二章六節 - 大臣の決定
「……俺は、希理様の依頼を断ろうと思っている」
しかし、希理と空を見送り終わるや否や、絡柳は集まっている人々にそう告げた。
「でも、絡柳先輩!」
与羽の願望は、即座に打ち砕かれた。
「天駆の神事に手を出して、天駆官吏の不興を買いたくない。与羽は確かに優れた舞い手だと思うが、与羽が舞を披露したからと言って、彼らの価値観が変わるとは思えないんだ。与羽や俺たちに降りかかるかもしれない危険と、得られる利益が割にあっていない」
絡柳は冷静に理由を羅列した。
「でも……」
与羽は感情で希理の依頼を受けたいと思っているが、絡柳は理論でそれを拒否する。なんとか反論を絞り出さなければ……。
与羽は考えた。
しかし、絡柳の言葉に同意する自分もいる。与羽が数分舞ったくらいで、人々の心に信仰心を戻すのは不可能だろう。そんな奇跡を起こせると考えるほど、うぬぼれてはいない。その一方で、与羽は一部の天駆官吏を勢いづかせたり、天駆の官吏や権力者たちの「威光を示す神事の場を奪った」という恨みを向けられたりする危険を負う。それが見当違いなものだとしても、誰かに憎まれるのは恐ろしい。
「…………」
頭の中をどう整理しても、絡柳を説き伏せられる言葉が浮かばない。
「……たつ」
いつもの癖で、与羽は辰海を見た。彼ならば、与羽のために知恵を絞ってくれるはずだ。
「……ごめん、与羽」
しかし、彼の口から出た言葉は謝罪だった。
「僕も絡柳先輩が正しいと思う。いや! 君が間違ってるわけじゃないんだ。本当は君が一番正しいんだと思う」
与羽が不安と悲しみの表情を浮かべたからだろう。辰海は早口で理由を説明しはじめた。
「君の誰かを助けたいって気持ちは、本当に素敵で、とても正しいよ。でも、国や君の身の安全を考える絡柳先輩の意見も理解できてね……。正しさよりも、大切なものを守りたいって気持ちの方が強いんだ」
与羽の願いならなんでも叶えてあげたいが、それは与羽の安全が前提でなくてはならない。与羽が天駆の官吏や貴族たちの反意を買う危険がある以上、辰海も与羽の味方はしてあげられなかった。
誰か味方はいないかと、与羽はあたりを見回した。大斗は絡柳と同意見らしいことが表情でわかる。実砂菜は立場的にも身分的にも傍観者を貫くつもりだ。祖父の舞行ならば――。
「じいちゃんは?」
最後の望みをかけてそう尋ねてみる。
「うーむ。これはちょっと難しい問いじゃ」
そう言いつつも、舞行は陽気な態度を崩さない。この程度の選択は、今まで幾度となく迫られて来たのだろう。
「じゃが、ここは旅の責任者に任せるぞ。絡柳の判断を信じて託すのも、守られる者の大事な仕事よ。ただ、どうしても譲れんことは押し通すのも、上に立つ者の務めじゃのぅ」
与羽がどうしても舞いたいのであれば、強く主張すれば良い。そうすれば、絡柳でも逆らえない。舞行の言葉は、そう取れた。
「……お前に俺以上の覚悟があるのなら、止めはしないさ」
しかし、与羽が口を開くよりも早く絡柳が言葉を発した。
「俺は中州城主から、お前の安全を頼まれている。お前に万一のことがあれば、俺の首が飛ぶんだ。だが、俺や大斗を犠牲にしてでも、お前に成し遂げたいことがあるなら、俺は止めないつもりだ。お前が、多くの命を背負ってでも掴みたい未来があるのならな」
絡柳の顔に冗談を言っている様子はない。与羽の身が危険にさらされるようなことがあれば、何かしらの責任を取る覚悟ができているのだ。最悪の場合、自分の役職や命さえも対価にして。
彼の真剣さが伝わってきて、与羽は自分の小さな手に視線を落とした。膝の上で揃えたそれに力を込める。
絡柳が大きな目標と強い想いを持って働いていることを、与羽は知っている。それを負って進むには、……重すぎる。彼の夢の前では、自分の希望など――。
「…………」
口を開いても、何の言葉も出てこなかった。
「頼むぞ」
与羽の返答がないのを、理解してくれたととったのだろう。ため息交じりに言いながら、絡柳はゆっくりと与羽の目の前に膝をついた。床に両手をつき、深く頭を下げる。それは臣下が主の前で見せる礼によく似ていた。
「俺は、お前や老主人が良い旅をできるよう保証する。全力を尽くす。だから、お前も協力してくれ。頼む」
「……絡柳先輩」
与羽は彼の名を呼ぶので精いっぱいだ。若い大臣の肩に乗るものの大きさを垣間見た気がした。
「お前には天駆も長旅も初めてで、たくさんやりたいことや気になることがあると思う。それは遠慮なく言ってくれていい。だが、もし俺たちがそれに難色を示したら、その気持ちを汲んでくれると嬉しい」
顔をあげた絡柳は、さらに与羽を説得するために言葉を紡いだ。
「勝手に一人で先走るのはなしだ。俺か、俺がいなければ辰海君に相談してくれ。大斗はお前と同じで行動ありきな性格だから相談相手を間違えるなよ」
そうくぎを刺すことも忘れない。大斗はすました顔で「心外だな」と呟いている。
「…………」
わかりました。そう言うべきだ。与羽の理想論は、絡柳の覚悟に勝てない。それでも、まだ心の一部がついてこない。納得できないと幼子のように泣き叫びたい気持ちが残っている。
「与羽」
絡柳が厳しい声で理解を促す。
「絡柳先輩」
それに声をかけたのは辰海だ。
「たぶん、与羽に先輩の気持ちはしっかり伝わっていると思います。ただ、与羽には少し自分の心を整理する時間が必要です。一日か二日か、待っていただけないでしょうか?」
辰海は与羽の心情を理解して、必要なものを用意してくれる。ありがとう。そう言いたいのに、やはり心のどこかが発声を拒む。
「……そうだな」
辰海の言葉に絡柳は納得を示した。
「今日明日は十分体を休められるよう、会食や会談の類は入れていない。しっかり旅の疲れを癒しながら考えてもらえると助かる」
そう言って絡柳は立ち上がった。
「俺はこの宿坊の周りを確認してくる。大斗も来てくれないか? 何もないとは思うが、辰海君と吉宮茶位は、老主人や与羽の護衛を頼む」
与羽に気を遣って席をはずしてくれるのだろうか。
「はい」「任されました!」と護衛に指名された二人が返事をする。
辰海は隣に置いた刀をちらりと確かめて、実砂菜は常に持ち歩いている錫杖をしゃらりと鳴らしてみせた。先に金属の輪や鈴のついた長い杖は、神事の祭具でありながら武器にもなる。
絡柳は彼らを見て、最後に与羽で目を止めた。
「与羽、俺たちの気持ちを汲んでくれてありがとな」
与羽が一方的にわがままを言っているだけにもかかわらず、絡柳は普段よりやさしい声で礼を言って部屋を出ていく。それが一層与羽の幼さを強調しているようで、苦しかった。




