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22/202

序章

【序章】


 肌寒い日が続くが、昼の陽だまりの中はまだ暖かい。

 西に伸びる山地は葉を落とし、その上には白く薄い雪雲がかかっていた。


 三方を書院造りの屋敷に囲まれた庭で、与羽(よう)はかろうじて枝にしがみつく数枚の紅葉(もみじ)葉を眺めながら、流れゆく秋の調べを聴いていた。

 陽光に暖められた岩に腰掛ける彼女の黒髪は、青と黄緑にきらめいている。宝石を思わせるような光沢だ。機嫌よさそうに細められた目の色は青紫。聞こえてくる笛の音に合わせて鼻歌でも歌おうか。与羽は小さく口を開けて。


「ふふっ」とかすかな笑みを漏らすにとどめた。


 聞こえる曲はすべて彼女の座る岩に背をあずけ、横笛を吹く少年――辰海(たつみ)の即興。彼と兄妹(きょうだい)のように育った与羽でさえ、次にどんな旋律が来るのかわからない。それが楽しみでもあり、残念でもある。


 ひとつに束ねた長い髪をなびかせるひんやりした風と、高く澄んだ笛の音。眠気を誘う穏やかさに、与羽は目を閉じた。


 こくりこくりと舟をこぎはじめる与羽を、辰海は淡く笑みを浮かべて見上げている。

 今日も彼のいでたちは、純白の着物に桜色の帯。ただ、着物のすそには金糸で菊があしらわれている。


 一方の与羽は、浅葱(あさぎ)(水色)に赤や黄の紅葉が散らされた小袖姿。最近は寒さが増してきたので、いつもの動きやすい短尺ではなく、しっかり手首やくるぶしまで覆い隠してくれるものだ。小さな風で裾や袖が揺らめく様子は、空に紅葉が舞い上がったように見える。


 終わりゆく秋に包まれてまどろむ与羽は、木枯らしが吹けば散ってしまいそうなほど儚い。彼女が起きている時には決して見られない静かな美しさに、辰海は目が離せなかった。


 ――ずっとこの瞬間が続けばいいのに……。


 そう思うが、時間は流れ、状況は変わっていくものだ。


 ゆっくりとこちらに向かってくる足音に、辰海は首を巡らせた。


「邪魔してごめんね」


 そう申し訳なさそうに言いながら、片手を挙げてあいさつする彼は、与羽の兄でこの国の主。


乱舞(らんぶ)さん」


 辰海は慌てて立ち上がった。


 演奏が止まったからか、辰海が動いたせいか、まどろんでいた与羽がゆっくりと顔を上げる。


乱兄(らんにい)……」


 寝ぼけ(まなこ)で呟いて、ゆっくりと岩から滑り降りた。


「与羽」


 乱舞はにっこりほほえんで妹の名を呼んだ。

 小さな国とはいえ、二十歳という若さで国を治める青年の武器が、この人好きのする笑みだった。彼はその笑顔でさまざまな人を味方につけ、国の結束力を保っているのだ。


「何か用?」


 それに向かい合う与羽は、不満をあらわにしている。気持ちよくまどろんでいたところを邪魔されたからだらろう。いや、もしかすると、乱舞が重大な仕事を頼もうとしていることを感じ取ったのかもしれない。彼女には、不思議なほど勘が鋭いところがあるから。


 苦笑を浮かべた乱舞の言葉は、簡潔で曖昧だった。


「与羽、冬の間、ちょっと旅に出てみないか?」

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