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其の二 ~永劫の樹の下で~

ひとが死ぬという事はどういう事なんだろう・・・


此のあいだかじった印度哲学の本には、

死とは表層的な終わりに過ぎず・・

今、自分が帰属する此の存在平面から一時的に消えるだけの事


・・とか、阿呆陀羅経が書いてあったっけ。


青年と言うにはまだこころも身体も幾分幼い生き物は

通学路途中の大きな欅の樹の下で水無月の陽を避けながら

何とも茫漠とした取り留めの無い思索に耽っていた。


そんな思索をする事自体が極めて若いいきものの

特権であるとは未だ気付かぬまま。


「16にして既にこころ朽ちたり・・か。」


ボクは此の世に何のために生まれてきたんだろうねえ・・

誰も本気になって其の問いには答えて呉れないんだよ・・

絶望と厭世とに年齢性別の差異なんて無いと思うんだけど・・


「お前、そう思わない?・・思わないか・・

 見てくれ哲人の風貌だけどねえ・・・」


其の若い初々しい小生意気ないきものは

傍に坐した老猫に問いかけた。


彼が此の欅の樹の下に座り込むようになってから、ずっと、いや、其の前から。

此の街を走り抜ける路面電車を見下ろす、夕日の美しい丘の大欅のしたに

幾分薄汚れた長毛種の何処か達観した風情の老猫は毎日座っていた。


後から己の隣に座を占めるようになった此の若いいきものに

苦情を述べるでもなくまた厭うでも懐くでもなく・・・

ただ、其れも最初から歴史の予定図に記載されていたかのように

老いた猫は欅の下で何者かを見つめ続けているようだった。


「もうすぐ、夕陽が沈む時刻だよ・・陽が長くなったねえ・・・。」


若いいきもの、まあ、少年Aとでも仮称しようか・・

彼も別に此の先住の老猫に何かを期待するわけでもなく

ただ、漫然と己にとって無意味にも思える時を

只管にやり過ごすように此処に来て・・ただ、座っていた。


時折、其の先住者に言葉を投げかけては居たものの。


其の行為自体にも、後から来た少年Aは幾分の倦怠を覚え

先住の老猫は逆に全く意に介せぬが如く微動だにせず

水無月の晴れた午後もいつもどおりに暮れかからんとした頃であった。


珍しくも其の情景に変化を加える出来事が唐突に起きる。


「やっぱり何も起きなかったね・・意味の無い瞬間の繰り返しだよ。」


少年Aが自嘲的に呟いた言葉に・・ふわりと回答が返って来たのだ。


「少なくとも生きている限り・・

 貴方の体細胞の0、4パーセントは日々死滅し

 また新たな細胞が刻々と生まれてきてはいるのですがね・・・」


深い、暖かい、だが何処かに闇の色を思わすような冷徹さを秘めた声


少年Aが振り向くと、欅の巨木に凭れ掛かるように一つのかげ

歳の頃は、さて、幾つだろう・・ちと年齢不肖な存外大柄な体躯に

両目を覆い隠す黒い眼鏡、美髯と言っても良い黒い髭のおとこ


「思索の妨げでしたかな・・若い哲人には・・。」


男はそう言うと、其の片手をふうわりと少年Aの傍らの老猫に差し延べた。


猫は、今まで一度も見せたことの無かった表情を浮かべて

旧知の何者かに会釈するが如く、ゆっくり物憂げにこうべかしげる。


「貴方は誰ですか?・・此処で会った事は無かったように思うけど・・・」


少年Aの問いに幾分の反発が感じられたのは

彼がまだ幼い印だったかも知れず。


「此れは失礼、小生も旧知のこいつに久々に会いに来たのみで・・

 まさか此の樹下の思索者が増えていようと思わなんだものですから・・。」


「・・じゃあ、大分長いことこの樹の下に来られていたんですか?」


「まあ、そうですな・・此の樹がまだ、貴方くらいだった頃から・・」


間違いなく揶揄された・・と、思った少年Aは不機嫌に口をつぐむ。

だが、男の次の言葉は彼の想像から幾分かけ離れたものだった。


「此の樹の樹齢は260年という事になっては居ますがね・・・

 本当はもっともっと長いのですよ・・

 実は軽く其の3倍ほどは在りましょうな。

 

元々彼は此処に居なかったのですからね・・

 此の存在平面に産まれた時は。」


此の親爺は何処か頭がおかしいんじゃないか?

