第四話『ナースコール』
一歩、また一歩と階段を降りる度に、音はどんどん大きくなっていく。
音は俺達を待ち続けるかのように鳴り止まない。
「ナースコールの噂に続きがあるのを知ってる?」
「続き?」
階段を降りながら話を切り出した悠子姉に、俺は首を捻る。
続きがあるなんて聞いた事が無かった。
時任に視線を向けると、知らないといった感じで、フルフルと首を振った。
「普通はナースコールが鳴り出した時点で逃げ出すからね」
でも、逃げ出さなかった人も少しはいたのよ、と続ける悠子姉の表情は俺達には見えない。
確かに、興味本位でなっているナースコールを見に行く人もいただろう。
そこに、少女が関係しているのか?
「ナースコールがどうして鳴るのか知ってる?」
「患者が……あっ!そうか」
悠子姉の問いに、時任が答え掛けて、何かに気付いた。
俺にもわかった。
ナースコールが鳴るのは、患者がボタンを押すからだ。
つまり、鳴っているナースコールが問題じゃない。
ボタンを押している部屋が問題なのだ。
鳴り続けるナースコールが、俺達を招く声に聞こえて、薄ら寒くなる。
「さあ、着いたわよ。どの部屋が呼んでるのかしらね」
腰に手を置き、妙に嬉しそうな表情で振り返る悠子姉の背中越しに、ぼんやりと光が見える。
俺達が恐る恐る近づくと、ある番号が光っていた。
『205』
心臓を鷲掴みされたような気がした。
その部屋は、以前俺達六人がこの廃病院を訪れた時に、皆で回った部屋の一つだった。
何も起こらなかったが、少しだけ寒気を感じていた。
「呼ばれたからには行かないとね」
「やっぱり、行くのか……?」
行きたくない。
悠子姉の意気揚々とした態度を見ていると、俺は嫌な予感しかしなかった。
後退りする俺に対し、時任は意を決したように歩き始めた。
「行かなきゃ終わらないでしょう」
「そうだけど……」
「男なんだから、覚悟を決めなさいよ」
言い澱む俺に、時任はピシャリと言い放った。
しかし、その身体は微妙に震えている。
時任だって、本当は怖いんだ……。
だけど、時任は悠子姉を信じて進もうと決めたのだ。
ここで、俺が尻込みしてどうする!
「行こう」
顔をパンと張って気合いを入れると、前へと歩き始めた。
暗い廊下を懐中電灯の光だけを頼りに歩みを進める。
怖いという感情を振り払うように、俺は胸を張ってズンズンと歩く。
「君達は、心霊現象が起こらなかった事で、逆にとり憑かれてしまったのよ」
「……」
まさか、心霊現象が起こらないせいで、色々な場所を見て回った事が憑かれてしまった原因だったなんて考えもしなかった。
考えてる間に、205号室に到着した。
以前来た時は開いてたはずなのに、今は閉まっている。
俺は今更ながらに、喉がカラカラに渇いている事に気が付いた。
生唾を飲み込む事も出来ない。
「準備は良い?」
「ええ」
「ちょっと待って」
「じゃあ行くわよ」
悠子姉は、時任の言葉だけ聞いて、緊張状態の俺は完全に無視していた。
開け放たれたドアの向こうは闇に包まれていた。
暗いのではない。
懐中電灯の光を当てても少しも明るくならないのだ。
その闇の中からゆっくりと……本当にゆっくりと人影が現れる。
それは、夜に出てくる少女だった。
少女は崩れ落ちるように倒れると、這い寄ってくる。
「……痛いよぅ……痛いよぅ」
ズリズリと寄ってくる少女に、逃げなければと思うが、身体が硬直して全く動かない。
金縛りだ。
俺の足元まで来た少女の手が足を掴む。
「……ッ!」
「痛いよぅ痛いよぅ」
身体は体勢を崩して、尻餅をつくように後ろに倒れた。
少女は俺に縋りつくようにして、徐々に顔へと上がってくる。
胸の辺りで吐血する少女に、完全なパニック状態。
何故に、悠子姉は助けてくれないんだ?
視線を悠子姉に向けると、真顔でジッと見つめていた。
その表情に、より恐怖が増す。
見捨てられた……?
思った瞬間、頭の中に、フラッシュバックのように、映像が次から次に浮かんでいく。
一瞬一瞬で消えていく為、映像を理解する事は出来ない。
唯一、理解できたのは、少女の名前が『神田桃子』だという事だけだった。
「おいで」
声が聞こえる。
いつの間にか閉じていた目を開けると、悠子姉が両手を開いて待っている。
その顔は慈愛に満ちていた。
「……痛いよぅ」
「痛かったね。もう大丈夫よ」
少女は俺から離れると、ゆっくり悠子姉の方へ歩き出す。
悠子姉は少女が辿り着くと、優しく胸に迎え入れた。
そして抱き締めた。
「今はおやすみ」
撫でる仕草をすると、少女はスーッと消えていった。
「成仏したの?」
「まだよ。でも、あなたはもう大丈夫」
緊張が解けたのか、時任はその場にペタンと座り込む。
縋り付かれた訳ではないが、恐らく恐怖で動けなかっただろうから。
「それにしても予想外にガードが固くて、あんまり視えなかったわね」
もう少し康助が頑張れば、何とかなったかもしれないのに、とか悠子姉は不服そうにブツブツと言っている。
「気絶しそうになるんだもん。ホントに焦ったわよ」
「仕方ないだろ!滅茶苦茶怖かったんだから」
俺はその場で立ち上がり、自分の状態を確かめる。
少女の吐血の痕などはなかった。
血塗れを覚悟していたが、大丈夫のようだ。
「滅茶苦茶怖かった。えっと、桃子ちゃんだっけ?」
「……ッ!」
先程の体験を思い出して、思わず身震いをしてしまう。
一体、あの桃子という少女の過去に何があったのか?
俺は先程の映像を思い出そうとしてみるが、やはり上手くいかない。
「康助、桃子って、今の女の子の霊?」
「そうだよ。何か色々と映像が流れ込んできたんだ」
「過去視……」
俺は今何かヤバい状態にあるのだろうか?
考え込む悠子姉に、俺はちょっと不安になってくる。
「よし」
「何がよし、なんだよっ!?」
「取りあえず、今日はお開きにしましょ」
送っていくから、と悠子姉は時任に話し掛けていた。
車中で時任を気遣いながら、連絡先を交換していた。
何か遭ったら電話して来なさいと……。
「康助、明後日の六時に家に来て。晩御飯食べさせてあげるから」
去り際に、それだけ伝えて帰っていった。
この時は、あんな事になるなんて、思いもしてなかった。