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12話 戦いに備えて

 兵士の待機所は、戦闘の開始を待つ兵士たちの詰め所でもある。一度に500人もの完全武装した兵士が入ることもできる。

 二枚目の城壁のすぐ内側に作られた広い空間だ。

 待機所の兵士たちの出番が来るのは、外で戦う兵士に空きができたときなので、ありがたい話ではない。

 現在は戦闘が行われていないため、ごく普通に会議室として使われていた。

 中央の大きなテーブルに広げられた図面に、王を中心とした年配の兵士たちが居並んでいた。


「陛下、軍師殿が来られました」


 父王は兵士の声に顔を上げず、ただ声を返した。


「遅いぞ。王妃に届け物をすると言って出て、どれだけ経つと思っている。女同士、茶飲み話でもしていたのか?」

「申し訳ありません。キール殿下に城塞内部をご案内していたもので」

「ブロウがキールを手放すはずがあるか」


「しかし……」

「言い訳はいい。貴様がこの城塞を死地に選んだのだ。大事な軍議に遅れる理由が、赤ん坊の相手をしていたのだと言い張るなら……」


 父王は刀を抜き、軍師マルレイに向き直り、私を見た。


「だぁぁぁぁ」


 私は父王をけん制した。拳をつきだす真似をしたのだ。


「……そうか。なら仕方ない。軍議を再開する」


 私は安心した、父王は魔物の襲撃を警戒することに忙しく、母に近づくこともあまりなかった。父王の人柄を、私はあまり知らなかったのだ。

 ひょっとして、冷酷な王なのではないかと心配していた。


 軍師であるマルレイが軍議に遅れたのは責められるべき事実であるが、私を見た瞬間に父王は相好を崩した。父も、人間の血が通っていないような暴君ではないのだ。

 もっとも、国が滅びた後の父しか知らない私に、父の王としての資質を見きわめることはできないが。






 机の上に広げられた図面は、獣の革をなめしたものをつなぎわせ、炭で線を入れた荒々しいものだった。

 地図だろうが、書き込まれているのは山と谷、城塞のみの単純なものだ。いかにも急ごしらえに見えるが、城塞に着いてから一日程度の期間で作ったにしては、よく調べたものだと私は感心した。

 兵士たちが周囲を警戒し、索敵しながら地形を確認し、地図としてまとめたものなのだろう。

 私が知る限り、それほど間違ってはいなかった。


 私は『知覚魔法―遠視』を使える。室内では意味がないが、外に出ればかなり遠くの出来事も見ることができる。それは、光の屈折を利用する魔法だ。つまり、見方を変えれば、地形を上空から見降ろすこともできるのだ。

 その私が見る限り間違っていないので、かなりの精度を持った地図だと断言できる。


「バレン班、報告しろ」


 王の言葉を受け、兵士が進み出る。兵士の名前が『バレン』なのだろうと私は思った。

 兵士はテーブルの上に広げられた地図を指でさした。軍師であるマルレイも真剣な表情で聞いている。


「私の班六名はこの峰伝いに斥候を行いましたが、魔物の気配はありませんでした」

「動物や植物はどうです? 食糧になりそうなものはありましたか?」

「軍師、その話は後にしろ。いまは魔物の動向が先だ」


 口を挟んだマルレイを王は叱責した。マルレイは黙って頭を下げた。


「モロウ班」

「はい……」


 別の兵士が、地図を同じようになでる。その後、七人の兵士が報告を終えた。私は抱かれたまま黙って見ていた。

 兵士たちの報告より、私はテーブルに広げられた地形が気になった。

 この要塞が山の上にあることは疑うまでもない。


 私が母に抱かれて昇ってきたのは南である。南は緩やかな斜面、東と西はさらに高い峰、北は絶壁である。

 誰も、北側については報告しなかった。見に行くこともできないほどのがけ地らしい。地図から判断する限り、垂直に切り立った断崖絶壁なのだ。


「では、次に魔物の軍勢についてだが、想定される軍勢は四つある。魔族に落ちたササレルの従える邪悪なオークの群れ、魔界から這い出てきた悪魔ルーシェルに従う百鬼、魔物を従えるブリュッス男爵、死せるユウメル王が従える亡者たち。いずれも、人間を滅ぼそうとしている。軍師マルレイ、誰がどの順番で来るかわかるか?」


