オレは小助
オレの名前は小助。なんとも情けない名前だ。オレは、もっと男らしい名前にして欲しかった。なんたって血統書付きのブルドッグなんだから、そんじょそこらの犬どもとは格が違う。それなのに飼い主の小松祐太ときたら可愛らしい名前だと。まったく何を考えているのか、祐太の名付けのセンスを疑うよ。きっと国語の成績は最低に違いない。そんなんだから高二になっても、彼女一人も作れやしないんだ。もっとも犬小屋で一人?ぼやいていても、付いちゃった名前はしょうがない。あとは祐太より早く彼女を作って、見せつけてやる。三歳のオレは青春真っ只中。ただ、鎖に繋がれて自由にナンパできないのが癪にさわるぜ。
ある日、いつものように近くの公園まで、祐太の散歩に付き合ってやった。彼女がいないので、しょうがなく付き合ってやっているんだ。オレはもっとお洒落なドッグカフェへ行きたいのに、けちな祐太は決まって公園へ行く。そこそこ広い公園だが、毎日同じじゃいい加減飽きるぜ。一歳も過ぎると、今さら広場でボールを追いかけて喜ぶ歳じゃない。それに、がに股で短足のオレは走るのは苦手で、すぐにゼイゼイしちまう。でも、男は顔や体型じゃない中身だ。祐太のように背が高く、それなりの顔立ちでもあるのに女にもてないのは、口下手で言いたいことの半分も言えないこの性格だ。本人は、やさしい性格だと勘違いしているが、だいたい女は堂々としている強い男に惚れるのだ。オレなんて歩いているだけで、女の熱い視線を感じるぜ。まったく、この野暮ったい鎖が無ければ。
「小助、少し休むか?」
祐太はベンチに座って、さっき買った缶コーヒーを飲み始めた。オレには、公園の水道からペットボトルに汲んだ水を皿に入れただけだ。しょうがないから少しは飲むけれど、味が無くてまずい。
「あら、小松君じゃない」
「ああ、野崎さん。君も犬の散歩?」
声を掛けてきたのは、祐太のクラスメートの野崎花蓮だった。そんなことはどうでもいいが、花蓮がメチャいかした犬を連れていた。確かプードルだ。真っ白い毛をお洒落にカットし、頭やお尻あたりがふわふわで、長い足にもふわふわが付いている。オレは一目見たときから、この女に惚れた。いや待て、男かも知れない。オレはそっちの趣味は無いから、もうちょっとそばで確かめたいのに、祐太が鎖を短く持っているので動けない。
「可愛い犬だね。確か、プードルだよね」
祐太は花蓮に言いながら、少し緊張した感じだ。ひょっとすると、祐太は花蓮に惚れているのか。まあ、花蓮もすらっとして、大きな二重の瞳がきらきらして可愛い。でも、祐太を見る目は覚めているから、まず無理だろう。それより、このプードルが男か女か確かめたい。オレは何とかしてプードルのそばに行きたいのに、相変わらず鎖は祐太ががっしりと掴んでいる。でも、祐太がそれを確かめてくれた。
「この犬メスだろう、名前はなんていうの?」
「モモよ。もちろんメスよ。可愛いでしょう」
花蓮もモモに負けないくらいのきれいな足に、ぴったりしたスキニーパンツを穿いている。
「俺は、いつもこいつを連れてここに来ているけど、会うのは初めてじゃない?」
祐太は視線をオレに向けて言った。オレは、こいつって何だよ、ちゃんと名前で呼べよと思ったが、やっぱり名前で恥をかくより、こいつでいいや。
「そうなの。ここは広いからモモが疲れちゃうのよね、いつもは庭に放しておくの。ほら、公園で病気を移されてもいやでしょう、体力もないし。それにモモは室内で飼っているから、あまり外に出たがらないのよ。小松君の犬はブルドッグよね。とっても強そうだわ。名前はなんて言うの?」
花蓮はオレを見たけれど、可愛いとは一言も言わなかった。
「こいつは小助って言うんだ。吠えると迫力あるし、番犬としては頼りになるよ。小助の小は小松から。助は我が家を守ってくれる、つまり助けてくれているからね」
「そう、頼もしいのね。じぁあ、そろそろ行くわ。今度散歩するときは、ここに来ることにするわ」
