三章十一節 - 月龍の祝福
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「天駆の神域は、薄い尾根に囲まれた盆地にあるのです」
与羽が舞い明かした翌日。与羽、大斗、実砂菜の三人は空に連れられて神域の山道を歩いていた。辰海を案じて落ち着きのない与羽の息抜きになればと、空が月主神殿に招待してくれたのだ。
天駆の屋敷に残った舞行には、世話係として竜月がついている。荷物運びをしてくれた中州の武官たちもいるので、護衛も問題ない。絡柳はこんな中ではあるものの、天駆の朝議に呼ばれて、朝から不在だった。
「盆地と言ってもその中は起伏があり、複雑です。神域の最奥には天駆で一番高い山『龍山』がそびえています」
大斗が昨日目印に立てた棒を通り過ぎ、緩やかな登りが下り坂に変わってもまだ歩く。
「月主神殿は他の龍神を祭る神殿よりも神域の奥にありまして。昔はどの神殿も同じくらい奥地にありましたが、利便性からより龍頭天駆に近い場所へと移転していきました」
空は歩きながら神域や神殿、天駆神事の歴史を話してくれた。天駆の屋敷から月主神殿までは一里(四キロメートル)ほど、歩いて半刻(一時間)のところにあるそうだ。彼はほとんど毎日、日の出前と日没後にこの山道を歩いて、神殿と龍頭天駆を行き来していると言う。
「あんたは神域に呼ばれたりせんのん?」
夜の神域は危険そうに思えるが。
与羽の問いに、空はくすくすと笑った。何がおかしいのだろうかといぶかしげに見ると、彼は与羽を振り返って自分の前髪をかきあげてみせた。愁いを帯びた、細く切れ長の目が見える。
「きゃー! いい男!!」と実砂菜が口の形だけで言うのもわからなくはない。しかし、与羽が容姿よりも気になったのは、彼の赤く染まった瞳だった。
「龍の血を継いどる、わけじゃないよな……?」
「ええ」
空はすでに前髪を額になでつけ、その目を隠してしまっている。
「これは月主神官がまれに頂く、『祝福』です。かつて、わたしが神域に呼ばれた際、月主様より賜りました」
「それはつまり、神様に会ったことがある、ってこと?」
「そう考えるのが妥当でしょうね」
にわかには信じられないが、彼の目の色が後天的に変わったのだとすれば、確実に人知を超えた何かの影響を受けている。
「中州でも時主様が出たって言われることはあるけど……」
「水主様のご子息の黒い龍神ですね」
空がうなずいた。
中州の神殿で何かしらの行事をする際、時主用に酒を注いでおくといつの間にかなくなっている、という話は有名だ。誰かがいたずらで飲んでいるのか、それとも本当に神が現れて飲んだのか。
ただし、空のように龍神に会ったという話は、聞かない。
「もしかすると、天駆の神官で最も神域に立ち入っているのは、わたしかもしれませんね」
空は口元に笑みを浮かべた。自嘲しているような苦々しい笑みだ。
「それじゃあ、一緒に辰海探しに――」
「……そうですね。彼が呼ばれてしまった一因はわたしにもあるでしょうから」
拒否されると思っていたのに、空はうなずいた。
「ダメだよ。与羽を神域には入らせない」
しかし、大斗がすばやく否を唱える。
「ここや月主神殿も神域内なわけですが、それはよろしいのですか?」
「揚げ足を取るつもり?」
大斗の鋭い目が細く吊り上がった。あたりの空気が一気に張り詰める。与羽は怯えたように、隣を歩く実砂菜の腕をつかんだ。
「ちゃんと道があって人の往来がある場所と、山の中じゃ全然違う。それに、神域に入った奴は迷って帰って来られないって言ったのはお前じゃないの?」
先ほどまでの和やかさとは打って変わり、大斗は不機嫌を隠そうともしない。
「ええ、その通り。つまり、道があれば神域内でも迷わないということですね」
対する空は、あいかわらずにこやかだ。鈍感すぎて殺意や敵意に気づかない人はたまにいるが、彼もそのたぐいだろうか。大斗の眉間にしわが寄った。




