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六章二節 - 龍姫の秘密

 汚れと寒さを防ぐために、首から下を毛織物で覆ったあとは化粧を施される。同時に後ろでは手の小さい巫女が、与羽(よう)の長い髪に香油をまぶし、飾り紐を編み込んでいた。香油の匂いなのだろう。(みそぎ)の湯と同じ柑橘の香りが漂ってくる。


 彼女たちの手際は、与羽の女官に劣らないほど良い。これならば余裕を持って、本番までの時間を過ごせそうだ。そう安堵した時、与羽の顔に白粉(おしろい)(はた)いていた女性の手が止まった。一瞬の戸惑いだったが、それを感じ取った与羽の体に緊張がはしる。天駆(あまがけ)の流儀に従おうと思ったが、化粧だけは竜月(りゅうげつ)に頼めば良かったかもしれない。


「……どうされましたか?」


 わずかな変化を感じ取って歩み寄ってきたのは空だ。いつからいたのだろうか。与羽が衣装を着せられる時にはいなかったはずだ。中州の面々の様子を順番に見て回っているのかもしれない。


「いえ、なんでも――」


 巫女がそう取り繕う前で、与羽は自分の額を晒して見せた。


「なるほど。小さな傷があるのですね」


 女性の、しかも高貴な姫君の顔に傷があるなどゆゆしき事態なのだが、空は大したことないようにうなずいた。


「白粉を厚く塗って隠してしまいましょう」


 空は巫女から道具を奪い取ると、慣れた手つきで残りの化粧を施していく。


「あなたもわたしと同じ、前髪で顔を隠したい仲間だったとは――。親近感が湧きますね」


 空は晒した目元にまで笑みを浮かべてご機嫌だ。


「なにその仲間」


 与羽はできるだけ顔を動かさないように配慮しつつも、文句を垂れた。


「あなたなら、わたしの目元をあまり見せたくない気持ちに、共感をいただけるのではないかと思って。九鬼(くき)武官も少し同類の匂いがしますよね。威圧感を与える表情を髪の毛で隠しているように思える時があります。逆に水月(すいげつ)大臣は前髪がとても短くて、見目の良さと自分の能力に自信を持っているのが伺えます」


 与羽の気をまぎわらせるためか、空は話し続ける。


「最近、わたしの元に舞だけでなく、武術指南や手合わせを願いたいと言う道場主や武官からの依頼まで来るようになって、人々の意識が少し変わりつつあるのでないかと思うのですよ」


「……よかったじゃん」


「ええ。あなたたちのおかげです」


 空は目を細めてにっこり笑った。心の底からの笑みに見える。


「ちょっと失礼いたしますね」


 化粧道具を持ち換えた空の手が、与羽のあごをやさしく上向けた。白粉(おしろい)頬紅(ほほべに)眉墨(まゆずみ)、口紅と、与羽が思いつく化粧はすべて終わったように思うが。


龍鱗(りゅうりん)の跡をもつ方にはこうするのが天駆流です」


 細い筆先が与羽の左ほほを細かく撫でていく。与羽が龍の血を継いでいることを示すあざに青い鱗を描いて、化粧は完成だ。


「あとは、装身具としてこれを」


 次に空は、立たせた与羽の腰に玻璃(ガラス)細工の装飾品を結びつけた。クモの巣状に編まれた銀糸に、大小さまざまな玻璃玉があしらわれている。与羽の右腰に垂らされた先端は、少しの動きで揺らめき、ガラス同士が触れ合う涼しげな音を立てた。


「うん。いいのではないでしょうか」


 これで与羽の衣装は完成らしい。振袖袴(ふりそでばかま)姿に、色糸を編み込み房飾りをつけられた髪。袴の裾が足に絡みつかないよう、両足のひざ下には帯と同色の足帯が結びつけてある。そして、腰もとで室内の明かりを照り返す玻璃細工。帯の紫が背景になって天の川のようだ。


「きれいですよ」


 与羽から離れた空は、彼女の頭から足の先まで確認して満足げにうなずいた。


「素敵です!」「さすがです空様!」と周りの巫女たちも黄色い悲鳴を上げている。どうやら、空には女性人気があるようだ。


「舞の扇も先に渡しておきます。少し慣れが必要かもしれませんから」


 空は自分の脇に置いていた箱から金属製の扇を取り出した。与羽が両手で慎重に受け取って開くと、しゃらんと金属特有の高く澄んだ音が響いた。


 扇の表面に描かれているのは金色の龍。この地に降り立った最初の龍神――空主(そらぬし)を模したものだ。扇の要からは小さな黄水晶がいくつも通された飾り紐が垂れてる。


「動きにくいところがあれば言ってください」


 そう空に言われて、与羽はその場で短く舞ってみた。足を上げ、扇を振り、つま先で円を描く。


「空、さっき『少し慣れが必要』って言った? こんなに扱いづらい扇初めてなんじゃけど……」


 与羽の眉間にしわが寄る。扇は重く、長い飾り紐が腕や体に絡みつく。

 今回の演目が舞いなれた水龍の舞だとしても、楽には扱えない。


「正月神事で使う、伝統ある扇をお借りして来たのですが、難しそうならばいつもの扇をお貸ししますよ」


 空の口調はあいかわらず丁寧だが、その目元には与羽を挑発するような笑みが浮かんでいる。


「使わんとは言ってない。少し練習すればなんとかなるはずじゃもん」


 与羽は扇を上下左右に振りながら答えた。中州の姫君として舞い手として、準備された道具で最高の舞を見せてやりたいという矜持(プライド)がある。


「ほら、やっぱり『少し』ではありませんか。あなたほどの舞い手は天駆中を探してもそういません。すぐに慣れますよ」


 空は煽るような言葉を使いつつも、与羽への深い信頼を見せている。


「控えの間へご案内しますから、そちらで練習しましょう」

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