(11)女王アリ襲来?
ミカ、ナタリーを集落に残してイヴを始め「夜目」が利く者でハチの巣に夜襲をかけた。
同衾……同じ寝具で眠ること。
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目が覚めるとイヴさまの胸に挟まれていた。一昨夜はろくに眠れなかったので今朝はすっきりと目覚めて気持ちいい。イヴさまの匂いを吸って、ひと際大きい胸の傷痕をなぞりながら夕べのわがままを思い出した。
焦燥感とか高揚感とか、ない交ぜの感情があふれて出来ないことをしようとしていた……気を失ってからイヴさまは一緒にいてくれたのだろうか。
イヴさまの温もりを堪能して、もう一人折り重なるリューゼのほうを見た……知らない人が眠っている。
誰、これ?
薄暗い中とはいえリューゼより小柄だし、胸もやや慎ましやかなのが分かります。何より何も着ていないみたい。イヴさまでさえ下衣を着けていると言うのに。
気を失ってから目覚めたのが今で、夕べに何かあったかとたぐる記憶が、あるはずもない。周りを見回すと知らない天井どころかすべてが知らないものだった。
リューゼは、こんな時に何をしているの。体を起こして周りを見ると、天幕に据えられた簡易寝台の上に、眠っているのがやっと分かった。昨夜お仕置きされた天幕だと思い出した。近くで毛布の上に寝そべり、こちらを見ているリューゼが、やはりニヤケていた。一度は寝起きを見てみたい。
寝台のもう一人はナタリーだと分かった。イヴさまはもちろん、ナタリーも起こさないように寝台を脱け出すと体を調べたら昨日と変わらないローブ姿で安心したが、ナタリーと同衾していることが分からない。リューゼに昨日のことを問いただしました。
「では、私が失神したあと、ハチを討伐していたの。ナタリーが独りの私を看ていてくれた?」
「そうだ。ミカをナタリーに任せて、あたし達は夜襲をかけたんだ。ある程度、ハチを減らせた。この先どうするかはイヴに聞かないと分からないが、今夜もハチを狩りにいくだろうな」
「楽しそうだね。私も何か……あの杖なら倒せないかな」
「やめておけ。楽しくもなんともない。夕べもハチに囲まれそうになって肝を冷やした。イヴはミカに『氷弾』とか言う呪文を覚えさせると言って、ナタリーに頼んでいたぞ」
リューゼは寝台の枕元の魔導書をとり、私に渡した。そうだ、私には武闘がなくても魔法がある……と思ったら、お腹がぐうっと鳴った。魔法を覚えるより、まずお腹を満たしましょう。
「お腹へった。食事はフランのお世話にならないといけないのかな」
「イヴなら、なんとかしそうだが。二刻(約四時間)ばかり寝ただけだから、起こさないほうが良いかもな」
「そんなに遅くまで頑張っていたの。でも食事は取って頂かないと。そのあと眠ればいいでしょう」
お辛いと思ったが、イヴさまを起こすことにした。
「イヴ……イヴ……朝ですよ」
耳もとでささやいたが反応はない。ナタリーを見て確認すると、まだ目覚めていない。
「イヴさま……朝です。食事の用意などできませんか? またフランに世話にならなければなりません。イヴさま?」
「ん……おはよう、ミカエラ」
「おはようございますんんっ」
イヴさまに抱きつかれ朝のバーチョを交わします。心ゆくまでされるままに任せました。
「イヴさま、お辛いでしょうが、起きてください。食事の用意――調理道具や食材などをお持ちではないですか? フランの世話になりっぱなしでは申し訳なくて」
「そうだな。フラン達も食材の確保に苦心しているだろうしな。野営『セット』程度しかないが提供しよう。まずは……」
隣りのナタリーを伺うと、まだ目覚めていなくて妻夫の会話は聞かれなかったでしょう。まずは、と言われたイヴさまは「朝風呂だ」と薄着のままで天幕から出ていかれた。ナタリーのことはリューゼに任せてイヴさまを追いかける。
◆
「……ナタリー。もう、起きていいぞ」
天幕を出ていくイヴとミカの足音が遠のくと、タヌキ寝入りするナタリーをリューゼが看破して言った。ナタリーは、ミカが寝床を脱け出すころから目を覚ましていた。
「お、おはようございます、リューゼ。昨夜は大変だったのですね」
「そうでもないさ。ハチを片付けるには夜が良いからな。こちらは、何もなかったようだな」
