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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

僕にとってのレ・ミゼラブル

作者: 黒井雛

「レ・ミゼラブル」という有名な小説がある。

 日本語訳の、その題は「あぁ、無情」

 原題Les Misérables は、直訳すれば「悲惨な人々」「哀れな人々」という意味があるという。

 僕はずっとこの原題を、英語のRe miserableだと勘違いしていた。


 Re miserable



「繰り返される、惨めさ」


「惨めさの、繰り返し」



 ――惨めさの繰り返しばかりの、僕の人生。




 眼が覚める度、いつも「あぁ。眠っている間に死ねなかった」と思う。「眠っている間に死ねば、楽だったのに」とも。

 母親が仕事に行く前に用意してくれた朝ごはんを、時計を見ながら出来るだけゆっくりと咀嚼する。

 起きる時間は余裕を持っている為、到着がぎりぎりになることはない。だけど、学校へ着く時間は、けして遅刻しない範囲で、ぎりぎりではなくてはいけない。丁度良い時間になる様に調整しなければ。

 少しでも、到着してから学校で過ごす時間が、授業が始まる前までの朝の一時が短くなるように。


 学校に登校する。いつも通り、丁度良い、ぎりぎり遅刻では無い時間だ。

 すれ違うクラスメイトと一言の挨拶も交わさぬまま、黙って席に着く。

 そして始まるいつもの日常。

 授業中は、いい。勉強は苦手ではないし、けして嫌いじゃない。現代国語の解釈なんかは、僕の興味をそそられるような内容も多く、愉しいとさえ思える。

 問題は、休憩時間だ。

 10分程度の僅かな休憩時間が、溜まらなく苦痛で仕方ない。移動教室ではなく、教室内で授業が続行される場合は特に辛い。

 そして苦痛の極みは、昼にやってくる。

 皆が愉しそうに会話を交わし、机を移動させれ昼食をとる中、僕は自分の机でひっそり一人でお弁当を広げる。

 なぜ、僕の席は、教室の真ん中なのだろう、せめて、一番後ろの…それか一番端の席だったら、これほど苦痛でもなかっただろうに。

 母親が作ってくれた冷たいお弁当は、持ち運び途中で偏ってしまって無残な状態になってしまっていた。だけど、そんな状態に突っ込む相手もいない。偏った冷たいお弁当を、一人で静かに口に運ぶ。


 別に、僕は虐められているわけではない。

 僕が通う高校は、県内トップの進学校だ。いじめなどという幼稚な行為をする人間はいない。そんなことがあったら、内申に響いて進路に影響が出る。

 ただ、誰も、僕の存在を認知していないだけだ。

 空気のように、誰も僕を気を掛けていないだけだ。


 ここは、この教室はいつだって僕には空気が薄い。

 胸が詰まったように苦しくて、ちょっとした調子で涙が滲みそうになる。




 あぁ


 あぁ


 溜まらなく、惨めだ



 ゆっくりと弁当を食べ終わり(余り時間をかけすぎてもいけない。皆が食べ終わっているのに、一人だけ昼食を食べ続ける様は酷く浮くのだから)、持て余す残りの休憩時間で、僕は教科書とノートを開く。

 宿題なんかとっくに終わっている。教科書は、言動を誤魔化すためのフェイクだ。

 僕は常に持ち歩いているノートに、いつものように物語を紡ぐ。

 ここではない、異世界の物語を。

 僕のようなさえない男の子が、神様から特別な力を持って、勇者として活躍する物語を、ただひたすら無心に書き続ける。



 きっと、この世界は、本当の世界ではない。

 本当に、僕が生まれてくるはずだった世界ではない。

 僕が生まれてくるはずだった、僕が特別な存在だと崇められるような世界が、きっとあるのだ。


 いつか、きっと、僕はそこに行くのだ。そうに決まっている。そうじゃなければ、おかしい。


 だって、おかしいじゃないか。すぐ傍で、高校生活を満喫して、友人たちと笑い合っている人間がいるのに、僕だけこんなに惨めなのはおかしいじゃないか。

 不公平だ。不平等だ。きっと、この先に大逆転劇が待っているのだ。きっと、絶対、いつか。



 苦しい一日を終えて、家に戻っても安寧の時間は両親が帰ってくるまでのごく一時だ。

 夫婦仲が悪い両親。思春期の僕を持て余す母と、僕に無関心な仕事人間の父親。

 テレビの音だけが虚しく響き渡る、いつもの会話が無い食卓。

 早々とご飯を終えると、僕は部屋でスマートフォンを弄る。

 アクセスするのは、僕が登録している小説投稿サイト。

 僕は今日ノートにまとめた内容を、スマートフォンで打ち込んで投稿する。

 しかし、その後アクセスを解析してみても、僕の小説を読んでくれる読者のアクセス数は微々たるものだった。感想だってもちろんない。



 家にも、サイトにも、僕の居場所は、どこにもない。

 僕はベッドに突っ伏して一人声を押し殺して泣き出す。


 レ・ミゼラブルのなかで、主人公ジャン・ヴァルジャンは囚人という惨めな境遇にありながら、過去を隠して自らの才覚で財を成したし、最後は聖人として死んだ。

「惨めな人々」という題だったが、彼は自らの力でカタルシスを形成した。

 だけど、僕は?

