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語り箱~かたりばこ~  作者: 守屋 真倣
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第六章 風の語り 『蝕』1

 かつて緑郷と呼ばれたあの地では数とか齢とかいうものにあまり意味は無い。

 獲物はそれぞれが生きていけるだけ獲れればいい。誰かに妻と子がいれば、家族というそれだけ大きな身体に見合った獲物が要る、それだけだ。

 齢についてもそんなものだ。そいつが立っていて夏の狩場の沢や山肌をついて歩けるか、春先の雪渓を渡りナスティアツの境の岩壁を横切れるか、結婚できる身体つきになったか、男ならそれで大体事足りる。

 鹿で言うと角がいくつもの枝に分かれ、多くの雄を従えるようになった奴だな、男盛りに差し掛かった若い頭を主幹と呼ぶ。さらに一族郎党の若い草木を従えるようになれば、(アー)に準ずる頭、大木(トゴ)だ。 

 (アー)にならなかった男たちも経験を積み、身体に節や歪みが知恵の証として刻印されると老人と呼ばれ敬われるようになる。さらに地から起き上がったものがまた地へと頭を向けはじめるとそれは終わりに向かっているということで“歩かないもの”へ“横たわるもの”へと戻っていくということだ。

 鳥獣草木、皆そうしている。かの地の上で暮らす限り人だけが違うとは思えない。始まりと終わりが繰り返されるだけで、それが何回繰り返されたかなどまるで意味がない。確かに父と子とは少し顔が違うものだが全体としては大した問題じゃない。山は永遠に生きる。

 同様に年月という観念もない。昔、というのはひと世代が覚えているには遠すぎるずっと前のことで、忘れてしまうには少しばかり惜しい出来事があった時のことだ。例えばサラミアとドルナイルの姉妹が生まれた時のことだ。ドルナイルが火を噴き、その後長い夜が来たことだ。それでさえおれにはどうでも良いことのように思えるが、かの地の人々の中にも稀に自分のいる世界の起源に思いを巡らし、物事の故由を確かめずにはおられぬ者もいたようだ。ガラートはサラミアでさえ齢を重ね、()を変え様相を変えているのだと言った―――おれにはイナ・サラミアスは季節が廻れば同じ姿になるとしか見えなかった。永久に、春にはうら若く、夏には美しい盛りの、秋には威厳に満ち、冬は雪の下で眠りについている―――とにかくおれがその地面を歩いている間はそれ以上知る必要もないじゃないか。

 残念だがおれの生まれた頃にはもうイナ・サラミアスはそんな気楽な時期じゃなかった。おれが小刀で見よう見まねで枝を払えるようになるとすぐ、ヤールは文字と勘定を教えた。気が短く、すぐに声を荒げて、勉強は実に苦痛だった。後でわかったことだが彼がそれを習ったのは大分大きくなってからで、早死にした父親にその不幸な日の直前まで、商いの仕事を助ける必要から習得するようにと尻を叩かれていたんだとか。で、ヤールもそうだった。あちこち欠け落ちて勘違いや間違いだらけの知識を出し惜しみする大人たちから聞きまわったり盗み見たりして習得し、叩かれる苦労くらいは当たり前、という式でタフマイの若いのを仕込もうとしたんだ。おれは穏やかで辛抱強いガラートに教わったヒルメイの子達がうらやましかった。

 商いなんて、我々の内輪ではしないことだ。我々イーマは子供の頃から鳥獣草木の在り様が偏らないように目を配るのが仕事だと()の一番に教わっている。それなのに、イナ・サラミアスの外に違う理屈で生きる人々(イーマ)がいてその連中と仲良くやっていくために、ちょうどいい具合の()よりもだいぶん割増しした虫を育て、普通よりも手間のかかる成長の遅い木を余計に伐り出し、そいつらを出来ればもっといいもの―――大概は鉄の道具―――に交換できるように頭数を勘定して書きつけたり、約束の証拠を書きつけたりしておかねばならないのだと。

 我々は父祖の教えとは相いれない生活を始めていた。誰でも少しは変だと思ったはずだ。だが、おれは読み書き算盤さえ覚えてしまえば河むこう(オド・タ・コタ)の連中と交渉するのが面白かったし、難なく字を覚えたくせに訳もなくオド・タ・コタを軽蔑してお山の高みに留まっているラシースを気の毒だと思った。実はおれ達タフマイが()()()で見聞してくることが内心羨ましいのだろうと思っていたけれどな。あいつはあろうことか一夜にして宗旨替えをして行ってしまった。第二回目の“黄金果の競技”の後で。

 そう、我々はアツセワナの連中のように時を記録することは無かった。だが、時折話に出る事柄にはこんなふうに名を付けていたんだ。そして第一回、第二回の“黄金果の競技”や“妹神の噴火と長い夜”と同様に人々の記憶に残り、時折口にのぼる事柄が“蝶の流れて来る日”だ。

 白糸束(ティウラシレ)の巫女が弟と共に処刑された日が()()だったし、サラミアと呼ばれていたレークシルがハルイーによって白糸束(ティウラシレ)からさらわれた、その前夜がそうだったという。

 サラミアの永い命の中でそれが頻繁に起きたことだったのかどうか、おれは知らない。が、親父が直接見たと話してくれた先のふたつだけを勘定に入れるとこれは三度めの話になる。だが、これを“蝶の流れて来る日”と名付けていいものかな?そのすぐ後にあったこと、エファレイナズの誰もが知ってて忘れもしない事の名で事足りやしないか?そしてコタ・ミラからコタ・シアナまで蝶が流れたのを見た者、さらにその意味の分かる奴なんかもう何人残っている?だが、ともかくも話を始めようか。()()の少し前から。サラミアから見れば寸前、人間から見れば二年ほど先から始めることになるか。その時を詳しく言うならば、第二回の“黄金果の競技”から二度の春を越した頃だ。

 

 額の頂(ベレ・サオ)の大滝に発しイナ・サラミアスの(かいな)の内を巡るコタ・シアナの源流において“黄金果の競技”は行われ、主催者シギルの引き連れてきた河むこう(オド・タ・コタ)の者から五人の遭難者とひとりの死者を出し、終わった。そして黄金果に関わりに行ったひとりのイーマの若者がコタ・シアナの向こうに旅立った。

 競技のさなか、かつて最もサラミアに近い憑人(よりまし)と呼ばれていた若者の母は亡くなり、女神の言葉を伝えイーマの民を守る巫女は不在となった。

 高齢の長老たちが相次いで世を去り、ヒルメイのアー・ハルイルが病を得て一族の指導を主幹ガラートに委ねた。同じく主幹のタフマイのヤールも一族の(アー)となり、ニアキの指導者は一新された。新しいふたりの長のもと、イナ・サラミアスは深い雪に閉ざされた厳しい冬を二度越したが、その間に穏やかな夏を挟み、樹木と蚕の生育は進みアツセワナとの交易も大過なく運んだ。

 ニアキの周りの奇怪な氷雪の群れは、春の日が雪原を眩く照らすごとに繊細な灰色の梢の姿を顕し、水を吐いて沈む雪の層の上に幹は高く伸び、森の姿を現わしていった。雪の壁に囲まれた集落の家々には日ごとに陽光が当たるようになり、裏の森の梢は膨らんだ芽で微かに赤い霞を帯びた。

 やがてイナ・サラミアスは南のエトルベールの裾野から雪が消え、コタ・シアナには峰々から新しい雪解け水が流れ込んだ。クシュの一族の去ったイナ・サラミアスには聖なる川(コタ・ミラ)の雪解けを告げる笛を吹き鳴らす者はもはやおらず、クシガヤからコタ・ミラの水を浴びに来る娘たちもいなかった。今や彼女たちにとって、雪解けは奉公先の新しい年季の始まる合図だった。かさの上がった河には娘たちをクマラ・オロの向こう岸まで送り届ける水郷の男たちの小舟が浮かんだ。

 南のティスナに向かう麓の道の雪が溶けて現れ始めた。ニアキで冬を過ごした女と子供たちは南に旅立つ日が近づいてきているのを悟り、若い妻たちは夫の前に不意に黙り込むようになり、男たちが仲間うちで狩りの準備を始めるのを見ては言葉少なになった。

 集会を行う広場はまだ緩んだ雪の下にあったが、村の北のはずれ、森に近い新しい(アー)の家には日々、狩猟や、交易、見張りの頭たちが“山入り”や“舟出”、“巡回”の日取りについて相談に訪れた。広場の集会所がぽっかりと湿ったかがり火の跡と矩形の丸太の腰掛けを現わした頃、ティスナに向かう女達の年長者と、樵の責任者とが最後に旅立ちの挨拶に訪れた。いずれもアツセワナに供給する交易の二本柱、木材と絹の産量の見込みについて報告するのがその目的であった。

 ガラートは木材の搬出が年々減っていることを嘆くヤールの横で、森の再生に余裕が持たれることを内心喜んだ。そして、ティスナで飼育される蚕の数に眉をひそめた。

「アツセワナにさほど絹への要望があるとは思えぬ」ガラートは言った。

「この千頭に相当するものは何だ?」

「例年どおりの、王家に納める分でございます。―――初回に由来するものでございます。」

 女は意外そうに答えた。

「友情の絹か」ガラートは失念の不覚を繕って呟いた。「王女に献上する生糸の分だったな。」

「値をつければいい。」

 女が出て行った後でヤールは言った。

「毎年えり抜きの糸を、アツセワナのシギルが何をくれるでもないのに。」

「第一回の“黄金果の競技”以来のしきたりだ。」ガラートは静かに言った。「勝者への褒美という形でなされた穀物の援けの返礼にレークシルはシギル王に紗の領巾を贈り、翌年からこれに変えて生糸を贈ることに決めたのは長老たちの意思だ。」

「罪滅ぼしとでも言うのか、あの女への。アーメムクシはとうにおらず、アーサタフも亡くなった。もう止めてはどうか」

「相手がいるのに、こちらが遠慮するわけにもゆかぬだろう?」

 ガラートは少年の頃のように砕けた調子で言ったが、ヤールは口を引き結び、かつての父オコロイのように言い捨てた。

「あの女が死んで二年にもなるというのに。シギルの世もいつまで続くことか。」

 ヤールは、木材の搬出の頭に交易の担当の者を全て自分の家に呼ぶようにと言いつけ、立ち去らせた。そして男の一人住まいながらも、ガラートが山葡萄の酒と木の芽と早蕨の肴でもてなそうとするのを断って、集落の中にある自宅へと帰った。

 木材の搬出と狩猟の山入りが始まる前に、ヒルメイのハルイルの息子たちによるエユンベールの南側からオルト谷にかけての見回りがあり、次いで、女子どもたちがティスナに向かって出発した。ニアキに残ったのは山入りを控え、秋の再来まで村を仕舞うため残っている男達のみとなった。

 春の最後の集会は、雪の捌けて草の萌え出た広場において日暮れの刻の一時も前の明るいうちから行われた。新しいふたりの(アー)、ヒルメイのガラートとタフマイのヤール、タフマイの大木(トゴ)、主幹とその同輩の狩りの頭が数名、秋の交易の頭、そして若者たちが集会に出た全てであった。臥せっている先のヒルメイの長はおらず、その息子たちも森の見回りから戻ってはいなかった。

 日没に向けて終わろうとするその日の集会は、長手尾根(エユンベール)から響く伝令の笛の音によって夜半にまで持ち越された。南の物見から急ぎやって来たウナシュの者は、かがり火を灯して村の入り口で待ち受けていた面々に、ティスナの最年長の女(アコナ)からの言伝として門の守女(シュムナ・タキリ)のルメイの死を伝えた。

「いつのことだ。」ガラートは常には見せぬ動揺を面に表し、語気鋭く尋ねた。

「ティスナでも足の達者な者のいない時節で報せがだいぶん遅くなっていた。」

 ウナシュの男は戸惑いながら答えた。「媼は雪の具合を見てようやくティスナの縁の道まで登って来た。角笛で呼んだのを見張り番の者が聞いて、足の速い若いのに遣いをさせたんだ。それだけで一両日かかった。」

 ルメイは雪の降る前に既に死んでいたという。

「弔いは女達で?」ヤールが尋ねた。

「そうだ。」

神人(よりまし)門の守女(シュムナ・タキリ)もいない有様で、それでも冬が無事に越せたということだな。」ヤールは口の脇をわずかに歪めてガラートを見やった。

「知らぬが幸いと言おうか、聖地を守る女がいなくとも、我々は大過なく民を見て来られたようだな、同朋(きょうだい)最年長の媼(アコナ)に会って詳細を聞き、今後の事を決めねばならぬだろうが、かの地の霊力は相変わらず男が立ち入るのを拒むだろうか。」

「ヒルの長として当地に赴き弔いを行わねば。」

 ヤールの面に警戒の色が浮かんだことにも気付かず、ガラートは言った。

「君はニアキに留まってくれ。ティスナには可能ならばすぐにも私が出向きたい。」


 早朝に狩りに発つ者たちと少年たちとを先に帰らせた夜半に及ぶ話し合いの中で、ティスナを訪問する者が選ばれ、ヒルメイのアーガラートは、タフマイの若い頭オクトゥルを伴って南へ旅することになった。ほんの数日前に別れたばかりの妻と息子に会えるぞ、と仲間たちに冷やかされるのを全く意に介さず、オクトゥルは真っ先に名乗りをあげて、尻の浮いている者たちが早く帰れるように集会の決着をつけてやった。

 ヒルメイの長の出立はごく密やかなものだった。旅装と食糧を整えるとオクトゥルは来るように命じられていた通りに、集落の北のガラートの家よりもさらに離れ、水源の渓流よりも森の奥に建てられた古い小さな家に寄った。昨年の晩秋、昔の住人が再び、不自由な手で慌ただしく補修を加え、暮らしはじめたのだ。

 森の中は雪の吹きだまりが溶け残り、緩い雪とぬかるんだ土に先に向かったガラートの足跡が残っている。住人と村への連絡を示す跡は他に何ひとつ無かった。

 水は雪から得ているようだ。わずかな食糧の分け前の他は、より獲物の少ない村の北の方でしか新鮮な肉を得る途は許されないのか。狩りもままならぬだろう。ヤールの奴、冬を目前に住居を整える手助けさえ許さなかったな―――。

 林の向こうに、柴を吹いた屋根の頭と周りを囲む若木の芽吹きを見て、オクトゥルはほとんど駆け出すようにして足を速めた。白い林床の中に、小屋の周囲は島のように抜き出ていた。石で囲った土台の下に雪解け水が小さな小川をつくって流れ出ている。それをひょいひょいと飛び越えて、オクトゥルは戸口に足を止めた。中でガラートが話している声が聞こえる。

「これを身に帯びてはラシースに申し訳が立たない。」

「何を―――」聞きなれた、素っ気ない声が答えた。

「おれが手づからお前に貸すのだ。今さら何の遠慮がある?あいつももう母のもとを離れたことだ。」

 そして、声はその主に似つかわしからぬ遜った低い柔らかな調子で付け足した。

「父子ともに愚かでお前には面倒を掛ける。すまない。」

 オクトゥルは獲物の巣穴の前で手に負えぬ障害に遭遇した狐のように小さくのけぞり、小川の合流して溜まっているところまでそっと後戻りした。それからやかましく水音を立てて罵りながら水溜りを踏んで小屋の方へ行きなおした。

「ガラート、来たよ。ハルイー、達者かね。」

 オクトゥルは戸口の手前で叫んだ。ややあって中からガラートが答えた。

「オクトゥル、足を拭いてから中に入れ。」

 オクトゥルは開いていた戸から身体を滑り込ませ、鴨居をくぐった。敷居の内の乾いた土間の上がり框に草のむしろがあり、オクトゥルはそこで靴を拭った。内柱の間の帳が上がっていて炉に火の入った居間が見えた。奥の(あるじ)の場所には柳を編んだ寝台が据えられ、アー・ハルイルが仰臥していた。屍のようにやせ衰え、窪んだ眼窩の奥に閉じた目とわずかに起伏する胸の動きから眠っているのが分かる。

 炉の角を挟んで座ったハルイーとガラートが交わした言葉を素早く切り上げ、何か手から手へ取り交わした。ハルイーがあいさつ代わりの鋭い一瞥を投げ、それに頷き返しながら、オクトゥルはガラートが素早く、しかし丁重な物腰で何かを懐に仕舞ったのを横目で見た。

「もう来たのか、やんちゃ坊主。辛抱のない、せわしい奴だな。」

「まる一冬会っていないのにそれはないよ。不自由はしていないかい?」

 尋ねながら、オクトゥルは新しい血の匂いに気付いていた。左手の土間との境にそこそこの大きさのウサギが半ば皮を剥いだまま抜き身の短刀と共に置きっぱなしになっていた。急な来客にやりかけの料理をそのままに置いて応じたと見える。

「身を削いで塩をしておくかい?骨を叩き切っておこうか、羹にするのに?」

「おけ」

 台所に()()()()を持って行こうと上がり框からくるっと尻を滑らせて手を伸ばしかけたオクトゥルの目の前でハルイーはついと獲物をひったくり、おもむろに立ちあがって土間に下りて来、身と皮の間に右の拳を押し込んで瞬く間に皮を剥ぎ、木の調理台の上に放ると、短刀を拳の中に握り、台の端に肉叢を押し出しながら殴るように叩き切り、鍋の中に落とした。

「うまくなったろう?」

 短刀の手元を、素早い動作のあとで後ろに引っ込め手と刀を洗いに行くまで、オクトゥルは無言で見ていた。ハルイーは手を拭うと外明かりの届かぬ暗がりの中で、弓を引く手振りをした。

「ヤールに言っておけ。ハルイーの親指の腱を切ったくらいでは、弓手(ゆんで)の首位を一年とは守れん、とな。」

「オクトゥル行くぞ、用件はもう済んでいる。」

 ガラートが胡坐の膝がしらに置いた両拳に目を落とし、そのまま立ち上がりながら短く言った。

「おれの気苦労も増やさないでくれよ。」

 慌てて脱ぎかけの靴を履き直しながらオクトゥルはぼやいた。ハルイーはにやりとして、戸口から出かけるふたりを尻目に、病人の傍らに戻って座った。


 ハルイーを訪ねた後でふたりはそのまますぐに村の北東の山腹を中の嶺の尾根、イナ・サラミアスの肩口に向けて登った。長手尾根の北側にあたる中の嶺の山腹は丈の低い樹林の床をまだ堅い雪が一面に覆い、下藪や激しい起伏に邪魔されることも無く行程ははかどった。半日と経たずに長手尾根の峠を越えると雪解けの進んだ南西向きの斜面に出、その日は青天のもと夕刻に向けて沸き立つように水かさの増す沢を渡るのを避けて野営をした。日が西の彼方に去ればイナ・サラミアスは冬の凍てつく寒さが戻って来る。小さな谷の山腹に寄って茂みの陰に簡単な天幕を張り、交代で火の番を務めた。