少年らしい性急さで決め付けようとした彼の脳裏に

何故か不思議な光景が何の脈絡も無く浮き上がる。


深い深い欅の群生する自然林・・

陽のひかりさえ時にかげるほどの枝葉。

其の深奥部とも思しき樹の密集する窪地に一本の若い樹が生えていた。


何故か少年には其の樹が、

此処にある大欅と同一のものだ、と判った・・


理由などは無い・・

何となく、ただ=判って=しまったからとしか言い様が無いのだが。


「昔、此の樹はいつも思っていたのですよ・・

 周囲の同じ欅を見つめながら。

 自分は何か、自分は何故此処に居なければならぬか・・とね。」


男は淡々と其の淡い闇色の声で誰に言うとも無く語り続けた。


「小生は偶然其の声を聴きましてね・・若々しい瑞々しい・・

其れゆえに身勝手で無分別な声を・・、で、其の時、ちと、ですな。

余計なお節介をする気になってしまいましてね。


人には測れぬよわいを重ねていたとしても

所詮此の存在平面の被造物である限り、好奇心という感情は

消しきれぬごうの如き厄介者では御座いまして・・


まあ、其れが無ければ=せい=なぞという事象自体も

もっと色褪せた味気ないものになってしまいましょうけどね・・。」


男の口調に幾分の諧謔かいぎゃくが漂ったと思った瞬間・・・

少年の脳裏を席捲していた風景はまるで走馬灯の如く変化し始めた。


海風の吹き付ける荒れた冬の海岸線・・枝を揺する季節風・・

渡りに耐えかねた海鳥の親子が其の樹の枝に憩いつつ・・

親鳥の慟哭する目前、まだ若い雛は・・衰弱し・・果てる。


ゆるやかな風の吹き渡る花の咲く草原・・柔かくあふれる春の陽射し・・

何者ともつかぬ兵士たちが怒気を溢れさせお互いを殺めあう。

地に落ちた血と捨て置かれた躯は美しい花たちのかてとなった。


深遠から覗き込むが如き清冽で清浄な月光の下・・

運命から逃れようとするものは懸命に明日を夢見、お互いの手を握りつづけた。

其の背後から迫る無惨で容赦ない死の使いの足音を聴きつつも。


樹がひとつづつ年輪を重ねていくに連れ・・数多のいのちが生まれ

また数多のいのちが散り果てて此の存在平面から消えていった。


「そうして、いつしか、

 此の樹は逆にこう思うようになったのですよ・・・

 

私は何故、こんなにも多くの

 いのちの景色を見続けねばならぬのか・・と、ね。

 

そして、其れが自ずから望んで招いた

 結果であると気付いた時に

 彼は深く思索の中に独り入り込んで

 周囲を見なくなってしまった。

 

・・・小生も若気の至りとはいえ・ちと、無惨なことを、と思いましてね。」


男は溜息をつくと其の大欅の幹にゆるやかに掌を触れさせて・・・

少年Aに向かって何とも言えぬ微妙な微笑を浮かべる。


「此の樹を、此の夕陽の見える丘に移し・・

 一種の結界を張ったのです。


 生も死も目の届かぬ永遠に停滞した時間の中で

 何も見ずとも良いように。


 ただ独りで=此処に在る=という事を

 深く静か見つめる時を得られるように。

 

まあ、一種の贖罪しょくざいとでも申しましょうかね・・

 此れも余計な事・・だったやも知れませんが・・、ね。」


少年Aは其の脳裏の光景に圧倒され、

男の独白に引き込まれていたが

ふと、自我を取り戻したかのように、

若々しい性急さで口をひらいた。


「じゃ、じゃあ、何故、この猫と僕が此処に居るんです?


