冬の患者と雷乱[上]
【冬の患者と雷乱】
「あ、比呼いたいた」
自分を呼ぶ高い声に、比呼は顔を上げた。ここは薬師家の庭に作ったかまくらの中。
「暖かいし、室内より明るいから」
白い光に包まれたこの場所は、読書をしたり、軽い作業をしたりするのにもってこいだ。
「……もしかして、うちに来る人たちに気を遣ってる?」
しかし、凪は比呼がここにいる理由を察していた。薬師の治療を受けに来る患者の中には、比呼を快く思っていない者もいるから。
「……ちょっとだけ」
比呼を追い出した方が良いと言う者、比呼の手当てを拒む者、比呼に敵意のこもる視線を向ける者――。凪と香子は常に比呼をかばってくれるが、患者のためにも彼女たちのためにも、比呼は人目につかない方が良いのだろう。
「気にしなくていいよ。うちが気に入らないなら、よそに行けばいいんだから」
城下町には、薬師家以外にも医師はたくさんいる。
「でも、最近はちょっとずつ落ち着いてきたかなー」
比呼に対して疑心を見せる患者が、少し減ったと言う。比呼の努力や先日会った八百屋の女将のおかげか、それともやはり薬師家を避ける人が出はじめたか。もし、比呼のせいで患者が減っているのなら、申し訳ない。
「あの――」
「で、何してるの?」
謝罪の言葉を口にしようとした比呼を遮って凪が尋ねてくる。かまくらの入り口にしゃがみこんで、比呼と目線の高さを合わせる凪の表情は明るかった。「比呼が謝る必要なんかないよ」と伝えるように。
「柚子茶に入れる薬をすりつぶしてたんだ。こんな感じで大丈夫かな?」
比呼の膝に置かれたすり鉢には、桂皮(シナモン)や乾燥生姜、くず粉などが入っている。
「あ、今朝頼んだやつ!! うん、すごく細かい粉になってていい感じ。配分も間違ってない」
凪は比呼の差し出したすり鉢を受け取って、少量味見した。ピリリと辛い味は、砂糖と蜂蜜をふんだんに使う柚子茶に混ぜると、程よい刺激になる。
「これだけあれば、もうこの冬は大丈夫かなー」
じきに暖かくなって、柚子茶を求める人もいなくなるはずだ。
「それで、何かあったの?」
かまくらから出ながら比呼は尋ねた。袖を肩までまくり上げ、前掛けをつけている凪は診療の途中で抜け出してきたように見える。比呼の手が必要になって呼びに来たのだろうと察せた。
「ちょっと男手が必要そうでね……」
突然、凪の表情が暗くなった。
「先月凍傷で来た患者さんの足が腐り始めてて、切り落とさないといけなくなって――」
「僕が切れば良い?」
たしかに、凪や香子の腕力ではきつそうな仕事だ。
「え?」
うつむいていた凪が顔を上げ、目を丸くした。
「え? 僕、何か変なこと言ったかな……?」
彼女の驚き顔に、比呼も驚いた。
「そりゃあ、真顔で『自分が切る』なんて言ったら驚くだろ」
そこに加わったのは、ざらついた低い声。比呼が首を巡らせると、庭と大通りを繋ぐ細い小道を通って、長身の青年が歩み寄ってくるところだった。
「あ、雷乱。いつもありがとう」
凪が振り返った。その顔に浮かぶ笑顔には、まだ驚きと戸惑いの余韻が残っている。
「俺やお前みたいに、平気でひとの手足を落とせる胆力がある人間は稀なんだよ。特に武官でもない町人にはな」
大股で歩み寄ってくる雷乱は、比呼と同じ華金出身の護衛官だ。六尺四寸(百九十二センチメートル)と言う、城下町中を探してもほとんど見ない高身長と、常に眉間に寄せているしわのせいで、近寄りがたい威圧感を放っている。年のころは二十代後半。比呼よりいくつか上だろう。
「なたを研いでもらってきたぜ」
雷乱は片手に持っている物体を少し持ち上げてみせた。清潔な布で何重にも巻かれた内側には、患者の足を切り落とすための刃物が入っているらしい。
「ありがとう」
凪はもう一度礼を言った。
「いいか? 患者の足を切り落とすのはオレの仕事だ」
三人で室内に戻りながら雷乱が比呼に言う。脅すような低い声だった。
「小娘がいないせいで、メシ代稼ぐのも一苦労だからな」
小娘とは、この国の姫君与羽のこと。与羽の専属護衛官である彼は、護衛対象が同盟国にいるせいで失業状態らしい。
「あれ、雷乱って官吏じゃ――」
「ねぇよ。文句あるか?」
あまり聞かれたくない問いだったのか、雷乱は眉間のしわを深くしている。
「……ううん」
比呼は彼の機嫌を損ねないように首を振った。
「まぁ、こいつは俺に任せとけ。お前はもう自由なんだろ? 無駄に心をすり減らす必要はねぇよ」
本当にお金が必要なのかもしれないが、比呼を思いやってもくれているようだ。
「ありがとう。でも、そういうの僕は平気だから、心配しないで。もちろん、雷乱の仕事を奪う気はないけど……」
「…………」
雷乱はちらりと比呼に視線を向けた。しかし、患者のいる診療室が近づいてきたからか、言葉はない。
木戸が閉められた診察室からは、香子の声が聞こえてくる。患者に治療の説明をしているようだ。
壊死した足をこのまま残しておけば、痛みや苦しみが続くだけでなく、命まで脅かされてしまうこと。しかし、壊死した部分を切り落とす処置にも死の危険性があること。どちらを選ぶか最終的に決めるのは、患者自身だ。比呼なら迷いなく自分の足を落とすだろうが、その恐怖や痛みに尻込みする気持ちはわかる。ただ、雷乱が呼ばれたということは、患者の中でもすでに覚悟が決まっているに違いない。
雷乱は無言で診察室の前を通り過ぎていった。比呼もそれに従う。