「明日にはオルト谷のウナシュの村に泊まるだろう?それとも下に降りずに南の物見に行くか?」

 オクトゥルは期待を込めて尋ねた。ガラートはすぐにウナシュの村に寄ることを否定した。

「物見の方に行っても良いが―――」

「わかったよ、近くを通るが、小屋には泊まらないんだな。」オクトゥルはがっかりして言った。

「あんたは結局、ヤールとおれの他には、ティスナを訪ねて行くとも行かないともはっきりさせなかった。女子どもはもとより、民のほとんどの男もルメイの死の報せさえ知らぬままだ。彼らはてんでに夏の居場所と仕事に分かれて行ってしまった。あんたは皆に報せないまま、自分だけが確かめに行きたいんだ。―――だが、どうしてだ?もう二十年以上もいるのかいないのか、ティスナにさえほとんど下りて来なくなっていた年取った女のことでどうしてあんたはそんなに細心にならなくてはいけないんだ?」

「明後日にはティスナに着く。その前にお前には話しておく」

 ガラートは膝を包む外衣の両翼の腕に額を重ねてうつ伏した。 

 長手尾根を越えると、渓谷の隅の日陰に斑に雪を残したまま、樹木の梢は薄緑の新葉を飾り始めた。尾根沿いの小川は全てその姿を現わし、湿った地面に透き通った桃色の花々が別の流れを描いた。オルト谷を挟んで反対側に広がる南の嶺の陰に入った山腹はその中ほどにあるティスナの辺りを含め、見たところまだ広く雪に覆われている。うっすらと掛かる森林の繊毛はこちらに流れる裾野の方では浅い緑を帯びてきて、剥がれながら徐々に滑り落ちて来る雪の層の下のぱっくりと開いた洞の底から滔々と水を吐いていた。中央を貫く渓流の下流にはオルト谷があり、その谷あいの南側に、傷ついた山肌を隠すように森林に囲われた中にウナシュの小さな村がある。ウナシュの村を上下に避けるように女達の通いの道がある。オルト谷の上部に通っている道は南の物見に通じる。女達がティスナへ移動中の今は、渓流を越える橋も架けられているはずだった。

 ほとんど何も話さず、たわいもない言葉にも相槌さえ打たないガラートについて行きながら、オクトゥルは旅の食糧に趣向を添えるため、木の芽や蕨、草の芽を道々に摘んだ。

 長手尾根を大渓谷の中へと下りて行くにしたがって、出立と前後してニアキから山に入った狩りの組や、樵の組の合図の指笛がかしこから聞かれた。不幸な出会いを避けるため、オクトゥルはこの警告に応えようと連れを振り返ったが、ガラートは首を振り、さらに険しい山壁のそそり立つ東へと道を取ると言った。

「まさか、あの屏風を渡るのかい、ガラート?」オクトゥルは思案しながら疑わしげに言った。

「時期が少し早いのじゃないか?どうしてそこまで人目を避けなきゃならない。」

 ガラートはすり鉢の底にクマラ・シャコとティスナの村を有したイナ・サラミアス南部の山腹を指差し、お前は谷の上を掛かる橋を渡って今夜南の物見に泊まってもいいのだぞ、と言った。この先は別行動になる、自分は事情あって上の嶺を回ってティスナの媼を訪ねるつもりだ。お前とはそこで落ち合うから、成年の男子がぎりぎり近づく事を許される村の入り口の外で野営し待っていてくれ、とオクトゥルに告げた。お前は明日にはそこに着けるだろう、私は二日、遅くとも三日後には追い付くから。

 オクトゥルはやや苛立った口調で、ティスナに着く前には事情を話しておく、という昨晩の約束を思い出させた。ガラートは無論説明する、と言った。

「私が“白糸束”に向かった事は誰かが知っておかなければならないからな―――私が戻ってこなかった場合に。」


 南の嶺、肘先の切り立った長手尾根に連なるイナ・サラミアスのなだらかな腰は、久方ぶりに雲の払われた青天のもとに雪を纏って輝いている。姉神の肘の下に生じる源流は雪の下の、これも雪と見まがう岩のあいあいから集まりくる水だ。

 岩の現れた険しい壁の下に切れ落ちる谷、その対となる白くとらえどころのない山腹、双方が囲う広い谷間の森林と水脈には、古からの人々が狩や移動の目印につけた名が残り、年寄りたちの少年の時分からそのままであったという古老の木々が、同じ姿を見せる。アータッカハルが幼い彼に教え、彼が同族の若い者たちに教えた。行く先々に広がる景色は、褪せぬつづれ織りの一反を繰り広げるように記憶を鮮やかに呼び起こした。

 心配するオクトゥルを、渓流を渡る橋の向こうへと追い払ってしまってから、ガラートはひとりゆっくり追憶に耽りながら岩を登った。イーマの男なら少年の頃に年かさの若者に伴われて鍛錬したことだ、慣習として避ける場所はいくつかあるが、長年山歩きをしなかったからといって、出来ないという訳では無い。今は亡きアータッカハルが彼を初めての岩場に伴った時は六十も越えていた。

 “白糸束(ティウラシレ)”に行く他の道を、彼はかつてオルト谷から一晩かけて試みたことがある。門の守女(シュムナ・タキリ)、ルメイに参道の途中で阻止され、戻った。あの時風のように自分を抜いて行った者がハルイーだと、後になって気が付いた。まだ子供だったからこそ、通るのが許された道だ。今の自分には“白糸束”に無事に入る道があるのかどうかさえ分からない。

 出しなにハルイーから聞いて来た、渓谷の上を周ってティウラシレに入る途を胸の内に繰り返し、南北の方位と足元に現われる地形の移り変わりに気を配りながら、例年よりもさらに広大な雪渓を横ばいに渡った。

 “白糸束(ティウラシレ)”へ行く?

 人の良いオクトゥルの当惑した顔が思いおこされる。恥知らずな言葉に耳を疑いながら、親身な懸念を表して濃い翼のような眉が寄り、ひん曲げた口元から不承不承言いかける。

 そりゃ、女達だけでは埋葬も難しかろうしな……。その目が目蓋の下からさらに訳を尋ねる。

 いや、もう随分前から考えていたことなのだ、彼は言った。

 二年も前から忠告を受けていた事だ、レークシルから―――遅すぎたかもしれん。

 ガラートは足を止めて後ろを振り返り、靴先でさらに雪を二、三度強く蹴り込んで足場を広く取り、左手で雪の下の木の根をしっかりと握りしめてから身体を外に開き、背後の景色を確かめた。

 雪の山腹を右側へと渡り始めた時に南西の足元に見えていた棚地とその奥の窪んだ谷の縁は後方に移り、丈の低いイスタナウトのひと群れの森とその奥の丸い盆の内に青く佇むクマラ・シャコへと形を変えた。徐々に青葉の霞を纏ってゆく繊毛のような森林が鉢の周から南の山裾へと広がっている。その中に刻まれた陰影の線はコタ・ミラを底に隠した谷間だ。

 ガラートは顔を湖から背け、オクトゥルのくれた羚羊の尻皮に腰を下ろし、その場に休んだ。

 あの女(タナ)から―――。オクトゥルは何か思い出したように声を出して気の毒そうに彼を見やり、それ以上は何も問わず、代わりに彼の装備になにくれとなく細やかに気を回し、自身の所持品からも貸し与えた。

 一昨年の秋、ティスナから女達とニアキに戻って来たレークシルは重い手仕事を携え、病みやつれて滅多に人と会うことも無かったが、黄金果の競技の前日、わずかな暇を見て彼を呼び、ある思いがけないことを告げたのだった。

 詳細を尋ねるいとまもなく、レークシルは人の気配を察してその場を去った。彼を探しに来たオクトゥルだった。

「あいつめ」

 他のもうひとりの顔を思い出して彼は面を険しくし、呟いた。

 刃を吐くような心地で発したその言葉は、陽射しの下で緩んでいく残雪さながら鋭利さを失い、柔らかな反射だけが残り、消えた。

 彼はベレ・サオと中の嶺の背後から沸き立ち、こちらへと流れて来る雲の下に広がる大きな陰を見据えながら、日のあるうちに雪の山腹を頂上までいけるか考えを巡らせた。午後の日が照っても、雨雲に追いつかれても雪解けは進む。雪がまだ堅いうちに上に登り詰めてしまえばいい。

 明朝までこの山腹にとどまる利点など何ひとつない。緩んだ雪の中で動きが取れなくなり雪崩に飲まれるか、夜の凍てつく寒さに捕らえられるか。決まりきった事だ。ここで躊躇する理由は何だ?

 彼は細心に、己の心に不穏の影を落としたもののことに目を向けた。

 言葉を発する前に瞬時よぎった思いが呪いの形を取りはしなかったはずだ。呪いであれ、祝福であれ、もう、かの者に届くことは無い。このイナ・サラミアスの地にはおらず、女神の怒りも無い代わりに庇護も無い、我々とは違う考えをする人々の中にいる者に。その者に思いをする事はただ、自分を不注意にし、不愉快にさせるだけだ。

 ガラートはまだ蒼い山陰の中で堅く凍り付いている雪の中に遅い春を待つ、ひしゃげた細い、しかし頑健な松の幹を探りながら、既に光の当たっている、雪の白く輝く右上方の山腹を指して登り始めた。

 母のことについて真実を―――。

 あの声と顔を思い出すたびに腹の中が煮えくり返る。むろん、あいつは二重の意味で言ったのだ。

 母は生きているのですか。……母は不実な行いをしたのでは。

 皆の前で私を明確に追求することも出来ぬ小心者のくせに、小ぎれいな言葉にくるんだ毒を注いで効き目を窺うほど狡猾なのだ。あの時あいつに手をあげていたら、私は自分を収めることができなかったろう。

 あいつは馬鹿だからなあ、折に触れてそう呟くオクトゥルの開けっぴろげな誠実な顔が目に浮かぶ。

 ああ、今は私が彼に同じ心配をかけているようだな!

 まさしく、あの如何ようにとも取れる言い方こそ私に似ているのかもしれない。ヒルの血を濃く受け継ぐ者は男でも様々なことを一度に見て取り、またひとつ投げかけた石の呼び起こす波紋を先だって見るからこそ、言葉の的を絞ることが出来ないのだ。歪を引き受けて全体の安寧を図らねばならぬ者の心が高潔でいられる訳がない。ヒルメイに生まれた者でハルイーのように明快に振舞える者は稀だ。

「あの両親のもとに生まれたお前をどれほど私がうらやんでいるか、言ってやろうか」

 ガラートは雪の面に言葉を吐いた。柔らかな新雪の薄い層の下に、溶融と凍結を繰り返した荒く鋭い氷の柱と脆い洞とが潜んでいる。手がかりを探る指の下でそれは時折くだけ、谷の底深さを背筋に警告する。ガラートは根雪の下の岩根を探った。山頂近くの雪は風に吹きはらわれ、さほど深くないはずだ。すぐに峰の上を形作る岩石の面を、両の掌が捉えた。そのまま、慎重に次の足掛かりを取る。

 子供というものは、早いうちは女の子は父親に、男の子は母親に相貌が似ているものだ。雌雄の差で強調される線が陰を潜めているうちは相反する要素が際立って見えているのだ。だが、成長に従ってだんだんと女は母に、男は父に容姿が似て来る。

 ガラートはラシースの顔を思い浮かべた。

 男の骨格は女よりもゆっくり仕上がる。あれも、もう三年ほども育てばもっとハルイーに容姿が似て来るはずだ。鷲のように明朗な鋭い線が相貌に顕れるはずだ。 

 ガラートは声をたてて笑った。集会で年長者の前に躊躇する若い者の背を押してやるために聞かせる笑いでもなく、駆け引きの相手の仕掛ける威嚇に応える笑いでもない。自嘲の笑いだった。 

 タナとして自分の目の前に現れてから、その権威を失った後に至るまで、レークシルは遠く及ばぬ存在だった。手を触れようなど思いもよらない。

 レークシルを得られた者はただひとりハルイーだけだ。ハルイーがその妻の半分をしか知らないとしても。

 ヒルメイの男たちが物事に二つ以上の意味を見て静観にとどまるのとは反対に、ハルイーは単純な動機から行動し、しかしその行いは良いものも悪いものも二つ以上のものに働く。

 彼が出会った男は偶然アツセワナの王の忠臣だった。彼はアツセワナの好意と欲望の両方をイナ・サラミアスに引き寄せた。試練を経て妻を得、罰を受けたが、アツセワナとイナ・サラミアスの間に友情と繁栄をもたらした。一時は鋼も絹も全て無駄になったと思ったが……。

 旅の初めから疼いていた頬の古傷に、血が伝い落ちるかと思い手をやったが、滲んだ汗が流れているに過ぎなかった。痛みは血の匂いまで蘇らせる。

 ハルイーは本当に単純無垢な男なのだろうか?

 あの時、ハルイーが自分を助けるために放った矢には、もしやもうひとつの彼の思いが働いてはいなかったか?いや、これは自分が抱いている疑いに過ぎない。矢に倒れた男の手にした剣が頬をかすめ、醜く残る傷を残した。迂闊な行いだったが幸運にも胴を刃が貫くことはなかった。矢の的を違えないことはハルイーは絶対の自信を持っている。だが、相手の持っている剣に敢えて結果を委ねたのだとしたら―――?

 ハルイーが故郷を出奔した時、自分はまだティスナで母と暮らしていた。十三年後に彼が戻って来た時、ハルイーの父アータッカハルは亡くなり、兄ハルイルのもとにはタッカハルが引き取った自分がいた。彼の後釜のようにして。そんなことを気に掛けるどころか、気付きさえもしない質に見えるが、ただ一度、ハルイーが彼へ密かに抱いている感情を吐露したことがある。

 何故、お前は兄ハラートの子に生まれなかったのだ―――何故、アーラヒルの子なんだ!

 ハルイーはこの言葉で言ったわけではないが、この意味で他のことを言った―――意味に囚われるあまり、いつ、どんな言葉で彼がそれを言ったのかもう忘れてしまったが……。

 ガラートは雪の上に頬を伏した。

 あなたではない、アーラヒルの子息。守女(シュムナ)のルメイがほんの子供だった自分にそう言い、顔の傷がそれを確実にした。

 だが、もし、そうでなかったら女神(サラミア)が私に目を留めたかなど()()に言われるまで考えたこともない。

 それにしても、お前はどうして身内のなかでも私に似てしまったのだろう?面ざしといい、気性といい。

 ガラートは面を上げ、もはや覆いかぶさるように上にそびえる壁が無いことを見てとった。

 老タッカハルが岩壁に取りついた少年の彼に下方の棚から叫び上げる声がよみがえる。油断をするな、易しいと見える時ほど疑え。手掛かりに十分な余裕は?足場は?引き返す道も同時に考えておけ。

 イナ・サラミアスでも屈指の断崖の底からよみがえる声は、淡々と道筋を語るハルイーの声になった。上は風が強く、雪の層は薄い。そのまま行けばいつしか雪のように白い岩の原に行く。そう言って、ハルイーは相手が覚えたかを確かめるように静かに鋭い目を向けた。

 年取ったハルイーは亡きアータッカハルにだんだんと似て来たようだ。

 一陣の風に雲が流れ、天に所在を曖昧にしていた日を現わした。雪の上の翳りは晴れ、とうに山の陰を脱していた雪は彼の眼前に白く眩く輝いた。

 傾斜はずっとなだらかになり、新芽をつけた細やかな枝が丈の低い茂みになって青天の下に平らかに広がっていた。厳しい寒さと風のために小さいが、これらは年経た樹木の森なのだった。その傍らに立ち、ガラートは下界を見下ろした。ハルイーが見た景色が眼下にある。

 西の方に向かい、右手前方へとぐるりと峡谷の北側を囲む長手尾根、谷を刻み、広い(あい)より水脈を束ねて下る水の流れ、左の方のなだらかな山腹の奥、鉢の底に青く横たわるクマラ・シャコ。クマラ・シャコの下に聖なる川(コタ・ミラ)は切れぎれに細い流れを見せ、山裾にうねって横たわるコタ・シアナへと下っている。そして今や鉢の底にはっきりと外縁の見て取れるクマラ・シャコの上にその源流となる水の流れが、白い石を敷いた参道を伴って、銀灰色のイスタナウトの森の中を走っている。彼が昔、今は亡きルメイに呼び止められた石段の足休めがある。

 ふいに耳元に、少女の言葉と抑揚で性急に口走るしわがれた男の声がよぎった。

 ガラートは醜悪で淫らなものを目にしたように、一瞬目に映った白い岩が奇妙な乾いた滝のように山腹から眼下の棚地に掛かっている光景を、瞼を閉じて遮り、頭を垂れてそこに腰を下ろした。

 私は善からぬものを連れて入ってしまうかもしれぬ。なぜあの男の思念を自分が見て取ることが出来るのか分からないが、相手方にも、もし同じことが出来るならば。

 彼は南西の空に顔を向け、目を開けた。ティスナの鉢の縁を越したその下方、姉神の膝の下のクシガヤの方に目を移し、二十年以上も前にそこへ去ったクシュのメムサムが話したという事を思い返し、考えた。かの場所に邪なものを通さぬ力が備わっているなら自分をその試練にさらしてみるといい。

「これは用いまい」ガラートは胸に手を当て呟いた。

 直下に白糸束(ティウラシレ)を望む白い奇岩の崖はあまりに険しい。ハルイーの忠告を思い返しながら少しなだらかなイスタナウトの斜面に下りて行くために雪の残る北側へと少し戻り、麓の大木とは似ても似つかぬ矮小な、根元のねじ曲がった木々の間を下って行った。 

 この風景を見た者はそう多くはない。ハルイーは五回だけだと言ったし、自分ももう二度とはここを訪れることはあるまい。ラシースはナスティアツへと通じるこの上を何度も行き来したが、あれにとっては母の膝の上も同然だからな。

 この神と人との地の境に男が行き来した数少ない機会(おり)に故郷の様はどれほど移り変わっていったことか。

 かつて四つの氏族の働きによってイーマの掟は守られ、暮らしの細かな取り決めは会議によって取り決められていた。水の守(クシュ)の一族はメムサムに率いられて姉神(ベレ・イナ)を下り、土の守(ウナシュ)の一族はイナ・サラミアスに留まるものの、イーマの掟を捨て平生の付き合いを断って、オルト谷の片隅に女達と定住をする。イーマの行く末はまだ長としては若い日に仕える(ヒルメイ)自分と風見(タフマイ)のヤールに委ねられている。

