(9)蟻の巣を探して
野営地に向かうと、樹海の外縁にオークの集落を見つけた。オークの族長はイヴの知己で、樹海の地表の異変を知らせた。ミカのパーティーは集落に合流して、イヴは王都ギルドへ報せに飛んだ。
※本話には、未成年を交えて酒盛りするシーンがございますが、決して、未成年の飲酒を容認するものでも、推奨するものでもございません。
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昼食と言うには、はばかられる長々とした食事会でさながら宴会の様相を呈してきていた。自家発酵の酒であろう白濁液が注がれた椀を呷るフランは、明らかに酔っている。白濁液は、さしずめオーク酒と言えるでしょうか。
リューゼやクランスルの二人――剣士ノーラと魔術師ナタリーも心なしか、目がトロンとしている。主菜の蒸し肉が目の前にならび、出された汁ものが、謎肉のスープと白濁液しかないので、喉をうるおすのに飲んでしまいますね。
少し私が味見すると、匂いを度外視すれば甘味がして美味しいのです。舌の上で弾ける独特の苦味は炭酸が含まれているようで、言ってみれば甘いカクテルなのです。飲みやすさに軽い気持ちでグビグビいくと気付いたら悪酔いしているパターンですね。
旦那さまの許しもなく、そのような(酒精を含む)ものをいただくのは教えに反するので飲めません。前世以来なので飲んでみたいのは山山ですが、こちらではどんな体の反応があるのか分かりません。
振る舞われている料理は基本、塩味がついた何かのお肉で、少なくなれば次々と補充されます。森で用意できるものと言えば、ネズミ、ウサギ、ヘビとかでしょうか。白濁液を呷って、それらをつまんでの、悪循環です。
お腹一杯たべたし、私は、呪文の修得とか、詠唱の練習とかしたいのに、フランが放してくれません。頭や両肩にのせてくるおっぱいが重くて、首や肩が痛いです。
もういい加減にして、と思っているところで、にわかに一陣の風が吹いて小屋を揺らした。外からはザッザッザッ、と地面を踏みしめる音が近づいてきて小屋の入り口からイヴさまが飛び込んできた。……助かりました。
「う~む、やはりか……」
「待っていました、イヴ」
「イヴ、遅かったブヒ。早く食べて飲むブヒ」
「フラン。取りあえず、ミカを解放しろ」
「だめブヒ。『駆けつけ三杯』ブヒ。そしたら解放するブヒ」
「要らぬことは覚えておる」
イヴさまは、リューゼが飲もうとしていた椀を引ったくり、中身を空にする。続けざまクランスルの二人の椀も拐って飲み干し、椀は奪ったままです。
「ミカ、飲んでしまったか?」
「あ、いえ。ひと口だけです」
「良かった。リューゼ、もう飲むな。クランスルの二人もだ。リューゼ、新しいギルド証だ。古いギルド証を返せ」
イヴさまは、剣帯のポーチから取り出した薄青く光る銀のギルド証を手にぶら下げてリューゼに示した。リューゼは首から外した黒鉄証を、イヴさまは新しいギルド証を、互いに投げ渡して交換した。
リューゼの受け取った薄ら青く輝く銀色のギルド証に、私の目は釘付けになりました。あれが、青銀証なのですね。いつか私も……その前に黒鉄級にならなくては。
ノーラとナタリーも首に提げたリューゼのギルド証に見入っては、何ごとかささやき合っています。
白濁液がお酒だと分かった時点で、私はリューゼが飲むのを止めるべきでした。お腹の子に悪くないのでしょうか。まだ自覚ができないでいる自分にがく然としました。
「ミカ、懐剣を身に付けたか……と言っても剣帯をしていなかったな。これを巻いておけ」
羨ましそうに青銀証を見ている私に、イヴさまが剣帯を差し出してこられました。受け取った一見黒い剣帯を観察すると、金糸銀糸が織り込まれていて、いかにもお高そうでした。
「フラン。我も飲んだのだ、いい加減ミカを放せ。戦の身支度や、これからのことを話さねばならぬ」
「何ブヒ。戦ブヒ?」
預かった懐剣をカバンから出して剣帯に通していると、イヴさまがフランから引き剥がしてくれました。助かりました~。
次に、イヴさまは槍のように使えるという杖を差し出され、私はカバンに収めました。ナイフが背中にくるように剣帯をはめると、それは違うとお腹にくるようにイヴさまに修正されて巻き直しました。確かに魔術師のナタリーも体の前に付けていました。
