24話 王子の騎士
翌朝、目を覚ました私はオムツを変えてもらい、母から栄養を分け与えられた。
父王はやはり戻らなかったらしいが、母は気にもしていないようだった。
食事は保存食しかないため調理の手間はかからない。お茶の用意は母がしたが、宮中に居る時よりも楽しいと言いながら、水を生み出してお湯に変えていた。お湯を注ぐ母は、とても幸せそうに見えた。
食後のお茶を楽しむ母をしり目に、私は念願の『源魔法』の書を読む時間を与えられた。
母も邪魔をしなかった。母も、この書の内容が必要なのだと理解してくれた。
治療術師を見つけたのが大きいと言える。母自身、治療術の心得はなく、ファアに会ったとしても判断できないことを認めていた。
ただ、ファアはまだ幼い。戦いに巻き込まれれば、簡単に死んでしまうだろう。
戦いの時には、ファアをもっとも安全な場所に置かなければならない。母がその存在を知っておくことは必要なことだ。
もっとも、ファアが治療術を使う場面を軍師マルレイも見ている。マルレイがファアの保護を失念するとは思えなかった。
『源魔法』の書は私には重かったが、『基礎魔法―浮遊』を使えばなんともなかった。物理的な破壊からは守られていたようだが、すべての魔法を無効化するということはないようだ。魔法での破壊を試みれば可能だろうが、当面そんなことをする人間はいない。
私が最初のページを読み始めると、恒例のように訪問者がいた。
「軍師ちゃんよ。キールも来る?」
「ばぶ」
「本に夢中ね」
母は笑みを浮かべて立ち上がった。どういう意味の笑みかは、私にはわからなかった。本に夢中な生後半年の赤ん坊というのが、一般的だとは言い難い。
『源魔法』の中身は、すべて物語の形式で書かれていた。
世界の創生から、人間の誕生に至るまで。一人の人間が魔法を使いこなすようになった経緯と、その活用法が描かれている。
形式は子供向けともいえる内容だが、古代神聖文字でただの児童書を保護しているはずがない。
すべて真実なのだろう。この本に描かれたことは事実として起こったことであり、私はこの本から、世界の理を、魔法の正体を解き明かさなければならない。
私は、むしろ懐かしさを覚えた。
前世での宗教上の聖書や聖典は、すべて物語の形式を持って描かれていた。
興味のない人間から見れば、ただのつまらないおとぎ話にすぎないだろう。だが、その宗教を信じる者には、絶対の真理が描かれた神の書だった。
私は世界中の聖書、聖典を原書のまま読み漁り、結果として聖人とまで呼ばれることになった。特定の宗教の指導者だったわけではない。ただ、すべての宗教団体が友好的な関係を築けるように尽力しただけだ。
残念ながら、冒頭の数ページを読んでいた段階で、母が部屋に戻ってきた。
「『キール殿下はいらっしゃらないのですか?』って、開口一番に言われたわ。軍師ちゃんと、本当に何もなかったのでしょうね」
『生後半年の私と、どんなことがあり得るというのです?』
「それもそうね」
結局、また私は『源魔法』の書をお預けにされた。
母に抱かれた私を見ると、マルレイは即座に最上級の礼をとった。
「さっきとはずいぶん態度が違うのね。軍師マルレイ、あなたは誰に仕えているの?」
「申し訳ありません。ですが王妃様、私はキール殿下に命を救われたのです。命をかけてお守りするつもりです。私の力など、とるに足らないことは理解していますが……」
さらに口上を述べようとしたマルレイを、母が止めた。
「いいのよ。ちょっと意地悪したくなっただけ。この子は、昨日あなたが私とこの子を、体を張って助けようとしてくれたことに感謝していたわ。だから、私があなたの命をまるで見捨てるような態度をとったことに腹を立ててもいた。私は王妃だから、王妃としてふるまわなければならないと言っても、許してはくれなかった。だから勝手に抜け出して、マルレイの体を癒したのよ。でも、よく生きていてくれたわ。軍にとって、いえ人間にとって、あなたはなくてはならない存在ですもの。そうよね、キール」