 ガラートは指導者としての自分の力の無さを苦々しくかみしめた。

 陰気で思考が重い自分に比べ、その父オコロイに似て大柄で男ぶりが良く、豪放な物言いをするヤールがより同族の若者たちを惹きつけているのは明らかだ。ヤールは一見したところ若い頃のハルイーのように明快に見える。長老たちを因習に固執していると言っては嘲笑い、イーマの民の頑迷さに嫌気がさしていると言い、はるかに進み圧倒的な力を持つアツセワナの脅威を説く。

 だが、自分の目にはヤールの内心はもっと脆いものに囚われているように思える。集会の上座で松明の正面に立って背をそびやかせ声高に説く言葉はいつも同じ意味に裏打ちされている。

 はるか昔からイナ・サラミアスはもとよりエファレイナズの保護者であった我らイーマが、彼らと同じようにして同じ力を持ちえない訳がない。

 幾度か一族の若者たちに同伴して訪れたアツセワナの行く先々で農地や城郭や街を見、圧倒的な蓄えと技術とを目の当たりにし、いつかは負かされるという恐怖を覚えたに違いない。ことによると何か侮辱されたのかもしれない。容易に想像できることだ。

 どうにもならぬ生まれついての容姿や身についた習慣、信仰を取り立てて侮蔑され、忌避された時、己の心持ちを守るために人が最後にすることは、己の存在こそを優れたものと位置づけ、敵対する者を同様に蔑むことだ。

 イーマと呼んで蔑む者に対し、イーマと名乗って傲然と顔を上げてみせる。かつての自分もそうして矜持を保った。

 “イーマ”という無いようでいて何よりも頑固に心を縛る自尊心が無ければ良い、訪ねて行った時、老いたハルイーはそう言った。

 イーマであることをやめればアツセワナの懐の中で生きていける、と今でも思っている。腰を低める挨拶や客人に出す食い物を相手に求めさえしなければ―――おれのように役立たずだが、大人しく無害だと思われ、まあまあ許されて生きてゆけるさ。

 アツセワナの懐で生きる、とは二十余年前にニアキの会議でハルイーが言った言葉だが、その気持ちまで今と同じではなかったはずだ。その心にはしたたかに身を潜め、機が熟すれば形勢を逆転させようという望みもあったはずだ。

 ハルイーも変わった。実は自ら思うほど信仰を持たぬ民の大半の男達とは違い、ハルイーはサラミアを知る者だ。しかし、若い頃は仇のようにその名を口にしていたのが、イサピアを失くしサラミアと縁が切れた巫女として河の向こうから戻って来たレークシルと夫婦になってからは、妻の繊細で我儘な気性の中にその影を見続けた。レークシルの死後、ハルイーはイナ・サラミアスの中に妻の片鱗を認め、愛情を抱いている。

 村の片隅で異端として暮らしながらハルイーは誰よりもイーマらしくなったようだ。

 ガラートは用心のためひとつひとつつかまる手を替えながら辿っていたイスタナウトの細い幹から離した片手をあげ、額の汗をぬぐった。

 私ひとりのことならイーマとして生きることを選ぶのだが。

 歩き続ける代わりに足を止めた幹元に背をつけてゆっくり腰を下ろしながら、ふとぐらりと傾いだ視野が定まるのを待って、ガラートは春の集会の折の、ヤールを囲む若者たちの様子を思い浮かべた。狩りの機会が減り、商売のために河を越えて遠くまで歩くようになった。安定した穀物から摂る栄養は良くなり、身を削る鍛錬にさらされることもなく、ひと世代前よりも背丈は高く身体つきは華奢になったな。気性は素直だが思慮に浅く判断に性急だ。なべてヤールと同じように脆い。

 もう、イーマは終わりに向かっているのではないか。我々は弱くなったが、それにもまして生物(ノマ)の分を越えてアツセワナは強くなったのだ。さて、その既に歪んだ世界のなかで、アツセワナが己の持ち場を喰いつくした後にどうなるかは知らず、かれよりも弱い者が先にその食い代になるのは見えたことだ。イーマという生き方は死んでも民が永らえる道があったのも昔の話ではないのか。

 私はどう生きる?父祖が守って来たささやかな世界に、保護者ではなく被保護者として加わり、やがて共に滅びていこうか。

 このようなところに来ているというのに―――?心の中で別の声が問うた。

 いや、この件だけは見届けねばならぬ。

 立ちあがろうとして、ガラートは手の内につかんだ枝に力を込めた。手の内で枝は脆く砂の砕けるように失せ、身体は宙に投げ出されたかと感じたが、目に見えているものは蒼白なほどに力を込めて木にしがみつく手だった。その皮膚の面にみるみる汗が噴き出てくる。

 熱を浴びた蝋のように濡れた顔を拭う手も上がらず、ようよう閉じた瞼の内で天地は覆り、八方からぐっと迫った恐ろしい力が四肢から心臓に向かって締め上げて来た。

 ガラートは幹を掴む右手を放した。そうすることが降参の証となって眼下に見えている聖地の奇岩の畝に落下するかと思えたが、身体は地上にとどまっていた。

 すり鉢の斜面を覆うイスタナウトの梢は下方に向かうにつれ、新芽を膨らませ、柔毛に包まれた新緑をほころばせている。その中にウグイスが鳴く。

「ああ」玉のような雫となった汗が視界を大きくよぎる。

 時の波に抗って進むかのような労苦を覚えながら、ガラートは放した手を懐へと引き寄せた。


 イスタナウトの森の地面にはまだらに雪が残っていた。樹高の低い梢は新緑が芽吹き、その根元に開いた湿地に花を咲かせようと草の芽が吹く。だが、そんなものにも己が残す足跡にも心を留めることなく、ガラートは奇岩の畝が下った底にある洞穴の入り口を指して足早に進んで行った。

 聖地の森は古から巫女たちによって保たれ、窟の周辺は神蚕を養うために怠りなく手入れされているという。ガラートは生来の習慣から、先を行きながらそれとなく木々に目を配った。

 斜面を下りた辺りから少しずつ大きくなっていたイスタナウトの木々は、その大きさに応じて新緑の衣の色を濃くしていったが、半ばを過ぎ、森の出口に近づくほどに、からりとした剥き出しの光を天から注ぐにまかせていた。樹間の広がったところに来て急に、濃くなるはずの天蓋が薄れてきたのであった。梢の上のほうには新葉を開いていたが、古い枝のあいあいには褪せた葉に包まれた空の繭が摘まれないまま残され、その周囲には芽の吹く気配も無かった。

 林床を覆う雪は、縦横に踏まれて溶けて現われた道へと行く手を譲った。湿った柔らかい土には爪先の丸い小さな不格好な靴跡が残っている。細い白茶の枯れ草が地面から立ち上がり、辺りは荒れた様相を呈していた。ふと気付くと、周囲の古木はとうに枯れ、梢も枯れ落ちた太い枝と幹の骸のみが地上から立っているのであった。小さな足跡の主が残った枝の手の届く周りを全て折り取り、焚き付けにするために持ち去って行ったようだ。

 ガラートは最も新しい靴跡を見定め、それが通い慣わした道をつくっているのを、むしろゆっくりと辿っていった。ほどなく、金色に枯れた草群の向こうに雪よりも白い奇岩が右の山腹の方から下り、痩せた歯根のような柱を並べているのが見えた。

 道は冬枯れの草を泥の中に踏み倒して列柱へと続いていた。やがてその向こうに空の色を湛えた水面と石の露台、その上に崩れ落ちた天蓋と、露台と岸を繋ぐ切り石を並べた沈下橋が見えた。岸辺まで近寄って見渡すと、水面は西の際の堰でとどまり、静止している。

 侵入者があると堀は増水する―――ハルイーはそう言い、片頬をわずかに震わせた。

 だが、どうだ。水は雪を蓄えた山の上から新たに流れ込む様子すら見せず静止している。

 足元の揺らいだのをまた眩暈かと思い、ガラートはかがんで水辺の縁石に手をついた。どこからとも知れない唸りが大気を満たし、両耳から内へと溢れ、瞬間の恐怖の内に動きを封じ込めた。彼の周りが動いている。膝の下で地は底から持ち上がり、地面の上では小さく跳ねて震えた。縁石の際に細かい震動の波紋が立ち、微かな高い音が鳴り、奇岩の亀裂から新たに小さな石塊がひとつ、露台の塵の中に落ちた。

 我に返って彼は用心しながら立ち、この聖地の界隈からその外へと目を移した。彼方の嶺から鳥の群れの驚いて飛び立つ姿と声とが巻き起こっていた。地揺れが起きたのだった。

 これはどうしたことだろう?

 胸に起きた一瞬の疑問よりも、その想像が呼び起こした懸念が立ち勝り、たちまちのうちにガラートはひとつふたつおきに踏み石を飛び越えて露台へと移り、崩れた天蓋の下に開いた窟の口へと飛び込んで行った。

 窟の中に造られたひと続きの間はきちんと整えられ、炉には話に聞いた永遠に燃える火が灯っていた。奥の間との境の鴨居には織りかけの紬の布を巻きつけてまとめた簡単な織り道具が吊り棚に掛かっている。冷気を防ぐ帳を跳ね上げ、ガラートは窟の奥へと進んだ。両脇に戸の無い小部屋と思しき穴、正面には両開きの鉄の扉がある。扉は開き、左上からぐっと侵入者を押し戻そうと威圧するかのごとく大岩が闇の中にその姿を覗かせている。

 それでも右の奥へは続いて行くのだ。小さな洞に惑わされるな。左の壁にそって行けばやがて大きな洞穴に出る。

 噛んで含めるように話すハルイーの声が、より低く、釘を刺した。

 だが、壁から手を放すな。そこで何にも出会わなければすぐに戻るのだ。

 扉は小柄な女か子供がやっと通り抜けられるほどの幅に開いていた。ガラートは扉をさらに押し開けて身を滑り込ませた。扉の面に擦れる外衣の端が柔らかな音をたて、踏み入れた足の下に砕石が鳴った。

 闇の中にたちまちに彼の立てた微細な音は吸い込まれ、奥から他の音を連れて返って来た。地中を流れる細い水の音、それに彼の動作が立てる音が余程の間、繰り返され響きあう。右へ右へと進むほどに壁は湾曲して内部は狭まる気配、してみるとその先には広間が近いはず。

 左手の壁が角に差し掛かった、広間の入り口と思えるところでガラートは足をとめ、反響する音の中にわずかな変化を聞いた。小さく足を摺る音とはっと息を飲む音。ガラートはそれを自分の立てた音かと疑った。が、闇に慣れた目の知覚した開けた空間の奥に、ごくわずかに白く小さく影が動いたのを認めた。その輪郭がこちらに顔を向け、いくぶん高く細いかすれた声が不安げに呟いた。

「誰かいる。」

 ガラートはとっさに入り口を塞ぐ方へと身体を移行させ、あまつさえ両腕を開きかけた。外衣がその小さな姿を見分ける明かりさえも遮ったらしい。ただ、じりじりと後ずさる、砕石の軋みだけが聞こえた。

「イル、ギーネ―――。」

 思わず漏らした声が聞こえるや否や、相手はさっと闇の奥へと逃げた。ガラートは声を飲み込み、引っ込めた両手を胸元で握りしめた。広間の右端から、軽い足音と壁にあたる柔らかな肉体、そして小さな堅い石の触れ合う音がした。

 広間の右奥は孔が多く小さな洞が集まっている。その中のひとつは奈落につながり、またひとつは地下の川を越え深部の滝のほとりに出る―――。ハルイーの声が警告を込めて言った。

 それを心して中に入れ。互いに何者かと分からない限りは深追いするな。

「敵ではない」

 身を裂かれる思いでようやくその場を離れながら、吐息と共にそう囁かずにはいられなかった。

 窟から出て来た時には眩しいように見えた空もはや夕暮れの色だった。ガラートは足早に石室の中を通り抜けて戻りながら、住人の暮らしぶりを伝える家財や敷物の状態に目を通していった。帳の継ぎあて、手斧の柄に結んだ蔓、床の亀裂に詰めた粘土、つたない手で補修された跡が住居のかしこに見られた。

 堀の水は変わらずに静止していた。彼は草生した荒れた森の中へと戻り、イスタナウトが弱りながらもまだ生きている奥の森の手入れの具合を見た。

 二年前まではまだこの森で神蚕が養われていたはずだ。木々は気候に応じて水まわりや枝の補強の世話をされていた。孵化させる蚕種は洞穴の奥で選別され、森を弱らせぬ数の蚕だけが育てられ、それらはわずかな番を除いて全て生糸にするために殺された。

 レークシルが死んでからは神蚕の調整の仕事を引き継ぐ体力は老いたルメイには無かったのだ。

 新芽の出遅れた細枝に無数の繭の残骸の乾いて、力尽きた枝の表皮にはなおも粒の集合が斑を描いてついている、ガラートはその根元に腰を下ろした。

 枯れた草の頭越しに、白い石の牙の間を影がよぎった。堀の沈下橋の辺りでそれはかがんで隠れ、秋のコオロギのような細い声が歌った。


   来い、来い 黄金の小虫 羽織を染めに

 

 西に沈む陽光の端が雲の切れ目から射し、それに気を取られたように途切れた声は、再び風に流れて光を閉ざした雲をなぞるかのようにつづいた。


   糸は繰って縒るばかり

   ただ小蚕(シャコ)が覚めさえしたら

   

 小さな左手が雲に向かって差し伸ばされ、言葉の代わりに飢えた赤子のような呻き声が漏れた。咳き込み喘ぐ音と呻きとが交互に混じった。

 乾いた草を踏みながら、小さな姿は枯れた森の中の道を辿って近づいてきた。ひとつひとつゆっくり木をまわっている。夏の蔦のように長い髪が揺れ、大きすぎる衣が風につれて歩く。そこに固唾を飲んで潜む者に気付くふうもなく、幹に置いた片手を支点にぐるりと裏を見、隣り合う木に移っては逆を回って覗いている。

 すっかりその姿が目に収まるところまでやって来るとガラートは目を瞬き、思わず後ろ手に幹を掴んで身を支えた。

 それはこちらに背をむけて、羽根を畳んだカゲロウのようにひとつの木の前に止まっていた。古びた樺色の裾の下から草履を履いた細い踝がのぞいている。長い髪の下から細い肘が突き出、握っていた石刃で樹皮を剥ぎ取り、おもむろに幹に顔を押し当てた。

「ああ、なんということ!」

 ガラートは雪解けのあとの湿った地面の上に散らばっている空の繭に気付いて呻いた。

 もつれた髪に包まれた、黄褐色の落ちくぼんだ小さな顔がこちらを見た。弓なりの眉が上がり、黒い瞳が見開いた。次の瞬間、怯えた鋭い声が男とその場との間に鳴り響いた。 


 この三日間で雪解けは進み、南の物見からティスナの境界までは男の足なら一日とかからぬ行程で行けた。湖岸の集落を見るのを避け、昼間も陽の射さぬ境界の峠の北側の斜面に留まることを踏まえ、オクトゥルは備えの十分な“南の物見所”から毛皮や天幕、予備の食糧を借り入れていた。それで、境界の森にたどりついたその午後、ホシガラスの声で合図を送って案内を乞い、やって来た番の老女に境界のはずれに天幕を張り、数日野営をする旨を申し入れた。

「おれは連れに過ぎない。アー・ガラートが追い付いたらもう一度合図をするから最年長の女(アコナ)に取り次いでくれ。」

「ヒルメイの(アー)がここに?」老女はしげしげと彼を見た。

「だけど、お前様はタフマイの……。」

「オロークの息子のオクトゥルだよ。」

「あの仁はよく河を渡ってオド・タ・コタへ行って商いをしていた。」

小柄な女は懐かしげにうなずいた。

「どこに野営をなさる?」

「あのシラビソの森の中さ。」

「陽が射さぬし、風が厳しい。」女は自分の後ろの平らかな林を指した。「村の入り口からは十分離れている。あそこに天幕を張るといい。夕方には温かい粥を持って来よう。」

「どうもかたじけないが、いいのかい?少し互いに近寄り過ぎじゃないかね。あんたとおれを足して二で割っても真ん中よりは男よりだろ?そいつが境界の石の内にいることになるんだぜ。」

「あんたなぞ()()()にくるまっていた頃から私には背骨の幹に()が出来てたさね。」

 女は事も無げにやっつけ、村へと向きを変えながら言い足した。

「私の齢になればどんな境も無いのと同じだ。」

 老女は女達に訪問者の意向を伝えるために集落へと戻って行った。

 言われた通りになだらかな林の中に天幕を張り、オクトゥルはその晩を過ごした。夜が明けると、まず、境界の北をずっと下りて行き、やって来る者の影が無いかを確かめた。それから逆の方へ向かい、夜を過ごした林をなだらかな地面ををぎりぎりまで南に下っていってみた。他に幾らかのさらに小さな林の間に湖の南東に聳える岩壁とその根元から湖畔に掛けて寄り集まった家々の屋根が見て取れる。オクトゥルはそれを確かめてからそちらには行かないように決め、林の中を少し手入れした。彼が去った後で薪を拾いに来る女達のために、冬に枯れて落ちていた枝や立ち枯れの木を伐って幾らかに束ねておいた。

 ガラートが戻って来なかったら誰かに報せてくれと言っていた、その約束の後の方の日になろうとしていた。

 夕べまた前より大きな地揺れがあったので、オクトゥルは忠誠心と分別との間で迷った。もうすぐにも渓谷の上の崖を捜索する助けを呼びに行ったほうがいいのかと思いはじめていた。

 前の日にやって来た媼は、その日の夕刻も合図の無かったことを確かめるために来、野宿を続けるに不自由している物はないかと尋ねたが、若者の口からヒルメイの長の安否についての不安を聞き出すと首を振った。

「ヒルの血筋の方は徒に命を落とすようなことはなさらぬ。」

 オクトゥルは落胆と憐れみを込めて老婆を見下ろした。通り一遍の訳知り顔をして。生死に甲斐も無駄もあるものか。誰にも遭難は一大事だ。

 だが、老女の言った通り、翌朝、オクトゥルは蒼い雪の残る北東の斜面を下りて来る男の姿を見かけた。

 オクトゥルは素早く野宿の場を引き払って荷物を境界まで移し、さらにガラートを迎えに行った。ガラートは、夜も休みなく山を下って来たと見え、やつれ疲れた面持ちだったが、オクトゥルを見るなり、アコナとの会見を申し入れるようにと命じた。オクトゥルは境界まで走って戻り、合図を送った。

 アコナはふたりの年取った女に両脇を支えられ、境界の石の置かれたところまでやって来た。足を摺るようにして集落からの道を登って来る、三人連れの真ん中のひときわへこんだ影がそれだった。付き添いのうちのひとりは取り次ぎをしてくれた女だった。

