21話 魔物の行進
奥の重篤な患者を治療し終わる頃には、ファアは力を覚醒させていた。
世界の理に働きかけるということを理解しているのではない。難しい理論も呪文もなく、最後の患者に治療を施した後、私が力を使っていないのにも関わらず、ファアの手が輝いていた。
人間の手の平には不思議な力があるとは、前世でも言われていたことである。私はそれを実感したことはなかったが、ファアの手は輝いて見えた。
私を抱く軍師マルレイも驚きの声を上げたので、実際に光を放っていたのだ。
「これ……どういうこと?」
ファアは私に尋ねるが、私も正確な知識があるわけでもなく、予期していたことではない。
「向こうの部屋には、まだ怪我をしている兵士たちがいます。その手を、かざしてあげてください」
マルレイに言われると、ファアは素直に頷いた。ファアがどのような立場なのかは知らないが、マルレイは現在でも軍師であり、軍の中では王に継ぐ位置にいる。
疑問があったとしても、逆らうことはあり得ない。
奥の部屋に、もう呻いている患者はいなかった。
ある者は顔を上げて私を拝むようにしていたが、ほとんどの者は安らかな眠りに落ちていた。
朝、目が覚めて驚くことになるだろう。
「だぁ」
「はい。承知しました」
私の言葉を理解しているわけではないだろうが、マルレイは私の意図したとおりにファアを追った。
修道女の姿をしたドゥーラは、壁に背を預けて眠りこんでいた。
多くの兵士が、傷を負いながらも寝ている。まだ起きてうめいている者は、命に別状はないものの、手足の欠損がある者だ。痛くて眠ることができないのだ。
ファアは足を失った兵士に近寄り、光る手をかざした。
私は、手のひらを通じて膨大な魔力が兵士に流れていくのを見ていた。
苦しんでいた兵士の顔が、穏やかに変わる。
代わりに、ファアの表情が曇っていた。
「……どう?」
「ああ。痛みが無くなった。凄いな」
「……うん」
ファアは座りこんだ。
ファアは、癒すために自分の魔力を他人の体に送り込むことができるようになったのだと、私にはわかった。それが、この世界の治療術であるのかどうか、私にはわからない。
ひょっとして、私はファアの体に施してはいけないことをしてしまったのではないかと恐れた。
他人に魔力を注ぎ入れるのは、ただの特異体質で、治療術とは根本的に違うものなのかもしれないと恐れた。
事実、ファアは一人を癒しただけで疲労して座りこんでしまった。しかも、施された兵士の苦痛は和らぎこそすれ、足は切断されたままなのだ。
私はマルレイに、ファアと兵士に近づくよう頼んだ。ただ指で示しただけだが、マルレイは理解してくれた。
『生命魔法―復元』
私が魔法を使うと、兵士の切断された足の断面がもりもりと盛り上がり、形を成した。
筋肉が膨らみ、骨を形作り、血管を成した。
細部まで、足が復元された。
兵士は驚いて自分の足を凝視し、私はマルレイに頼んでファアに近づいた。
「……すごいや。やっぱりキール殿下には叶わないよ」
ファアは疲れたように呟いた。私はファアの頭を撫でる。手が短かったが、意図は通じたらしい。不揃いな歯でにかりと笑った。
「これ、キール王子様の力ですか?」
兵士が足を持ちあげる。
「はい。私も、たったいま命を救われました」
私はマルレイを振り返り、首を小刻みに振った。そのつもりだったが、まだ首の筋肉が弱いらしく、小さくふるふるとしか動かなかった。だが、マルレイは聡明だった。
「ですが、他言は無用です。せめて、王と王妃様に許可を取るまでは、公表しないように。手足がもげても回復できるとわかったら、無茶な戦い方をする兵士が増えるでしょうし、その後のキール殿下の負担を考えると、とても公言できることではあませんから」
「そうだな……わかった」
マルレイは、私が言いたいこと以上のことを兵士に伝えてくれた。私はお礼に、マルレイにぎゅっと抱きついた。この行為に特別な意味があるというわけではなく、私にはこれしかできなかったのだ。
私は再び魔力検知を行い、ファアがとても疲労していることを確認した。魔力の回復を、魔法でできないだろうか。
私は脳裡に意識を集中させたが、何も選択肢はなかった。
私が周囲を見回すと、マルレイが持ちあげてくれた。
広い診療所全体が視界に入る。
私は手足や目玉などの欠損した患者を、順番に癒していった。
「殿下、だいじょうですか?」
マルレイが心配して声をかけてくれた。心配になるのも当然だろう。私より5年も先に産れていたはずのファアが、足を失った痛みを取り除いただけで疲労して動けなくなってしまったのだ。
私は欠損した患者を癒すと、それ以外の患者は自然回復に任せることにした。
自然に治る怪我は、自らの力で戻すのが一番だろう。
私が治療を終える頃には、ファアも床の上で眠ってしまっていた。
診療所を後にする。
できればファアも連れて出て、母に引き合わせたかった。治療術師として活躍できるかどうかは別にしても、その素質を持っていることは間違いないのだ。
だが、私を抱くマルレイの体は小さい。マルレイにファアも抱えてくれとは頼めないし、体を浮遊させて移動させるほど、切迫しているわけではない。
私はマルレイと共に診療所を出た後、王と王妃の部屋には戻らず、城壁に向かってくれるようにマルレイに頼んだ。
マルレイは、私が城塞内の構造を把握していることを疑っていなかった。ただ指で示すだけで、マルレイは従ってくれた。
内側の城壁を出ると、岩の魔物と壮絶な死闘が繰り広げられた広場に出る。
壮絶な死闘だったのは魔物と兵士たちで、私はただ木の成長に任せただけだ。
魔物の残骸はかたづけられていたが、複雑に成長した樹木は薪にしきれずにそのまま放置されていた。
空は澄み渡り、星が美しかった。
私はゆっくりとマルレイと星を見たかったわけではない。
マルレイと共に外に出て、試したいことがあった。
深夜であれば、好都合だ。
私は『基礎魔法―遠視』を使用した。この魔法は、大気に働きかけて遠くのものを見る魔法である。私以外の人間に見えないのは、術者からの角度でなければ、見ることができないのだろう。
私は、この魔法を限界まで使用することにした。
私の脳裡に、『応用魔法―望遠』が浮かび上がった。
さらに、『基礎魔法―範囲知覚』を発動させる。私の意図した通りの効果が出るなら、私とマルレイの知覚を共有できる。
いまは、視覚だけで十分だ。
「あっ……えっ? これは?」
成功したようだ。マルレイが私を抱く手に、力が入った。
私は空を仰ぎ、限界まで遠く、城塞の周囲を視界に入れた。
魔物の軍勢が、土煙を上げて行進していた。
私が見たことがある場所だった。
馬車を降り、母に抱かれながら移動した場所だ。
魔物といえども徒歩である。
だが、岩の魔物が切り立った城壁を登ったように、がけ地を移動する巨大な魔物もいる。小さな、と言っても人間の兵士ほどの魔物が、巨大な魔物にしがみついて移動している。
「キール殿下……これは……現在の光景ですか?」
「だぶ」
「ならば……あの場所は……」
マルレイが呟いた時、視界が消えた。星々が消えていた。
私とマルレイの前に、兵士の死体が投げ落とされた。
上空で、斥候と思われる巨大な獣が滑空していたのだ。