一章九節 - 銀工町の長
「いっぱい笑ったら、お腹がすいてきてしもうた」
ひとしきりみんなの話を楽しんだところで、与羽がつぶやいた。前髪を片手ですいて机上を見やる。たくさん並べられていた菓子は、いつの間にかほとんどなくなっていた。
「そろそろ夕餉の時間だな。――暁月地司も来るよな?」
柊地司はすっかり日の暮れた暗い障子窓を確認したあと、その目を絡柳に向けた。
「はい。老主人と与羽姫に是非ともあいさつしたいとおっしゃっていました。もう到着して、関所前の町や関所内の様子を確認している頃だと思います」
「暁月地司って、銀工の地司だっけ?」
絡柳の答えを聞きながら、与羽は小さな声で辰海にそう尋ねた。
「うん。暁月誠司銀工地司。もう二十年以上地司をやってる熟練だよ」
辰海も小さく答え返してくれる。
中州北部は、銀山を中心とする西側の銀山地域と、銀工町を中心とする東側の銀工地域に分かれている。銀山だけでなく、銀工の長も会いに来てくれるとは――。
与羽は毎年正月に顔を見せる暁月地司を思い出そうと記憶をたどった。たしか、背の低い小太りの男性で、常に分厚い帳面を小脇に抱えていた。しかし、顔が思い出せない。どんな笑い方をする人だったか……。
「あいつ、俺らにあいさつすらせず仕事に夢中か!」
柊地司は大声をあげて、またがっはっはと豪快に笑う。
「『メシにする』と暁月地司を呼んで来い」
手を叩いて使用人を呼び、そう指示を出す。命令口調ではあったが、彼の放つ陽気な雰囲気のおかげで威圧感はない。命じられた使用人はにこやかにうなずいて、すぐに従った。
「ひどいですよぉ、柊地司。関税が適切か確かめておりましたのにぃ」
机上が食事用に整えられ、柊地司たちが食前酒を酌み交わしはじめたところで、やっと暁月地司が顔を見せた。右手には開きっぱなしの帳面を持ち、左わきにも冊子がいくつか挟んである。
「適切に運用されとるに決まっとるじゃろ」
柊地司はあきれたように言いながら立ち上がり、彼の持つ冊子をすべて床に置いて、その手に酒の入った盃を持たせた。
「たとえそうだとしても、時々上官が細かく確認するのが大事なんですよぉ。そうするだけで働く人々の緊張感が変わります」
暁月地司は六十歳近くと年長で、中州国内でも指折りの優秀な官吏のはずだが、非常に腰が低い。相手が城主一族と縁の深い柊地司だからかと思ったが、次の絡柳に対する態度から違うことがうかがえた。
「最近、天駆に輸出する下肥に銀を隠して関税をごまかす不届きな輩がいるんですよぉ。絡柳、知恵を貸しておくれぇ。銀工町に帰ってきておくれぇ~。ほら! 二位!! 銀工二位あげるから!! このお酒もあげる! あげちゃう!!」
「どこかですでに一杯飲んできたんですか……?」
絡柳はあきれた様子を隠すことなく言って、今にもこぼれそうな酒を受け取ると一気に飲み干し、空になった盃を彼の食膳に戻した。
「輸出用の規格を定めて、決められた質量より重いものは輸出不可にしましょう。中州中部以南は城下町周辺以外まだ下肥の受け入れ余地があります。そちらへ回す分を増やすのも手です。もしくは、下肥を銀工でいったん買い上げて、国内用と輸出用を無作為に振り分けるとか――。いや、それをやると水や土でかさ増しした質の悪い下肥が出回りそうですね……。やはり規格を――」
「規格を定めろだぁ? 簡単に言ってくれる。言うは易し、行うは難しなんは、お前も良ぉーく知っとるくせに!」
暁月地司の声が低くなった。横に積み上げられた帳面の一つを取ると、それを開いて絡柳に押し付ける。中身は与羽の位置からでは見えない。
「暁月地司、申し訳ありませんが、俺は今国官をやっているので、言葉を添えることしかできないんですよ……」
帳面の中身を検めたあと、絡柳はそれを丁寧に地司に返却した。
「人が下手に出てやれば、偉そうに。鍛えてやった恩を忘れたか? 銀工を踏み台にしやがって」
暁月地司の声はさらに低く、不機嫌になっていく。先ほどまでの低姿勢とはまったく違う態度に、与羽は目を丸くした。一瞬彼が何を言ったのかわからなかった。しかし、その侮辱は理解しない方がよかったのかもしれない。自分の部下だとしても、中州で大臣を務める絡柳に対して失礼すぎる。こんな男が一地域の代表者でいいのだろうか。ふつふつとわいてきた怒りを抑えるために、与羽は膝の上で強く手を握った。
「はぁ」
絡柳の口から大きなため息が漏れた。彼の目が与羽をはじめとする、中州の若者を向く。
「面識はあると思うが、彼が暁月誠司銀工地司、銀工文官第一位の人だ。俺が地方官の仕事をするときの上司だな」
何を思ったのか、与羽たちにそう紹介をはじめた。絡柳の様子に怒りやいらだちは見えない。
「見ての通り口も態度も悪いが、銀工町をここまで成長させた一番の功労者だし、俺もこの人に成長させてもらった。――特に、精神面をな」
冗談を言うように最後の一言を付け足して、絡柳はゆっくり与羽に近づいた。怒りで固まっていた彼女のこぶしをほどき、その手に与羽の食膳に置かれた箸を握らせる。
「怒ってくれてありがとな」
与羽にだけ聞こえるよう小さくささやくとともに、頭をぽんぽんと叩かれた。
「柊地司、食事はまだでしょうか? 姫が空腹に耐えきれないようですが……」
顔をあげた絡柳は、柊地司に向かって言う。
「心つよつよ」
そんな絡柳の様子に、実砂菜が呟いた。独り言のつもりだったのだろうが、あたりが静かなおかげで部屋中に聞こえた。
「がっはっはっは! 本当にな!!」
柊地司がすべてを吹き飛ばすような勢いで笑う。そうしながらも、戸口に控える使用人に片手を振って、食事の用意を指示してくれた。