 アコナは極めて高齢であった。外衣に往時を偲ばせる華やかな刺繍の糸の色が残っている他には、頭には三角に縫い合わせただけの古びた毛皮の頭巾、筒のスカートの下に脚絆代わりの毛皮を巻き、その姿は男とも女とも見分け難い、老いと困窮の恐ろしい真の姿を表していた。

 男のいない領土に引っ込んでしまった女は女ですら無くなるというが―――。

 オクトゥルが立ちよどんでいる、その前にガラートは迎えに進み出た。

(ヒル)のアーガラート」

 折れ曲がって縮んだ身体をかがめて礼をしようとする老女を、ガラートは止め、自らその背に手を副えて、木立ちの中で風除けを掛け、粗朶を結わえて腰掛にした場に導いた。

「シュムナのお亡くなりになったのをお聞きになったのだろうね?」

「その事もあるし、他に伺いたい事もあります。」ガラートは丁重な口調で切り出した。

「弔いは済んでおります。」アコナは淡々と答えた。

「この冬は大雪だったゆえさぞ難儀されたことでしょう。」

「厳しい夏や冬には殊に珍しいことでもない、私らは平生からどうするのか決めてある。シュムナは死期を悟ってひと月以上も何も召し上がってはおられなかった。血などは一滴も残っておりません。」

 老女は八の字に皺んだ眉根のせいで悲しんで見え、くぼんだ口元のせいで笑っているように見える顔を交互にふたりの男に向けた。ガラートは瞼を伏して頷き、オクトゥルは目を逸らした。

「若い者がニアキに発った後でございます。深更に聖地より下りて来たる弔いのヨーレを聞き、参じました。」

「弔いのヨーレ?」オクトゥルは思わず口を挟みかけた。しかし、ガラートは問い返すこともなく、老女はつづけた。

「参道の他に弔いのための道が岩室の中にございます。―――老い先短い媼らの間でのみ伝わるものでございます。」

「弔いの道があるとは存じております。では弔いはつつがなく済んで?」

「済んでございます。」

 アコナは言って顎を上げた。他に何が訊きたいのだ、と尋ねるふうだった。

 ガラートは礼をし、面にこそ出さね、新たに口火を切るのをためらうかのようにしばし間をおいた。

「―――もし、ご存じであれば答えて頂きたい。あなたは亡くなられたシュムナ、ルメイよりもさらに高齢であられる。生前秘匿されたかの人の生まれ、両親の氏族、守女の任に就いたいきさつを知ってはおられまいか。」

 アコナの目は警戒するように光り、細まった。笑って見える口は合わさった岩のように動かなかった。

「男達の口の端に上ったところによると」ガラートは穏やかに続けた。「飢饉の時に赤子を救うための方策として、時のシュムナが後継を指名して育てたのだとか。」

 年寄りの目は深い皺の中に埋もれ閉じた。

「聞きただしてどうなさいます?」アコナの傍らにいたいずれ劣らぬ高齢の女が突然言い、案内して来た女もうなずいた。

「身内の者に報せもしようし、後の事を考えねばなりませんので。」

「報せる身内など―――。」年取った女が首を振った。

 肩の間に頭を埋めてうつむいているアコナを間にして、ふたりの老女は見交わした。いくぶん若い方の一方がためらいながら述べ始めた。

「きょうだいがいて丈夫な男児(イー)だった。卵がふたつに分かれた双子で、先に生まれた子で。妻を貰い、子にも恵まれ、年取ってからオルト谷に移り住んだとか。彼はきょうだいがあったことを知らぬし、もう死んだ者として暮らす私らにはここの外の事はわからないのでね。」

「するとルメイはもとはウナシュの一族であられましたか―――その頃はタフマイとの婚姻も許されてはいなかったことゆえ、両親ともに」ガラートは意外の感を声音に表して呟いた。

「シュムナに選ばれる者は血筋などは関係ない。双子を生かしておくためだね。」

 年かさの老女は鋭い声で続けた。 

「あの頃は今よりも暮らしが厳しかった。身体の弱い者、双子、わけても女の双子を産むと母親は途方にくれた。夫が恐ろしかったからだ。ニアキに帰らず冬に母子共に飢え死にする者もいた。そうならぬように母親が産み落として顔を見る前に身内の女が赤子を始末してしまうこともある。」

 オクトゥルはそっとガラートを横目で見た。ガラートは遮りも促しもせずに静かに待っていた。

「そうそう、()()がお生まれだった時もだね。」若い方が思い出したように言った。「男児(イー)が生まれたのを喜ぶ声がしたが誰も出て来ない。次のお産が始まったのだ、と誰かが言いだした。と、産婆と介添えの姉さん達が外に出された。当時のシュムナだけが産屋に残った。誰も、赤子もシュムナが帰る姿も見ていない。いくらなんでも、と、姉さん達が戻ると母親と男の児だけが寝ていたそうな―――十年ほども後になって()()()は村の用をする時に顔を隠した女の子をひとり連れて来るようになった。」

「顔を隠して?」オクトゥルが訊き返した。

「隠して。」年かさの方が言った。

「道理じゃないか。親には未練があろうし、顔立ちが縁の切れた俗世での血の繋がりを語らないでもないのでね。後継の身でいるうちは本人に鏡も覗かせないのではないだろうかね。」

 老女が言葉を切った折に周囲に漂っていた風、梢、小鳥の囀り、全ての音が凪いだ。

 ガラートが微かに胸につかえた声を上げた。その目は見開き、顔色はオクトゥルが今までに見たこともないほど蒼ざめていた。ふたりの女とオクトゥルとが振り向くと、彼は低く声を絞り出した。

「もしやそのような例が後にもあったのでは―――」

 まどろみから覚めたようにアコナはふと目を開け、しっ、と両脇をたしなめた。

「滅多なことをお言いでないよ―――そもそもシュムナを継ぐ者はもう誰の子でもない。守女(シュムナ)守女(シュムナ)だ。」

 アコナは挑みかかるようにガラートを見た。

 守女とは聖地とそこに住むサラミアの憑り人である巫女を守る役目を負った者である。存在することでイナ・サラミアスの森羅万象の営みを行う巫女に対して、守女は村の女達の実質的な営みをも守護する。人の身でありながらその仕事は広範に及ぶ。水の管理者であり、農耕の指導者、技能の指導者であり、産婆であり医師でもある。感謝をもって敬われる他にその労が報われることはなく、人々に混じって哀歓を分かち合うこともない。

「―――その守女にして仕える巫女の不在の時は」オクトゥルは独白のように判然としない声を傍らに聞いた。「またその人の系譜がむしろ―――」

「先代の決めた方がシュムナでございます。」

 アコナが邪悪にさえ聞こえる高飛車な調子で言った。

 ガラートは小柄な老女を威圧するかのように背をそびやかした。黄土色に皺んだ老婆は瞬きひとつしなかった。

「先代の決めた方が」老婆は重ねて言った。

 オクトゥルははらはらしながら両者を見比べた。愚鈍なほどに同じ言葉を繰り返し話の先を行かせない守りの砦はティスナに籠る老婆たちの常道だった。

 と、穏健なヒルメイの長は激情に突かれたように口走った。

神人(よりまし)も居らずシュムナも身罷られた今を(おり)に、(いにしえ)からのしきたりを改めてはいかがであろうか。」 

「何を、でございます?」

 アコナは心を動かされた様子も無かった。

「どうせ、夏の棲み分けの事だろう。男衆はすぐに若い女を引きとめようとする。」

 オクトゥルは、ひょっとして自分が“河向こう”に出かけていた折にでも、ガラートとヤールの間でこの件が話し合われ、ティスナに打診するような段まで決まっていたのだろうかと思い巡らせた。

 いや、この件についてヒルメイの中でもガラートほど昔気質な者はいなかったし、ルメイの死から主旨を変えたにしては、長たちの間で取り決める暇は一刻だって無かったはずだ。それは自分がずっと見ていたのだから間違いはない。

「私ら年寄りをここに置き去りにし、若い女だけをいつでも手元に置いておこうというのだろう?若い者が帰って来なかったら夏の田は誰が見る?おお、ニアキには河向こう(オド・タ・コタ)から運び込まれる穀物があるそうな。私はそんな事が本当なのか一度だって見た事は無いね。亡くなられたシュムナもだ。ご覧、私たちは辛抱して暮らしを繋いできた。そのうち足腰が立たなくなるよ。私たちが姉さん(イナ)たちを看て来た分を誰がしてくれるのだろうね?」

 石のように黙りこくっているアコナの横で付き添いの女がやや興奮してまくしたてた。一方、ガラートは一瞬にして表した激情を飲み込んでしまった。オクトゥルには自分の側に向いているその顔の傷が蒼い顔色の下にひときわ目立ち、今も苦痛を発しているかのように思えた。

「これから女衆がどうして暮らしていくか、追い追い考えなければ、というだけのことだよ。コーナ」

 オクトゥルは、言い訳しやすい相手を探すように老女たちの顔を順繰りに見たが、アコナはもとより、最も親切な女でさえ彼の声など聞こえないというふうであった。

「お察しのとおり、ずっと出ては立ち消えになっているお話だよ。男衆は離れていても女衆が達者か気にしているのさ。気に障るなら、まあ置いておくとしようよ。それはそうとして」

 オクトゥルは、誰も彼も苦心して場を取り持とうとしている自分など目に入らぬげに、それぞれの胸の内に籠ってしまったことにむかっ腹を立て、それなら誰かが彼を遮るまで好きに喋ってやろうと、どっかりと膝の上に身を乗り出した。

 いいあんばいで思い浮かんできた景色がある。丘の麓にぐるりと何層にも穿たれた畑、襞のように巡らされた水路。もちろん、叶うわけも無かろうが、この年寄りたちに少しばかり面白い夢を見させてやってどこが悪いんだ?

「―――今年からの田の水とティスナの守りをどうするかさ。いや、すこしばかり近づくのを許してくれれば男衆がちゃんと村を守ってあげるよ。問題は田を作る時の水をどこからもってくるかだろう?だって、田の水はティウラシレにある堰をシュムナが開けて流れて来てたんだろう?上の水が使えないとなるとどうする、女たちが細い腕で蚕湖(クマラ・シャコ)の水を汲んで運ぶのかい?大変じゃないか!いい考えを言ってあげよう。

蚕湖(クマラ・シャコ)のほとりにでっかい水車をつくるのさ。水を山腹の田へ運ぶ樋を通すんだ。この辺のちっぽけな木じゃない、麓から大きな木材を運ぶぞ。お任せあれだ。男は女よりもうんと力があるからな。女衆はきつい仕事をしなくていい。秋の祭りよろしく音頭をとっていい気にさせてくれりゃいい。近頃の若い(もん)は女房子どもが可愛いから、それで仕事がぐんと進む。河向こう(オド・タ・コタ)で見たそんな仕掛けを、あんた達に見せようってね。おれ達がそれを見て魂消たように、ねえ、かあさんたち、魂消るぞ―――あの大きな木の車が端からわずかな水を掛ければぐんぐん回って水を汲むんだからな。あれを作らせてもらえたら、ここはどんなに米が獲れるだろうね?」

 アコナは聞こえないかのように目元をぴくりともさせなかったが、口辺を笑いに似た形に歪ませた。

 オクトゥルは首筋にひやりと冷たいものが走るのを感じた。今にも女神の怒りの石礫が聖地の山腹から降って来て脳天を割るかもしれん、オクトゥルは腹の中で呟いた。一昨日前、一日に二度も地揺れがあったのを思い出した。

「水は上から来る。田の水は上から来るに決まっている。」

 アコナの傍らで付き添っていた老女はぴしゃりと言った。どうしてお前は子供の時分に見た事を忘れてしまったのだ、というふうだった。

「若い者が戻ってきた。落ち着けばもうじきに田に水を呼ぶ。(ヨーレ)を歌えば水は下りて来る。良い水も悪い水もティスナの水は白糸束が決めるのだ。秋は秋で取り入れが済めば感謝のヨーレを歌う。それで姉神(ベレ・イナ)は我々の望みを承知されて水がとまるのさ。」

 ほら、お決まりの繰り返しだ。だが、ここまで信じ切った調子で言われると、さすがにおれも女神が聞き耳を立てているのだという気持ちにさせられてくる。

「ベレ・イネの意思を伝えられる巫女はもう二年も前に亡くなっているだろう?」

 オクトゥルは自分にだけ分からぬ話の輪の中で密かに冷笑の網に込められていく居心地の悪さを覚えながら譲歩のつもりで言った。

 かつては()()()がいたし、その女が通りかかるだけで、皆が、話も胸の内で考えることさえやめて息を潜めたのは確かだったが。

「どうしてサラミアが願いを聞き届けたと分かるんだ。」

「分かるも何も」女は信仰心とは無縁なあけすけな軽蔑を込めて言った。

「麓でヨーレを歌えば、白糸束にいる者は堰を開けて水を流す、昔からそういうことになっているのさね。タナが居られようが居られまいがシュムナはそうなさってきたのだから。」

「そう、それだ」オクトゥルは思い出して呟いた。

「さっきから話を聞いていて変だと思っていたんだ。秋にはどうやって水を止めたんだ?シュムナはその頃には具合をわるくしていただろうに。」

「ヨーレを歌えば」老女は頑固に繰り返した。

「ヨーレ。いくらヨーレを唱えたって、上の堰を開ける者がいないと水を加減することは出来ないんだろう?だって、ルメイが亡くなって―――」

 はじめて若者の無知に気付いたというようにアコナが振り向き、皺の窪みの下から小さな、奇妙に澄んだ目でオクトゥルを見上げて言った。

「シュムナには後継がおられる。」


 ティスナの北側の蒼い山陰を歩いている間じゅう、ガラートは用のある時の他はひと言も話さなかった。物見所の見張り番の少年から、麓のオルト谷のウナシュの村に近い狩場で待っているというヤールの伝言を受け取った時でさえ、頷いたに過ぎなかった。  

 新しい門の守女(シュムナ・タキリ)に会わせて欲しい。

 会見の最後に、誇りも恥も捨て去ったかのように深々と頭を下げたガラートに、アコナは虚ろな物静かな面持ちで「それはためしのないこと」と言葉を繰り返した。

 ガラートはイーマの長が守女と会った事例をひとつひとつ上げて迫ったが、その例を示すごとにアコナはさらに気持ちを閉ざすかのようだった。ティスナを男が訪れた例のその多くは、イーマの民が不幸な出来事に見舞われて揺らいでいた頃に起きた事どもであり、アコナ自身はその貧しさと不安に満ちた時期に女盛りを費やしてきたのだった。

 二十二年前に長ならぬ男達がティスナを訪れた時は襲撃ともいうべきものだった。さらに十九年の昔に長たちが集まったのは赤子とその両親とを処罰するためだった。時ならぬ男の来訪はいつも恐怖であり、男が残す爪痕を死と忘却の山の深部に葬るのはいつもニアキから遠のき、ティスナに籠るようになった女達だった。

 ヒルメイの男達のすることといったら―――。

 ついに頑として口を閉ざしてしまう前にアコナはそう言い、首を振った。彼女は今はイナ・サラミアスの地を去ったクシュの血筋だった。

「他に許されるためしは―――?」

 重ねて問いかけるのを自ら言いさして止め、ガラートはその場を立った。

 亡くなったシュムナ・タキリ、ルメイの双子の兄だという男の名をようやく聞き出し、彼女が守女として生涯を聖地に仕えて過ごしたという事実の他は形見のひとつもないまま、ガラートとオクトゥルはまだ生きている老人に報せるべく麓に向かった。

 老人がこの報せに何ら感情を持つとは思えない。男にはティスナは五歳で出てしまえば縁の無い場所だ。殊に、四つの氏族の中でただひとつ習慣を変え、女達と暮らすようになったウナシュの者たちにとってはティスナは捨てて来た悪しき掟に閉ざされた場に過ぎない。

 そう言えばティスナは奇妙な場所だ―――オクトゥルは黙々と薄緑の枝の間を分け進む影を追いながら思った―――彼が幼い時に母と共に暮らし、今は可愛い妻子の暮らすティスナだが、一年の三分の一を河向こう(オド・タ・コタ)で商売をして暮らす彼から見れば、まるで古に閉ざされた別の世界のようだ。この二十年余りも前からイナ・サラミアスのイーマの暮らしは大きく変わったのだという。道具は精緻になり、住居や衣服には心地よく使いよい工夫が行き渡り、見た目にも華やかになったという。なのに、相変わらず、ティスナは彼の幼い頃の記憶のまま、古臭く、陰気で不便な年寄りのしきたりが頑なに守られているそうだ。  

 物見所のある見晴らしの良い棚から南西の方へ、上も下もすっかり芽吹いた山腹の森の中に入っていく頃、ガラートはあまり黙りこくっていてその理由を同じく黙っているしかないオクトゥルに考えさせるのも得策ではないと思ったものか、たわいもないことを少しずつ話しかけ始めた。

「ガラート、一体どういう訳だよ。」

 オクトゥルは少しずつ安心するにしたがって、ここ数日来押さえていた好奇心と不安とをぶちまけた。

「あんたの旅の理由を話してもらおうか。」

 しかしそう尋ねるとガラートはまた口をつぐんでしまった。

「ヤールに会って同じことを訊かれたらおれは見た通りの事を言えばいいのかい?古いしきたりを見直す機会が来たのではないかと言ったこと―――あんたが新しいシュムナに会わせてくれと言ったことを?」

「いや、ならぬ。私もあのように言うべきではなかった。アコナの警戒が強く、聞いてくれる様子のないのを、ニアキの権威をもって従わせようと、我を見失い感情がさせたことだ。あれは恥だ―――私がそんな気持ちを持ったと皆が知れば、イーマの民が道を守る事は非常に難しくなる。」

「本当のところあんたは“白糸束”までシュムナに会いに行ったのだろう?会えなかったのかい?」

 丸い葉を広げた枝越しに、先を行くガラートが額に手をやるのが見えた。ガラートは次に足を止める位置を指差して示し、先に沢の脇へと下りて行った。

 オクトゥルが雪解け水が激しい勢いで流れている水面に浸らんばかりに枝先を伸ばしている藪の脇にたどり着いた時、ガラートは水ですすいだ顔を拭い、手拭を懐に仕舞って鉢巻きを締め直しているところだった。傷の無い右側の横顔は二年前に河の向こうに去った年若い再従兄に似ている。ヒルメイの者には当たり前だが、彼らには父方と母方の両方で血の繋がりがある。

