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冬の患者と雷乱[下]

 雷乱(らいらん)比呼(ひこ)が向かったのは、屋敷の離れにある処置室だ。


「お前は患者が暴れないように押さえといてくれりゃいい」


 処置室を清掃中の奉公人になたを渡しながら、雷乱は比呼の仕事を説明してくれた。石床の処置室は、華金(かきん)でも珍しい玻璃(ガラス)窓がいくつもあって明るい。四畳半ほどのこじんまりした部屋を衝立(ついたて)で仕切った片方には、様々な手術に使う道具類が目立たないように片づけられていた。患者の恐怖心をやわらげるためだろう。


「いつもありがとうございます」


 奉公人は受け取ったなたの包みを解くと、衝立に隠された火鉢の上に置いた。赤い炎が刃を(あぶ)るのが見える。


「あとは患者の勇気が固まるまで待つか」


「わかった」


 処置室から少し離れた場所にある小部屋に、比呼と雷乱は腰を下ろした。(ナギ)は薬湯の準備をするそうで、この場にはいない。


「雷乱、薬師(くすし)家の手伝いもしてるんだね」


 千斗(せんと)同様、数日おきに比呼の様子を見に来てくれる雷乱の新たな一面だ。


「よっぽど力仕事がいる時だけな」


 地の底から響くような低い声で答える雷乱は、多少ガラが悪いものの面倒見の良い兄のような雰囲気だ。


「特に人の手足を落としたり、歯を抜いたりって力仕事は、ここの奉公人もやりたがらないからやらせてもらってる。まぁ、ちょっとした小遣い稼ぎだ」


「それ、力仕事というより、精神的につらい仕事だよね……」


 比呼は先ほどの雷乱の言葉を思い出した。たとえ必要なことだとしても、ためらいなく人の四肢を切り落とせる人はそういない、らしい。


「まぁ、オレの心配はすんな」


 雷乱の大きくて重い手が比呼の頭を乱暴に撫でる。


「お前はどうだ? 困ったことはないか?」


「全然」


 それ以上この話をしたくなかったのか、比呼の現状に興味が向いたのか。急な話題転換だったが、比呼はすぐに応じた。


「退屈もしてないか?」


「退屈?」


 その問いは予想外だった。考えたこともなかったから。比呼にとって城下町での暮らしは毎日が新鮮だ。


「この国は過ごしやすいが、時々退屈に感じる……」


 雷乱は遠くを見るように目を細めた。


「小娘がいないと特にな。城の雪かきして、朝飯を食ったら、お前の様子を見に行くか、通りの雪を川まで運ぶか、氷を切り出して氷室(ひむろ)に収めるかのどれかだ。毎日毎日同じことの繰り返し。しかもめちゃくちゃ寒いときた」


「僕は、そういう繰り返しがすごく幸せ、かな」


「なら、お前の方がオレよりもここでの暮らしに向いてるのかもな」


 雷乱の眉間のしわが浅くなった。そうすると、彼が意外と女性的できれいな顔をしていることがわかる。


「まぁ、退屈を感じ始めたら小娘のところに行くと良い。あいつのそばは暇しない」


 彼も比呼同様、与羽(よう)に救われた一人なのだ。


「うん」


 比呼はうなずいた。


「じゃあ、そろそろ準備するか」


 細く開けた戸の隙間から、三十前後の男性が処置室に入っていくのが見えた。凪が出血と痛みを緩和させる薬湯を渡して、飲むように促している。


「洗いたての着物に着替えて、肘まで丁寧に手を洗うぞ。爪の中もだからな」


「うん。わかってる」


 比呼は長い髪を団子状にまとめて頭巾に隠した。雷乱も同様にしている。


「こいつが終わったら何かうまいもんでも食いに行こうぜ」


「凪の許可が出たらね」


「なんだお前、もう尻に敷かれてんのか?」


「そう言うわけじゃないけど……」


 陽気に笑う雷乱に、比呼も笑みを返した。


玉枝京(たまえきょう)経帯麺(けいたいめん)って人気だったろ? それに近い物を出す店を城下町で見つけたんだ」


 経帯麺とは、小麦粉にかん水などを加えて作った薄い紐のような中華麺だ。華金の王都では、しょうゆ味か塩味の汁で食べるのが一般的だった。


「僕、あれ好き」


 濃い味の汁とそれがたっぷり絡んだ麺を思い出して、比呼はつばを飲み込んだ。祖国の思い出にも、楽しい記憶があったらしい。過去のすべてを封じようと考えていたが、その必要はないのかもしれない。


「華金は貧乏人には暮らしにくいが、金さえあればいくらでもうまいもんが食えたよな。肉に魚に、変わった料理、舶来(はくらい)品の菓子や香辛料、酒の種類も多かった」


 雷乱は着替えながら遠い目をした。比呼も一緒になって華金の飲食物に思いをはせる。中州でふるさとの話ができるとは思わなかった。同郷の雷乱には、友人のような親しみを感じる。

 与羽や彼女を取り巻く人々は、ほとんどが上流階級の出身か高位の官吏だが、雷乱はそのどちらでもない。気安く頼れる貴重な存在だ。


「っと、大事な仕事の前に気を抜きすぎちまったな」


 思い出したように言って、雷乱は自分のほほをバチバチと叩いた。


「そうだね」


 比呼もうなずく。これから、患者の命に関わる処置を行うのだ。


「行こうぜ。食いもんの話は仕事が終わったあとだ」


 雷乱は真っ白な作業衣の袖を肩までまくり上げて、控え室を出ようとしている。あとは手を洗って、患者に薬湯の効果が出始めるのを待って、処置に移るだけ。


「うん」


 比呼も衣装を整え終わったので、雷乱のあとに続いた。彼がいてくれれば、華金と中州の違いに悩むことも少ないだろう。新しい世界になじもうとする比呼を助けてくれる人は、意外と多い。


 きっとうまくやっていける。春までは、もう少しだ。

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