花蓮はそう言うと、モモを抱いて帰ってい行った。とうとう最後までオレのことを可愛いとは言わなかった。きっと男を見る目がないんだな。でも、小助の名前の由来を知って、なかなかいい名前だと思えてきた。オレも祐太と一緒で単細胞だな、飼い主に似たのか。それって、あまり喜べないよな。それより、あのモモをオレの彼女にするには、今度会うまでに策を練らねば。ボケっとしていると、祐太のように彼女なしが続いてしまうからな。
あの日から二、三日して、オレの身の上に大変なことが起こった。なんとお父さんの俊雄が、友達からオレの見合い話を持ってきたのだ。なんでも、その友達のさらに友達の家に血統書付きのブルドッグがいて、血統書付きの相手を探しているとのことだ。五歳のメスで、早く子供が欲しいと焦っているらしい。冗談じゃない。折角、理想の彼女に出会ったのに、なにが悲しくて年上の女と。オレは拒否表示として吠えたが、俊雄もお母さんの絵理子も鈍感で、ほら小助も喜びの雄叫びを上げているわと言う。祐太の一歩ずれてる感覚は、両親の遺伝に違いない。しかし、マジで見合いとなったら、オレは鎖に繋がれて強制的に連れて行かれるのだろう。オレの童貞は年上のおばちゃんに奪われるのか。モモに会う前だったら、女であればオッケーだと思っただろうけれど。でも、拒否れない。オレは血統書付きであることを誇りに思っていたが、今は雑種のほうが良かったと思う、自由に女を選べたほうが。犬であることを、これほど無力だと思ったことはない。ペットとして人間の僕として生きていくしかないのか。自由に動き回れば、野犬として保健所に連れて行かれ、一週間という命を限られる運命なのだ。今度、産まれてくるときは絶対人間にしよう、しかも安全な国である日本人として。いや待て、日本がいつまで絶対安全な国でいられるのか。それに、人間の世界でも一人ひとりに番号が付けられ、国に管理されている。血統書とたいして変わらないではないか。
二週間後、オレはやっと開放されて我が犬小屋に戻った。犬にも人権、いや犬権があっても良さそうなものだが、それを伝える言葉がない。祐太はオレの憔悴しきった様子を心配し、暫く祐太の部屋で寝ることになった。犬と人間は以心伝心とはいかない。人間が勝手に犬の気持ちが分かると思い込んでいるだけだ。本を買って勉強するのも否定しないが、所詮、人間は人間で犬は犬。その一線を越えることはない。ただ、お互いそばにいるだけでいいと思ったとき、犬と人間の気持ちが触れ合うことができるだろう。オレは祐太の部屋で寝起きすることになって、オレは以前の力を漲らせた。そこは若さだ。だんだんオレ様主義を持ち直し、今や祐太の部屋で我が物顔に振舞っている。ベッドの下に置いてあったオレ用のベッドが窮屈に感じられ、祐太のベッドを占領することに成功した。ここでオレは学んだ。なんかのときは、憔悴したように見せかけることが有効だということを。犬も経験から学ばねばならない。さあ、元気になったことだし、明日はいつもの公園へ行こう。モモちゃんに会えたらいいな。
明日と期待していたのに祐太の学校が休みではなく、三日後の土曜日に公園へ連れて行ってもらった。果たして、モモちゃんと会えるのか。オレは、期待を胸にキョロキョロしながら歩いた。いつものベンチでお茶していると、花蓮がやって来た。来たぁ、モモちゃんも一緒だ。オレの心臓は自然に高鳴った。
「しばらく来なかったわね。やっぱり例の種付けに行ってたの?」
花蓮は抵抗もなく言った。オレはショックだったが、その通りだったので大人しく座っていた。モモちゃんと会えただけでオレの心は浮足立っていた。もう少し近づきたいと思っていたとき、とんでもない邪魔者が現れた。遠くから花蓮や祐太の名前を呼びながら近づいてきたのは、やはり祐太のクラスメートの岡島カムリだった。カムリと言っても、れっきとした日本人だ。名は体を表すように、すかしたキザ野郎で、やはり犬を連れていた。しかも、その犬は、なんとモモちゃんと同じプードルだった。