母は玉座に腰を下ろしながら、私をあやした。あやす必要がないことはわかっているはずだが、私が赤ん坊のうちは辞めることはないだろう。
マルレイは黙って聞いていた。
「この子がそんな複雑なことを考えるはずがないと、あなたは思うでしょうけど……」
「いえ。王妃様、私はキール殿下のお力を目の当たりにいたしました。キール殿下は、すべてご存知なのでしょう」
「……その通りよ」
私と母の視線が絡み合った。
マルレイに念話で話しかけてもいいだろうか。私は考えたが、母はそれを察したように首を横に振った。私も承知した。
「王妃様、キール殿下、私は軍師を解雇されました。今日は、それをお伝えに来たのです」
マルレイは言った。深く首を垂れた。声が震えていた。さぞかし、悔しいのだろうと思った。
「……何があったの?」
「いえ。私はキール殿下に見せていただいた通り、魔物の情報を王にお伝えしました。私が見る限り、人間を滅ぼそうとしている軍勢がすべて結託しているようでした。全軍の到着が5日後になると私が言った途端に、王は私の解雇を申し渡しました。私も悪いのです。キール殿下が見せてくださった力について、説明することができませんでした。私が精神に異常をきたしたのだと王はおっしゃいました」
「……そう。では、これからどうするの?」
「この城塞から出ていけとは言われませんでした。王も、それがどれほど酷い仕打ちかご存知なのです。私は……昨晩、キール殿下のためにこの命は使うと誓いました。その誓いをまっとうしたいと思います。ご命令があれば、何なりとお申し付け下さい」
マルレイは真剣だった。だが、軍師という立場を失ったいま、ただ頭が良いだけの小さな少女でしかない。
母は私を見降ろした。問いかけているのだとわかったが、あまり語れることは多くない。
『母上がお嫌でなければ、マルレイを私の騎士にお命じください』
「そう。それでいいのね? ……マルレイ、キールのために命を投げ出す覚悟ができているのね?」
「はい」
マルレイに迷いはなかった。母は言った。
「では、あなたをキール・ティベリウス王子の筆頭騎士に任じます」
「はっ? ……私が……騎士?」
「不満? キールもそう望んでいるのよ」
「い、いえ。ありがたく拝命いたします」
「では、さっそくだけど、診療所に行ってファアという女の子を連れてきて」
母が言うと、マルレイは立ち上がった。
「治療術師として鍛えるのですね。ですが、すでにファアは実地に赴いています。鍛えるまでもなく、治療術師として活躍してくれるでしょう。昨日の戦いで、多くの死傷者が出ましたから」
『昨日の戦い』という言葉は、私には意外だった。
私は昨晩、診療所にいた全員の怪我を癒したはずだ。その後で現れた敵となると、私が動けなくしたワイバーンと魔剣士しかいない。
弱っているところを兵士たちで討伐したのではないのだろうか。
「『昨日の戦い』?」
私の問いを察してくれたのか、たまたまか、母がマルレイに尋ねた。
「ああ……王妃様はご存知ありませんか。キール殿下が魔物を拘束されたのですが、とどめを刺すために兵士たちが向かって……結果的に3人が死亡し、5人が負傷しました」
母が私を連れ出した後の話しだ。私は唇を噛む思いだった。思いだけだったのは、噛むための歯すら生えていないからだ。
「そう。でも、時間があるときに連れてきて。キールの意思よ」
「承知しました」
戦いには役に立たないかもしれないが、マルレイが私の専属になって仕えてくれるのは僥倖だ。
だが、ファアを迎えに行くことを後回しにした騎士マルレイの最初の仕事は、母に命じられた私の遊び相手であった。
 




