閑話 贄姫と少年
本日3本目、まだまだあります! 宜しくお願いします!
それは昔昔、……と言うには大袈裟だが、ほんの一昔。
薄暗い洞窟の奥で、ある儀式が執り行われておりました。
一族の末代までの安泰を願うために、神様に捧げ物をする儀式。
しかしそれは穀物やお酒だけではなく、時には生きた人間も含まれるのです。
そしてそれはイルタディアでも例外ではございません。
「ああ主様。今回も上質なお酒と生贄をご用意致しました。どうぞ存分に御吟味下さいませ」
禿げ頭の恰幅の良い男性は、捧げ物を乗せた台に手を差し伸べる。
そこには樽桶に容れられたお酒、山状に重ねられた様々な山の幸、そして汚れ無き白装束に身を包んだ一人の人間が正座で座っておりました。
「うぬ。かたじけないな村長殿」
「ひょー、うっまそうな酒と女だぜぇー」
「貴殿の村は毎年欠かさず生贄を用意するから、この日を楽しみにしていたぞ」
あるものは厳かに、あるものは軽々しく、またあるものは丁重に。
各自各々の感想を述べる。
一つのずんぐりとした胴体には八つの龍の頭が付いている。
その異形の姿を一言で現すならば、八又大蛇。
「これで今年も我々の村を救って下さるのですよね主様!」
村長は希望に目を輝かせる。
一匹の龍は頭をゆっくりと縦に振る。
「ああ、約束しよう」
「……きゃ、止めてください……」
白装束の人間は龍のとぐろに巻かれて身動きが取れなくなる。
わざとらしすぎて逆に芝居かかった様にも聞き取れる声を発するが、その言葉には当然八又大蛇の気を削ぐ事には繋がらず、寧ろ彼らの嗜虐心を逆撫でする一方だ。
「さぁ、早速その白装束を脱いで貰いましょうかお嬢ちゃん。けけけけけっ!」
一匹の龍が愉悦に頬を歪ませながら、はらりと白装束を剥ぎ捨てた。
しかし、また別の一匹の龍が激しく激昂した。
「ちっ、こいつ、女じゃねえ! 男じゃねえか! 騙しやがったなぁ!」
「確かに顔は中性的で、髪も長くしてるから……すっかりしてやられたわい……」
「それに冒険者すらじゃないだと! 俺達に喧嘩売ってんのかてめぇは!」
「ひっ、そんな筈は! 確かにあの娘を誘拐して……」
「じゃあどー説明するんだこいつはよぉ!」
不測の事態に泡を喰っていた村長は、目をひんむいて驚愕した。
龍のとぐろに巻かれていて身動きがとれなかったのは、全裸の幼い少年だった。
「イグニス!? どうしてお前が生贄になっているんだ!?」
「……親父こそ、どうしてアインを生贄にしたんだ。あいつは俺の……恋人だって言うのに」
「ぎゃはは! 7歳のガキンチョが偉そうな事をほざくじゃねーか! ……そんな生意気な奴は、つい食い潰したくなっちまうなぁ?」
ある龍がイグニスの頬に接吻をするかのように、口先を突き付ける。
いつでもこの少年の頭と体を断ち分ける事が出来ると暗示する態勢に、村長は背筋を震え上がらせる。
「お止めください主様! イグニスは私の大事な一人息子なのです! 喰らうのならばあの小娘を……」
「アインはもうここにはいない! 俺がこっそり逃がしたからな! 現在のアインの居場所は俺ですら分からない! 俺を殺して聞きだそうとしても無駄だぜ!」
龍に捕食される畏れも見せないイグニスは、声を大にして言った。
さっきまでの安泰が一転絶望に染まってしまった村長は、積りに積もったどす黒い感情を吐露し、実の息子にぶつけてしまう。
「……何を言っているんだお前は、そんなことしたら私達の村が滅ぼされてしまうんだぞ! 一年に一回主様に生贄を捧げなければならないのだぞ! この親不孝者ぉ!」
「……だったら俺が生贄になってやるよ」
「けっ、男の討伐者なんかこっちから願い下げだーつーの」
「俺達は活きの良い女の冒険者が喰いたいんだよぉ。あの脂の乗った肉をしゃぶりながら呑む酒が格別なんだよぉ、じゅるり」
「そーそー。討伐者はすぐに死んでしまうけど、冒険者には『神の加護』があるからなあ。一回死んでもまた俺達がこの場で蘇らせて、何度でもお楽しみ出来ると言う訳さ」
「てめぇ! 俺のアインの事をなんだと思ってんだぁ!」
イグニスは愛する人のなるようにされる姿に逆上し、目前の龍の頭に向かって頭突きを喰らわす。