「そうですね。ミカは結局眠ったままでしたし……。あの、それで――」
「この天幕で起きたことは、忘れることだ」
「…………」
ナタリーが疑問を発する前に、リューゼは釘を刺した。
「さて。あたしもイヴの残り湯で体を流すかな……」
雰囲気を変えるようにリューゼが天幕を出ていくのを見送りナタリーはつぶやく。
「お二人は、一体どのような関係なのでしょうか?」
◆
天幕を出るとまだ暗いのに、頭上にはぽっかりと蒼天が広がっていた。天幕の裏に回ってどうするのかとイヴさまを見ていると、収納から湯船を出して据えた。イヴさまは、足拭きマットも出して、衣装カゴに下衣を放りこむと、私を見て言われた。
「ミカも入るか?」
はい、と答えて脱ぎ始めると、待て待てと止められる。イヴさまは、半分冗談で言われたようで、湯船の周りに衝立を出すと、改めて私を誘った。脱いで下衣になると胸帯が胸を押しつぶしていた。胸帯を外すと雄っぱいが弾け出て、もっと大きな胸帯をもう用意しなければいけなくなっていました。
湯船には白濁したぬるま湯が溜められています。お湯の中でイヴさまのお背中を洗うと良い香りが漂います。遠慮しましたが、イヴさまに私の隅々を洗われてしまいました。
お湯から上がったイヴさまの右太ももをみると、紫に変色して少しむくんでいました。お尻にまで紫の斑点が伸びて今にも覆われてしまいそうです。そう言えば、イヴさまの歩様が少しおかしかった。出して頂いたタオルでイヴさまを拭いながら聞きました。
「イヴさま、太ももが腫れて紫になっています。どうされたのですか?」
「ああ、ハチにちょっと……。案外腫れているな。風呂で温められて表れただけだ。……心配するな」
「ハチの毒ですか。刺されたのですか。応急処置はされたのですか?」
「大丈夫だ。毒はすぐ風魔法で吸い出した」
「お薬は……魔法薬は飲まれたのですか?」
「いや、飲んでいない。あれは、ダメなのだ……」
「ダメとは? 魔法薬ならば治るのではないですか?」
「普通は、な。解毒魔法薬は、普通毒や魔物アリの酸毒に冒されても治してしまうが、魔物バチの『たんぱく』毒に含まれる魔素を活性化させて過敏症を起こす。『アナ』……『アナフィー……ショック』――」
「『アナフィラキシーショック!』」
「そ、そうだ。我はすでにハチ毒にやられていて、なおさら解毒魔法薬を飲めないのだ。治癒魔法薬か万能薬であれば……」
「ハチ……ハチ……。もしかして、あの時に? 私のために、申し訳ありません。あの時、しっかりハチを貫いていれば……。義姉上のことも、わがままを言って……私はなんと愚かでしょう」
あの時とは、アリの巣探索の時にハチが襲ってきた時のことです。悔恨の念があふれだして、ひざを折り、私はイヴさまにすがり付いて泣いてしまいました。
「気にするな。探索者とはそのように危険と隣り合わせなのだぞ。危険の中に飛び込まねばならぬこともあるのだ」
「イヴさまぁ~」
イヴさまは、ひざまずいて私を抱きしめバーチョしてくれた。高ぶった感情がイヴさまの温かさでないでゆく。なぜか私は、感情が表れやすいと言うか情緒不安定のようで、すごく心が不安になっている。
「魔素枯渇で酔っているのだ。『ランナーズハイ』のように、少ない魔素で体内の魔力循環を活性化させている」
「そう、なの、です、か?」
「そうだ。そなたはひと回り強くなったのだ」
イヴさまが唇が触れあう近さで慰めてくれましたが、名残惜しくも立ち上がられて下衣を着始めてしまった。
「リューゼ、用事か?」
「いや。お前達の残り湯を頂こうかと……」
「そうか。残り湯を使うことなどない。入れ替えてやる。しばし待て」
私が泣き出したためか、衝立の陰からリューゼが覗きこんでいたようです。イヴさまを私は着付けて、イブさまが新たにお湯を満たした湯船をリューゼに空け渡しました。そんな時、ポクッポクッポクッと木板を打ち鳴らす音が集落に響きました。
取りあえずローブを羽織り、飛び出したイヴさまを追って集落を囲う杭にしつらえられた北側の物見台へ上がりました。
アリ――大牙蟻が整然と左右一列で集落に向けて道をつけ、中の通り道を守るように外側を向いて並んでいる。道のようにした囲みの先頭のアリが集落前に敷かれたムシ除けの白い安全地帯直前まで来ているが、攻めてくる気配はない。
