一章十二節 - 炎狐の放心
「水月大臣もやります? 与羽に『好き』って言って困らせる遊び」
「はぁ」
絡柳は再度あきれたようにため息をついて、与羽の隣に膝をつく。その頭に手を置き、
「お前の素直で賢いところ、好きだぞ」
顔の横でそう言った。
「!!」
予想外の出来事に、与羽は身を固くしている。
「水月大臣! もっと冗談めかした感じで言ってもらわなきゃ!」
自分で振ったにもかかわらず、実砂菜は文句を言う。緊張でがちがちになっている与羽の肩をやさしく撫でるのも忘れない。
「そんなこと言われても、与羽に好感を持っているのは事実だしな……」
「大臣、天然なんですか? ばかばか! 仕事だけ人間!! 女の敵!! 何しに来たんです!?」
「……空気を悪くすることを言ったのなら悪かった。時間も遅くなってきたから、明日の龍頭天駆入りのために休んでいいぞと言いに来たんだが……」
絡柳は実砂菜がなぜ怒っているのか、いまいちわかっていない様子だ。
「ミサ、言いすぎだ。謝りな」
大斗は冷静に指摘して、辰海に歩み寄った。
「表情、取り繕いなよ」
彼にそう助言を与えた。辰海は嫌いだが、こいつがあの照れ屋な鈍感娘をどうおとすのかには、興味がある。
辰海は我を忘れていたようで、はっとして弱々しい笑みを浮かべた。
「……ひどい顔してましたか?」
「まーね」
大斗はもう辰海を見ていなかった。
実砂菜は与羽から離れ、絡柳に対して丁寧な謝罪をしている。取り残された与羽はまだ落ち着かないようで、部屋の隅にいた竜月が駆けよるところだった。
「お部屋の準備はできてますので、お休みになられますかぁ? あと、あたしもご主人様のこと大好きですよ!」
そんなことを言っていた。竜月はことあるごとに、与羽に「好き」と言っているので、彼女の発言は与羽の癒しになるだろう。
「まさか絡柳に譲ってやる気はないだろう?」
人々の意識がこちらを向いていないことを確認して、大斗はそう尋ねた。彼の返答によっては、本気で辰海のことが嫌いになるかもしれない。
「少なくとも、与羽を思う気持ちはだれにも負けないと自負していますよ」
辰海は見慣れた困った笑みを浮かべている。大斗にからかわれたり、挑発されたりした時は常にこうだ。
「萎えるな……」
大斗はため息交じりにつぶやいた。
「なんでいつもそうやって、ギリギリ及第点を攻めるわけ?」
辰海が無能でないのは知っている。彼ならば正解ど真ん中の答えを言えるはずなのに、なぜかいつも間違わない程度に外す。
「それが与羽のためだから、ですかね」
彼の返答は理解できない。やはり的の端を狙っている。的の端を正確に狙えるということは、その気になれば中央を射抜くのも可能ということだ。できるのにあえてそれをやらない辰海にはやはり嫌悪を感じる。
「もうお前は寝なよ」
そう突き放した。与羽が退室のあいさつをするために、祖父や地司に歩み寄るのが見えたので、そちらへ向かって押し出してやる。わざと力を込めて乱暴にしたが、辰海は文句の一つも言わない。
――本当に張り合いがない。
大斗は小さく息をついて、実砂菜と絡柳の方へ向かった。すでに和解したようで、実砂菜が「女心とは!」と語っている。
「水月大臣は顔ヨシ地位ヨシの素敵な殿方なんだから、安易に『好き』とか言っちゃだめですよ! ころっとおちちゃうかもしれないんですから!」
「安易に言っているつもりはないんだが……」
「じゃあ、本気なんですか!? 本気で与羽のこと――!」
「ミサ、その辺にしときな」
大斗は実砂菜の言葉を遮った。彼女の素直な物言いは好きだが、それが欠点になる時もある。
「絡柳、ミサの言葉は話半分か、それ以下で聞いた方が身のためだよ」
絡柳にはそう助言しておく。理屈屋の絡柳と感情と勢い任せに話す実砂菜は、相性が悪いかもしれない。
「そ、そうか?」
「すべての人間がいつも意味のあることを話してるわけじゃないんだよ」
明日の実砂菜は今日交わされた雑談の内容を半分も覚えていないだろう。自分が発した言葉さえ忘れているかもしれない。「楽しかった」という思い出さえ残れば、彼女は満足なのだ。
「あぁ。情報伝達ではなく、娯楽としての会話か」
納得したように絡柳がうなずいた。
「お義兄様、水月大臣ってやっぱり天然なの?」
実砂菜が小さな声でそんなことを聞いてくる。
「……かもね」
大斗は肩の力を抜いた。会話の仲裁など、本来自分の仕事ではない。口角が下がり、目が細くなる。ひどく機嫌が悪そうな顔をしている自覚はあったが、この二人がそれにおびえることはないだろう。
「疲れた。俺たちも休まない?」
どうやら向こうで話している舞行と地司たちも、お開きにするようだ。暁月地司が例の低姿勢で今日の会を感謝する言葉を言っている。
「そうだな」
絡柳は大きく伸びをした。彼もそれなりに疲労を感じているらしい。
「絡柳、さっきは悪かったなぁ。また余裕があれば銀工町によってくれ。他の方々もお達者でぇ~」
暁月地司が機嫌良く言って退室していく。
「月の影が守りになりますように」
その背に実砂菜が神官流のあいさつをしているのが印象的だった。
近くの執務室でもう少しおしゃべりに興じると言う舞行と柊地司を見送って、絡柳、大斗、実砂菜の三人はそれぞれあてられた部屋で休むことにした。少ない湯で汗と汚れを落とし、思い思いに明日の天駆入りに備える。実砂菜は同室の与羽を起こさないよう、静かに布団にもぐりこんだ。大斗は絡柳と同室なので、仕事をしようとした絡柳を布団に押し込んでから休む。
今宵の月はすでに沈もうとしているらしく、寒さを防ぐために閉めた雨戸の隙間から漏れる光の帯は薄い。これが朝日に変わる前に起きなければ。明日の昼には到着する龍頭天駆までの行程を脳内で整理しながら、静かに目を閉じた。