「―――一度入れば出て来られぬ。許される者はそれを諾った者をおいていない。」

 オクトゥルが追い付いて来たのにも気づかぬふうにガラートは呟いた。

「ハルイーはそれを破った。ラシースは逃れた。私は―――欺いた。」その手が側頭から胸元に移り、懐の合わせ目をつかんだ。「……どうなることだろう?」

「欺いたって?あんたが、誰をさ?」

 オクトゥルは聞き出そうとするのを諦め、ガラートの気を取り直させるためにわざとまくしたてた。

「シュムナの兄貴だという爺さんに報せに行って早く用を済ませようや。先にヤールと落ち合って一緒に行くかい。その方が面倒な説明が減りそうだけど。」

 オクトゥルはぐるりと見回して村のある谷筋から北側に広がるなだらかな森の一画を指差した。果たしてその麓の方の沢筋の、昔ただ一度製鉄が行われたと知られる“鉄吹き沢”の若い林の生い育ったあたりから一筋細く煙の上がっているのが見て取れた。

「そうしよう。」

 ガラートはオクトゥルにひと休みする間も与えず、ずっと下にある浅瀬をさして素早い小刻みな歩調で下って行った。


 南の物見をその上に置いた切り立った山壁の麓、ティスナの方角から下りて来る水脈のひとつを有する谷あいに沿って、ウナシュの村は小さな集落をつくっていた。

 人々は、時には昔のとおり北西に広がるオルト谷の森に狩に出、あるいは季節の恵みを採集に出かけたが、一年の主たる営みからはすっかりイーマらしいところを失くしていた。森を密に植え込んで周囲を目隠しした中にひとたび立ち入れば、木立ちの小島の点在する広々と天日のもとに切り拓かれた畑に、男も女も入り混じって耕作に勤しんでいるところは、あたかも河向こうの自作農の地所のようであった。

 ウナシュの村がその背後の山腹に築いた地中の窯によって短い栄華を誇ったのも今は昔のことであった。アツセワナの商人がオルト谷の土で焼いた器を求める事はとうに無くなり、細々と民の要望に応えて焼いていた甕も、アツセワナに出向く“絹の遣い”が鉄を代えて買い求めて来る安価なアツセワナの陶器に負かされ、ほとんど作られなくなっていた。今では村の中で用立てるわずかな器と、たまさかに訪れる他の氏族の男達が求めていく分だけが年に二度焼かれていた。短い時間に腕を磨いた陶工たちは息子たちに技を伝えるまでもなく狩人に樵に、あるいは農夫に戻っていた。しかしまた、早くからタフマイとの結婚を自ら許していた彼らは、縁の深いこの氏族の商いや旅の準備地、中継地として宿を提供し、下支えをして暮らしの足しにしていた。それゆえ、春の雪の解けたこの時節には、コタ・シアナの増水に合わせて切り出した木材を売りに行く者、狩に山に入る前に英気を養おうとする者がしばしばこのウナシュの村で顔を合わせることになるのだった。

 秋冬をニアキで過ごした者たちは、それぞれの班に分かれて山に入り、初めの足掛かり或いは休憩にウナシュの村に寄るのであった。ヒルメイのガラートがウナシュの村に入った時、既にオルト谷の南に狩に出ていた班と上で木材の切り出しに出ていた班の者たちが立ちより、狩の成果や駄賃と引き換えにもてなしを受けていた。

 日当たりの良い小さな広場と言ったところで声高に話をしている一団を見つけ、自らもそこに加わろうとして、オクトゥルはちょっとガラートを気にした。

 頻繁にアツセワナまで出かける者たちにとってはもうとっくに見慣れた、高い声音で同時に議論しあう男達や明るい場所に出された酒器、土地の男は中心に大人しく埋もれ、その妻や娘が近くまで給仕に回ってくる、そんな風景が繰り広げられていた。少し離れた周囲の林では様々な齢の少女たちが手仕事の傍ら子供を遊ばせている。給仕に来る中には腹の大きい女もいる。

 ガラートは一同の中に狩の班に混じって来ていたヤールを認め、近寄って行った。ガラートに気付くとヤールは、すぐ傍に座っていた村の男に、女のしつけが悪い、娘も孕み女もこんなに客の近くに寄って来るとは、とこぼして立ちあがった。

「近頃の娘は詮索好きで困ったものだ」村の男は言い訳するように言った。

「餌付けに慣れてしまった穴熊みたいなものだな」オクトゥルが軽くからかって言った。

 娘たちは顔を見合わせ、ちょっと鼻を鳴らして林に逃げた。木の下に来るとそのまま逃げずに互いに何か言って忍び笑いをし、そのままこちらを見ている。

「厚かましい」

「肝の太い」

 男達は少し驚いたように声をひそめた。村の男はむっつりと眉をひそめ、片づけをさせるために大声で女達を呼びつけた。

 ヤールはガラートに旅の首尾を尋ねた。ガラートはティスナの女達から聞いて来た老人の名を言い、村人に案内を請うた。

 南の物見を通じてニアキに門の守女(シュムナ・タキリ)の死が伝えられたのと同様にウナシュの村にもその死は伝わっていた。が、より淡い感情でもって受け止められていた。

 ルメイの兄だという老人は、ニアキの長たちの告げ報せたことに戸惑ったように頷いただけだった。

既に亡き妹のあった事は老人には何ら喜びをもたらさず、老人の息子には、亡き人との繋がりを盾に親族に新たに負担が課されるのではないかという猜疑心が襲った。彼は旅人たちのその晩の宿主を買って出たものの、炉端の主の座にあって言葉少なく、珍しげに訪ねてくる他の家の者が炉端に押し掛けるのを渋い顔で眺めていた。

 ルメイに後継がいるという話を聞くと、ヤールはうんざりしたように横を向き、杯をあおった。そのまま立膝の上に肘をつき黙り込んだ。

 後からやって来て戸口側に座って成り行きを聞いていたタフマイの男達は、話を自分たちの仕事の報告に代えた。

 “切り出し”の頭は出荷の予定の木材は確保したものの、樹木の生育の様子は思いのほか芳しくないと告げた。

「向こう何年あまり実入りは見込めまい。」男は事前に森の下見に回っていたハルイルの息子たちの報告も合わせて言った。「数も出なければ値もつかん。」

「ちょうど要望も減っていたところだ、ゆっくり森の回復を待とう。」ガラートは言った。

「だが金子に替えられるものが乏しいと先行きが心細い」狩に出ていたものが首を振った。

「獲物が無いではないが毛並みが良くない。」

「同じことだな。高値がつかないのは。」木材の運び出しに集まって来ていた者が言った。

「数が無いよりも困る。値は落ちると戻らない。」

「では無理をせずに我々の用に使うことにしよう。」

「だが(アー)、金が無いのは色々と困るんだ。いざ舟を頼む時に、クシガヤの連中はもう金と交換でなければ応じてくれない。陸の物と水の物を交換するのでさえ金に換えないと駄目なんだ。魚を譲ってくれるのは年寄りだけだよ。それもわずかだ。筏流しや、渡しさえも減っている。若い者はアツセワナに働きに行く。イナ・サラミアス(ここ)から商いの品を運び出す手立ても失くしかねないんだよ。」

「わしらが仲介になってクシガヤの奴らに仕事をやっていたというのに。」村の男は慌てて言った。

「恩知らずめ」

「クシュのメムサムの倅どもが子供の時分にはよくここに呼んでやったのにな。末っ子は長いこと姿を見ないが、兄達はもう長いこと筏を流すのをやっている。」

「金を取るだろう?」

「仕方あるまいが!あれも生きていく途だ。」

「もとは同じイーマだというに。」

「出て行った者のことは言うな―――クシュも我々も山を下りた事に変わりはない。昔と今では生き方が違うんだよ。」

 伐り出しの頭はそう言って、次の森に回るために若い者を呼んで席を立った。狩人と村の者が何人か続けて席を立った。少しばかりゆったりと空間のあいた場には、家の主とその兄弟、訪ねてきた長ふたりとその同伴の、主に交易を受け持っているタフマイの者たちが残った。

「絹も我々の強みとは言えなくなった。高貴な家でのみやり取りされていたのは昔のことだ。下々の出かけるような市に出るようになった。」

 改めて輪を作りなおすと、新しい題を切り出すように商いの長のひとりが言った。

「絹の値を落としているのは我々ではない。」ガラートはきっぱりと言った。

「アツセワナのシギル王は相当な鉄を代えてくれている。」

「しかし、去年の秋、市では十セラばかりで売られていたぞ。」

「アタワンの絹だろう。まがい物にどんな値がつこうと」だが、ガラートは言葉を切った。アタワンの絹が安値ゆえにイナ・サラミアスの絹も相当の値では売れないのだという報告は既に三年ほど前から受けていた。

「絹と鉄はまだいいさ、シギルに守られた道筋で城内まで入って行って、決まった値で交換されるんだからな。オクトゥル、アツセワナの城郭に入って商売をするあんたはシギルの客人だ。だが、おれの行くところはそうじゃないんだよ。連中は我々の顔と(なり)を見て売値を吊り上げ、あるいは買い叩く。」

 頻繁にアタワンの市とアツセワナの北に商いに出ている男がこぼした。

「ものの良し悪しとは関係なくだ。」

「なんだよ、せっかくの主のもてなしが辛気臭くなるじゃないか。高値がつかないって、そりゃそいつがほんとに欲しくないなら片付けて帰ればいいのさ。」

 オクトゥルはいなすように言ったが、男は口を曲げてうつむき、杯をつかんで口元に運んだ。

「他に相手がいるって思わせぶりをされて恋々としてる、坊ずと娘っ子の戯れみたいだな。」

 さらにからかうのを窘め、ガラートは男に顔を向けた。

「タフマイの各々の商いについて私には意見をする口はない。私が目を配るのは飽くまでも絹と鉄の交換が公正に行われているかどうかであり、鉄と相応の値に定められているキーブによって我々の生活の不足を賄えているかどうかだ。」

「それがうまくいっていないんだ。鉄をキーブに替えるところまでは問題ない。だがその先だ。その先でアツセワナの者は値を変える。我々とは対等に取引をしてくれないんだ。」

「それに(アー)、あんたは与り知らぬというが、あんたの監督する鉄と絹との交換もいずれ行き詰る。絹はすでに真似されている。やがて市中の誰もが持つありふれたものに落ちぶれ、飽きられ、労力に見合う商品にはならなくなるさ。いや、そうなる前に、シギルの好意が頼みのこんな取引はあと何年もつことやら?」

「そろそろ絹よりも鉄よりも強いものが要るということなんだろう。」他の男が言った。

 ヤールが立膝の上から身を起こし、ひとわたり、しんと黙り込んだ男達を眺めた。

「あのう、大事なお話の途中だとは存じますが」老人の息子が我慢しきれなくなって言った。「先ほどからどうにも気になって仕方がないのでございます。」

 ガラートが振り返った。

「ご主人、すまない。報告だけのはずが居座ってしまって」

 男が首を振った。

「守女さまが亡くなられた、それが驚いたことに私の叔母だということでございましたが、身内の私どもにはもう娘を差し出さねばならないような事はありませんでしょうな。申し上げた通り、このことは全く寝耳に水でございまして。」

「安心されよ。先に言った通り、既に新しいルメイがいる。」

 ガラートは言い、主のいる炉の向こう側の奥の帳が少し開いて隙間が生き物のように呼吸し、影がちらつくのから目を逸らせた。

「本当なのか。会ったのか。」突然ヤールが言った。

「いや」

「ならば本当に後継なのか分かったものではないな。」

 取るに足らないことだとばかりにヤールは言い捨てた。

 主の後ろの帳が大きく揺れ、その陰からはっきりと二、三人の娘たちの覗くのが見えた。それだけではなく、十四、五歳と見える娘が壺を胸に抱え、そこに座っている親族の男達の間を縫うようにして炉を回ってやってきた。ティスナで暮らす娘たちに比べ肉付きが良く頭髪も厚い。耳元に挿した雪割草は芽吹いたばかりのところを摘まれ、重い頭を潮垂れている。気付いた主は猫を追い払うようにしっ、と囁き、手を振った。娘は意に介さぬように座っている男達を見回した。村の者は顔をそむけたが、外から来た何人かの若い男が顔を上げ、ちらと笑顔を返す者もいる。

「娘か、ご主人。」

「しかし、」村に定住する前の暮らしを覚えている年配のウナシュの男が灌漑深げに言った。

「サラミアその人と呼ばれたタナが亡くなり、長年聖地の守をして来られたシュムナが亡くなり、イナ・サラミアスの守りは確かであろうか。その後継というのは、年のいった方であろうか。」

「若い」ガラートは答えた。「―――十二、十三にもならぬか。」

「我らの郷の守りをいう時に何故、巫女だの守女だのというのだ。」

 タフマイの若い者をまとめる主幹のひとりが言った。

「我々はずっとコタ・シアナを見張ってきた。河向こう(オド・タ・コタ)に出向いて顔を繋ぎ、数と力で勝る相手と対等な交渉を続けて来たのだ。女が何をした?神人(よりまし)が何をした?女達を守り、外から運んできた穀物や良いもので養っているのはおれ達だ。」

「それでもな、タナのあの力を直に見た者は、神人(よりまし)の血を引く女子を仇や疎かには扱えぬよ―――崖が崩れ落ち、山から転がり落ちた石が河向こう(オド・タ・コタ)の呪い師を下敷きにしたのをこの目で見た者にはな。」

「風がおきたの、山が動いたのと偶然に過ぎぬ。昔話には枝葉が繁るものさ。その先代のシュムナというのはヒルの血筋でない、ここの縁者の女だろう?誰でも周り合わせで守女の座に就く。タナだって綺麗だったが畢竟ただの女だ。―――ヒルの血筋といえばここにいるアー・ガラートもそうだろう。」

 主幹は慮るように落とした声をまた盛り返して続けた。

「神人などを通して山に伺いを立てる、そんな煩わしい政をいつまでやるのか―――大人の男達だけで協議するニアキの会議だけでも物事を決めるのに時間を取るというのに。民の政をどうするのかいずれ話し合わねばならぬ。いや、早晩会合をもってニアキで方針の変更を協議すべきだ。」

 娘は、若者たちには知らぬ顔で人々の間を縫って炉のそばまで進み、壺を捧げてかがみかけた。

「これ、(アー)にそんなに近づいて……。厚かましい()()だ。」若者のひとりが眉をひそめた。 

「酒が足りないのかと思ったの。」

 ヤールが框を拳で殴りつけた。酒器が倒れ、娘は飛び退った。主は慌てて叱った。

「下がれ。この旦那がたは話をしたりものを飲み食いする時に女がいるのは好まない。そんなのは夫婦になった者だけとすることだ」

 娘は戦きながら壺をそこに置き、くるりと素足の踵を返して逃げ去った。厨の周りから複数の足音が慌ただしく散って行き、静まり返った。もう、蚊の唸るようなさざめきは聞こえなかった。

「恥ずかしいがこうなるのも道理でして」

 裏に飛んで行って娘を叩いて戻ってくると主は頭を下げ、早口で呟くように言い立てた。

「クシガヤの()()()()どもの話を聞いて、河向こうに奉公に出たいなどと言い出した。機を習って羽振りが良くなって帰って来るのを見ましてな。それで他所から人が来ると旨い話でも無いかとしゃしゃり出る。―――このままでは今に間違いが起こる。」

「お前たちも相手にするから悪い。」ヤールは声を大きくして若い者たちを叱りつけた。

「西の、宿屋の給仕女のような真似をする小娘に―――間違いが起きてもおれは、知らぬぞ」

 主はうつむいたまま唇を噛んだ。

「亭主、娘に手を上げるのは良くない。」

 ガラートがそっと声を掛け、立ちあがった。

「せっかく授かった愛しい子ではないか。良い連れ合いに縁付くよう祈ろう。」

 オクトゥルは、主人にもてなしの礼を言って席を立ち戸口から出て行くガラートの後ろを追い、手回りのものをかき集めて、炉端に銀を一枚置いて慌ただしく立った。

「亭主、堅餅一()、燻製と酒を少し頼む。(アー)は外に宿りをするから泊りの用意はしなくていいよ。」


 ガラートがティスナから戻り、先代のルメイの出生と死、新しい門の守女(シュムナ・タキリ)の存在をオルト谷に集まった男達に伝えてから後、(アー)等の発った村から後を追うようにして、聖なる川(コタ・ミラ)の谷の近くで草木の若芽を採りに出かけていた娘たちが怪しい者の姿を見た、という報せが届いた。

 ヤールは、ウナシュの村に住む者も含め、後に残して来た若い者たちに風紀を引き締めるようにと言い渡して遣いを返した。ところが、返した者と入れ替わりに村の大人達が一団をなして追いつき、ふたりの若い長に、何者かが夜陰に乗じて村に乗り込んで盗みを働き、若い娘をさらっていったと申し立てた。

 ガラートは直ちに二十余名の弓手を送ってオルト谷からコタ・シアナの沿岸一帯を追跡させた。クシガヤに向けて警戒の合図の笛を鳴らさせ、下る舟を止めるようにと通達した。笛の合図はコタ・シアナ沿いに稜線の端々を繋いで鳥の飛ぶように下って行ったが、賊は既に去ってしまったものか、コタ・シアナの流れが葦の原の間に広がり、急いた勢いを解放されたエファレイナズの空の下に潜めてしまうまで、その影を見咎められることはなかった。

 ウナシュの女達は村の奥の家に匿われ、男達は集落の外で警備に立った。ふたりの長は素早く相談し、コタ・ミラをティスナ近くまで調査した。異国の者はおろか、民の者さえも踏み入るのを避ける聖なる川の岸辺の苔や小木の茂みには幾らかの侵入の痕跡と、さらわれた娘の落としていった彫り模様のある、樹脂と染料で色付けした珠飾りが見つかった。

「汚いことをする。」

「片付けろ。」ヤールは、獣を屠って食った残骸を見て助手に命じた。

 ティスナの女達の安全を尋ねに行ったタフマイの少年が戻って来た。ウナシュの村の事が起きる直前の夕刻に、曲者が集落の外縁部から窺っていたが、気付いた女達が鬨の声を作って脅し追い払ったのだ、と番の媼から聞いて来たことを伝えた。

 少年は足に軽い刺し傷を負っていた。ティスナの集落の周りに撒かれた菱で傷つけたのだった。男たちが集まる“(かね)吹き沢”に辿り着いた少年は、報告を終えるとさも痛そうに足裏をつかんで上に向けた。

「ティスナの村は無事です。みんな、無事です。」少年は、うわの空で媼たちの言葉を伝えた。

 少年がそう報告する折から、その言葉に食いつくように重い大気の唸りが谷の背後の峰に湧きおこった。黒い雲が峰の頂を覆い、厚く天にそそり立って天空の臼を擦るように稲妻を挽いているのだった。

