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一章四節 - 中州の龍姫

「よっ!」


 いきなり背後から肩を叩かれて、暗鬼(あんき)は飛び上がった。大げさな動作は演技だが、本当に驚いた。辺りへの警戒を怠っていたわけではない。彼女がわざと気配を消して近づいてきたのだ。


「そんなに、驚かんでもいいじゃん」


 笑いを帯びた声とともに、もう一度、今度は落ち着かせるように軽く肩を叩かれる。この声には聞き覚えがあった。よく響く女声。城主の妹――与羽(よう)だ。


  暗鬼は飛び上がったせいで痛む傷を押さえながら、自然な動作で与羽を観察した。

 年の頃は十六、七。身の丈は五尺三寸(約百六十センチメートル)程だろうか。身長、体型とも暗鬼が以前予想した通りだ。彼女が(まと)っているのは、夕焼け色に染められた膝丈七分袖の小袖。帯は黒と青の飾り布を右腰の辺りで蝶結びにしているだけだった。色合いは昼と夜が移り変わる刹那(せつな)のように繊細で、着物の裾や帯に刺繍(ししゅう)された羽根の意匠は丁寧な職人技だが、その布の少なさは一国の姫君にはふさわしくないように思える。姫君ならば、生家の財力を表すようにふんだんに服を着重ね、地を擦るほど長い上着を羽織っているものだ。


 しかし、彼女が本当にこの国の姫であることは疑いようがない。暗鬼は冷静に分析しつつも、彼女の髪色に意識を奪われて仕方なかった。頭の高い位置で一つに束ねられた黒髪は、太陽の光を浴びて青と黄緑にきらめいている。これほど美しい光沢をもつ髪は今まで見たことがない。一本一本が宝石のような輝きを秘め、それが濡れたようにまとまりながらも、彼女の小さな動き一つひとつに合わせてさらさらと揺れている。

 それを装飾するのは、大小さまざまな羽根をあしらった髪飾りだ。カラスやキジ、赤や黄に染めたハトの羽根など、多様な鳥の羽根が彼女の髪の上や間に見え隠れして、さらなる華やかさを添えていた。


 確かに、彼女は龍神の血を継ぐ龍の姫なのだろう。その髪色も、深い紫の影を落とす青紫色の瞳も、およそ普通の「人」ならば持ちえないものだ。海を越えた()つ国の人々とも違う。彼女の纏う色は、見たものを委縮させ、恐怖させるのだ。「神々しい」という表現がぴったり合う。

 彼女が人懐っこく接してこなければ、暗鬼の瞳に畏敬が浮かんでしまっていたかもしれない。


「少し馴れ馴れしすぎるんじゃないの? 与羽」


 暗鬼がそこまで思考をめぐらせたのは一瞬。与羽の手が暗鬼に触れた次の瞬間には、彼女の斜め後ろにいた少年が、与羽の腕を引いていた。


 年の頃は与羽と同じくらい。色白で、それとは対照的に日に焼けたような赤茶色の髪をしていた。彼には少し外つ国の血が混じっているかもしれない。長い前髪とまとめられていない襟足が、困ったように笑む素直でまじめそうな彼には少し不似合いだった。吊り上がった目は厳しい印象を与えるが、整った顔立ちをしている。


 彼が身につけているのは、季節をまるっきり無視した純白の表に裏地が赤という桜襲(さくらがさね)の小袖。その下に重ねている小袖も赤で、帯は桜色という暗鬼の基準ではかなり派手な格好だ。

 しかし、彼が与羽に向ける目や、彼女に触れる手つきを見れば何となく察せる。おそらく、孔雀(くじゃく)などと同じような理由で、目立つ格好をしているのだろう。本命には全く相手にされていないようだが……。


 与羽は少年の指摘に従って、暗鬼に触れていた腕を下ろした。


「すみません。えっと……ユリさん?」


 少年はさりげなく暗鬼と与羽の間に半身を割り込ませて尋ねた。非常に丁寧な口調だ。


「はい、ユリです」


 暗鬼はにっこり笑った。


 そういえば、彼の声も聞き覚えがある。暗鬼が気を失っているふりをしていた時、与羽とともにいた男――辰海(たつみ)だ。


「勝手に仕切らんで」


 与羽が辰海を見上げて不服を訴えた。彼らには頭ひとつ近い身長差がある。

 しかし、そんな体格差などものともせず、与羽は自分を守るように立つ少年を押しのけた。


「……ごめん」


 しゅんとした小さなつぶやきとともに、辰海が場所を譲る。与羽が暗鬼の正面に立った。


 辰海が退いたおかげで、暗鬼は与羽をさらに観察することができた。

 彼女は、髪と目の色以外にも普通の人間とは少し違う特徴を持っている。淡い化粧で隠しているものの、彼女の左ほほには親指の爪ほどの大きさをした円形のあざがいくつかあった。暗鬼からは見えないものの、それは首筋を経て背まで広がっている。城下町の人々には「龍鱗(りゅうりん)の跡」と呼ばれる、龍の血を継ぐ者が持つ特徴の一つだ。

 そして、すねや膝にはたくさんの古傷。子どものころ、良く外遊びをしていたのだろう。そう言えば、彼女たちは城下町方面から来た。今も、どこかへ行ってきた帰りに違いない。

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