろしいですか?」
「ええ。正式にこの子に仕えるのは、あなた一人ですもの」
「光栄です」
本気で言っているらしいことに、私は照れながら抱き上げられた。