・・・そんな、時間の狭間のような・・場所と言うか、そんな所に。」


「聡明な貴方ならもう気付いて居るのではないですか?

 貴方自身が此処に来た理由という部分に関しては・・ね。」


男は先ほどとは幾分異なる深い闇のいろの声で・・笑いながら続ける。


「小生の正体が何であるか、という事も

 薄々は悟られてはいませんかな?

 小生の故郷はこの存在平面に

 まるで奈落のようにくっついた異界でしてね。

 

其処自体が存在平面を統べる何者かとの契約事項で

 この世界にあるいのちのおわりとはじまりの

 幾つかの部分を管理掌握する役割を与えられているのですよ。

 

 小生は其の異界を統括するものの

 甥っ子ってえ事になっておるんですが・・

 

如何せんまだくちばしの黄色さが

 抜け切れぬ莫迦でありましてな・・。」


男は少年Aに向かってゆるやかに歩み寄りながら

・・・さらに滔々と其の闇色の声音を響かせる。


「契約条項が在るという事は、

 無論其れに順ずる禁忌というモノも御座います。

 

親より早く死んだ子を例えば、

 そう、皆さんの概念で言う天国には送れぬ・・とか

 

自ら命を与えられた余命以前に

 絶つようなものには慈悲を掛けられぬ・・とか。

 

 ただ、小生は其の原理原則にも、何と申しますか・・

 数少ない例外は在って良い、と思えましてね・・。


 あるとき小生、己が小父貴に逆らって其の例外を作ってしまったのですよ。

 

それ以来、故郷には帰れず、この平面で永劫の時を苦しんで・・

 いや、ある意味楽しんでおるのやも知れませんがな、 」


少年Aは先ほどまでの倦怠や生意気さをすっかり失って狼狽しつつ問うた。


 「じゃ、じゃあ・・僕が此処に居る理由って・・もしかしたら・・・」


 「そう、貴方は既にこの存在平面から消えるという運命を選んだからです。

  しかも、己の手で、愚かにも其れを実行するという、愚挙のおまけ付きで。」


男は其の美髯をゆっくりとなで上げて少年Aを見据えた。

其の黒瞳こくどうは確かに深い闇の色をしていた。


「本来なら有無を言わさず、小生の叔父貴の手下が

 貴方を異界に拉致して古来から貴方たちが想像した以上の

 永劫の業苦を貴方に与える処でした。

 

ただ、小生、幾分また気まぐれが出ましてね・・貴方の行く末に。」


男はあらためて深く溜息を吐き、緩やかに欅の古木を撫で回しながら・・

まるで何者かに同意をもとめ肩を抱くような仕草にも其れは見えた。


「この欅ですら数百年の長きにわたって

いのちの始まりと終わりを見続けて・・

 初めて己の望んだことの重さに気が付く・・

 

本来其れほどの重さの=想い=であるにも関わらず

 まだ20年にも満たぬ・・正直、雛にも成らぬいきものが・・

 自ら性急に己が滅びに及ぶ事・・其れ自体見過ごせぬ・・と、

 彼らが珍しくいきどおるものですから。

 

そう、この欅と此の猫が・・何故か貴方を見て・・・ね。」


男は今度こそはっきりとした審判者の目と声で少年Aに告げた。


「猶予は其れほど在りません・・即答しなさい。

 貴方はまだ・・此の存在平面から消えたいですか?

 其れも己の手で、己を消すというもっとも愚かな方法で。」


男の口調が徐々に徐々に何処か冷徹で容赦ないものに変わっていく。


「其れならば此の小生が・・二度と輪廻の渦にも加われぬ

 ・・・そう、貴様等の呼ぶ=地獄の深遠=へと

 ああ、今すぐにいざなってやろうものを。」


「だ、だって僕には何も無かったんだ・・生きていても何も・・・」


「嘴の黄色い雛にもならぬものが大層に語るな。

 お前はまだ何も知らぬと言っても良いではないか?