 突如降ってきた雨が焼き固まった地面に跳ね、たちまち少年の足元に赤い水たまりをつくり、流れ出した。

「血だ、血だ」少年が叫んだ。

「―――こうして水も流れ、穢れを洗おうとするのだ。」

 ガラートが呟き、少年は蒼い顔で足元を見つめた。

「馬鹿、錆びた鉄の色だよ。お前さんの傷は浅い。」

 オクトゥルが少年の表情に気付いて慌てて叱った。

「報告が済んだらさっさとあの沢の下の古い小屋へ行け。弓手の衆が休憩をしている。そこにいる誰かに手当てをしてもらえ。」

 少年は怪我した方の足を爪先だけつけながら、急いで滝のような雨の中を教えられた小屋の方へ行った。

「どうした?」

 ヤールがガラートに近づいて言った。

「雨が降った。それだけのことだ。賊の手掛かりは見つからぬし、この天気は我々の追跡を邪魔し、曲者が逃げるのを助けるだけだ。」

 ふたりの目の前の沢はたちまち煮え立つような轟音を立て始めた。ヤールは怒鳴るように声を高めた。

「もう、捜索は続けられぬ。高台に見張りを残して引き上げさせよう。娘たちが堕落して自ら招いた結果だ。ウナシュの者には外よりも内を見張れと言っておこう。」

 雨を逃れた者で溢れかえる小屋の軒下にどうやら身を収め、ヤールは意気を吐いた。

「まさしくイナ・サラミアスの守りをどうするか近く皆を集めて協議せねばならぬ。新しいシュムナがどんな手立てを講じたか知らぬが、女達はティスナの周りを守るだけで精一杯のようだからな。」

 それから数日の間、高く雲が沸き立ち、激しい風と雷を伴う嵐が訪れた。

 オルト谷から空模様の小康を縫ってニアキに戻って来たイーマの長たちは、天候が落ち着き次第ニアキにおいて集会を行う旨を、各地の男達に伝えた。狩りに出ていた班のいくつかはすでにニアキに避難していた。数日のうちに、侵入者の追跡とさらわれた娘の捜索に出かけていた者たちも戻って来た。

 姉神(べレ・イナ)の背に沿って現れた黒雲は重い大粒の雨を吐いて通り過ぎたが、その後から新手の雲がいつ果てるともなく連なり、難を避けて逗留する人々が息を潜めて嵐の明けるのを待つニアキの上の山腹でも、幾つもの木が落雷で燃え、土が水で流され集落の水場のある谷間を埋めた。

 ようやく雨の止んだ日、アー・ガラートとアー・ヤールはニアキに食糧の不足している事態も踏まえて、雨の被害のひとわたりの調査と狩を終えた五日の後、ニアキに再集しようと宣言した。

 ニアキに老人たちとガラートを残し、ヒルメイのハルイルの息子たちは中の嶺の上の尾根筋を見回りに行くと言って出かけ、ヤールはタフマイの男たちを連れて北を指して出かけた。オクトゥルは久方ぶりに弓を手にしてヤール達について行った。

 春は鳥獣の子の育つ時期でもあり、獲物の判別には慎重にならねばならぬ時期だった。雨に降りこめられ、晴れ間に餌を求めて出て来る鳥獣には事欠かなかったが、一度腹具合が収まると狩人たちは、次のニアキに持ち帰る獲物にはもう少し気をつけようと密かに思った。

 樹木の見回りなどはヤールの得手とするところではなかった。したがって、しばらく前までガラートに同行していたオクトゥルには仲間たちの森を抜ける足取りは、目的地を遠く一点に置いた時の移動の他の何にも見えなかった。

 ニアキの水場の渓流に沿って一度西へ下り、なだらかな棚地になった森を本流を北へ離れて下って行くと、額の嶺(ベレ・サオ)と中の峰との渡りの峰、イナ・サラミアスの言わばうなじから喉元に開けた“鷲谷”とベレ・サオの()の大滝からの流れの合わさったコタ・シアナの源流が貫く大渓谷に面したなだらかな広い山腹に出る。芽吹きの遅い、木々の間からは遠く渓谷の向こうのベレ・サオの右頬から顎にかけての山容が見て取れた。

 ここに来てはじめて森の視察の任を思い出したかのように、男達はやや狼狽の気味を交えて驚きの呟きをもらした。

 深い積雪により例年より長く隠れていたベレ・サオの面が先ごろの雨により雪解けを促され、現れていた。春に起きた二度の地揺れによるものか、それとも激しい雨が引き起こした雪崩に表土をもっていかれてか、ベレ・サオの頬は痩せ、まろみを減じたようだった。そして、冬の雪のベールが解け去ると間断なく落ち続けるはずの大滝の水が、どこが水脈を止めたのか、すっかり干上がり、痩せた目元の岩盤の窪みを露わに見せていた。

「滝の滞ったベレ・イナは美しいとは言いかねる。」

 目をすがめて一瞥し、山に背を向けてヤールは皮肉を言った。他の者はさすがに声に出して女神の容貌を評することを恐れたものか口をつぐんだが、オクトゥルは仲間たちが誰ともなく囁くのを聞いた。

 サラミアは老いたか。いや、最後の神人(よりまし)の死とともに山の面に表れる魂も失せたか。

「だが、むしろ小娘にも見えるな。」ひとりの男がこっそりと呟いた。「それも若い若い、ようやく女になるかどうかというところだ。」

 オクトゥルはいくぶん遠慮がちに鷲谷(シグハマ)の上の山陵を示し、言った。

「あの斜面は早くから陽が当たるはずなのに、色が土の色のままだ。ここからじゃ、どのくらい地面が削れて木が流されたのか分からない。もう少し東寄りに下りて鷲谷の上を周り、ベレ・サオまで行ってみようか?」

 ヤールは肩越しに目をくれた。古参の者数人が少し離れた谷側で休憩していた。

「見に行ったところで、あの場所は人が木を植え付けても根付かぬ。せいぜい出来るのは羚羊どもが荒らさないように間引くことくらいだ。そこの三人でいけ。日暮れまでに戻って来い。後の者はおれと一緒に残れ。長手尾根まで見て来るんだ。」

「おれも行きたいな。長いことベレ・サオの顔は間近で拝んでないから。」

 オクトゥルが言った。

「お前には話がある。」

「戻って来てからじゃいけないかい?今晩はここで野営だろう?アーヤール、あんたたちには谷のこちら側を見て貰って、おれはこのご老人たちを手伝って向こう側をもっと詳しく見て来るよ。せっかくだから雄を一頭間引いて来よう。そろそろまた新しい肉と皮が欲しいんだ。それにちょうどそこの下の水で血を濯げる。」

 ヤールと残りの若い者を残し、オクトゥルは古参の男達と北の方へと下って行った。山腹は渓谷に沿って丸く丘をなし、その下にさらに平らな長い棚地になった森がある。日照の短い斜面は芽吹きがさらに遅く、下から伸びて来る大木の枝もその密な梢に葉は乏しい。北東へ北東へと移動しながら、透いた木々の間からは常に谷の対岸の長い壁が見える。陽の当たるそちらも新緑の色は冴えなかった。 

 一昨年前に“黄金果の競技”の行われた場所だ。アツセワナのシギル王の気まぐれで、王女の婿選びの競技がこのイナ・サラミアスでも屈指の険しい渓谷の中で開かれた。話に聞く二十二年前の競技には遠く及ばぬ規模であったそうだが、競技のさなか山中に忍び込んでいた河向こう(オド・タ・コタ)の男が死に、あるいは負傷し、それが入山を許可された競技者でなかったことから、ちょっと騒ぎが起きた。あらましを知っているイーマの民の若者が詮議の最中に逃亡し、そのまま河の向こうに追放された。

 ラシースが懐に黄金果を隠していたらしい事は友達の間でちょっとだけ噂になり、すぐに静かになった。追放された者の名を口にするのは禁忌であったからだ。彼が人殺しに手を染めたとか、どこか河向こうの陰謀に加担していたなどと考える者はいなかった。ただ、いったい黄金果をどうするつもりだったのだろう、と皆は不思議がった。

 もっとも、アツセワナとの関係を緊張させたこの事件も、ガラートとシギルの腹心トゥルドとの話し合いによって祭りの日没とともに終わった。去年はとんとこの場所には来なかった―――民の誰も、森の見回りにも狩りにも行かなかった。

「増えすぎて困る羚羊というのはどこにいるんだろうね。」

 自身が羚羊でもあるように、先頭を跳ねるように下りながらオクトゥルが尋ねるともなく言った。

「ヤールがこの下の森まで狩に行くのを見た事がない。」

「奴さんの父親はこの先で死んだからな。」

 振り向いて目の合った古参の狩人は顎をしゃくった。男達はヤールの父の頃から狩や商いを共にしてきた者たちだった。

「競技の後、行方知れずだったアツセワナの男共と一緒に源流の岸で見つかった。ほれ」

 男はオクトゥルを追い越すと、下の森の中に渓谷に向かって薄っすらと走る陰の帯と飛び石のように並ぶ亀裂の奈落の一端を示して言った。

「喉元に落ちたんだ。かの女(タナ)は嚙み砕いた()()が気に入らずに吐き出した。」

 一同はなだらかな森の中を下って行き、坂のふもとを流れる浅い沢を渡り、しばらく前に上から見下ろしていた平らな棚地になった森に合流した。鷲谷の際の崖とその向こうにさらに近くなったベレ・サオの頬が見えた。

 男は、頂にまつわる雲の下から覗いている切り立った額の岩山とこめかみからうなじまでの稜線を描く針葉樹の畝、低い広葉樹の梢がなだらかに覆っているはずだった痩せた土の山腹を指差した。山腹は明らかに削れて落ち、ベレ・サオの顔の相を変えていた。

「なるほど、近寄れぬ」オクトゥルは呟いた。

「あそこを羚羊の群れが下りて来た。」

 男は昔話の続きをした。

「羚羊が鷲谷の近くまで下りて来る事は滅多にないんだ。昔からあそこには()がいるからな。だが、あの時は、大滝の岸から上がって来た競技の連中を、それこそ鷲の巣に追い落としに掛かるように、滝の上の岩山から突進してきたんだ。」

「不思議な事があるもんだ。」オクトゥルは呟いた。「おれはまだ一度にそんなにたくさんの羚羊をみたことがないよ。」

 男達はいずれもベレ・サオの滝水の絶えた剥き出しの暗い目から顔をそむけ、そそくさと西へ向きを変えて、渓谷の、先ほど話に出た亀裂の方へと向かって行った。

「ここだ。」

「なるほど、二年前の“黄金果”の時もここに落ちたアツセワナの者がいた。」オクトゥルは覗いて肩をすくめた。

「トゴ・オコロイはどうして落ちたんだろう。この場所は良く知っていただろうに。」

「揉みあいになって突き落とされたんだ。」

「誰に?」

「―――亡くなったタナに」男は辺りを憚るようにごく低い声で答えた。

 森の奥に開いた穴は細い亀裂につながり、崖の方に行くと急にぱくりと大きく開いていた。端から覗くと水の引いた河床が見え、崖の下から流れ出て削れた溝がひとつならず源流へと向かっていた。崖の下が亀裂と水の浸食で中でつながった暗い迷路をつくっているのをオクトゥルは知っていた。

「おや、あんなところに舟が上げてあるぞ。クシガヤの舟ではないな。誰か、来ているのか?商人か?」

 オクトゥルは指差して小さく叫んだ。崖の下に潜り込むようにして刺さった舟が水辺に突き出た艫を揺らしている。

「コタ・イネセイナで見かけるような(やつ)だ。どうやってここに来た?何者だ?」

「知らぬ。昨年から何度も見かける。顔ぶれは入れ替わるが二、三人だ。この平より上に来た事はない。」

 人の姿は見えなかったが、舟の隠した洞の下から湧いて出る水の帯はその下に濁った泥の煙を吐いていた。

 年取った男達は亀裂の通った穴の傍に行き、オクトゥルを手招いて、黙って穴に耳をすませるように手真似をした。

 オクトゥルは半ば開き口を藪に覆われた穴の上にかがんで耳を傾けた。内側の下の方から固い堆積岩を打ち欠く音が規則正しく、かすかに響いて来た。両手を耳の脇にあてがいさらに低くかがむと、より確かな音と、光を遮られた穴の深部で松明の火影の照り返しと思しき微かな照り返しが暗闇の中で閃いた。舟でやって来て岸の洞にもぐり込んだ者たちは中をさらに掘り広げているのだった。 

「ヤールはおれに話があると言っていたが、何の話なんだろう?」

 穴の上から身を起こし、しばらくしてオクトゥルは言った。

「ヤールがお前さんと話がしたいと言ったのは仲間にするためだ。」男は言った。

「ヤールとは再従兄弟だよ。それにおれに敵なんかいない。そいつのすることが真っ当なら味方するし、そうでなくても仲間はずれにするのは好きじゃない。」

「人が仲間が欲しいという時は、ものの理屈が通っているかとかお前の心に恥ずかしくないかと尋ねている訳じゃない、ただ()()が欲しいってことだ。」

 老狩人はオクトゥルの前に回った。

「いつだってそうだよ。ヤールの父のオコロイもだ、加勢が欲しければ同胞(きょうだい)と呼び、競争相手に耳を貸そうとすれば仲間への裏切りだと言う。この成り行きでいけば、ヤールがお前に話があるというのは、次の集会でヤールが何を提案し、何を決めるにも彼に票をいれろということだ。」

「で、一体何を提案するんだ?」穴の縁から谷へとつながる亀裂を眺めながらオクトゥルは尋ねた。

「そんな事は知らん。」男は言った。

「じゃあ、どうしてあんたは彼の父親が死んだ場所を見せたんだ。」オクトゥルは尋ねた。

「どうしてここに乗りつけている異邦人の舟のことやトゴ・オコロイの裏切りの事を話したんだ。」

「ヤールは年寄りの話を聞かない。」老狩人は言った。

「若い者のやり方を試させろ、この偏狭な山奥でなく、外の新しい世界の考えを入れろ、と言う。よかろう、お前はヤールよりも若いし奴よりも向こうの世界を知っている。お前は風のように自由でよい。それでも釣り合いのとれた目を持っているからな。だからつまらぬ同族の義理などに縛り付けられず、その目で見、自分で考えるがいい。」

 年取った狩人は言い、連れの男達もうなずいた。

「ヤールは父の事を恥じているから、オコロイがタナをトゥルカンの手の者に売ろうとしたことなど、年若いお前たちには決して教えまい。」

「ヤールも本当のところは知らんのかもしれん。」

「だがな、もし、あの時勝ったのがハルイーでもなくシギルでもなく、トゥルカンの手下がタナを生捕っていたら、そしてオコロイが生き延びてトゥルカンの覚えめでたくイナ・サラミアスの鉱山(やま)の総督にでもなれていたら、ヤールはお前たち若いのを絹の商人でなく、穿場の監督にでも仕立てて親父の自慢をしていたことだろうよ。」

 男は渓谷の向こうの水の涸れた滝に目をやり、その目を逸らして片方の口元をにやりとさせた。

 穴を打ち欠く音は途絶えていた。タフマイの男達は棚の端まで行き、渓谷に面した下を覗いた。短く言葉を交わす声が聞こえ、砂煙を吐いていた流れから舟が姿を現わし、漕ぎ手とひとりの男を載せてコタ・シアナの源流から渓谷を下って行った。舟の去った洞の下から水を撥ねて歩く二、三人の足音が奥へと戻って行き、やがて再び下を打ち欠く音が響きはじめた。

「地蜂ども、上から煮え湯を注いでやろうか。」オクトゥルは呟いた。

「そうせねばならぬ時には確かにおれ達がしてやるよ。」狩人達は頷いた。「いずれ、ここから出てこようとするだろうからな。」

「あの舟に乗って行った奴、アツセワナの市で見かけた商人だぜ。」オクトゥルは言った。「がらの悪い、けちな物売りをしている男で。」

「トゥルカンの手下かね?」

「どうして、どうして!そんなことを言われたらトゥルカンが恥ずかしがらなきゃおかしいや。」

「漕ぎ手はどこの者だ?」

「あまり見かけないがチカ・ティドか、ベレ・イネの山の者に似た顔をしているね。この下に潜っている奴らもそうだろうよ。連中、アツセワナでは城郭の中にも入れてもらえないんだ。」

 男達は顔を見合わせた。

「よし、坊ず。お前はアツセワナの事もイネ・ドルナイルの事も知っているし目端も利く。何処ででもやっていけるだろう。もしも、イナ・サラミアスの守りが破られて若いのが河向こう(オド・タ・コタ)にさまよい出ることになったら拾ってやってくれよ。」 

「おれが、この事をヤールに伝えてもいいかい?」

 オクトゥルは眉をひそめて言った。

「ヤールがこの事を知らないのはやっぱり公平じゃないからな。」

「ヤールにはもう知らせてある。」狩人は言った。「ヤールは捨て置け、と言ったんだ。奴らの頭が誰であろうと、我々に勝ち目は無いと分かっているんだ。おれもそう思う。でなければ、とうに奴らを平らげている。」

「ガラートには?」オクトゥルは憤然として言った。

「だって、あれがただの鼠でなく、誰か名のある者の手先だったら、それはエファレイナズの王シギルの責任だ。ヤールと共にイーマの(アー)であるガラートがシギルに申し立てなくてはならない事だ。ガラートに報せなくてどうする?」

 狩人は首を振り、仲間と見交わしたが、彼らに諮るように慎重に言った。

「お前の判断に任せよう。ガラートに言う前にヤールに止められるだろうがな。ヤールはガラートが邪魔だ。年も近く仲が良かったが、もともと気性も考えも違う。長老たちが亡くなり身内の風通しが良くなった今、敵だと気付き始めている―――が、ともかくもお前は自由だ。思うようにするがいい。」

 オクトゥルは両腕を組み顔をしかめて黙り込んだ。やがて顔を上げてむっつりと独り語るように言った。

「おれはさっきからずっと鷲谷の北まで()()()()狩に行っているんだ。夕方まであまりに夢中になり、急いで戻って来たのであんたたちとはひと言も口を聞いていないし、何も見ていない。ヤールに何か訊かれても馬鹿みたいに何も知らない、何も答えない―――。おれが何か聞くとすればそれはニアキの集会の時だし、ヤールなりガラートなりに言うとすれば、それは姉神(べレ・イナ)の前だ。―――ちぇ、おれはこんな秘密を胸に畳んでおくよりも、サラミアの喉元に虫がいる、って大声で歌いながらニアキに走って行きたいよ。」

「それならおれ達は鷲谷の南で待つことにしよう。」男達は頷いた。「お前の言い訳が立つように何かしとめておいてやるよ。」

 オクトゥルは弓を携えて鷲谷のほうへと走って行き、やがて休憩を終えた老狩人たちも渓谷の上流へと向かった。半日の後、一行は合わせて二頭の雄の羚羊を仕留めて鷲谷の南で落ち合い、日暮れ前に上の森に戻った。

