終章三節 - 旅の終わり
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天駆と中州の国境にある関所で、与羽たちの見送りは行われた。見送り側には天駆領主――希理と神官の空、舞行、白師、そしてここまで一行を護衛してくれた天駆の武官が並んでいる。
舞行の長期滞在に関する手続きは、辰海の尽力と中州北部に強い影響力を持つ柊一閃地司のおかげで速やかに終了した。数人の官吏が舞行の護衛として湯治場に宿泊することとなり、柊地司も時折舞行に会いに行くことを約束してくれた。舞行自身が望んで残るのだし、旧来の友である白師もいる。何も心配はないはずだ。
「長い間、お世話になりました」
与羽が深く頭を下げると、辰海や大斗、実砂菜、竜月も礼をした。
弥生(三月)の初旬。日が当たるところの雪はほとんど解けている。日陰には土で汚れた茶色い雪が残っていたが、こちらも半月もしないうちに消えるだろう。ひだまりの中は暖かく、紛れもない春を感じさせた。
「とても楽しかった。舞も、武術指南も、雑談も――。本当に素晴らしい冬だった」
希理は出会ったときと同じように、大きな両手で与羽の手を包み込んだ。あの時と違うのは、彼が晴れやかな表情をしていること。天駆国が良い方向に進みつつある予感に、与羽も笑みを浮かべた。
「私もいろいろな経験ができて、とても楽しかったです」
空や大斗たちと神域を歩いたり、龍頭天駆中の神殿で舞の奉納をしたり、肩まで湯につかって雪景色を見たり――。
「神域に呼ばれた件は、申し訳なかった。その、『祝福』も……」
次に希理は辰海を見る。
「いえ。自分と向き合ういい経験になりました。目の色もご心配なく。僕はとても気に入っています」
辰海の言葉に嘘偽りはない。神域で月主に会ったこと、与羽への気持ちや自分の役割を見つめなおすきっかけになったこと、与羽が辰海の赤味を帯びた目をきれいだと言ってくれたこと。すべてが大切な思い出だ。
希理は大斗や実砂菜、竜月にも声をかけていく。
「わたしも、とても幸せな冬を過ごせました」
その間に空が与羽と辰海に歩み寄った。前髪を竹製の髪留め固定し、顔をさらした彼の表情は記憶にあるものより生き生きしていた。目の下に黒く染みついていたくまはかなり薄くなり、生気が戻っている。
「昨日天駆の屋敷にいらっしゃったそうですね。八雲の墓にかんざしを供えてくださって、ありがとうございました」
空の赤い目が与羽を見た。
実は昨日、与羽は辰海とともに天駆領主の屋敷を訪れていた。天駆の官吏たちに祖父のことを頼んだり、借りていた本を宿坊に戻したり、いくつかやることがあったから。そのとき、与羽は空の執務所にある例の墓石に立ち寄って、自分のかんざしを置いてきたのだ。
「あんたには、世話になったから。舞の時も、神域でも――」
与羽の答えは少しぶっきらぼうだった。いたずらが見つかった子どもような……。
「助けられたのはこちらの方ですよ。何かお困りのことがありましたら、いつでもお声がけ下さいね」
空は目を細めてにっこり笑っている。
「…………」
そんな彼から、与羽は仏頂面で顔をそむけた。照れを隠そうとしているのだ。彼女の内心を察して、空はさらに笑みを深めた。
「八雲さんって言うんじゃな。あのお墓の人」
与羽の声は不機嫌に低められていた。すべてを見透かしたような、空の余裕ぶった態度が気に入らない。辰海は与羽の態度をたしなめるべきか逡巡して、無言を貫くことにした。この程度で彼らの信頼関係は壊れないだろう。
「そうですよ。彼女が八雲なので、わたしが空なのです」
「あとからつけた名前なんか」
「はい。希理様からいただきました」
「ありがちじゃけど、いい名前じゃな」
与羽は空と視線を合わさずに会話を続けている。
「ありがとうございます。――お体に気をつけてお過ごしくださいね」
別れの時は近い。
「それはこっちの台詞じゃ」
あいかわらずのぶっきらぼう。もしかすると、与羽の態度は別れの寂しさをごまかすためのものでもあるのかもしれない。
「ふふふっ。わかりました」
空は笑い声を漏らすと、次に辰海に向き直った。




