雨宿り
灰色の昇降口。
アスファルトを打つ音がさらに激しくなった。
雨脚が弱まるのを待っていた俺はがっかりだ。
見れば、隣に薄い下唇を噛んで佇む女生徒が一人。
同じクラスの木羽である。
黙ってスマホを弄っている。
彼女も傘を忘れた口だろう。
まぁ、どうでも良い。
いや、関係ない。
と、だ。
「響君」
同じくスマホを弄っていた俺は顔を上げる。
誰の声かと思った。
見れば、木羽が俺を見つめている。
声を掛けてきたのはその女の子、木羽その人。
真っ直ぐに、そして真摯に見つめる視線が一つ。
そして突き出されたコンビニ傘。
「ちょっと茜、響のために二本買って来いって言ったわけ?」
と、苦い顔で述べるのは木羽に傘を渡した、あざといツインテール。横島だ。
「だって、この雨だもん」
「茜ぇ」
「木羽?」
俺には間抜けな声しか上げることが出来ない。
誰にでも優しいお人よし。だから横島なんかにも隙を見せる。
このお嬢様、木羽茜を俺はそんな目でいつも見ていた。
だけど今は違う。
セミロングの女の子、微かに傾げる首。
そっと差し出される透明なコンビニ傘。
「響君、傘忘れたんでしょう? 使いなよ?」
「良い……のか?」
信じられない事もあるものだ。
だけど、俺はその行為に甘える事にした。
「明日返す」
俺は木羽の手から傘をひったくると視線をすぐに逸らす。
「何その態度。響最低~」
横島。外野が煩い。
嫌われている自覚はある。
冴えない自覚もある。
だけど、そこまで言われる事か?
ちょっとした照れ隠しじゃないか。
「響君、可愛いね」
「はぁ? 茜、何言っちゃってるの」
「だって、ちっちゃな子供みたい」
悪ぅござんした。
どうせ俺はガキですよ。
頬か熱くなるのを感じる。それに自然と突き出される唇。
ホント俺、子供みたいだ。
情けない。本当に情けない。
「……ありがとう木羽。傘は明日返す」
「うん。傘を買ってきてくれた瞳にもお礼を言ってくれると嬉しいな」
大きなお世話だ。と、思いつつも横目に流す横島瞳。
「……ありがと。横島。助かった」
「べ、別にあんたのためじゃないし!」
ほらね。嫌われている。
いや、意外さに驚かれているだけかもしれない。
普段話さない女子。
そしてこの雨と言う偶然が俺たちの場を演出してくれる。
アスファルトを激しく雨が打つ。
「響君、それじゃぁね?」
「……ああ」
恥ずかしいので小声。
目を合わせることすら出来ない。
雨粒が光ってる。
木羽と横島が家路に着く。
俺はそれをただ呆然と眺めていた。
梅雨の日の出来事。
人の優しさに触れた、そんなひと時。
俺は笑っていたらしい。
珍しい事もあるものだ。
そして、木羽の優しさを再認識。
あの薄い唇。柔らかそうな髪。
雨の向こうに霞んでは消える木羽の後姿。
俺はいつまでも見送っていた。
明日。
傘と一緒に何かお礼をしよう。
俺はポケットの中の硬貨の数を確認する。
……お菓子の一つや二つは買えるか。
木羽。
俺はあいつの好みを知らない。
あいつ、飴玉好きかな。それとも、別のお菓子?
俺は急に木羽の事が痛く知りたく思った。
初めて染みる、この痛み。
俺は傘を差すと家路に着く。
コンビニに寄るのを忘れずに。
飴ちゃんで良い。
とりあえず飴ちゃん。女の子は甘いものが好きなはず。
たぶん。たぶん──。
雨の事など俺の頭の中からすっかり消えていた。
足元で水飛沫が跳ねる。
構うものか。家までの辛抱なのだ。
そんなことより明日、木羽と話すのが楽しみだ。
今日まで全然意識してなかったのに。
ただのクラスメイトだったのに。
不思議なものだ。
人の優しさ。
触れて始めてわかる人の心。
俺は、木羽を理解したいと思った。
俺は雨の中傘を差して駆け出す。
水溜りを滑るよう。足取りも軽やかに。