イヴさまは、私とフランの間に腰を下ろしてフランとひざを突き合わせると話し始めます。
「皆、聞いてくれ。王都探索者協会に報告したところ、討伐隊が編成されることになった。クランスルや近隣からも増援があるだろう。王国軍にも協力を仰いだ。王国軍を巻き込んだことで、隣接領地からの増援もあるかも知れぬ。
我らが集合場所にした野営地が討伐隊の駐屯場所になるだろう。しかし、三日は先だ。それまで中継、帰投地として、このフランの集落を護りつつ、ハチの巣までの侵入経路や攻略法を、我らで探ろうと思うが、どうだ?」
「あたしは構わないよ。今回、調査にもならなかった。討伐してもいいと気負っていたので暴れ足りない」
「よし。クランスルの……ノーラとナタリーは?」
「微力ながら、お手伝いします」
問われてナタリーが答え、ノーラも首肯いた。
「よし。二人は基本、集落の防衛に助力を頼む」
イヴさまは、収納から先ほどと同じ杖を出してナタリーに渡した。
「森の中で火魔法は使い難かろう。これは、魔力を流すと先の刃が鋭くなり槍のように使える杖だ。アリの甲羅も斬れるが、回りこんで節を切断するほうがいい。万一に備えて渡しておく。それから……すね当てを」
「ありがとうございます」
イヴさまは、皆にすね当てを、私にはひざ下までのブーツを渡した。
「集落には外溝が敷かれ、杭を埋めたムシ返しの防壁もある。フランは、ムシ避けも集落の周りに撒いている。集落がアリに目を付けられなければ大丈夫だ」
「もちろんブヒ。やることはすべてやってるブヒ」
「ミカ、リューゼ、足許を整えたらアリの死骸を回収しに回ろう。巣に持ちかえられるとマズい」
イヴさまが言うには、仲間を殺されたアリが仇討ちにオーク集落へ押し寄せてこないように、死骸を隠ぺいするためだと言いました。
「では、フラン行ってくる。クランスルの二人も集落を頼む」
「「はい」」
「頼んだブヒ。ここは任せるブヒ」
私を抱えリューゼを背負ったイヴさまは、集落を飛び立った。樹冠を超えて日の光を受けるとまだ厳しく感じました。
「さかのぼらず、野営地のほうから順に回収していく。リューゼ、案内を頼む。ミカは詠唱の修練だ」
野営地上空に達すると下降したイヴさまは、リューゼの案内で森に入ったところからアリの死骸を探していきました。
ところで、さっきからイヴさまは詠唱していません。発動句も発していません。詠唱省略どころか無詠唱を駆使されているのでしょうか。聞きたくて、聞きたくて仕方がありませんが、今は呪文を完璧に覚えて詠唱を成功させることに没頭するしかありません。
死骸探しに森の中をゆっくりと浮かんで進んでいきます。昏い中なので、車のヘッドライトのように前面を照らす魔法も行使されています。地表に降りず浮かんだまま、イヴさまは見つけた死骸を周囲の落ち葉などと一緒に収納しています。
「これで六匹。2パーティーだな。あといくつ倒した?」
「たぶん、あと一つか二つ、だな」
「しっかり思い出せ。2パーティー分回収し残しているなら六匹は見つけないといけないぞ……おや、ここに争った痕跡がある。リューゼ達と合流したところだな」
「ああ、そうだ。ここの死骸はアリに回収されてしまっているな」
「あの三匹分を回収すれば終わりだ。全方位を照らす。木の陰でアリを見逃さぬように」
残り三匹分とわかり、明るく周りを照らされています。先ほどから飛跳と灯りの二重行使です。私は詠唱を続けながら、周囲を探します。
「おっ、右前方にアリがいる」
「うむ……死骸はくわえていないな。他を探そう」
「面倒だな。森を焼き払いたいくらいだ」
「そう言うな。……そうだな。探索をかけるか」
たちまち、走査される感覚を感じました。イヴさまが、探索魔法を発したのでしょう。無詠唱で魔法を行使されているのは間違いありません。しかも、今の探索魔法で三重行使と思われます。
「これも違うな。次だ」
探索に引っかかったところへ向かうと、また手ぶらのアリだったのでスルーします。
「おお、いた。ミカ、与えた杖を出して魔力を流せ。詠唱は続けるように」
次の反応場所に向かうとアリ三匹のパーティーが分割した死骸一匹分をくわえて運んでいました。イヴさまの言葉に、私はカバンから杖を出すことに気を向けて、危うく詠唱をやめてしまうところでした。詠唱継続に続いて杖に魔力をこめるという難題を言われます。