「やあ、小松と野崎、ここで会うとは思わなかったな。お互い犬の散歩か?」
カムリは散歩でも、格好はキザに決めている。祐太は少し驚いた表情でカムリを見た。この公園でカムリと会ったのが、初めてだったから。
「岡島も犬を飼っていたのか?」
「私も知らなかったわ。しかも、うちのモモと同じプードルだなんて」
花蓮も驚いていた。
カムリは二人を見ながら照れたように笑った。
「いや、この犬は親戚の犬で、少しの間預かっているんだ。名前はロンドだ。野崎の犬はメスだろう。ロンドはオスだから丁度いいな」
なにが丁度いいなんだ。オレは頭にきて、カムリのキザ野郎とロンドに向かって吠え立てた。カムリは、ちょっとムッとした顔でオレを睨んだがすぐに無視して、花蓮のほうに向くと言った。
「この近くに洒落たドッグカフェがあるから行かないか?ああ、小松も」
取って付けたように祐太へも声を掛けた。
「いや、俺はいいや。小助もそういうところは嫌がるし。二人で行ってこいよ」
本当は花蓮が好きなくせに、まったく人の良さにもバカが付く。これだから祐太はいつまでたっても、彼女ができないわけだ。オレは洒落たドッグカフェで、ロンドがモモちゃんに迫っているのを考えただけでムカついた。二人が並んで立ち去ると、オレと祐太はショボショボと歩いて帰った。だがその後、大変な事件が起きたのをオレや祐太は知らなかった。
月曜日、学校から帰ってきた祐太は自分の部屋で着替えると、あわてて出かけた。その前にオレを抱きしめて、モモが死んだと言った。あの日以来、オレは祐太の部屋で暮らしている。祐太が追い出そうとすると、憔悴仕切ったようにぐったりして見せる演技がものをいって、祐太も諦めたようだ。ただベッドは祐太に返して、オレ用に大きなベッドを作ってくれた。モモが死んだと聞いて、オレは演技ではなく、本当に憔悴しきった。
モモが死んだことの詳細は、夕飯のとき祐太が、俊雄と絵理子に話したのを聞いて分かった。あの後、花蓮とカムリがモモちゃんとロンドを連れてドッグカフェに向かっていると、綱を付けたまま放されていた大型犬が、モモちゃん達に襲いかかってきたのだ。咄嗟に、カムリはロンドを抱き上げ逃げた。花蓮は突然のことに足がすくんで動けず、大型犬は、あっという間にモモちゃんの首に噛みついた。後は警官も来て、大変な騒ぎになったらしい。花蓮はパニックになり、次の日曜日は一日中ベッドから起き上がれなかったということだ。
この頃、土日の休日は祐太が忙しそうに外出することが多くなり、オレの散歩の相手は絵理子になった。これが、なかなか大変だ。オレに、俊雄や祐太の愚痴をぶつぶつと言うのだ。オレはモモちゃんのことで傷心の身なのに。犬だから何を言っても大丈夫だと思っているらしい。まあ、女を慰めるのも男の仕事か。しょうがない、絵理子に抱かれて甘えてやるか。これからも家の中で生活することになったから、絵理子にゴマを擂っても損はない。それに、絵理子と散歩するようになって楽しみが増えた。ケチな祐太と違って、ドッグカフェへ行くようになったのだ。初めて入ったとき、絵理子の友達に会ったのがきっかけだ。オレは、初めて食べたケーキやクッキーのおいしかったことに感激した。これからは、ぜったい絵理子と散歩に行こう。女に甘える術は得意だからな。
花蓮が小松家に遊びに来るようになった。どうも、あの一件から二人は付き合いだしたらしい。だから忙しくなって、散歩を絵理子にバトンタッチしたのだ。オレもそのほうがドッグカフェに行けるから文句はない。
「可愛いわね、小助」
花蓮は言葉だけでなく、オレを撫ぜたり、抱いたりしてくる。オレは女の色香に惑わせられないようにちょっとシャイに構えて、花蓮に冷たくしてみる。花蓮は前に一度もオレのことを可愛いと言ったことがない。この豹変振りはなんなのだ。だから女は信じられない動物だ。祐太はボケッとしているから騙されやすいが、オレは女の本質を見抜いている。おばさん犬との交わりから、オレは前にも増して、いろいろな事に疑り深くなってきた。時々、祐太の能天気が羨ましいが、オレは馬鹿にはなれない。
