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三章三節 - 神域の神隠し

 

  * * *


 辰海(たつみ)がいない。それに気づいたのは、朝日が昇ってしばらく経ってからだった。朝食の席になかなか現れず、部屋を確認しに行ったらもぬけの殻だった。開け放たれた窓からは冷風が入り込み、部屋に敷かれた布団は使われた形跡がない。


「あいつ、何考えてんの?」


 大斗(だいと)が窓から身を乗り出して地面を見た。


「……霜で凍って見にくいけど、足跡がある。追うかい?」


 彼がその場に集まっている面々を振り返る。与羽(よう)絡柳(らくりゅう)のふたり。実砂菜(みさな)は広間で舞行(まいゆき)の護衛兼話し相手をしている。


「いや、まずは希理(きり)様へ報告だ」


 こんな時でも絡柳の判断は冷静だった。


「じゃあ、報告は任せたよ。俺は他の人の足跡と混ざる前に追う」


 一方の大斗は、自分の提案を押し通すつもりのようで、素足のまま窓から飛び降りた。


「おい!」


 絡柳は声をあげつつも、報告を優先するらしい。次の瞬間には、小さなため息とともにきびをす返して歩きはじめていた。


「絡柳先輩……」


 それを小走りに追いかけながら与羽は彼の名を呼んだ。すぐにでも辰海捜しに飛び出しそうな彼女がおとなしいのは、激しく混乱しているからだろう。


「辰海君が勝手な行動を起こす人間じゃないことは知っている。とりあえずは、報告だ」


 早口で言う絡柳も状況が呑み込めず、思考が濁っている。それでも、できることからやっていかなければならない。絡柳と与羽は中州一行が滞在する宿坊(しゅくぼう)を飛び出した。


「どうされましたか?」


 その時、ちょうどこちらへ歩み寄ってくる者がいた。穏やかな低い美声。


夢見(ゆめみ)神官!」


 昨日到着したばかりの与羽たちを案じて様子を見に来てくれたのだろう。


 絡柳は彼に駆け寄って、早口で状況を説明しはじめた。与羽はそれを聞かずに、宿坊を回り込んで足跡を追いかけている大斗の方へ走る。


「大斗先輩!」


 木陰の先に見えた姿に駆け寄って、彼の履物を渡した。


「ありがと」


 それを受け取ってすばやく履くと、大斗は屋敷の裏門をあごで指した。


「どうやら、あそこの門から外に出たっぽい。ただ、あの先は神域で、出るには天駆(あまがけ)領主か神官の許可がいる」


「今、ちょうどそこに、夢見空神官が――」


 そんなに長い距離を走ったわけではないにもかかわらず、与羽は大きく肩で息をしていた。焦りと全力疾走で、かなり消耗してしまった。


「わかった。一回戻ろう」


 彼は与羽の手を取った。疲労で歩けない与羽を無理やり引っ張っていく。与羽は半ば引きずられるようにして、それに従った。


古狐(ふるぎつね)文官は、どのような方でしょうか?」


 空は絡柳の説明を聞き終わったようで、質問を始めていた。


「すごく真面目で、しっかりもので、普通だったらこんな人に迷惑や心配をかけるようなこと絶対せんやつ!」


 絡柳の代わりに答えながら、与羽は彼らと合流した。


「足跡、神域に続く門の方へ続いてたよ」


 次に大斗がそう報告する。


「……そうなると、神域に呼ばれてしまったのかもしれませんね……」


 空が長い前髪の下で目を細めるのがわかった。


「『神域に呼ばれる』?」


 耳慣れない表現に、与羽はおうむ返しに尋ねた。眉間には浅くしわが寄り、目を三角にして空を見上げている。落ち着きなさそうに体を揺らす彼女が突然駆けださないよう、その手首は大斗に握られたままだ。


「ええ。稀に起こるんです。神域での神隠しが。神域内の神殿で働く神官が消えることが多いのですが、それ以外の人の時も――」


「そう言えば、昨夜、神事の囃子の笛が聞こえたな……」


 絡柳が記憶をたどるように言う。


「それを吹いていたのが古狐文官なら、やはり呼ばれたのでしょう」


「ちゃんと帰ってくるん?」


 与羽は尋ねた。これが一番重要な情報だ。


「彼が神域に呼ばれたのだとすれば、神が彼を呼んだ目的を果たしたあと、帰されるはずですよ」


「呼ばれたわけじゃなかったら?」


「ただ神域に迷い込んだのだとすれば、帰ってくる確率は半々くらい――」


 空の答えに、与羽の顔が白くなった。


「すぐに、捜しに行かんと!」


 与羽が声を荒げて空の腕をつかんだ。


「いけません」


 ふいに引かれて数歩は歩いたものの、空はそれ以上一歩も進まない。見た目よりも強い力で引き戻されてしまった。


「言ったでしょう。神域に迷い込んだ者の生還率は半分です。無策で立ち入ってはならない場所なのです。『神域に呼ばれた者』であるならば、それよりも高確率で帰ってきます。待った方が得策ですよ」


「そんな推測で非現実的なこと――」


 与羽は自分の手首をつかむ大斗と空を振り払おうとしたが、与羽の力では武官の大斗はもちろん、空の手さえ引きはがすことはできなかった。


「与羽姫。あなたは神を信じていないのですか?」


 暴れる与羽に空の声が降り注ぐ。良く響く声は、先ほどまでとは違い真冬の月光のように澄んで冷たく与羽に突き刺さった。前髪の下からのぞく目も、鋭く与羽をにらみ下ろすようで――。


 神官の厳しい問いに、与羽の動きが止まった。


「信じとる。信じとるけど――」


 与羽はうつむきながらそう答えを絞り出すことしかできなかった。彼女の両手は強く握りしめられ、震えている。


「わたしは神はいると確信しています。ですから、安心してください。あなたの姿と色彩は美しくて、神々に愛されていると感じます。神があなたの大切なものを奪うとは思えない。きっと少し借りられているだけですよ」


 空は再び穏やかな声色に戻して、やさしく諭してくる。

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