「アリの真上に下りるので頭と胴の体節を斬りさけ」
イヴさまがゆっくりと下りてアリの真上に浮かび、私がアリを斬りさけるように導いてくれます。イヴさまの言われた体節を狙って杖を突き出しました。
「や、やりました!」
「よし。よくやったが詠唱をやめたであろう。今夜は天幕でお仕置きだな」
うぐっ……倒した喜びに声をあげてしまい、つい詠唱をやめていました。
イヴさまから飛び降りたリューゼは、アリの体節に剣を突き立てると、跳ねてスライドするように次のアリに回り込んで斬り裂き、残りのアリを片付けます。イヴさまは、運ばれていた死骸ごと倒したアリを収納していきました。
「よし、次だ。リューゼ、乗れ」
イヴさまは、飛び乗ったリューゼを担って次の箇所へ急ぎます。
「答えなくていい、ミカ。次も杖で片付ける。魔力を流し続けよ。詠唱も忘れるな」
難題がさりげなく継続されて、詠唱と魔力循環を続けなければいけなくなりました。
「これは、当たりだ。ミカ、倒せ。リューゼも残りを頼む」
次に見つけた運搬アリも無事、殲滅して二匹めの死骸を回収、あと一匹分ですね。
「見つからぬ。経路から少しずれるがアリが集まっているところへゆくか……」
次に向かった先では、大牙蟻を襲うひと回り大きな赤黒いアリがいました。
「マズい。炎牙蟻だ。大火蟻を襲っている」
大火蟻を上位種の炎牙蟻が襲っていて、後ろに大火蟻の死骸の山を築いている。その死骸を運搬係りの炎牙蟻が運びさっている。
「ミカ、そなた氷魔法は使えるか?」
「いえ、まだそこまでは……」
イヴさまの問いについ答えて、私は詠唱をやめてしまいましたが、何やら大変そうな事態なので詠唱中断のお仕置きはたぶん大丈夫でしょう。
「死骸回収はやめて、アリの巣の位置を特定する。取り分け炎牙蟻の巣の位置だ。そなたが習得しているからと省かずに水魔法も授ければ良かった」
イヴさまの予想では、近くに大火蟻の巣があり、炎牙蟻が攻めこんでいるというものでした。
新たなアリの出現に、私の詠唱どころではなかったのは確かで、詠唱中断をイヴさまがとがめなかったのだと解して、私は詠唱を再開しました。
氷魔法か……。氷結系魔法は、水魔法の中・上位魔法にあたり、これから覚えるつもりでした。「水系」で攻撃手段として有用なものは、「氷系」からです。それより私としては、授けられた火や風の下位魔法を試してみたいのに、今はかなり高位である飛跳魔法を覚えなくてはなりません。
「……あっ?」
「ミカ、また中断したな?」
「いえ、違うのです。何か……何かを求められて……方位? 方向?」
「やっとか……。それは詠唱に成功したのだ。進行方向を示して――ッ! 取りあえず今は破棄しておけ」
「はい」
前方でハチが浮遊していて、下方ではハチがアリを狩っているところへ出くわしました。イヴさまは、灯りを絞り地表近くまで下りて、こぜり合いをゆっくりと迂回して進む。先に進むと同じ攻防が繰り返されていました。
地表近くを移動していると、こちらに気付いたアリが、体液を飛ばしてきた。体液がかかると思って身をすくめましたが、防御シールドで阻んだように下に落ちて地面を泡立てた。
「イヴ、上に見張りのハチがいるぞ」
「むっ。炎牙蟻の巣はこの辺りだな。あちこちにアリ山があり、ハチが襲ってきている。少し後退してハチの巣とアリの巣の位置関係をさぐる。ミカは『飛跳』を暗唱していよ」
「イヴ! 後ろ上から急襲。こっちに気付かれた」
リューゼは昏い中でもハチの動向が分かるようです。イヴさまも分かるようなので、灯りは私のために灯されているのだと知ってショックです。
「礫で羽をつぶす。ミカ、杖でとどめを。リューゼは周囲を警戒しつつ、討ちもらせば片付けてくれ」
「応っ!」
私は、頭で唱え始めて「はい」と答えた。
イヴさまは、迫るハチに背後を晒して待ち受け、絶妙のタイミングでくり出した後ろ宙返りでハチの上を取ると、「石弾?」を浴びせてのしかかった。ハチは、羽根が裂けて揚力を失い落ちる。私は首と胴の節を突き刺しましたがわずかに浅く、ハチがもがいて体をひねり私に取りつこうとしてきました。
「ッ! 少し辛抱しろ」
と言うや、イヴさまは私を抱えていた右腕で剣を抜きざま横一閃して、ハチを蹴り飛ばす。
「落ちる、落ちます!」
