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22話 忍び寄る絶望

 私と軍師マルレイの視界から星々を奪ったのは、爬虫類の体に巨大な翼をもち、長い首と尾をした生物だった。

 背には人型の黒い影が乗っているが、私の位置からは見ることができない。


「……翼竜、ワイバーンです」


 軍師マルレイの声は震えていた。岩の魔物に襲われたばかりである。見張りの兵士が油断していたはずがない。マルレイに戦う能力はない。

 ただマルレイは、私を隠すように抱きかかえた。


「……キール殿下だけは……キール殿下だけは……」

「ここが、人間の滅びの地というわけか。美味そうな女と赤子がいる。腹ごしらえとしようか」


 ワイバーンと呼ばれた魔物の背から声が聞こえた。

空を飛ぶ相手である。走っても建物内に逃げられる位置ではない。遠くの出来事に気を取られていたとしても、接近にすら気づかなかった。

 翼竜が地上に降りようとして、ゆっくりと羽ばたいた。マルレイは私を抱いて震えていた。

 私は『基礎魔法―浮遊』を翼竜にかけた。


 ワイバーンと呼ばれた魔物は、ゆっくりと翼を動かし、遠ざかっていく。

 重さをなくしたのだ。翼で浮力を発生させれば、下に向かう力が無くなった分、浮き上がってしまうのに決まっている。


「お、おい。どこに行く。下だ」


 背中の影が慌てる声が聞こえる。降りるどころか逆に浮き上がった後、ワイバーンは後方に宙返りした。


「……あれも、キール殿下のお力ですか?」


 私はただ、キャッキャッと笑った。ごく簡単な魔法で、私とマルレイを食べようとした巨大な魔物と主人がきりきり舞いしているのだ。この時ぐらいは、喜んでもいいだろう。


「ぬわっ!」


 上空で翼竜がひっくり返ったのに合わせて、背後の魔物が落下した。空を飛ぶ生物は、翼によって斜め上に移動する浮力を得る。下に向かって力が働いているので、斜め上に飛ばなければ空を舞うことはできないのだ。

 体の重さを消せば、空中でぐるぐると回るしかない。

 黒い姿の魔物は高い場所から地面に落ちたが、怪我をした様子もなく立ちあがった。


 腰から黒い剣を抜く。黒色がお気に入りなのだろう。

 黒い剣の戦士は人間に似た体をしていたが、顔に目も鼻もなく、ただ口だけがあった。まるで闇に塗り込められたような姿は、人間に嫌悪感を抱かせるためだけに存在しているかのようだった。

 私を庇うように抱くマルレイに迫り、剣を振り下ろす。


「ひっ」


 マルレイの声だった。恐れたのではない。ただ、覚悟を決めたために喉が鳴ったのだ。私は魔法を使用した。

『基礎魔法―浮遊』は実に便利な魔法だ。黒い戦士がマルレイに剣を振り下ろすために踏み込んだ瞬間に、私は戦士の体重を消した。体重を失っているのに強く踏み込んだため、反動で戦士は遥か高みへ飛んで行った。

 重さがないため落ちても来ない。


「……あれも……キール殿下のお力ですか?」

「だぶぅ」

「……お見事です」


 マルレイは私をぎゅっと抱きしめた。全身が汗ばんでいた。本当に死を意識したのだろう。

 一緒にいる人間に恐怖を与えずに魔物を倒す方法を考えなければと、私は考えていた。

 





