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1話 天界への階段から

 私は天寿を全うした。

 人間としてこの世に生を受け、ちょうど一〇〇年が経過していた。

 ある宗教のトップにまで上り詰め、聖人の別称でも呼ばれていた。

 私の葬儀は世界中の注目を浴び、私は死ぬというより、この世での役目を終えて旅立った。

 生涯女性に触れることもなく唯一の趣味は読書だと思われているが、日本で発売された携帯型のゲーム機を死ぬ直前までやっていたことは秘密である。

 私の葬儀に並ぶ数万人の列を後に、私はこの世に別れを告げ、『浄罪界』の門を叩いた。






 美しい姿をした男性とも女性とも判断できない、白い翼を持った人影が私を出迎えてくれた。

 私は自分の年老いた体を恥じ入ることもなかった。年老い、衰えた体は、人間の世界で苦楽を背負った勲章そのものである。

 美しい姿をした者は、私に対して小さく会釈をすると、浄罪界の扉を開けた。

 聞いていた通り、天界までの長い階段が待ち受けている。

 多くの者が罪を問われる階段である。明らかな悪人は、この扉の前に立つこともなく地獄へ送られるとも聞いている。


「お疲れさまでした。お戻りになられたこと、あのお方もお喜びになりましょう」


 私が階段を無事登り切ることに何ら疑念を抱いていない口調で、美しい影が私を案内する。






 私を案内してくれる者は私のことを知っているようだったが、私には心当たりがなかった。知り合っているとして、人間として私が産れる前のことなのかもしれない。






 私は階段を上った。






 生前は一〇〇歳の年寄りだったため、苦も無く階段を上るという経験はひさしぶりだった。

 足取りも重くなることなく、汗を掻くこともなかった。






「さすがですね。ここまで休むこともなく登ってこられるとは。ほとんどの人間は途中で立ち止まり、罪の重さに耐えかねて自ら地獄を望むのですが」

「生前に償いきれなかった罪を、ということなのかな」

「そうですね。人間の世界は存在するだけで大変な苦界です。浄罪をしたければ、生前に済まされてきた方ならば、時間もかからずに天界へのぼれましょうが」

「生前に罪を償うというのは難しいことなのだよ。人間の世界にはそれだけ誘惑が多いのだ」

「あなたは、そのように軽々と登られているではありませんか」

「私は恵まれていた。それだけだよ」






 私は特別な人間ではない。熱心に宗教に打ち込む両親の影響で、若くして教団に入り、人間の世界で苦しむ人々の心に明かりを灯せるよう、努力してきた。

 その努力の積み重ねが、一〇〇歳という寿命を私に与え、聖人として送り出される名誉を賜った。

私の生き方が誤りで、地獄へ行かなければならないのだとしたら、私は拒否するつもりもなかった。

だが、私は浄罪界の階段を苦も無く登り切ることができそうだ。

階段の先に、壮麗な宮殿らしい建築物が見えてきた。

あれが天界だろうか。

大きな扉の前に、神々しいばかりに光を放つ集団が立ち並んでいる。


「あの方々は?」

「天界の門をくぐれば思いだすでしょう。みな、あなたが戻るのを待っていたのです」

「では、会えばきっと懐かしく思いだすのでしょうね」


 私は階段を上り続けた。あと数段で登り切るというところで、私は足を止めた。






 浄罪界の階段の下に、苦しそうにあえぐ人間たちの姿が見えたのだ。


「どうしました? あなたなら、一気に登れるものと思っていましたが」

「ええ。その通りです。足には負担はありません。階段を上るのは簡単です。しかし、あそこに居るのは誰ですか? 浄罪界の者でもなさそうですし、私の罪とも思えません」


 私が指さした先を覗き、美しい姿は小さく首を振った。


「気にする必要はありません。数多くある世界の一つです。天界からは、様々な世界が覗けることも、すぐに思いだされるでしょう。たまたま浄罪界も終わりに近づいたので、見ることができているのですね」

「酷く苦しんでいるようですね」

「ええ。確かあの世界の人間は、滅びを迎えようとしています。人間が滅びる世界も珍しくはありません。救済の策はいくつも講じているのですが、それを有効に生かせる者たちが人間にいなければ、意味をなしません」

「……どうして、私にこの光景を見せたのです?」


 私は、苦しんでいる人たちを放置しておくことが躊躇われた。あまつさえ、美しい姿をした者は、このままでは人間は滅亡すると断言したのだ。

 苦しんでいる人間たちは、ただ苦しんだだけで、報われることなくすべて死ぬことになる。天寿を全うするのではなく、おそらく人間以外の生物に、むごたらしく殺されることになるだろう。


「見せたわけではありません。たまたま、あなたの目に入ってしまったのです」

「そうですか。あなたが見せたのではないのですね。では、私の目に入るように、この光景を見せたかった方がおられるのでしょう」

「……まさか?」

「それが誰とは言いません。ですが、私に見せたということは……あの世界を救うための、いくつかの策のうちの一つが私だと考えるべきではありませんか?」


 美しい姿は少しうろたえた素振りを見せたが、精神的に安定しているのか、すぐに態度を改めた。


「……そうかもしれません。しかし、あの世界はあなたが経験した世界とは、あまりにも違う世界です。あなたが経験した世界には存在しない魔物や魔族といった種族が徘徊し、人間にも特別な力が与えられています。あなたが行くまでもないと思いますよ」

「私が行くまでもない世界で、人間たちが滅びようとしているのなら、やはり私が行くべきなのではありませんか?」


「そうかもしれません。しかし、もう一つ問題があります。あなたはまだ、あなたが生をまっとうした世界の記憶が残ったままです。あなたはあなた自身の力を自覚していないでしょう。あなたがあの世界へ行くということは、世界の力のバランスを崩してしまうかもしれない。そのような性質の世界なのです。だから、ある程度の力を持った方は、あなたが天寿を全うしたのと、同じ世界へ降ります。人間が特別な力を使える世界へ力を持った方が行くということは、世界そのものを破壊するほど危険なことなのです」

「ご忠告、感謝いたします」


「ご意思は変わらないのですね。わかりました。せっかくあなたのお帰りを待っていたみんなには、もう少し待つように伝えましょう。それから、あなたがあの世界で困らないように、少しだけ理解しやすいように、私もお手伝いしをさせていただきます。一緒には行けませんが、それが私からの、せめてもの手向けだと思って下さい」

「ありがとうございます」






 私は、浄罪界の階段から飛び降りた。

 私に向かって助けを求めている異世界の人間たちを救うために。

 私に何ができるのかは、皆目わからない。

 だが、この時に私の前に現れたあの世界は、助けをもとめている。

 私の前に現れたことに、意味がないとは思わない。

 





 私は落下した。






 一〇〇年を過ごした懐かしい世界を越えて、さらに落ちた。

 目指す世界は、かなり低い位置にあるらしい。

 私は目の前に広がった世界に飛び込んだ。






 その世界は、血の臭いと絶望が支配していた。

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