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10話 軍師マルレイ

 当面は母のものとなりそうな玉座の前で待っていたのは、小柄な影だった。

 私に小さいとは言われたくないだろうが、身長は150センチもないだろう。

この世界の人間の平均は私の前世の世界と同じぐらいだから、かなり小さな部類に入る。

 赤みがかった明るい色の髪をお下げにして、目にはまん丸い眼鏡をかけていた。黒い角ばった帽子を頭に乗せており、一見すると学者のようにも見える。


 ただし小さいので、学者を目指す駆け出しの学生という印象が強い。

 私は、結局母の玉座の前までハイハイすることを強いられた。強いた張本人である母は、上機嫌で私を抱き上げた。


「はい。よくできましたねー」

「王妃様、お取込み中申し訳ありません。お申し付けの件、報告に上がりました」

「……ええ」


 母の『ええ』は内容を忘れているのだと、私にはわかった。


『誰ですか?』

「もうっ。安全なところに移ったのだから、もう少し赤ん坊らしくしていいのよ」

『申し訳ありません。できれば、二人きりの時に』

「わかったわ。約束よ」


 母が突然私にハイハイさせたのは、赤ん坊の母親であることを楽しみたかったらしい。

 思えば、外見と母乳が主食であること以外、私はあまり赤ん坊らしくなかった。厳しい旅をしていたので仕方のないというか、そうでなければ母は無事城塞にたどり着けなかったと断言できるが、安全が確保されたのなら、話は別だということだろう。


 私が『知覚魔法―念話』を使用しているため、母は一人で話しているようにしか見えない。

 立ち尽くしているように見える背の低い眼鏡の学生は、どう思っているのか、表情を一切変えずに母の反応を待っていた。


「この子は軍師のマルレイちゃんよ。キール、ご挨拶して」


 母は私に小柄な軍師を紹介した。軍師なのだと、私は驚いた。初めて会ったが、以前から軍師のことを、母が『軍師ちゃん』と呼んでいたのを思い出した。


「赤ん坊に挨拶をさせるのは無理でしょう。よろしければ、私にも抱かせていただけないでしょうか」

「いいけど、とっちゃ駄目よ」


 母は、軍師マルレイに私を抱かせた。私を他人に抱かせるのは、ずいぶん久しぶりのことである。旅の間、特に私が魔法で母と話すようになってから、母は私を決して手放さなかった。

母が私を手放さずにいられたのは、母の腕が疲れないように、私がずっと魔法で回復させていたからでもある。


「ええ。ブロウ王妃様は独り言が多いと聞いていましたが、キール殿下に話しかけていたのですね。子ども、特に赤ん坊の教育には必要なことだと思います」

「そうでしょう」


 母は笑顔になった。軍師に抱かれた私を、少し心配そうに見つめていたのだ。

 母のことを悪く言う人間はいない。王妃であるから、表立って言う人間がいないのは当然かもしれないが、魔法で魔物を退治して以来、母は絶大な人気を獲得していた。

 しかし、赤ん坊をあやしているとは思えない口調で呟く姿に、少し気味が悪いと噂されているのを、私は何度も聞いている。母は気づかない振りをしているが、私は魔法を使って聞いたわけではない。気づかないはずがないのだ。


 私は、軍師マルレイが女性だと気づいた。体が小さく、胸部には弾力もない。痩せているのだろう、柔らかい感触はない。だが、私を抱き、見降ろす顔は、幼子を見る女性特有の優しい表情でしかありえない。


「生存した人間の中に、やはり王妃様以外に魔術の使い手はいませんでした。残念です。せめて治療術師がいれば、兵士たちの士気も上がるのですが」

「ああ……仕方ないわね」


 母の『ああ』が、軍師マルレイに何を命じたのか思いだした一言だとは、いまさら説明の必要もあるまい。


「魔術に関する本も探しましたが、本の類は野営の際に炊きつけに使ってしまったようで……本を燃やすなど、信じられないことですが……残ったのはこの一冊だけです」


 マルレイはごそごそと、服の中から一冊の古びた本を差し出した。

 古い本だった。炊きつけに使われなかったのも当然だ。紙では出来ていなかった。紙のように薄い、特殊な金属に見える。古代魔法の結晶だと、私は直感した。

 表紙にタイトルがあった。


『源魔法』

 私の目は釘づけになった。古代の魔法だ。人間が系統を三つに割ることによって、そのために逆に忘れてしまった、本来の魔法が書かれているに違いない。

 この本があれば、私はこの世界の構成を知ることもできるかもしれない。

 反射的に、私は手を伸ばしていた。


「なんて書いてあるの? 私には読めない文字だわ」

「魔術師である王妃様にも読めませんか。おそらく、古代の神聖文字だと思いますが、学者たちは誰も生きていません」

「……キールが笑っているわ」

「本当ですね。キール殿下は、産れてから泣きも笑いもせず、不遇を背負っていると噂する者がいたのですが」


 私は笑っていたらしい。嬉しくなったのは事実だ。『源魔法』というタイトルが持つ内容への想像だけで、笑いが止まらなくなりそうだった。

 いや、事実なっていたのだ。

 前世では、どの宗教の聖典を呼んでも、ついに世界の構成を知ることはできなかった。知りたいと思うことが罪とされた宗教もあった。


 この世界の構成が、世界の理が、他の世界と全く違うということもないだろう。

 私は知りたかった。知ってどうするということもない。ただ、知りたかったのだ。

 私は『源魔法』に手を伸ばした。

 だが、それは軽率だった。

 母は、私が子供らしい姿を見せる時を待っていたのだ。

 私の手が届く寸前に、軍師マルレイの手から『源魔法』を取り上げた。


「ほぅら、キールちゃん、こっちですよぉ」

「まーーまーー」


 相変わらず、言葉は発達しない。私はパタパタと手足を動かした。マルレイが私をあやそうとする。


「アバアバ……」


 意味をなさないことを言い、軍師は崩した顔を私に近づけた。私はからかわれている自分のことがおかしくなり、笑った。一〇〇年と半年の間、私にこんな無邪気な顔を見せる者はいなかった。

 キャッキャッと笑ったように見えたのだろう。軍師マルレイは破顔した。

 私は軍師にぎゅっと抱きしめられるという光栄に浴した。


「可愛いでしょ」


 母が恥ずかしげもなく聴いた。


「はい、とても。殿下のことを避ける者たちも多いのですが、ごく普通の赤ん坊ですね」

「ごく普通の赤ん坊、ではないけどね」

「王と王妃殿下のお子ですから」

「……いずれ解るわ。キールちゃん、この本が読みたければ、もっと笑ってね」


 母は私の目の前で、『源魔法』をひらひらと振った。


「どうして、その本がそんなに気に入ったのでしょうか」

「この子には、読めるのかもね」


 母はタイトルを指で撫でた。私には読める。これまで、この世界の他の文字は読むことができなかった。『知覚魔法―言語習得』の力だろう。

 私は、この世界の人間の言葉を、魔法の力で習得した。言葉は人間に本来与えられた、この世界の理にかなうものなのだ。だが、文字は人間が自分たちで使いやすいように作ったものだから、世界の理に働きかける私の魔法では読むことができないらしい。


 私が『源魔法』のタイトルを読むことができたのは、軍師が言う『古代神聖文字』が、人間が本来使用するべき、世界の理にかなった文字だからに違いない。

 もう少しで手が届く。

 私が手を伸ばし、再び母が意地悪をする。

 私は笑うしかなかった。

 笑うと、母も笑った。

 私は母に、絶好のおもちゃを与えてしまったのだ。

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