 空中で身動きがとれなくなったままのワイバーンとその乗り手を残し、私とマルレイは壁の内側の兵士詰め所へ戻った。

 いつになったら魔法が解けるのか。

 私が魔法をかけた相手に興味がなくなった瞬間である。

 兵士詰め所には、見張りの交代要員だろうか、二人の兵士がまどろんでいた。

 マルレイが揺り起こす。


「翼竜に乗った魔物が現れ、見張りの兵士が殺されました。すぐに捕縛に向かって下さい」

「……翼竜? 俺たちだけで?」

「大丈夫です。しばらくなにもできないでしょう。その間に、必要なだけ兵士を集めるのです」

「よ、よくわからないが……行ってみるよ。マルレイは、まだ軍師だもんな」

「ありがとうございます」


 二人の兵士は、消えそうになっていた松明の明りを、息を吹きかけて起こしながら外に出ていった。

 一時的に真っ暗になったので、私は魔法で光った。

 魔法を使えることを、マルレイに隠してもすでに意味がないのだ。


「だぶう」

「はい」


 言葉にはなっていないが、マルレイには意味が通じた。

 マルレイは詰め所に一時的に設えられた、会議用のテーブルに移動した。

 その上には、兵士たちが体を張って調べ上げた周囲の地形図が広げられたままになっていた。


「キール王子、先ほど見せていただいた軍勢の位置は、どのあたりだと思います?」


 軍師マルレイは、魔物に襲われても、より深刻な情報を検討することを忘れていなかった。

 魔物が襲来する前に、私はマルレイに魔法で遠くの光景を見せた。

 大群が迫ってくる光景である。夜だというのに野営もせず、人間を滅ぼすためだけに移動している群である。

 マルレイは私を地図の上に乗せた。


 母に抱かれていただけの私より、自分の足で歩いてきたマルレイのほうが地形には詳しいはずだが、魔法でどの程度遠くの光景を見ていたのかは、私にしかわからない。

 私は地図の上を移動し、城塞からかなり離れた一地点を指で示した。


「……やはり……ということは、この城まで7日……いえ、魔物たちのあの勢いなら、5日後には本隊が到着するでしょうね」


 その時だった。

 兵士詰め所の扉が、勢いよく開かれた。

 城塞の奥に向かう扉と、外に向かう扉の両方が一気に開かれ、私とマルレイは左右を挟まれた。

 現れたのは、どちらも人間である。

 奥から現れたのは私の父と母であり、外から入ってきたのは兵士たちだった。


「「マルレイ!」」


 左右を挟まれ、同時に同じ名前を発した。

 軍師マルレイは事態が飲み込めないのか、どちらを向くべきかしばらく迷っていたが、やがて仕えるべき王に顔を向けた。

 軍師マルレイは本来死にかけており、誰もそれを助けようとしなかったのだということは、忘れられているらしい。

 父王はマルレイを睨みつけながら近寄り、兵士たちは王の姿に声を懸けられずかたまった。


「陛下、ご報告があります」


 先に口を開いたのは軍師マルレイだったが、動いたのは別の人間だった。


「私のキールをかどわかして、どういうつもり!」


 マルレイの頬が乾いた音を立て、勢いに押されて尻餅をつきながら後方に倒れる。

 王妃である母だった。

 力いっぱい振り抜いたのだろう。母自身も体勢を崩し、テーブルにぶつかってようやく止まった。

 私を素早く抱き上げると、床に倒れる軍師のことを見もせずに背を向けた。


「ブロウ、落ち着け。この子から目を離したお前にも落ち度はあったのだ」

「だからって、この子を見つけたら、私たちのところに連れてくるのが当たり前じゃない! この子に万が一のことがあったら……もう私は生きていられないわ!」


 母は本当に激昂しているようだった。

 軍師マルレイは体を起こし、口元をぬぐった。口元から血があふれていた。


「王妃様、申し訳ありません。私が軽率でした」


 母の怒りは理不尽だったが、軍師マルレイは賢明にも母を立てた。王がマルレイの前に出る。


「ブロウの怒りはもっともだ。だが、報告とはなんだ? キールを連れていたのだ。よほどの情報でなければ許されまい」

「……敵の軍勢の位置が判明しました」

「なに! マルレイ、詳しく話せ。ところで、お前たちは?」

「外で、魔剣士とワイバーンが浮かんでいます。どうやら魔法で囚われているようでして、軍師殿の力かと思ったのですが」


 私は母に抱かれていたので声しか聞こえなかったが、母は足早に兵士詰め所を出ようとしていた。兵士たちの戸惑ったような声を聴いて振り向いた。


「それは、きっとキールの仕業よ」

「まさか。まだ赤ん坊だ」


 王の言葉に、母は声を荒げた。


「まだ、あなたはキールのことを信じていなかったのね。いいわ。キール、魔法を終わらせて。もう一度外に出てみるといいわ。キールの魔法が切れた魔物が、空から落ちているころでしょうから」


 私は母の顔を見上げた。

 外にいる魔物にかけた浮遊の魔法を終わらせれば、確かに魔物は地面に落ちる。ただ、地面に落ちて死ぬような相手ではないし、人間の兵士が相手をすれば、死人が出かねない。


「いいのよ。パパに力を見せつけてあげなさい」


 よくはないのだが。と思いつつも、私は魔法を終わらせた。

 外で、何かが落ちる重い音とともに、兵士たちの悲鳴が聞こえてきた。


「行きましょう、キール」


 母は父王とマルレイに背を向け、兵士詰め所を後にした。

 私の耳には、マルレイの言葉が残っていた。

『5日後には本隊が到着する』

 その時、人間の命運も決まるということだろう。

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