「安全地帯を越えて攻めてはこないな。見守るしかないか。見張りに任せて、我らは腹ごしらえだ」
今すぐ危険はないようで、オークの物見に監視を任せて食事の用意を始めました。手すきのオークは武具を携え、落ち着かなくしています。
オーク達が調理するそばで、イヴさまはバーベキューセットを出して薪を焚き炭作りを始めた。鉄製の箱に長い足が生えていて、箱の中に炭をおこして使う全世で見るものにそっくりですが、肝心の炭はないようで薪から炭にしなくてはいけませんでした。
厚手のシートを重ねた上に処理されたウサギや牛もどきのイノシシを出して捌き、私が調理台で一口大に裁断する。ネギもどきや玉ねぎもどき、人参もどきも刻んで、肉と一緒に串に刺し、下準備した。
タレを塗りながら、できた炭の上で焼いていく。焼けたそばからオーク達が拐っていくので、焼くのが忙しく、なかなか自分の口には入らなくて困っていたらオーク娘達が焼くのを代わってくれました。
「イヴの肉串はやっぱり美味いブヒ」
「こんなごちそう、初めてブヒ」
「複雑な味で美味いブヒが、塩からくて慣れないブヒ」
「お前達、食うのもいいが、焼くのも手伝え」
そのあとも、食べたり、焼いたり、下準備したりと忙しくしましたが、皆が満腹になって戦争のような朝食がやっと終わりました。食べ残した食材は集落のために残しています。食事の終わりを待っていたとばかりに報告がきました。
「向こうにアリの山、塊がありますブヒ」
物見に上がると、アリの玉というか、団子というのか、アリが組体操のように固まってできた大玉が、安全地帯の前で留まっていた。物見のオークの話は、森の奥からゆっくりと集落に向かって来たということでした。
「巣をあきらめて、退避してきたな。あの玉の中に女王がいる」
ムシ除けの白い帯の前に、こちらを向いたアリ達が前肢をあげ触角と共に上下に振ってダンスしているようです。大玉をかたちづくった外側のアリが解れて、中がむき出しになると、アリの絨毯に乗った一際大きいアリ――銀色に輝く翅を生やした女王アリが現れた。
女王アリは中肢後肢で体を支え、前肢に抱えた葉っぱの包みを差し出している……ように私は見えました。い並ぶアリ達の前肢を上げ下げする姿が何かを呼んでいる、頼んでいるように感じます。
「行かなくては……」
「よせ、ミカ」
「行きます」
行かなければと焦燥に駆られて、女王に引き寄せられるように集落を飛び出した私は、安全地帯を越え、女王アリの囲みの前まで行くと道を空けられ、まるで人のように立つ女王アリが葉っぱでくるんだものを差し出した。
アリに囲まれた場所で飛びかかられると命はない状況なのに、不思議と恐怖感がありません。イヴさまがすぐ後ろにいてくれるのも大きいでしょう。恐る恐る、包みを受け取り見ると、中に赤子がいました。
「どうした。何をもらった?」
「あの……赤ちゃん、もらいました」
「はあ? ……はっ! 行かしてはならん。女王を引き留めろ!」
「えっ? は、はい。女王さん、行かないで?」
私は包みを抱える反対の手を女王に伸ばす。
「行かないで!」
強く念じて訴えると、分かったのかは全く分からないが、女王アリは触角を上下に何度か振ると、前肢をその場に着けてうずくまった。またアリ達は女王を護る塊を作り始めた。
『ンギィ、ギィッ』
見た目は人だが、頭に触角が突き出している赤ちゃんが、お口をパクパクさせて嫌な声で泣く。おっぱいかな? 我ながら馬鹿馬鹿しいと思いつつローブの中に入れて、乳首に赤ちゃんの顔を近づけると吸いついてきた。
「おおぉうっ!」
「どうした! ミカ?」
「乳首を吸わせたら、チューチューされました」
「……何を言っている。幼虫は肉食だ。喰いちぎられるぞ?」
「いえ、幼虫じゃないです。赤ちゃんですよ?」
まあ、私もアリの生態は知っている。働きアリが運んだエサを幼虫が食べるのだ。こちらのアリ、まして魔物のアリが同じかなど分からないが、事実、人の形をした赤子を託されたのだ。触角が生えてはいるけれど。
「おおっ。本当に赤ちゃんブヒ」
「可愛いいブヒ」
「プニプニして、たまらないブヒ」
「吸い付きたいブヒ」
