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四章二節 - 神の領域へ

「すぐに行くわけじゃないでしょ?」


 大斗(だいと)はさっそく実砂菜(みさな)を追いかけようとする与羽(よう)を捕まえて空を見た。


「そうですね。いくつか道具と軽食の用意をしましょう。山歩きは小腹が空きますから。あと欲を言えば、(みそぎ)と神官装束に着替えていただけると……」


「意外と注文が多いね」


 大斗は大きなため息をついた。


「神域を歩く危険を減らしたいなら、やるに越したことはないですよ」


 空は口元にいつもの穏やかな笑みを浮かべた。


「じゃあ、急いで準備しよ!」


 与羽は落ち着きなく足踏みしている。


「わかりました。では――」


 空は順序よく指示をはじめた。


 まずは神殿に戻って白い小袖と(はかま)を身につける。白は神に捧げる色。動きやすい袴姿は、見習いの神官や巫女が良くする格好だ。ただし、真冬のこの時期にそれだけでは寒いので、上着を羽織ることが許された。その後は滝壺に戻り、手足と口をすすぐ。


 正装の神官装束や全身の禊など、手間のかかる準備を覚悟していたが、意外と寛容らしい。実砂菜は普段から巫女装束をまとっているので、軽い禊だけで許された。大斗の帯刀も(とが)められない。


「では行きますか」


「……危険な生き物でもいるの?」


 ゆっくりと歩きはじめた空に大斗が問いかけた。彼の目は空の背に負われた弓と矢筒に向いている。


「いいえ。これは魔除けですよ」


 空は矢を持たずに弓を構え、その弦を鳴らしてみせた。弓の弦鳴りで邪気を(はら)うまじないは、中州でも一般的だ。


「準備するに越したことはありませんから」


 空は飲用水や軽食、傷薬なども用意してくれている。もちろん、枯れ川を覆う落ち葉を払いのけるための(ほうき)も人数分。


「川から離れなければ特に注意事項はありません。妙なものを見たり聞いたりした時は、すぐにお声かけください」


 空は歩みを再開した。


 そのすぐ後ろを実砂菜が軽快な足取りで追いかけている。臆する様子は全くない。大斗に背を押されて、与羽も彼女に続いた。神聖な何かを感じるかと身構えたが、特にない。人の手がほとんど入っていない深い森林は珍しいものの、それだけだ。


 昨夜空が落ち葉を取り除いたという川を、もう一度その周りまで念入りに掃きながら進む。分厚い腐葉土の下は砂利や岩が多いらしく、それが出てくるまで落ち葉を払いのけた。


 空が掃いた部分を越えると、確かに枯れ川は落ち葉に埋もれ、どう繋がっているのかわからない状態だ。


「ここから先は、わたしより前に出ませんよう」


 空はそう忠告して、枯れ川の続きを探し出してくれる。与羽は彼の言葉に従って、その少し後ろで川とその周りの落ち葉や腐葉土を掃き出すことに専念した。与羽のすぐ隣で実砂菜も同じようにしている。大斗は彼らの周りを歩いたり、地面を箒で掃いたり、川を戻って帰り道を確認したりと警戒姿勢だ。


 ただ、この日は月主(つきぬし)神殿に到着したのが昼だったため、さほど進めずに戻ることになった。


「明日はもっと早い時間から来てもいい?」


 土で汚れた手足を丁寧に清めながら、与羽が尋ねた。


「わたしは構いませんよ。朝食が終わる頃、迎えに伺いましょう」


 空は口元にいつもの笑みを浮かべている。


「ただし、夜はしっかり休んでください。ひとりで神域に入ろうとしたり、無茶や無理をするのは禁止です」


 そう釘をさすのも忘れない。


「……わかった」


 与羽はうなずいた。どんどん先に進みたいが、空や大斗に逆らえば、せっかく得た希望を失ってしまう。それが理解できる程度には冷静さを取り戻していた。


 爪の中の土まで、神域に入った痕跡を綺麗に消して、与羽たちは宿泊している天駆の屋敷へと戻った。


「よぅもどったのぅ!」

「おかえりなさいませ!」


 広間でくつろぐ舞行(まいゆき)竜月(りゅうげつ)が迎えてくれる。


「神殿は落ち着いたか?」と隅で書き物をしていた絡柳(らくりゅう)も顔を上げた。


「……まぁ、多少は」


 どう答えるべきか迷った与羽は、言葉を濁した。川をたどって神域に入ったことは、もちろん絡柳には内緒だ。


「大臣! 月主神殿ってすごいんですよ! 奥に温泉があって!!」


 与羽に代わって、実砂菜がそう高い声をあげた。


「もっと神殿が近かったら、老主人をお連れできたのに!」

「いや、お義兄(にい)様が背負えばいけるかも?」

「中州の神殿でもお湯で禊できるように、温泉を掘りましょうよ!」

「そういえば、月主神殿って白い木で作ってあって、とっても綺麗なんですよ。あれ何の木を使っているんでしょうね?」


 実砂菜のおしゃべりは止まらない。そのおかげで絡柳の意識は完全に彼女を向いたようだった。


「……楽しめたのなら良かった」


 絡柳は多少気圧されたようにうなずいている。


「それで、明日も朝から神殿に行っていいですか?」


 実砂菜は、絡柳の向かっている小机にばんと両手をついて身を乗り出した。


「それは――」


 絡柳の目が意見を求めるように大斗を向いた。


「別にいいんじゃない? 少なくともここで与羽に悶々とさせるより、神殿で祈らせた方が俺たちも与羽も幸せだよ」


 彼の様子に嘘をつくことへの引け目は一切ない。


「そうか」


 絡柳は納得したようだった。


「明日の昼過ぎからなら俺も顔を出せるが……」


 彼も月主神殿に行く意思を示した。これはまずいのではないか。与羽は彼を引き止める言葉を探したが、大斗の方が早い。


「ひとりで神域の山道を歩くつもり?」


 大斗は前髪をかきあげて、眉間にしわを寄せた。


「……そうか。そうなるのか……」


 絡柳が思案顔になる。


「しっかりしてよ。お前には冷静でいてもらわないと困る。与羽のことは俺とミサに任せな」


「あー、でも私、大臣が祝詞(のりと)読むところ見たーい!」


 明日は早朝から月主神殿で神を祝福する祝詞を読みながら一日中祈る。という嘘の設定が大斗と実砂菜の中ではできているらしい。


「勘弁してくれ」


 神事に疎い絡柳はため息をついた。これで明日彼が月主神殿を訪れることはないだろう。大斗と実砂菜には感謝しなければ。饒舌(じょうぜつ)な二人を見て、与羽はそう思った。

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