プロローグ
ゆっくり連載していくつもりです。
今日は朝から忙しかった。
天気が曇っていたから、洗濯物を午前中に終わらせなきゃいけなかったし、普段使われてない客間も念入りに掃除をして、タオルや水差しなどの日用品のチェックも必要だった。今は同僚たちが今夜の晩餐の準備やら、奥様のドレスの準備やらで散っている中、マリアは5人の子供たちを円形に座らせ、絵本を読んでやっていた。
ここはフォンローグ公爵家。スメリア王国の王都から程近い領土を任されているフォンローグ公爵は、この国で最も力を持つ貴族のうちの一つだ。建国より120年の歴史を持つ公爵家は立派なお屋敷を構え、季節に合わせて色とりどりの花が咲く庭園は美しい。今も春に向けて暖かくなってきた頃で、マーガレットが美しく咲いている。マリアはフォンローグ公爵家に勤める侍女だ。もう5年目になる。
フォンローグ公爵夫妻も「そのお姿だけでなく、お心まで美しい」と領民に愛され、マリアたち使用人にも慕われている、美しい屋敷にふさわしい人物である。
現に今、マリアが絵本を読んでいる子供たちはそれぞれ目の色も肌の色も違う。「息子たちが大きくなってしまって、屋敷に子供の声がないのは寂しい」と公爵様が災害で親を亡くした子であったり、他国の孤児であったりを養子として迎え入れてくるのだ。現在は10歳から3歳までの子供たちが屋敷で暮らしており、毎日読み書きや計算など様々なことを屋敷で学んでいる。
「私にはお金も場所もあるからね。全ての子供たちを、というのは難しいかもしれないが、彼らが大きくなって例えば文官になったり、例えば商人になったり、という無限の未来を潰してほしくないのだよ」
そう言葉にする公爵が、決して理想や軽い流行などで口にされているわけではないことをマリアは身をもって知っている。
マリア自身も、この心優しいフォンローグ公爵に救われたうちの一人であるからだ。
「……そうして、ガラスの靴のお嬢さんは割れてしまった靴を抱え、裸足でガラス職人が待つ家へと急ぐのでした。おしまい。
みなさま、今夜は公爵様の御子息であられる、リオネル・フォンローグ様とミゲル・フォンローグ様が学校から一年ぶりの長期休暇に帰ってこられます。ミゲル様の御学友のリドリー・メイヤード公爵子息様もご一緒にいらっしゃるそうですから、今夜の晩餐はピシッとしていないとダメですからね」
「リドリーさまも来るのー?」
「もう、絵本はおしまい?」
少し世知辛い内容の絵本をキラキラと聞いていた子供たちが口々に喋りだす。「公爵家だからこそ提供できる勉強をさせたい」という公爵の意思に沿い、彼らにもマナーやダンスなどの勉強もさせているが、そこはやはり子供。普段はニコニコ口を開けて笑い、騒ぎ、楽しそうに過ごしている。早速抱っこを求めてきた3歳の女の子、ハンナを抱き上げ、マリアは彼らとお勉強部屋を出た。
マリアはフォンローグ公爵家の侍女であるが、子供たちの家庭教師でもある。以前は専属の家庭教師がいたのだが、「庶民の子は所詮庶民」とまともに職務をこなしていなかったことが判明し、2年ほど前からマリアが家庭教師を兼任している。
子供たちは皆それぞれに賢く、とてもいい子だった。マリアにもすぐ懐いてくれたし、ふらっと公爵様が連れてくる新入りの子供にも優しく接することができる。最年少のハンナも半年前にこの屋敷に来たばかりだ。左右の瞳でそれぞれ違う色を持って生まれた為に、忌み嫌われていたところを保護したらしい。屋敷に来た頃は全く喋らず、塞ぎ込んでいたが、優しい兄や姉に構われるうちに少々わがままになってきた。でもそれもまた可愛らしい。
「ヴィクトリア様が今日のディナーのためにあなたたちにも服を仕立てられたそうですよ。今王都にお買い物に出て行かれてますから、お戻りになったらすぐに着替えましょう…あら、お戻りになられたみたいなので急ぎますよ」
家主の到着を知らせる鐘が鳴り、マリアは子供たちを連れて玄関ホールに急ぐ。実際に屋敷に着くまでには多少猶予があるとしても、子供5人を連れての移動はこの広い屋敷では大変だ。「スーツとかタイとかきついんだよなあ」とボヤいてる子供たちを急かし、到着する頃には使用人たちは既に出迎えの体制になっていた。抱き上げていたハンナを下ろそうとしたが、泣き出しそうな顔で抵抗されてしまった為、仕方なく抱っこしたまま家主の到着を待つ。多少の無礼は許されるだろう。
「おかえりなさいませ」
背の高い屋敷の大きな扉が開くと同時に、列をなした使用人が一斉に頭を下げる。マリアはこの瞬間が大好きだ。いつもどこかバタバタと忙しない屋敷がこの瞬間だけはしん、と静まり返るのだ。腕の中のハンナも可愛らしく首を下げているのをみてマリアは思わず笑顔になる。あとは主人のお声がけで一斉にゆっくりと上体を起こすのだ。
すると、急にドダドダドタッと足音が聞こえたかと思うと、肩を掴まれガバッと起き上がらされた。突然現れた見覚えのあるコバルトブルーの瞳に驚く。
「あら、ミゲル様。随分お早い御到着ですね」
「マリアが…マリアが…」
肩を掴む手がブルブル震え出したと思ったら正面の麗しい顔面がいきなり悲痛に歪んだ。
「僕のマリアが子持ちになってるーーーっっ!!!!!」
「うびゃああああああああ!!!!!」
ホールに響き渡る大絶叫と、驚いたハンナの泣き声に、美しい屋敷はいきなり騒がしくなった。