集落に戻ると、私の雄っぱいに吸い付く赤ちゃんを皆が見にくる。いや、何となく赤ちゃんより雄っぱいのほうを見られている気がするのは、気のせいですね。自意識過剰でしょう。呆れるイブさまは、私に天幕で「氷弾」を覚えるように言われて、偵察に飛び立った。
◆
翅を生やした女王の姿に、イヴは嫌な予感がした。ミカが、幼虫を託されたというのを聞いて、最も悪い予想に思い当たった。
「ミカ、女王を行かせてはいかん!」
「えっ? は、はい!」
◇
イヴは、集落に戻ったミカに呪文の習得を言い渡して偵察に飛び立つ。
大牙蟻の巣に達すると、幼虫が炎牙蟻に奪われ運び出されていた。巣の周りは大牙蟻の死骸が広がり、残った大牙蟻が運ぶ炎牙蟻にすがり付いて抵抗しているが、あまりに無力だ。
「大牙蟻の巣が放棄されたのは明白だな。さて炎牙蟻は……」
アリ達を刺激しない距離を取り、地に晒された死骸を回収して、炎牙蟻の巣に向かったイヴは、運ばれる幼虫を奪いに来た獄殺蜂と炎牙蟻の攻防を目の当たりにした。見張りのハチも飛んでいない。こちらはハチとアリが一進一退の争いを繰り返していた。
「こちらは、アリが幼虫を抱えているだけに獄殺蜂が本気だな。よし、ハチの巣はどうなっているかな」
獄殺蜂の巣へ回ると、炎牙蟻が大攻勢をかけていた。巣の周りはアリもハチも死骸が累々(るいるい)と折り重なっている。警戒して飛ぶハチはイヴに見向きもしない。巣に取りついた炎牙蟻を押し返す獄殺蜂が防戦ぎみに見えるが、炎牙蟻に決め手はないようだ。
「アリがしばらくハチを抑えてくれるかも知れぬ」
ムシ達の攻防は、ひたすら終局に向かって突き進んでいるように見えた。可能な限り死骸集めに奔走したイブは、三様の戦場を見届けてオーク集落へ飛び去った。
◇
「天幕で何かあったか?」
「いや。何かあるのを待っていた」
「……覗きも、ほどほどにせよ」
オークの集落に戻ったイヴは、天幕の中を窺っていたリューゼを連れて族長の小屋の隣りに急造したフランの小屋を訪れた。都合よく、ノーラも一緒にいた。
「フラン、ノーラ。ちょうど良い。戦況が変わった。炎牙蟻が獄殺蜂に攻めこんでいる」
「ほんとブヒか?」
「ああ。それから女王が避難してきた大牙蟻は、もうダメだ。護りが薄くなり炎牙蟻に幼虫が連れ去られている。炎牙蟻は強化するな」
「そ、それはマズくないですか?」
「確かにマズいが、脅威となるのはまだ先だ。ミカのお陰か、次期女王候補の安全を確保したことで、自棄な特攻をする女王は思い留まってくれている。女王を行かせ討たれると、炎牙蟻は確実に強化するだろう。今はこのままアリにハチを攻めてもらって、我らはそれを支援する」
「ふーむ。では夜まで暇だな?」
「夜襲には、リューゼとミカ、ナタリーに来てほしいが、フラン達は昼間に避難したアリの周りに防護柵を築いてムシ除けも敷いてほしい。女王を奪われ難いようにな」
「よく分からないブヒが、イヴのいう通りにするブヒ」
「頼む。ムシは来ないと思うが、我とリューゼで周囲警戒する。ノーラも可能なら頼む。……ものは相談だが、先が広がった鏃は作れないな?」
「よく分からないブヒ」
「そうか。なら、いい」
フラン達と打ち合わせしたイヴは、ミカの様子を見に天幕に向かった。
◆
天幕に戻って冷静になると、ローブの下は下衣しか着けていないと気づきました。と言うのも、天幕で待っていたナタリーが嫌そうな顔を見せるからでした。たぶん、戦場でだらしがない姿と思ったのでしょう。アリの襲来から女王の訪問まで、何かしら心が解放されたと感じていたのは勘違いで、体が開放されていたのだと後悔しました。
もう手遅れですが、天幕裏の湯船へ行き服を回収してかえると、ナタリーに天幕の外へしばらく出てもらって着付けました。赤子を抱えているのでリューゼに頼みます。どこかに抱っこヒモなんてないでしょうね。
「ナタリーは、どこまで覚えたの?」
「流れは押さえました。あとは練度を高めつつ、正確さも高めます」
「へー、それが早く覚えられるのかな。本職は違うな……」
そう言ってから、余計なひと言だったと思ったが、並んで魔導書を見ているナタリーは、会話をあまり気に留めていないようで、雄っぱいを吸う赤ちゃんに気を取られているようでした。こちらでは授乳が珍しいのですね。
「さ、さあ、練習しましょう」
私は、独り言をつぶやいて魔導書に目を向けました。