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19話 診療所の少女

 私は、はじめから考えていたことを実行した。

 母が寝静まったら、部屋を出て軍師マルレイのところに行こうと考えていたのだ。

 母の言うことはわかる。だが、国はもうないのだ。一人の人間でも、無駄に死なせてはならない。何より、マルレイは失うにはあまりにも大きな存在だ。

 部屋を出ると、城塞の通路は真っ暗だった。


 時折、明かりが漏れ出た窓もあるが、松明の残り火が消えきらないだけの、小さな灯だった。

 あまりにも暗いので、ほんのわずかの明かりでも目についた。

 城内は寝静まっていた。

 ようやくたどり着いた屋根のある拠点で、安心したと思ったら魔物に襲撃されたのだ。たとえ眠ることができなくても、部屋の中で震えているに違いない。


 魔法で撃退したといっても、兵士の犠牲は二桁に達し、当初はまったく戦力として数えられていなかった王妃の魔術に頼らなければ、魔物数体を撃退することもおぼつかなかったのだ。

 こんな状況で、民衆が疲労しないはずがない。

 私は暗闇を進んだ。昼間に軍師マルレイに案内されたこともあり、全体の構造も施設の配置も記憶していた。

 魔法を使えば明りを灯すことは簡単だったが、私はそうしなかった。


 誰かが起きていれば、明りを灯していれば間違いなく見つかってしまう。赤ん坊である私を見つければ、保護しようとするのが当然だ。

 従って、私は目立たない方法を採用した。

『生命魔法―身体変化』を発動させ、私の目に夜行性動物の機能を持たせた。

 思ったより上手くいき、私は目的の部屋にたどり着いた。






 時刻は深夜を回っているものの、唯一城内で明りが灯っている部屋があった。

 診療所と母は言っていた。

 負傷した兵士は数十人に及ぶ。軽傷の者を除いても、一〇人近い数の兵士が手当を受け、休んでいる。

 唯一明かりが点いた部屋の敷居をハイハイでまたぐと、修道女のような姿をした若い女性が、潰れた兵士の腕に包帯を巻いていた。


「あら……こんなところに……ひょっとして、キール殿下?」


 包帯を巻く手を一時とめ、女性は私に目を向けた。

 邪魔をするつもりではなかった私は、続けてくれるように言った。


「だぁぶぅ」


 どうやら、意味は伝わらなかった。

 だが、包帯を巻かれている兵士は、腕を失うところなのだ。途中で放り出すこともできず、女性は介抱を再開した。

 診療所とは聞いていたが、実質は野戦病院に近く、医療水準は私の前世で中世と呼ばれる頃とあまり変わらないようだ。

 もちろん、治療をしている女性が、この世界の医療水準の基準になるだけの知識を備えているという保証はない。


「ああ。本当だ。キール殿下だな。王妃様がずっと抱いていたから、覚えているよ。どうした? ママがパパにとられちゃったか?」


 ベッドの上で包帯を巻いて寝転がっていた兵士が、私を見つけて声をかけてきた。図星だが、いちいち反応してもいられない。

 私は近くのベッドから覗き込み、軍師マルレイを探した。


「どうしました? ママは、こんなところにはいませんよ。迷子かな?」


 治療を終えて手が空いたのか、修道女の恰好をした女性が私を抱き上げた。

 邪魔されたのは確かだが、抱き上げてくれたおかげで、高い位置から診療所の様子を見ることができた。

 もともとが、怪我人を収容することを目的として作られた部屋だということがわかった。

 石で形作られた頑丈なベッドが、一般の住まいとしては広すぎる空間に並べられていた。

 石のベッドを持ってきたはずがなく、もともとの設備なのだろう。


 ベッドがほぼ埋まるほどの兵士たちが横になり、ほとんどの者が治療を終えているようだった。

 治療といっても、傷口を消毒して包帯を巻くぐらいのことしか行っていないようである。

 行っているのが宗教関係者であれば、傷口を縫合するようなこともしていないだろう。包帯といっても、麻布のようなごわごわした繊維を細く切断しただけのものだ。

 ベッドで横になる兵士の多くが、体を覆う布を赤く染めている。


 もちろん、手当をした修道女が悪いのではない。専門の医療関係者が生き残っていないのだろうし、生きていたとしても、この世界の医療技術が傷口の縫合に至っているとは思えない。

 母の言ったとおりなら、魔術の系統として、治療術師というのがいたらしい。どれほどの力を持っているのかわからないが、生き残った人間の中にいないことは間違いない。

 ただし、治療術師という存在が比較的一般的で、たまたま現在生き残っていなかったとしたら、病気や怪我は治療術師が癒すことが慣例だとしたら、医療技術はほとんど発達してこなかっただろうと推測できる。






 高いところから見ても、軍師マルレイの姿はなかった。

 まだベッドが空いている。

 怪我人が多くて収容できなかったというわけではないはずだ。

 私は室内を見回そうとしたが、しっかりと見る前に、修道女の恰好をした女にぎゅっと抱かれて視界を奪われた。


「ばぶぅ」


 私は離してほしいと嘆願したが、女には通用しなかった。


「赤ん坊が見るものではないわ。キール殿下を王妃様にお届けしなくてはならないけど……ファア、まだ起きている?」

「……うん」


 女が呼んだのは、まだ年端もいかない少女だった。私が気づかなかったのは、部屋の隅で小さくなっていたからだ。

 小さくなっていたというのは、落ち込んでいたというのでも、隠れていたというのでもない。膝を抱えて眠りこんでいたらしい。

 名前を呼ばれ、顔を上げた。表情からすると、まだ半分は眠っているらしい。

 年齢は、5歳に至っていないかもしれない。

 国を追われた民衆の食糧事情が良好とは思えない。一番影響が出やすいのが子供の発育だ。

 私は立ち上がった少女が、歩きだす前に眠りそうになるのを見て、とても申し訳なく感じた。


「王妃様の部屋に、連れていってくれないかしら?」

「……ドゥーラ様は?」

「私は、奥の人たちについていてあげないと。いつ旅立ってもおかしくない人たちだから、せめて恐れないようにね」


 私は、この部屋にいる兵士がすべてではないのだと気づかされた。

『奥の人』というのが、この部屋の奥に、さらに重症の患者がいることを意味していたし、その『奥の人』が『旅立つ』というのは、まさしく死ぬことを意味しているはずだ。

 ドゥーラと呼ばれた修道女の姿をした女は、私をファアに渡そうとしたが、ファアは抱きとめようとしてふらついた。尻餅をついたのだ。

 幸いにも、私は床に投げ出されるということはなかった。


 都合よくファアの上に落ちた。

 『幸いにも』というのは、私が怪我をしたくないという意味ではない。

 たまたま王族に産れてしまった赤ん坊の私を床に落したとなれば、ファアは本人が怪我をする以上に厳しい罰を受けることになるかもしれないのだ。


「大丈夫?」


 ファアは私に、床に倒れながら尋ねた。


「ばぶ」

「へへっ……可愛い」


 ファアはようやく目が覚めたようで、にっこりと笑って見せた。

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