 ひと足先に戻っていたらしいヤールの一行は火を焚いてくつろいでいた。

 焚火の照り返しが雲の下の赤黒い夕映えよりもさらに赤く森の中に透け、輪になって歓談するタフマイの若者たちの姿をありありと映していた。

 中心で大きな身振りを交えて声高に話すヤールが何かを問い、興奮した声が四方から応えた。

「男と女が分かれて暮らす。こんなところは他に類を見ない。」

「我々は数も少なく、郷里(くにもと)で出来る仕事は小さい。」

「人手を集めれば、木も石もある。ニアキに強固な砦を作り街をつくることもできように。」

 ヤールの声が夜風に乗って樹間を巡った。

「異国の者が我が国に侵入し、我々の息子を産むはずの大切な女をさらっていった。おかしいではないか。姉神(べレ・イナ)の守りはどうなっているのだ。何のために我々男から離しておくのだ。」

「掟を理由に古の長老たちが押し込めたからだ。」

 血の気の多い者が叫んだ。

「聖地を守る力など迷信だ。」

「あいつら、夜になったからといって遠吠えしている。」オクトゥルは首をすくめた。「言葉が分かるぶん恥ずかしいや。」

「暗くなる前に薪を燠にして明かりが漏れないようにしろと言ったのに!」

 老狩人は呟いた。

「コタ・シアナの沿岸のあちこちを異国の者がうろついている。見ろ!藪の育ちが悪く、せっかくの闇も味方に出来ぬ。裸をさらすようなものだ。」


 南北に分かれて森の見回りに行ってきた者が帰って来た五日後、ニアキにおいて、イーマのヒルメイとタフマイの全ての男達が招集され、会議が開かれた。死期の迫った先の(アー)ハルイルと彼に付き添う上の息子、そして集落から放逐されているハルイーを除く全てが集まった。

 晩秋の夜にベレ・サオを拝して粛然と行われる古来の集会と異なり、この時ならぬ集会は長い斜陽のうすら明るいもとで始まった。矩形に配置した席に、三々五々集まった者たちが座を占め、(アー)の右手にぽつねんとヒルメイの若者がひとり掛けた丸太の他には、かつてのクシュ、ウナシュの席にもタフマイの者が掛けた。

 (アー)が現れ、開会を宣言するまで、皆は互いに当たり障りのない噂をしていた。それは概ね河をみっつも越えた異国の都のことだった。若者は訪れた土地の宿や食べ物、市の品や土産物の話をし、大人は市での交渉の手柄話や不満を話した。齢をとったものは若者が気乗りしない調子で答えたことを大声で論じ合っていた。

 シギルの娘はまだトゥルカンの息子にもシグイーの息子にも片付く気がないという話だ。女だてらに、おのれひとりに王権を継がせよと言ったそうな。そしてシギルは娘の力量を試すため、トゥルカンの部下と競わせることにしたそうだ。いや、アツセワナの女は大したものだ―――男達は笑った。

 ヤールが場に入って来るなり一同は静まり、姿勢を中心へと向けた。ヒルメイのアー・ガラートは古式の礼拝を行い、会の宣言をした。

「イーマの子らよ、星々と森羅の守るもと、各々告げるべきを告げ、知るべきを知れ。」

 その声はいつになく細く力がなかった。輪の外の若者がちょっと心配そうに隣にその事を囁いた。ガラートはその方に向き、若者に言った。

「私の言葉にお前の心は応えるか?」

「いいえ。」若者は素直に言った。「いつもはあなたが声にすると分かるように思っていましたが、今はわかりません。」

「思うところを述べよ。」

「星々、鳥獣草木が我々の言葉を聞いているなんて信じられないのです―――それらはただの()()です。」

()()(トゥマ)ではないか。」

「でも、言葉を話しません。聞いているとも思えません。」

 ガラートはうなずき、顔をそむけ、席に着いた。それを潮にヤールは言った。

「時が移る。早速にこの度の会議の案件を討議しよう。」

 皆は半跏にかけた膝の上の拳に目を落としている。

「集会に先立ち大木(トゴ)らと出した見解は次の通りである。古来我らは山であれ里であれ、己ひとりの身の始末をすれば行いに応じて己を守ることが出来、他に累が及ぶことはなかった。古老の教えによれば、猛獣、禁域も一線を保てば全体には(くに)の守護であったそうな。―――熊が我が国の守りであったことなど私は知らぬ。が、昔にはあったという守りの力が今は無いのだそうだ。」

 ヤールは顎を上げた。

「巫女がいなくなったからだの、守女が亡くなり後継が育っていないからだという声も聞かれる―――私は、女ならいざ知らず、腕っぷしの立派な、刀、弓の手練れまでがこのように言うのを解せぬことだと思うが―――現状、我々はコタ・シアナの沿岸を見回り、物見所に番を置くより他に手立てを持たぬ。我々は数少なく、守備は極めて心もとない。大木(トゴ)、そして(アー)一同の一致したところによれば、我が国の守りを固め、民の存続を図るためには、外の国との力の均衡を図らねばならないということだ。」

 ヤールは、夕刻の風が足元の草を震わすのに負けじと声を張り、滔々と言葉を継いだ。

「我々の数の少なさ、武器を含めた物資の少なさ、交渉、取り引きにかけられる利点の乏しさ。これらは一刻の猶予も無い弱点だ。とうに昔から言われていることではないか。しかし、我々はそれに手をつけることをためらって来たのだ。我々の繁栄を妨げているものが古い慣習ならば、これを改めることも必要ではないか。皆の意見を訊きたい。」

 ヤールは、言葉を切り、促すように若い者たちの席に手で合図をした。

 タフマイの若者たちは横目で仲間を見やりながら口ごもった。

「こいつら、恥ずかしがっているぜ。」オクトゥルはからかった。「集会が終わっていないのにもう女の子の話をしてもいいのか、ってな。」

「通例通り、若い者から順に意見を訊いているんだ、答えろよ。」

 所帯持ちの年かさの者が言葉を添えた。末席の一番若い者が飛び上がった。

「えっ…分かりません。まだ縁のない話です。」

「それは我々もウナシュのように暮らすというのですか?」

 次に若い者が慌てて後を追うように言った。タフマイの大人たちの間から咳払いが聞こえた。発言を問いのままで返してはならないのだ。若者は言い足した。

「我々が立ち入りを避けていた場所を守るか、女子どもを手元で守るかの選択ですね。」

「それよりも先に、古い習慣の中に問題があったのか、それとも新しい危険に対し新しい防御策を設ければ良いのか見極めることが肝要です。」

 ハルイルの末の息子がその向かいで言った。

「私には慣例を守ることに苦痛はありません。」

「またお天道様を笠に着て、新しい意見を押し込めに掛かるぞ」

 次の発言者を遮って年上の者の間から嘲笑が飛んだ。

「我慢が身上のかたがただからな。」

「イーマは他の()()の域を侵さない。」

「だが、我々は狩りをし、木を伐るではありませんか。」順を奪い返した者が言った。

「我々が拠って立つ地を守るために我々自身が数を厳しく守っている。」ハルイルの息子は言い返した。「獣同様、森の回復力を上回ってはならないのだ。」

「我々とてイナ・サラミアスだけに頼って生きているのではないぞ。既にアツセワナの穀物を口にし、かの地にも頼っている。」

「いみじくも“友情の絹”と引き換えに得た穀物で糊口をしのいだことからイナ・サラミアスはアツセワナの庇護のもとに入ったのだ。」タフマイのトゴのひとりが吐き捨てた。「かの地に我々と同じ掟は無い。」

 会議のしきたりの順を乱しての口出しや囁き、飛び地で発する数々の口論が巻き起こり、兄達が席を外している中でただひとりのヒルメイであるハルイルの末息子は憤然として声を上げ、喧騒を遮った。

「アー、駄目だ。これでは言葉を繰り返す私にとっても、数で勝るタフマイの者たちにとっても公平とは言えない。討議になりません。」

 叫んだ若者の後から、重苦しい沈黙が訪れた。光源のぼんやりとした薄紅にいちめんに染まった空の下で、広場を囲む木立ちのもとにはぬるい闇が下り始めていた。

「薄ら暗い陽がいつまでも残っている、なのに我々の輪の内は暗い。」

 ヤールは立ち、傍にいた二、三人の若者の背を押しやった。

「薪を持て、火を焚くんだ。こんな辛気臭いうす暗闇で何を話す?闇を払おうぞ。かがり火を焚け!」

 一冬越して良く乾いた薪は少しの焚き付けの炎を得て燃え上がり、少しずつ辺りを包んでいた夜闇をたちまち集会の輪の外に押しやった。夕風がひとわたり炎を大きく膨らませ、会議の緊迫から瞬時解放された人々から小気味の良いどよめきが漏れた。空は昼間の青さを薄墨の雲の間にとどめるものの、とうに西に沈んだ太陽に続き、新しく燃え立った明るみの周囲の人々からは忘れ去られて、たちまちに夜の彼方に消えて行った。

 ヤールは立ったまま人々を見回し、それらの顔が自分の発言を待っているのを見た。彼はその中心に苦も無く明瞭に声を響かせた。

「我々が夏の時期にニアキの火のもとに集うのはまれである。春が来れば動ける者はここを引き払い、森の管理のために山に入るためである。諸君の家は闇を含んで沈黙しているぞ。夏の盛り、ここは老人だけの住処になっている。山のどこも賑々しく生の歓びに溢れているというのに。」

(イーマ)は鳥や獣と違う知恵を持つ者ゆえに慎まねばならないのです。それが古来の教えです。」

 ハルイルの息子は両側の空いた席に端座し、きっぱりと言った。

 ヤールは若者の声を耳にして言葉を切ったものの、そちらには一顧も与えず言葉を継いだ。

「河の向こうは?賑々しくやっているぞ。彼らも人だ。我らもそれを認め、付き合うようになってから長いではないか。」彼は西の彼方に手を伸べた。

「我々はイナ・サラミアスの中だけで調和しようとするから小さい一族でいなければならないのだ。一方で、眼をほんの河の向こうに移せばどうか?彼らの上にも我々と同じ日が明け、沈むぞ。同じ世界に住む人が繫栄しているのだ。彼らが眺める世界は我々より広く、ただ求めて行きさえすれば汲めども尽きぬ富があり、それらを得るには身体優れて多くある方が良いのだ。」

 人々の間に軽い緊張と同時に安堵が広がった。皆はヤールが続けて語るのを待った。

「直截に言おう。仕来りを改める時期がきたのだ。」

 しかし、穏やかな問いが遮った。

「仕来りを改めよと言う、そなたたちは何者だ?」

 皆はぎょっとしたが、一同の中から誰ともなく声が上がった。

「タフマイだ。頑迷なヒルメイとは違うぞ。」

 ヤールはそちらを見て頷き、煽るように声を張った。

「調整を自制をと言い、そうしてあまりにも自らを小さくし過ぎた(うから)よ!彼らは限られた縁組の中で病に弱り、存続を保てないほどになってしまったではないか。繁栄する機会を得たものを、頑なに掟を守ったからである。彼らに従えば我々も弱るぞ。」

 賛同の声がばらばらと上がり、当惑と窘めの声が混じった。深まる夜の冷気と共に会議の場は緊迫を増した。

 ガラートは頭を上げ、拳を腰に当てて立っているヤールを見た。その眼差しは雄弁にもまして辺りをしんと静まらせた。発言の途絶えた中からひとりのタフマイの若者が勇気を起して言った。

「アー・ガラート、その昔も我々は慣習を変え、今のアツセワナとの付き合いを作ったではありませんか。絹を河の向こうに出したことは我々に豊かさをもたらしたのではありませんか?」

「絹と鉄の互恵の関係を築いた者は今、どうしている?彼の功績に与っても彼の犠牲を分かち合う者はいまい。より大きな恩恵を求めて取引を広げれば、当然陰も広がる。そなたには己がその陰を被るのだということが分かっているか。」

 ガラートは若者に言い、ヤールに顔を向けた。

「ヤール、覚えているか、ハルイーは末席の林の陰から皆に話しかけた。」

「罪人の事など口にするな。」ヤールが低く囁き返した。「明かりの中でもおれは見劣りするか?」

 ガラートはヤールに席に着くように促した。ヤールは拒んだ。

「アー・ヤール、君の要望を聞こう。」

「私の要望は皆の要望だ。」

「べレ・イナ、すなわち栄光を得た女(サラミア)の前に会議は開かれている。」

 ガラートの声はわずかに躊躇いを帯びた。タフマイの席の二列目でオクトゥルはその気配を聞き取った。ヤールは苦笑を浮かべ、一同の顔を眺めやって言った。

「我々が先ず改めるべきは“女”を崇める習慣だ。」

「どういう意味か分からぬ、ヤール。」ガラートは言った。「それは事実には当たらない。」

「サラミアという女神を崇めているではないか。」

 侮蔑の声音に対し、平坦な澄んだ声が返した。

「我らの(うから)がサラミアの身体の事をいう時それは大地を指し、我らの拠って生きる基盤を、ただ我ら自身のために母のように大切にせよと諭しているのだ。サラミアの目の事をいう時は、自らの行いを律するため、より高みの目が見張っていることを心得よと戒めているのだ。我々の暮らしは父祖が培ってきた知恵によるもので、掟を定めたのはイーマだ。サラミアが命じてそうさせたのではない。我々が決めた事の上にサラミアを据えたのだ。」

「そうだ、それが間違いを引き起こす。我々は気付いたのだ。君も今認めたではないか。サラミアという女神はいない。山は山であって神ではない。山を神であると定めたのは我々の父祖だ。不幸にも子孫たちはそれを信じた。山に我々が与えた地位と権力を返してもらおう。我々を守る力もない女神だ。もう二十年以上も前から女たちを我々のもとに戻すべきだったのだ。」

 オクトゥルの驚き、思案したことには、ガラートは反駁せずに無言で応えた。

 ほとんどの者が新たな進展を求めてヤールの次の言葉を待ち構えていた。

「我々が望むのは、我々自身の手で行う政だ。掟の主が人か女主(ミアス)かの是非を決める表決だ。」

 席の前例から中ほどまでの面々の頭が上がり、眼が光った。末席の少年たちの頭は不安げに揺れた。

「掟と慣習の全てを改めることはない。」ヤールは言った。「むしろわれわれの政の大要は変わらず、より協議が意義あるものとなり疑わしいものが除かれるだけだ。政は我々のしきたりである会議によって行われるべきではないのか?我々の決定は神人の託宣や、少数のヒルの血筋の反対によって覆されてもよいのか?公平な決議を行うべきであろう。」

 若者たちの頭は上がり、一心に耳を傾けるふうだった。

「我々の会議を最高と定める時におのずと訪れる変化はまた、あるだろう」

 ヤールはゆっくりと言葉を継ぎ、かがり火に向かって中心を向き、両手を差し上げて一同に立つよう合図した。

「表決を取る。政を人の手で行う事に賛成の者、中心に向かい右側に移れ。女神に従う者は左に。」

 群れの動きはさほど早くはなかった。もともとタフマイの者の席は賛成の側に寄っていた。やがて、ひとりふたりが移動し始めると両側に入れ替わる影が動き、反対側の群れも膨らみはじめた。移動が済んでみると、ハルイルの息子のいる反対側に移った者の多くは年取った者たちだった。

「父の友だったご老体は皆反対か」ヤールは苦笑した。

「お前さんも言い回しに策を弄するほどに自信が無いと見える。」老いた狩人は言った。

 人数はふたつに割れ、ちょうど位置も真ん中の、ヤールと向いの焚火越しでオクトゥルが困ったように立っていた。

「オクトゥル、お前はどちらの意見なんだ。」

「おれはあんたたちと同じようにここで生まれ、暮らしている。あんたたちとは同胞だし、大体はあんた達がそうだと言えば反対はしない。」オクトゥルは突っ立ったまま言った。

「だが、おれは分からないんだ。おれ達が奉ってきた方が()()のか()()()のかをどうしてそんなに早く決めなければならない?問題はその方が何も()()()()()場合でなく、何かを()()()場合だ。その方が岩礫を降らせたり洪水を起したりする時に我々にだけご容赦するとは思えない。そんな事が起きるくらいなら眠っていただいていたほうがいい。だが、大急ぎで女主を無き存在にするのはどうしてだ?さだめし何か、さっさと取りかからなきゃならない次の目論見があるんだろう。おれ達の王がおれ達自身だというなら、及ばずながら会議で頭を絞ろうよ。だが、」

 オクトゥルはヤールに顔を向けた。

「―――おれは、ベレ・イナの喉元を掘っている奴がおれ達の新しい(アー)になるのは真っ平だ。」

 ふたりの長をはじめとする皆の目が彼の方に向いた。

「オクトゥル、何の話だ?」ガラートが鋭く尋ねた。

 オクトゥルは一歩前に出た。

「北の大峡谷を見回った時に、鷲谷の南につながる源流の岸に余所者の舟と、洞窟を掘る異国人を見掛けた。舟や人を隠し、根城にする場所を作っているんだ。

「あの場所はイナ・サラミアスの一部だが、我々の(ごう)の外で、オド・タ・コタとの境界は薄い。競技場にもなり、アツセワナの者の立ち入りもある程度許して来た。互いに手出しをしないというのが競技の時の約束だ。商いのために舟を岸につけても取引が終われば帰るのが習いだ。だが、穴を穿つのを許すのか?もう一度言うが、今はただの足掛かりだ。

「彼らをあそこで殺してしまうのは造作もなかった。だが、ただのならず者の侵入でなく有力な領主の差し金だとしたら復讐のもっともな理由を与えることになる。おれは手出しをしないという作法に従った。だが、相方は同じ作法に従ってはいない。シギル王の配下の者なら作法を守るはずだ。」

 オクトゥルはヤールに向き直り、眉根をよせてややぎこちなく言った。

「アーヤール、あんたがあの連中の事を知ってか知らずか放っておいている以上、おれは女神よりあんたを信用するとは言えないよ。知っているならあれが誰の手先なのかおれ達に説明してくれ。知らないなら、シギル王に配下の領主たちの引き締めを申し立てるべきだ。」

 若者たちの群れに密かな動揺が起きた。ヤールはそちらをひとわたり睨んで制し、ガラートを窺った。

 ガラートは立ちあがり、オクトゥルを見、一同を見渡して声を凛と張った。

「すぐにもシギル王に遣いを送り、南の侵入者の件と合わせ、抗議を申し入れよう。なお、絹の偽物を厳しく取り締まるよう要求することにする。模造(まがい)の絹のために蚕やクシガヤの娘たちが粗末に扱われることがあってはならぬ。」