龍は不機嫌そうに口を開き、内部の鋭利な牙を見せつけながら少年にさらに詰め寄る。
「ああん? そういうてめぇも俺達をなんだと思ってんの? 俺達は神様。それもAランクの神様だぞ? イルタディアの誰もが信仰している、八又大蛇様に喧嘩売るとは良い度胸だなぁ、おい?」
「そーだ! 一気! 一気ぃ!」
「……もうよい。興醒めだ」
彼らの代表格らしい龍は詰まらなそうに愚痴を溢す。
「おっ、つー事は久々にやっちゃいますか兄貴ぃ!?」
「……や、止めてください。それだけは。そのクソ息子でも喰って良いですから! 我らの村だけは見過ごして下さい!」
ある龍は残酷に牙を光らせる。
ある龍はおちゃらかす様にゲラゲラと嗤う。
ある龍は多くを語らずただ村長に向い体を伸ばす。
「貴様の集落の民たちは全員喰らってやる。感謝しながら食されるがいい」
「ひゃっほーお! ひっさびさの食べ放題タイムきたー!」
「じゃあまずは、村長殿から食すると致しましょうか……」
「嫌だ、俺はまだ死にたくはない! 化物に喰われたくはないんだぁ!!」
「安心しろよぉ。てめぇ達だけが生き残る為に実の息子の恋人を生贄にするてめぇのほうが、何倍も化物だぜ?」
「おまけに実の息子まで見棄てるとは、本当に救い様の無い男じゃよ。来世ではもっとましな生き方をしてくれよ」
そして、声にもならない断末魔と枯枝の様に骨が噛み砕かれる音だけが、洞窟の空洞を木霊する。
*
「おい。本当に俺を喰わなくて良いのか?」
イグニスは暴食の限りを尽くした後の八又大蛇に向かって声を投げた。
彼らの集落の誰かの家から拝借した服を着直した少年は、自分だけが生かされている意味が皆目検討もつかなかった。
「げふっ、もういいや。お前喰ってもまずそーだし」
「流石に一度に42人も喰らえば、神とて胃もたれ位はする」
「お前は想い人の為に己の命を我に捧げようとした。その愚かな根性だけは褒めてやろう」
「それにあの集落は限界集落。どうせすぐに滅ぶのだから、今の内に食い潰して我らの神力として再利用してやった方が、まだ彼らにも救いがあると言うものだ」
八又大蛇達は誰も喰らう素振りを見せない。
それは彼に情けをかける等ではなく、彼を試す為だった。
すぐに言われて逃げるようだったら、容赦なく食い殺すつもりだった。
「あの集落じーさんとばーさんばっかだったからなぁ。そりゃ生贄に若い女を捧げてたら、若い奴らは怖がって逃げたくなるだろうけどさ」
「さあ、さっさとお前はここから立ち去るが良い。また腹が空いたらお前を喰いたくなっちまうかもしれない」
「……ありがとうな。俺とアインの復讐をやってくれて」
誰もが予想もしていなかったイグニスの発言に、神様達も一瞬頭を悩めかせていた。
やがて一匹の龍が照れ臭そうに頬を緩ませる。
「へっ、神の気紛れって奴さ。良いから行った行った」
「……今後もお前達は人を喰らうのか? 五年後、十年後には」
「まあ腹へったら喰う。見かけたら喰う。それだけだなぁ」
いっそすがすがしい位の隠す素振りもない本音に、イグニスは彼らに怒ることもなくただ冷静に条件を突き付ける。
「分かった。じゃああの洞窟からは二度と出ないと約束してくれ。勿論村人から生贄を持ってこさすのも無しだ。代わりに、あの洞窟に入ってきた奴らはお前達が好きに喰っても良い。赤の他人の事など知ったこっちゃない。俺はアインさえが護れればそれでいい」
「ほいほい。そんくらいの言うことは聞いてやろうじゃないの」
「じゃあな小僧。精々地獄に堕ちぬように精進する事だな……」
八又大蛇はそれ以上の暴食をする事もなく、大人しく元の住みかへと帰っていった。
一人残されたイグニスは自分の無力さを嘲笑うように捨て台詞を吐いて、かつて生まれ育った故郷だった廃墟から去った。
「地獄? そんなのついさっきこの目で見ちまったよ。どうしようもない地獄絵図を」
それ以降、八又大蛇が人間達に生贄を持って来させる事は一度たりとも無かった。
そして、その洞窟に迷い混んだ人間が再び外の日を浴びる事も二度と無かった。
ここまでお読み下さりありがとうございました!




