一章一節 - 旅の目的
【第一章 - 龍の故郷】
乱舞が与羽に依頼したのは、「祖父とともに同盟国の湯治場に行ってほしい」と言うことだった。
与羽と乱舞の祖父――舞行は、加齢のために足が不自由だ。そのうえ、与羽たちの父親が早くに亡くなり、治世のことでも苦労をかけ続けている。
少しでも、祖父に恩返しがしたい。その手段として、温泉旅行に連れて行ってあげたい。中州と同盟関係にある天駆国には、よい湯治場がある。冬の間そこでのんびり過ごして、親孝行ならぬ、祖父孝行をしよう。乱舞は政務で城下町から離れられないので、祖父への付き添いは与羽に頼みたい。かわりにちゃんと護衛をつける。
――だそうだ。
与羽は二つ返事で引き受けた。祖父にゆっくり休んでほしい気持ちは与羽もかわらない。
乱舞はすでに同行する人員や日程の調整をほとんど終えており、数日後には、舞行以外の関係者を集めた話し合いの場が用意された。
人数が少ないので謁見の間は使わず、応接室に七人が車座になった。上座に城主の乱舞と与羽。その両脇に乱舞が側近として重用している二人の青年――九鬼大斗と水月絡柳が座っている。他の面子は、与羽の目付役で幼馴染の少年古狐辰海と、日ごろから与羽の世話をしてくれている女官の野火竜月、そして巫女装束に身を包んだ少女――吉宮実砂菜。みんな与羽のよく見知った人々だ。
与羽は彼らの顔を一通り眺めて、浅くうなずいた。集められた人々は、若いことを除けば身分も能力も申し分ない者ばかり。道中や天駆での護衛、天駆の領主や官吏との交渉、与羽や舞行の世話。役割はそれぞれ違うが、どれも最善の人選が行われている。
与羽の左隣に座る青年――水月絡柳が輪の中心に地図や日程表を広げ、説明をはじめた。文官五位兼武官十九位。庶民出身ながら、二十代半ばでこの国の大臣を務める、乱舞の腹心の一人で今回の旅の責任者でもある。
「と言っても、俺は城下町での政務もあるから、天駆領主との話し合いが終わり次第中州に帰国させてもらう。その後の責任者は大斗に。もし新たな交渉や会議の場が設けられる場合は、辰海君に頼みたいが、それが重要な内容だった場合は中州に持ち帰るようにしてくれ」
「もちろんです」
絡柳の左隣に座る辰海がうなずいた。彼は文官としての官位こそ低いが、出身は中州では名の知れた文官家の「古狐」。彼の父親は中州第一位の文官を務めており、辰海自身も高い能力を持っているはずだ。
「いつ城下に戻る予定?」
次に乱舞の右隣に座る九鬼大斗が絡柳に尋ねる。大柄長身強面と他者を威圧する三要素を備えた武官二位。年齢は乱舞より一つだけ上の二十一だが、その実力はすでに熟練の域に達している。
「できれば正月前には中州に帰りたいと思っている。遅くても年始議には間に合わせたいな」
絡柳と大斗はともに乱舞を補佐する親友のような関係だが、絡柳の口調はあいかわらず堅苦しい。相手が誰だろうと堅く厳しい口調で話し、整えた姿勢もめったに崩さない。若くして国の根幹を担う大臣位についた彼の、威厳を保つ処世術だ。
「あと、吉宮茶位には与羽の護衛と話し相手を、野火女官には与羽や舞行様のお世話を頼みたい。天駆からも世話係を借りる手はずになっているから、彼らの指揮もだ。もし荷物運びに人手が必要なら、言ってくれ。必要なだけ用意する」
次に絡柳は巫女装束に身を包む実砂菜と、女官の竜月を見た。ちなみに、「茶位」は中州の神職の階級。五段階あるうちの下から二番目だが、神に仕えた年数が位と密接に関係する神職の世界で、彼女の茶位は年齢の割に高い方だ。
「お任せあれ」
実砂菜は絡柳の言葉に深くうなずいた。彼女は武官位を持つ棒術の達人でもある。
「ありがとうございますぅ」
一番下座に座った野火竜月女官も、間延びした声で言いつつ深々と頭を下げている。
「絡柳先輩は途中で帰るからいいとして、大斗先輩はお仕事大丈夫なんですか?」
与羽が尋ねた。強面で、出会うたびに剣の稽古に誘ってくる好戦的な大斗が与羽は少し苦手だ。
彼の生家は中州の筆頭武官家「九鬼」。すべての武官を束ねるとともに、武官の命ともいえる刀関連の職人を管理する役目も担っている。また大斗の実母は八百屋出身の町人で、そちらの手伝いをする商人の側面も持っていたはずだ。
「大丈夫だよ。手伝いはいくらでもいるし、例の元暗殺者の監視は弟に任せてある」
「安心だね」
乱舞がにっこりほほ笑んだ。大斗も絡柳みたいに早く帰ってくれないかと期待したが、無理そうだ。与羽は内心ため息をついた。
「文官五位が途中で帰るのに、武官二位までいなくなったら天駆の人たちに失礼になっちゃうでしょ?」
必ずしも能力が官位と直結しているわけではないが、不特定多数と接する場合高い官位は役に立つ。
「あとそうだ。大事なことを忘れとった。この日程表は他の人には絶対内緒ね。じいちゃんを驚かせたいから。誰かに話すと、どこかから漏れかねない」
さらにいくつか相談を重ね、最後に乱舞が茶目っ気たっぷりに片目を閉じてこの場はお開きとなった。