「どうした。」

 ヤールは気短な笑いを漏らし、両側に分かれた人の群れを手で示した。

「おかしなことだ。我々の意見の方が多数だというのに。我々は協議と合意のもとに政を行うのではなかったか。」

 ガラートはヤールに向き直った。

「アーヤール、オクトゥルの言ったことに心当たりがあるか?君は西の領主の誰かと折衝をしたのか?それとも遣いに会ったか?件の場所はアタワンに近い―――トゥルカンと交渉しようというのではあるまいな。」

「いや―――」

 ヤールは手を上げてガラートを遮った。

「だが、その事で私を非難しようというのは筋違いだぞ、ガラート―――そもそもシギルの力を頼みに絹を与えて守ってもらおうなどという女々しい態度はいつから始まったのだ。屈辱を忍んで言えば、我々は穏やかな征服を経て平安を得たのだ。伝え聞くその昔の“掌”での会談で、シギルは国の征服は妻を得て財産をひとつにすることと同じだと言ったそうではないか。アー・ガラート、まさに君がそのシギルの言葉を聞いたのではなかったか?」

 ヤールはタフマイの一同の中の表立ったひとりを認め、手でそちらを示した。

「トゴ、先ほど君は何と言った?二十二年前の誓約(クメイ)によって、いわば姉神(べレ・イナ)はシギルの伴侶となったのだな?我々は女こどもと同じということだな!」

 ガラートは鋭く手を振った。

「真実ではないことで民の心を騒がせる事は無い。」

「では、友とでも言おうか。商い交渉ではなく友が頼みだというのなら、彼の力が衰えるのに伴い、こちらの利が減るのもやむを得ないというわけだな。シギルに往時の力が無いことは君にも分かっているだろう。だが、我々は守る盾を失くしたところで共に滅びてしまうわけにはいかんのだ。アツセワナに新たな味方を作らねばならぬ。より強い交渉材料を提示し強固な関係を築くのだ。」

 ヤールは少し声を落とし、口辺に笑みを浮かべた。 

「それはこのイナ・サラミアス、とりわけ南の嶺にあると思われる銀、銅の鉱脈だ。西の人々が何にもまして欲しているのは絹ではない。金子の素となる鉱物だ。我らが領土に埋まる鉱物が次の交渉の材料だ。」

 大勢の者たちにはあらかじめ伝えられていた事らしい。皆は意外の感もなく聞き耳を立てている。

 ガラートは失望と諦念をその面に浮かべたが、己の習慣に従ってごく穏やかに返した。

「我等イーマに領土というものは無い。イナ・サラミアスのうち、イーマに所属するものはない。我々はそれが我等の物ではない故に売り買いすることはできない。」

 ヤールは、ガラートの両肩をつかみかけた。

「誰がイナ・サラミアスをイーマのものと言う?」

「君の言うイーマは君自身を含めどこにもいない。」ヤールは返した。

「私の言葉を理解する者はいない。ここにはもういない―――同じ響きの言葉を使い、全く通じぬ。」ガラートは苦々しく言った。「だが、トゥルカンもまた言うだろう、イナ・サラミアスはイーマの土地ではないと。そして心においてイーマよりも彼に近づいた諸君はその意味が解せぬに違いない。」

「民の前で君がそれを言うか。」

 ヤールは遮り、一同を振り返った。

「イナ・サラミアスは我々の長年住んできた領域。守って来た領域だ。イナ・サラミアスは我等の国だ。シギルでさえも認めているではないか。」

「シギルにとってはイナ・サラミアスはただイナ・サラミアスだ―――サラミアその人だ。」

 ガラートの声は極めて低かったが、全ての音が凪いだその折、その声は皆に聞こえた。ヤールは首を振った。

「我々がべレ・イナと呼んできたこの地にサラミアはいない。」

 ガラートは面を火の向こうの闇に向けた。煙に濁る夜気の彼方に、ベレ・サオに続くうなじの稜線が雲を纏わらせていた。

「―――いる」

 年取った者たちは微動だにせず、トゴたちはたじろいだように目を落とした。若者たちは、固唾をのんでふたりの(アー)を見守った。

「アー・ガラート、わかっているか。」ヤールは肩をそびやかせて言った。

「ここにいる皆が、反対の者も含め、評議と表決によって行動を決めようとした―――古来の通りだ―――従っていないのは君だけなのだぞ。君はひとりだ。」 

「私が唯一のイーマなら皆を向こうにしてでも山を明け渡すことは出来ぬ。」ガラートは低く言い、次いで声を張った。「イナ・サラミアスはシギルのある限り鉄に見合う絹を恵む。」

「我々はもう君の同胞ではないのか。」

「同胞であることに変わりは無い。」

「ならばこちらは多数だ。」ヤールは、仲間を見ながら畳みかけた。「シギルに模倣(まがい)を取り締まり、配下の引き締めを申し入れるのだったな?譲歩しよう。北の谷に潜む者共は我々が追い払おう、だが、皆の言う事も聞き入れてくれ。ティスナの女達を解放しろ。季節を問わずティスナから移動し、男達と暮らすことを認めろ。」

 ガラートは目を伏せ、次いで顔を上げて二手に分かれた男達を見た。賛成の者が多かったが際立った違いは無かった。そして相変わらず両足を両方の領域にかけ、額にしわの畝がよるほど目を見開いているオクトゥルの姿があった。ガラートは口を開いた。

「女達が自ら進んで出る場合のみ認めよう。」

 一同の中の緊張が緩んだ。すかさず、ガラートは厳しく言葉を継いだ。

「だが、男の方から近づく事を禁じる。ティスナ、聖地に入ることは言うに及ばずだ。」

 ヤールは憤然と唇を引き結び、手を伸べてガラートの手を握って賛意を示し、声高に言った。

「早速、ティスナに遣いをやろう。北には腕利きの者を連れて明日向かう。アツセワナのシギルへの要請は、ヒルメイのアー・ガラート、そなたが筆を尽くして書状にしてくれ。我がタフマイの者から信用のおける者を使者に選ぶといい。」

 ヤールは、ガラートが集会の終わりを告げるまでの間だけ待ち、トゴ達を引き連れて、もう何日も滞在している集落の中の自分の家へと大股に帰って行った。ガラートはハルイルの息子に父のもとに帰るように促し、オクトゥルを呼ぶと、三日以内に旅の支度をしてオルト谷のウナシュの村で待機するようにと命じ、森の中へと去った。

「どうだ、ガラートは肝心なところは己の意を通したじゃないか。」

「我々のほうが理も数も優っていたのに。」

 集会の後始末をする少年たちの周りで男達は囁いた。

「言葉を司るヒルの家の男だからな。こちらは惚けている間に詐術にかかったようなものさ。」

 言って男はオクトゥルに振り向くと目顔で黙っていろよ、と合図し、頷いた。オクトゥルは聞こえぬふうで飄々と少年たちを叱り飛ばして火の残りを片付け、焚き火と身内から湧きあがる興奮の火照りですっかり暑くなって脱いでいた外衣を肩に担ぎ、ふらりと立ち去った。


 三日後、早春の頃に訪ねたオルト谷の沢筋の狩場でオクトゥルはガラートに会った。

 オクトゥルの足取りは軽かった。長手尾根の南を下りて来る途中で、狩場を北に移る班の者から、ティスナにいる妻にどうやらふた粒目の種が芽吹いたようだという報せを受け取ったのだった。ウナシュの村の女達とティスナとの物のやり取りの時に一緒に交わされる噂話から、こうしたことは夫たちより早くウナシュの村に伝わるのだった。オクトゥルはその班の、同じくめでたい話のあった者から祝いの言葉を受け、ふたり一緒に冷やかされて来たところだった。

「奴ら、酒も無いのに宴の後みたいに酔ってやがる。」

 今晩泊るウナシュの村で、めでたい話の太鼓判を押してもらおうと勇んで上の水脈を指して登りながら、オクトゥルはぼやいてみせた。が、まもなく真面目な顔つきになって言った。

「だが、あんな馬鹿話をしている方がまだ気楽さ。ガラート、ヤールがおれにあんたの遣いをすることを許したのは、仲間としては半分切っているからだ。奴ら、北に行った連中と合流したら、もうおれと親しくしてくれないだろうな。

「ヤールはきっとトゥルカンと連絡を取っているぜ。コス・クメイでも何処でも、商人のふりをして会えるからな。ヤールが銀や銅の話をしたのは彼が考えついたことじゃない、トゥルカンから打診をうけたんだ!絹では取引にならないなどと言うが、絹の値が下がったのも元はと言えばタフマイの誰かがトゥルカンに蚕種を渡したからだ。」

「お前が身内のことをとやかく言うことも無かろう。」

 ガラートは、少し先を自分のために藪を分けて進むオクトゥルに穏やかに言った。

「それにアタワンで絹が織られるようになったのはもう随分前のことだ。小童の蚕種がアツセワナの商人の手に渡ったのが初めではあったろうが、その頃は私もヤールも若輩者で取引の品を監督する立場ではなかったからな―――誰か知らぬが隠しに忍ばせていた繭でも持ち出したのだろう。ほんの出来心、わずか一、二個だったのかもしれぬ。」

「虫は一匹でも子沢山だものな。」オクトゥルはふんと鼻を鳴らした。「蚕種を初めて河の向こう(オド・タ・コタ)に漏らした奴は、イナ・サラミアス随一の宝がこれほど早く向こうの手業になり、二束三文に貶められるとは思わなかっただろうよ。―――他方、おれ達は大慌てで子をこしらえたたって虫のように増えるわけじゃない。息子が(くに)で身代をこしらえるのは無理だ。」

 若者は賑やかに毒づいた。それに対してガラートはもの思わしげに尋ねた。

「お前の見通しはそうなのか?」

「そうだよ。アツセワナ相手に角力は取れない。」オクトゥルは真面目に答えた。

「おれ達は、広すぎる我が母姉神(ベレ・イネ)の長々とした裳裾の峰や谷の間に草木や獣も一緒くたに潜んで、頭数も体格もはっきり見せない方がアツセワナに対して強みが出せたんだ。」

「だが、今となっては相手にあらかたの姿を見られてしまった。」 

 ガラートの声には皮肉な笑みが混じった。

「鳥獣や天候をも操る妖術使いか、半身半獣の怪物かとどこかで恐れさせていたものが、ただの少人数の蛮族の群れだと思われてしまった。唯一相手を感服させていた技も向こうに取られてしまった。我々にはもはや威力も価値もない―――相手が見るのは、我々の足の下にあるものの価値だ。」

「じきに我々をどかしにかかる。」

 オクトゥルは日向の平たい石の上にとぐろを巻いている蛇をひょいとよけながら、ガラートに手で合図をして報せた。

「シギルがそうしようと思えば―――いや、トゥルカンも。トゥルカンはシギルを向こうに回してでも我々を滅ぼせる。兵もたくさん抱えている。だが、今や戦をする手間すらかけなくてもいい。敵はあのコタ・イネセイナの向こうから大勢の金掘りを引き連れて来るだけでいい!イネ・ドルナイルにつくったという町にはコタ・レイナ州に劣らぬほど人がいるそうだよ。我々が女子どもも合わせたのと同じ人数だけあちらは立派な男を他所から連れて来られるんだよ。」

「ヤールもかの地を見たはずだ。」ガラートは呟いた。「アツセワナの人と親しく交わるお前がその恐ろしさを知るのに、ヤールに分からないのはどうしたことか。」

「ヤールは露払いを先に遣って自分は同席しにいくだけだもの、分からないさ。トゥルカンの男たちはひとつ柄に並んだ櫛の歯みたいにぴしっと命令に従う。その命令は一本の骨のに連結した羽根先のように遠くから伝わるんだ。彼らは自分ではそれと気づかず主人に従順だ。恐ろしい。」

 オクトゥルは首を振った。

「おれなら相手にしないね。そうさな、アツセワナの人混みを藪にして、なるたけ目に触れないようにするさ。」

 ウナシュの村が見える峠の直前の、藪に包まれた急勾配の細道を、ふたりは無言で足を速めた。

 小さな谷あいに村を見下ろす峠の林で、ガラートはオクトゥルに相談ごとがあると言って足を止め、木陰に憩った。そうして幹にもたれて梢を眺めながら、空に描かれた絵を読み解くかのように、ティスナの養蚕と製糸の過程を順に追いながらオクトゥルに説明をした。

 ティスナでは年に三度蚕を孵化させて繭を取っている。既に夏蚕が繭を作る時期に差し掛かっていることだろう。春蚕で獲れた繭の数と質を見た上で、王女への献上用に千個、さらに上質の繭を三千個確保したなら、最後の秋蚕の孵化を見送るように伝えてくれ。 

「王女には例年通り撚糸を用意しておく。そして鋼と交換にする分は、経糸を一羽に二本、糸は厚くし縒りをかけぬ。決して糸を切らさぬようにしてくれ。」

「それは難しいな。縒らない糸は切れやすい。」

「緯糸に十以上の繭糸を用い、一反百匁を満たしたもののみイナ・サラミアスの絹と認める。この事がシギル王をはじめ絹の審査に関わる領主たちに伝わるよう、コセーナのシグイー殿に宜しく申し上げておくれ。」

 ガラートは同じ内容の書状だと言って、細く巻いて封をした書簡をオクトゥルに手渡した。

「アツセワナまで行かないのかい?」

「アツセワナでなくコセーナに伝える方が早く安全だ。シグイー殿は王の返答を待たずに河岸に目を光らせてくれよう。絹を商う道(エノン・トード・シレ)の元締めであり、絹の目利きでもある。」

「あの極楽とんぼに伝えることは?」オクトゥルは遠くを見るふりをして視線を外した。

「何も無い―――決して戻るなとだけ。」同じように反対に顔をそむけてガラートは呟いた。そして、改まった様子で言った。

「もうひとつ、お前に頼みがある。」

 その声にオクトゥルははっとなって振り返った。

「なんだい?」

 古傷のために表情の硬くなる左側と右側の口元の笑みが同時に目に入った。

「お前の妻と子は戻るのは秋になるのだそうだな。来春は留まりたいと思うだろうが」

 女と幼子を春夏の間ティスナに住まわせるという古来の習慣を取り払う旨は、ニアキの集会の後即日遣いの少年によって女達に知らされていたが、ティスナでは既に田の苗代の準備も種漬けも整い、蚕の世話もあることから、すぐに夫のもとに帰ろうという女はわずかであった。しかし、男達は女達を迎え入れる新たな村の建設を思い描きはじめていたし、女達は移住先が整う事に期待を寄せ、新たな暮らしに密かに希望を抱きはじめていた。

「あんたはそう言って、結局、皆の手綱は緩めてやるのに自分自身を縛るんだよ。」

 ニアキでの激しいやり取りを思い出してオクトゥルはぼやいた。

「おかげでおれは女房と子供と一緒に暮らせるようになるけれど。」

「良かったな。」ガラートは目配せした。「悪いが、私はお前の妻が秋までティスナに留まってくれることを嬉しく思うよ。私自身の都合もあってな。」

「人の悪い。」

「コセーナに出かける前に連絡がつくようなら、お前の妻に伝えて欲しい」

「何なりと。」

 ガラートは南の峰を仰いだ。谷の上辺までに広がる森と、ひとつ上の水脈の奥にあるウナシュの村、その背後の山腹に阻まれたその奥に湖と集落をすっぽりと隠してティスナがある。春先の芽吹きの頃なら梢を透かして見えた、さらに奥の岩壁の描く空との境界、その左上に白く光る雪とも岩ともつかぬ白糸束の背後の山壁は、短い盛夏へとむかって空に葉を茂らせた木立ちによって完全に視界から覆い隠されている。ガラートは深い慈しみを込めたその眼差しを山の嶺からオクトゥルへと移した。オクトゥルはその眼差しを見返し、ガラートを見ると共に己の姿を見た。

「あんたは春からこのかたずっと迷っている。」

 オクトゥルは思わず口に出して言った。

「ほんの小さな言葉ひとつが草むらの穂のように民を揺らす立場にいるあんたのことだ。日頃から掟そのもののように厳しいあんたがいるおかげで、皆、雲行きに怯えることもなく、足元が崩れる心配もせずに留まっていられるんだ。なのにこの頃はあんた自身が面を翳らせて、カケスどもの羽音にいちいち梢の葉を震わす―――だが、分かったよ。一時でも男女の分かれて暮らすしきたりを変えようかと口にした訳が。」

 オクトゥルは自分の腹の底を覗こうとするようにうつむいた。

「幸せを知ると、途端に底知れぬ恐ろしい淵が見えるもんだ。女はそれを見て、掌中の宝を守るため力を呼び起こし、知恵を働かせはじめるが」

「男はそれを臆病と呼ぶのだ。」

「言わせておけ!そんな奴、青二才か古びた青二才さ。で、教えてくれよ。どの()なんだか」

 ガラートは笑いかけ、ふいと顔を東の彼方に向けた。

「まさしく。私は手の届かぬところに宝を持ち、とうに妻を失くしている。」

 オクトゥルは額を叩いた。春のティスナの訪問がどのようなやり取りで終わったかを思い出したのだ。

「おれが察しをつけていたよりももっとあんたにとって譲れないことだったんだな。今ならわかる。」オクトゥルは同情して言った。「今なら、もっと加勢するのに!」

「あそこにまだ年端もゆかぬ子がいる。」ガラートは白糸束の方を目で報せた。

「生まれ落ちると同時に母も姉も失くした―――父にも会えぬ。恐らく一度も人らしい世話も受けず、齢に相応しい知恵を授かることもなかった。食べる物にも不自由し、あの狭い場所で手に入る唯一のものを喰ってこの冬を凌いだ。しかもその肩には先代から任された務め―――コタ・ミラの麓に暮らす女達の暮らしが掛かっている。水の管理、出産の保全、技能の継承と聖地の守護の任務が。」 

 女達がティスナを去れば、彼女たちを通じて細く信仰と繋がっていた聖地はほどなくして廃れ、死者も生者も共にうち捨てられるだろう。

「せめてティスナまで連れて下りて来られればいいんだがなあ」

 思案しながらオクトゥルは言った。

「女達が()まで登るのは種籾を漬ける時だが、年寄りだけだ。若い女は途中までしか行かないし、お産も去年は女達だけで何とかしていた。―――誰もその子を見た者はいないんだよ。だが、分かった。女房に便りをしておく。すぐに()に行って探し出すように伝えておくよ。女房には女きょうだいもいるし、おれの妹もついている。」

 オクトゥルは意気込んで言い、掌で胸元を叩いた。

 ガラートは、オクトゥルの少年の頃の昔、読み書きや弓矢の稽古で上手くいった時に子供たちにしたようにその目を覗き、頭にそっと掌を置く代わりに、両腕で若者の肩を抱き寄せた。



 


 

 

  

  




 

  

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