天高く
「屋上に上ってみないか?」
思いつきのような先輩の言葉に乗せられて、ボクたちは二人、校舎の上から校庭を見下ろしていた。
当然だが、屋上に出る扉には鍵がかけられていて、一般生徒は立ち入ることが出来ない。ではどうやってその難題をクリアしたかといえば、何のことは無い、鍵を手に入れて普通に開けただけだ。
情報化社会、電子セキュリティーはどんどん高度になっていると聞くが、その分人間は神経を鈍らせているのだろう。少しの思い切りと行動力があれば、学校の物理セキュリティーなどどうにでもなるのだった。
「それをさせないための心理的な枷を植えつけるのが、学校生活という教育の筈なんだがな。君には関係なかったようだ」
「それ、計画した先輩が言うんですか」
それにボクだって、想像以上に簡単に、小さな非日常へと踏み出せてしまったことに、戸惑いは覚えていた。
しかし、それをさて置いても、屋上という空間は魅力的である。
外なのに切り取られた世界。数分前までの級友を眼下に見る不思議。全てを手に入れたような高揚感と、背徳感。
センセイが立ち入り禁止にするのも分かるぐらい、屋上には吸い込まれるような引力がある。
「煙の気持ちも分かろうものだな。後者は言うに及ばず、だ」
伸び伸びと、気持ち良さそうに目を細めて、金網にかしゃんと手をかけ、先輩は世界を見下ろす。
「なぁ。君は彼らを見てどう思う?」
グラウンドでは、運動部の面々が一心不乱に、青春の汗と涙と泥にまみれている。
お世辞にもキレイと言える格好ではなかったが、誰もがみんな、きらきらと輝いて見えた。
「一つのことに情熱を傾けられるって、羨ましいなぁと」
「あぁ、君は本気の出し方が分からなさそうなタイプだな。一つ事に全力を注げる今は貴重だぞ」
「理解は出来てるんですけどね」
青春時代が夢なんて、後からほのぼの思うもの。
今を生きるボクらにとっては、それこそ夢物語で――なんて、格好つける訳ではなくて、ボクは単に本気になれたことがないだけの臆病者だ。
「先輩は知ってる人ですか、本気の出し方」
「さぁな。ただ、ああいうのを見ても、私には可愛いとしか思えないんだ」
遠くを見るように、少しだけ寂しそうに、先輩は言葉を落とす。
「人より才能があって、毎日必死で練習して。この中の何人がオリンピックに出られる? いや、そもそも世界一を目標に据えている人間がどれだけいる?」
「1番でなければ意味がない、と?」
「いや、意味はあるよ。それは私が決めるものじゃない。ただ、どこまでも果てしなく上がいる世界で、一生懸命お山の大将を目指している姿は、滑稽ではないが可愛らしい営みに見えるんだ」
例えばそれは、アリが角砂糖を運んでいるのを見るような。
例えばそれは、小さな犬が見知らぬ人間に吠え掛かっているのを見るような。
まるで神のごとき尊大な態度で、ただ淡々と、平然と、先輩はシニカルな笑みを浮べて語った。
「まぁ現実、牛の尻尾を追うよりも、鶏のトサカにつく方が幸せなのかもしれないな。もっとも、その群れに入ろうともしない私が言えた義理ではないのだろうが」
「先輩は、家畜小屋からふらふら抜け出しそうなタイプですしね」
「外から見て、寒いということか」
「管理が難しくて手に余るってことですよ」
かわす言葉が上手いな、と言いながら、それでも先輩は満足そうだった。
自覚があるなら改めればいいのに、と思いながら、それはそれで先輩らしくないし、何よりチキンのボクが言えた話ではない。
「君の上に立つのは容易いかもしれないが、それより私はお腹が空いたな」
そんな表情を読み取ってか、先輩はフフッと悪戯気に笑う。
放課後幾度目かのチャイムが響き、鶏は両手を掲げて空を見上げた。