「いずれも遠方の軍勢です。まずは、人々の生活を支えるべきかと思います。水はブロウ王妃の魔術で確保できましたが、この城塞の堅い守りを有効に生かすためには、食料が足りません」

「食料は増やせない。狩りに出て、兵士を失うわけにはいかない」

「餓死して兵士を失うのでは、意味がありません」

「何の策がある?」


 王の口調は冷たく、きつかった。軍師マルレイの体温が下がっていくのを、私は感じた。

 横暴な王の言いぶりに、怒るのではなく恐れているのだとわかる。

 軍師マルレイは間違っていない。だが、王の立場も理解できた。王は、戦うことによってしか存在を示せない男なのだ。

 望みの無い食糧の確保に悩むより、敵の心配をしていたいのだ。


「あぶあぶ」


 私は言い争わないよう、マルレイをなだめようとした。外に連れ出すべきだと思った。

軍師マルレイは賢い。母がそう言っていた。現在では、この国の頭脳なのだと語った。


「ちょっと待ってね、キール殿下」

「軍師マルレイ、貴様には子守がお似合いだ」


 王は吐き捨てた。マルレイの顔色が変わる。この場に、他に女はいない。戦場で死ぬのは兵士で、兵士はほとんどが男だ。


「あだぁぁ」


 逆らってはいけない。私はマルレイの服を掴み、外を指で示した。


「貴様の父はよく国に仕えた。だから、その父の推薦で軍師の後釜に据えたというのに、内政を司るのは貴様の役目ではあるまい。役に立たないなら、軍議に参加する資格はない。キールを連れて出ていけ」

「内政を司るべき大臣たちは、いずれも国を捨てて我先に逃げだしたではありませんか。翌日には、魔物に襲われた大臣の頭部だけが街の外に捨てられていました。その大臣たちがいないのです。今のわが軍にとってもっとも大事なのは、兵を飢えさせないことだと進言してはいけないのですか」


 王は怒声を放った。私は耳を塞いだため、何を言ったのか聞こえなかった。

 ただ、軍師マルレイは私を抱いたまま、会議を行っている兵士詰め所を出ていくことになった。


「続けるぞ」


 王の声をマルレイの背後に聞いた。

 私の顔に、温かい水滴が落ちた。

 軍師マルレイは、声も出さず表情も変えず、歩きながら涙を流していた。


 悔しいのだと、私は感じた。

 怒鳴られて恐ろしいのでも、意見を入れられなかったことに憤るでもなく、ただ、王の不見識を知り、そのために多くの命が失われる可能性を知り、悔やんでいるのだと、私は感じた。






 軍師マルレイは私を抱いたまま外に出た。

 第二城壁に背中を預け、天まで届くように見える第一城壁を見上げ、石段に腰を下ろした。


「……失敗しました。駄目ですね、私は」


 軍師マルレイは私に言ったのだろうか。理解できているとは思っていまい。

 私は慰めようと思い、マルレイの薄い体を上り、頬を撫でた。腕が短く手も小さいので、ぺちぺちと叩くことになった。


「キール殿下、お優しいのですね」

「あだぁ」


 私はマルレイの首に抱き付いた。マルレイは何も間違っていない。ただ、少しだけ頭が固かったかもしれない。温かく包み込もうと思ったが、大木にしがみ付くようになってしまった。


「どうしました? お腹が空いたのですか?」


 私の態度が空腹の時のように見えたのだろうか。マルレイは私を知らない。私は、空腹を感じても泣いたりぐずったりはしない。ただじっと我慢して、悟られないようにするだけなのだ。

 勘違いをしたマルレイは、私を膝に抱いた。

 だが、食べ物を持っていたわけではないようだ。


 私の口に、マルレイは指を近づけた。

 私はマルレイの意図を理解し、マルレイの細い指を両手で捕まえ、口に運んだ。

 唇を細めて吸う。

 マルレイは笑った。私の頭を撫で、少しだけ強く抱いた。


「お腹が空いた赤ん坊は、吸うものを与えるだけで安心するのだとは、母の教えです。私が幼い頃に亡くなりましたが。お乳は出ませんが、我慢してください」


 マルレイは、やや悲しげにほほ笑んでから、私の口から細い指を抜き取った。

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