 本当の苦痛も快楽も絶望も陶酔も未だ知らずして

 己に何も無かったなどとは、時間ときへの冒涜と知るがいい。

 

ふむ、度し難い愚か者と呼ばれても甘受せねばならぬうつけだが・・


 それでも最期に今一度猶予を呉れてやる・・

 思い残すことは本当に無いか?

 誰でもない、己がこころに問うてみよ・・小僧。」


少年Aの狼狽し混乱したこころに、其の時ふっと何者かが語りかけた。


「そこにあるということがとおといことだとわたしはきがつきました。」

「いみなどなくてもそこにあることはじゅうぶんにたいせつなことなのです」

「たいせつなものたいせつなあなたかけがえのないあなたかわりのないあなた」

「それにきがつくにはながいときがひつようなのかもしれません」

「あなたがこれからもここにあることで

それはだれかをたすけていることかもしれない」

「ながいながいながいながいひとりのひびにもいみはあったとおもうのです」


夕映えにきらきらと瞬くように揺れる欅の青い葉が

沢山の言葉を一度に投げかけるように少年Aに問いかけていた。


いや、ある意味教え諭すように包み込むように囁いたのかも知れなかった。


「ぼ、僕は・・じゃあ、何を、どうして行けばいいんだろう・・」


「考えなくて良いのよ・・坊や・・こどもは・・・

どんなに悩んでも結論なんか出さなくて良いの」


何か慈母のような初夏の風のような軽やかさと優しさを持った声が・・

何処からとも無く割りこんできた・・其の声の主は・・ああ、あの老猫だ。


「一度だけ、此の気まぐれな莫迦親父に頼んであげるわ。


 お帰りなさい、貴方が本来まだ居なければならない場所に。

 さっき、貴方は見たはずよ、いくつものいのちの終わりを。


 生きたくとも生きられずそれでも最期まで一生懸命に

 此処に在ろうとしたいのちの声を・・其れを忘れなきゃ大丈夫。


 いつか貴方なりにそれが判った気になる時がくるわ。

 其の時に、また、此処に来れる様ならいらっしゃい・・

 私たちはずっと貴方を待って居てあげますから・・・。」



・・・ああ、そうだ、僕は・・誰かに・・許してほしかったのかも・・・

ああ、僕は許される事がどれほど素晴らしいかさえわかっても居なかった・・・



少年Aが目を覚ました白いシーツの臥所の周囲には

何人もの白衣の医療者と彼の両親が彼の顔を見つめて

其れこそ嬉しさのあまり滂沱の涙を流していた。


「お、おかえり、××・・お、お前、戻ってきてくれたんだね。」

「・・・、ただいま、・・・おかあさん・・・ごめんね・・・」


数年ぶりに少年Aは・・素直に感謝と謝罪の言葉を・・口にした。




既に夕陽も沈みかけた丘のうえ、先程の大きな欅の老木の樹下。


黒衣黒眼鏡の美髯の男の傍らに居たのはあの老猫・・ではなく

深い蒼の瞳を持った金髪の豊かな肢体の女性・・

いや、其の背中に5枚の白い翼を有した何者か。


「・・本当に、お節介なお姐さんですなあ・・有史以前から、貴女あなた。」

「あら、きみも充分に其の本分から逸脱していてよ・・かなり前から。」


「・・今回は、ちょいとお手間をお掛けしました。

ああいう中途半端に大人なこどもは・・小生、幾分苦手でしてねえ

 特に、あの手のように己の自我や存在自体に

崩壊を内包しているような=純粋=なのは・・どうも・・」


「・・うふふ、でも、きみに幾分似ていないかな

 ・・浪漫過多の・・=次期・魔王=くん。」

「・・まだ、=候補=で御座いますよ・・=Gabrielガブリエル=。」



似ても似つかぬようで実は極めて酷似した二つの何者かは

有史以来何百度目かの=ささやかなお節介=を終え

此れも永劫の如く変わらぬ夕陽を眺めて・・静謐に笑った。


欅の古木の葉が、其れに和すように

・・さらさらと揺れ続けていたようだった。


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