 惨めで惨めで仕方ない僕は、この後カタルシスを形成することなんかできるというのか?

 例えば、勉強して有名大学に行って、有名企業に入社出来れば、僕はもう惨めな思いをしなくていいというのか?

 それが僕に、出来るというのか。

 まともに友人さえできない程、コミュニケーション能力が低い、この僕にっ!!

 コミュニケーション、世渡り、人付き合い。

 余程の天才を覗いては、結局どんな状況でも、社会で生きる上ではそれが絶対的に必要になってくるのはそればかりだ。

 そして僕は、その方面での才が決定的に欠落しているのだ。

 最早、ただ人と会話を交わすことにすら恐怖を覚えてしまうような僕が、この先それを身に着けられるとは思えない。



 Re miserable


 惨めさの繰り返し。


 きっと僕のこの惨めさは、僕が息絶えるその瞬間まで続くのだ。



 あぁ、死にたい。消えてしまいたい。


 ――嘘だ。本当は死にたくない。僕は消えたくなんかない。


 僕は手に持ったスマートフォンから、ブックマークに登録していた小説を開く。

 その小説は、僕のようなちっぽけな人間が、神様にチート能力を与えられ、勇者になる物語。勇者になって、周囲から愛される、物語。

 僕は貪るように小説を読み進める。

 そして、夢を見る。

 異世界で自分も、同じような勇者になる、夢を。



 本当は、僕は生きたいのだ。

 生きたくて、生きたくて、仕方ないのだ。

 惨めさがない、僕を特別な存在として扱ってくれる世界で、生きたくて生きたくて仕方ないのだ。



 だけど、そんなのは物語の中だけの世界。

 実際、そんな都合が良い事が起こる訳がない。

 僕は、惨めさに耐えながら、ただひたすら生きていくしかない。


 ――そう、思っていた。


 思っていたのに。




「すまない!!わしのミスで、本来なら死ぬはずが無いお前さんを死なせてしまったようじゃ!!」


 いつもの登校時間。

 突然僕に向かって突っ込んできた大型トラック。


 気が付くと、不思議な空間で、独特の口調の幼女に土下座されていた。


「お詫びにお前さんの魂を、好きな世界に転生させてやろう!!望むことがあれば、わしの出来る範囲ならば叶えてやる!!」


 どこかで、見た設定。

 ネット小説でありがちなご都合主義な展開。

 まさか、本当にそんなことがあり得るのだろうか。


「…もし魔法が存在する世界で、最強の魔法使いとして転生させてくれと言ったら、叶えてくれるのか?」


「あぁ、それくらいならたやすいことじゃ!!」


 余りにも、僕に都合がいい返答。

 そもそも小説を読んでいた時は何も思わなかったが、たかだか人間を一人殺したくらいで、神が土下座して謝るという行為自体おかしいんじゃないか?

 絶対的力を持つ神が、人間一人の運命を狂わしたところで、普通気にするだろうか?

 大体、神さまが幼女の姿で不自然な口調を使っていることに、違和感を感じる。

 もしかしたら、こいつは、従来の「テンプレ」転生小説に乗っ取った行動をしているのではないだろうか。

 何か裏を持って、僕を利用する為に。


――だけど、それでも


「…じゃあ、強大な魔法能力と高い身体能力、優秀な頭脳に、裕福な貴族の身分、全て保障して転生させてもらおうか」


 それでも、構わない。

 この惨めさを繰り返すだけの世界から脱出できるなら。

 カタルシスを起こしうる術を与えてくれるというのなら、僕はそれに縋ろう。

 この惨めな日々に終止符を打てるなら。

 どちらにしろ、現世の僕はトラックにはねられて死んでしまっているのだ。

 与えられた運命に従うしかないだろう。



 神と名乗った幼女が、口端を吊り上げて嗤う。

 さながら悪魔のようなその笑みは、神とは程遠く見える。

 だけどその幼女の口車に乗ることに、迷いはない。



 Re miserable


 惨めさの繰り返し。


 僕は今日、この惨めさから脱却する。



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[良い点] 異世界転生の前の人生 [気になる点] 続き、と、コメント [一言] 作者さん、頑張って!、すでに頑張ってたら、、、大丈夫! 初対面やけど、あなたの小説に感想書くためにアカウント作っちゃい…
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