「ちゃんと左腕で抱えているではないか。杖に魔力を流し続けているか?」
「……と、当然です」
「ウソはいかん。ウソを吐くくらいなら沈黙せよ。お仕置きを追加だ。ミカ、洗浄は使えるな。我の脚を頼む」
「……はい。□■■……『洗浄』」
私が「洗浄」を唱え始めるとイヴさまが、「飛跳」を頭でそらんじつつ「洗浄」を唱えられぬか、と恐ろしいことを呟かれました。
私が暗唱と詠唱で右往左往している間に、イヴさまはハチの死骸を収納して飛び上がり、樹間を縫って引き返します。かなり進んだところで樹冠を突き抜けて上空に上がりました。日は今にも地平線に沈みそうになって空は茜色に染まっていました。
「もう一度洗浄する。しばし辛抱せよ」
イヴさまの洗浄で私達は洗われながら飛びました。と言っても、上昇と自由落下の繰返しで、ハチに吹きかけられた毒を洗い流すためだそうです。
すでに暗闇のオーク集落に帰投すると、かがり火が焚かれ、槍を携えた歩哨が立っていた。イヴさまは空いたところに展開した天幕を出現させ固定しました。中を覗くと四人は優に横になれそうです。
「リューゼ、見張りを頼む。ミカ、お仕置きの時間だ。中に入れ」
「……はい」
天幕の中央に連れられ、イヴさまは大きな簡易寝台を出すと、私を抱えてダイブした。
「今回はつなげたあと、妾の心体を開くので、吸いとってみせよ。では……」
私はきっと、いや~んなお仕置きだと覚悟していました。……でも、そんなことはなくて、横になってイヴさまの水の魔法礎地の導き出すのでした。やはり体を休めると集中してやり易いものです。
フランの小屋に集まり、イヴさまが探査で分かった事実を開示しました。ハチの巣に近いところに新たなアリ――炎牙蟻の巣があること。離れてある大火蟻の巣を恐らく攻めているが、ハチ――獄殺蜂には攻めこまれている状態だろうと予測を話した。
「今はしのいでいるが、炎牙蟻に攻められては大火蟻も早晩、滅ぼされるな。獄殺蜂の前に炎牙蟻を片付けねば、地上からハチの巣に到達できぬ……」
「……空のハチのみならずアリも回避できれば良いのですけれど……。隧道……」
「『トンネル』か。できるならそれが良いが、途方もなく掘らねばならぬぞ」
「掘るなら、いくらでも掘ってやるブヒ」
「掘るだけではダメだ。溝を掘り、覆い――溝ブタで防がねば。土魔法の練達者がいれば、あるいは……。姉上……」
「なんか、阻害られた気がするブヒ」
「エリザ……エリサ義姉さまであれば出来るのですか?」
「うむ、できる、姉上なら。しかし……」
「しかし、なんです?」
「姉上の名誉のため、言えぬ」
「そんな……。私が説得します。私がお話すれば聞いてくれるかも知れません」
「ん~……」
イヴさまは、うなるばかりで義姉上の助力を決断しません。これは私が飛んでゆくしかないでしょう。
「飛跳魔法はどう扱うのですか? 方向を示して発動させれば良いのですね?」
「ダメだ。そなたはやっと唱えられたばかりではないか。それに夜の飛行は危険だ。探索に頼って飛ぶことになる。二重発動などできぬであろう。
それに着地は 最も難しいし、ここまで姉上を抱えて飛んでこれるか?」
私の予想の通り、飛跳魔法はやはり難しいようです。しかも有視界飛行が基本なので、夜に王都へ行ってオーク集落へ帰るのは至難の技でしょう。
王都の灯りを目指して飛び、夜は義姉上を説得して、早朝とんぼ返りにオーク集落に帰ってくればいいのでは? ん、完璧です。
私は、フランの小屋を飛び出して王都方向に見当をつけて身構えました。すでに「飛跳」を黙唱しています。イヴさまは、止めようとしてくれませんが、体に「防護」が与えられた感覚がしました。
「方向はあっちだ。魔素を練るほど速く飛ぶぞ」
振り返ってイヴさまを見ると、「防護付与」してくださったようですが腕を組んでそれ以上は様子見を決めています。
イヴさまは、本当に義姉上に助けを求めないのですね。分かりました。
暗唱を終えると、心臓をグッと掴まれたような胸の痛みを感じ、視界が暗転しました。頭がくらくらします。
……いえ、体が揺れています。
……方向は、確か……あっち……正面……。
……魔素を……魔素を、練って……。
「飛ぃちょ~」
「……見事だ! ミカ」
発動句を唱えられたか、どうか分からない……浮遊感を感じて、私は気を失いました。