ある日、またしてもオレの身の上に驚くべきことが起きた。俊雄が大事そうに箱を抱えて帰って来た。久し振りに祐太の膝に寝そべって、甘えるそぶりをしていたときだ。絵理子ばかりだと嫉妬するからな。女もそうだが、男の嫉妬も以外に面倒くさい。
「親父、お土産か?」
祐太はチラッと見てから、すぐゲームに目を戻した。絵理子は嬉しそうに、箱を受け取ろうとした。
「ねえ、ケーキなの?」
箱を受け取った瞬間、箱が動いた。
「きぁあ、何これ?」
絵理子の悲鳴に、祐太も驚いた顔で箱を見た。
「まったく二人共、食いじがはってるな。これは小助の子供だ」
絵理子と祐太は、一瞬なんにも言葉が出ずに息を呑んだ。だが、一番驚いたのはオレだ。オレの子供だと。何の冗談だ。祐太はゲーム機を放り出して絵理子のそばへ行き、箱を受け取った。祐太は、リビングの床に箱をそっと置いた。その拍子に箱が少し動いた。オレも気になって祐太のそばへ行った。箱を開けると小さな生き物が動いている。微かに声も聞こえる。祐太が慎重に箱から出すと、手の平に乗るくらいの子犬が震えていた。目も開いておらず、犬かどうかも分からないほど、ぐにゃぐにゃと動いている。
「お父さん、これってどういうこと?それに小助の子供って」
祐太は小さな生き物を見ながら言った。俊雄は近くのソファに脱いだ上着を掛けて座った。絵理子は上着が皺にならないよう慎重に掛け直した。
「ほら、この前、友達の友達から頼まれて小助が種付けをしただろう。あの犬が妊娠したのは良かったんだけど、難産で一匹産んだ時点で死んだんだよ。ちょうど、その友達の友達が急遽海外へ転勤になったので、友達に頼むと言い残してアメリカへ行ったんだ。でも、友達の家はマンションで動物は禁止なんだそうだ。と、言うわけで、うちに御鉢が回ってきたんだ、頼むってね。それに小助の子供だからむげに断れなくてね」
俊雄は一気にしゃべって喉が渇いたのか、絵理子にコーヒーを入れてくれっと頼んだ。祐太も一緒に頷いた。祐太はタオルを持ってくると、そっと子犬を置いた。
「ほら小助、お前の子供だぞ。可愛いだろう」
オレは、こわごわ子犬を見たが絶対に可愛いとは思わない。それより理不尽だろう。確かにオレは種を提供した。しかし、それは強制的に行われたことだ。もちろん、飼うか飼わないかは小松家の問題でオレには関係ない。だが、お前の子供だと言われるのは心外だ。だいたい人を巻き込んで子作りさせたのに、自分はさっさと海外だ。無責任だろう。たとえ犬にだって命がある。命に責任とるのは当たり前だ。
その日から絵理子は張り切ってイクケンを始めた。やれ、ミルクだ、おしっこをしただの大騒ぎしている。オレの散歩も御座なりになり、便をしたらさっさと帰る。折角気に入ったリッチな雰囲気のドッグカフェへ行くこともない、こんなチビイヌのせいで。オレはムカついて、ちょっとだけ鼻先で突いた。すると、絵理子が飛んでくる。
「小助、自分の子供なんだから大切にしなさいよ」
オレを可愛いと言い出していた花蓮もチビに夢中で、小松家に来てはチビを抱きまくっている。ところでチビの名前は、松助になった。小松の小はオレの名前に使ったので、松をチビに使って松助になった。小助にしろ、松助にしろ、江戸時代の名前みたいだ。しかも、大名ではなく店の小僧の名前だ。どうでもいいと思っていた血統書だが、親子してこんな名前が残るのかと思うと、ちょっと憂鬱だ。松助は目が見えるようになり、よちよちと歩き回りだし、危なくてついつい付いて回るようになった。そうすると、懐いてきてオレの後を追ってくる。この前、見えなくなって必死に探したら、祐太の部屋にあるオレのベッドで寝ていた。ついつい可愛くなって舐めてしまった。
今では、このオレがイクケンに精を出し、一緒に散歩する時を楽しみにしている。変なヤツが来たら、絶対オレが守ってやるぞ。オレはお前の親父だからな。