終章一節 - 最後のお仕事
【終章】
「うがあぁ! 終わったぁぁぁ!!」
そう奇声じみた声をあげるなり、与羽は持っていた筆を投げ出して書類の並ぶ机に突っ伏した。ただし、絡柳が墨の乾いていない紙を素早く取り除いたので、彼女の肌や衣服が汚れることはないだろう。
「お疲れさま」
辰海は、とびっきりやさしい笑みを浮かべた。それが両腕に顔をうずめた与羽の視界に入ることはなかったが……。
「本当に終わりですよね?」
少し机に伏せて休んだあと、与羽はわずかに顔をあげて絡柳を見上げた。
「『実は――』とか言って懐から何か出したりしませんよね!?」
与羽の言葉に、絡柳は淡い笑みを浮かべながら肩をすくめた。
「実は――」
そう言いつつ、絡柳の手はすぐ隣に置かれた自分の荷物の中へ――。
ばっと起きて身構える与羽に、絡柳は小さな紙の包みを手渡した。
「?」
書類にしては小さく、着色された淡い黄色の紙が巾着のような形で閉じられている。
「開けてみろ」
絡柳に言われて、与羽は絞って糊づけされた口をそっと開いた。
中にはさらに桃色の紙に包まれたもの。そちらは糊づけされておらず、簡単に開くことができた。
「あ……」
出てきたのは、干した果物だった。少しくすんだ赤や白、橙や黄の果実が甘いにおいを放っている。
「よくやった」
絡柳がいつもの厳しい表情を緩めながら果物を一つ取り、まだ呆然と開かれた与羽の口に突っ込んだ。思い出したように口をもぐもぐさせ、ゆっくりとそれを咀嚼する与羽。すると、疲労の目立っていた彼女の顔には、薄雲が晴れるように笑みが広がっていった。果物を飲みこんだときには、目の下に黒いくまを残しつつも表情が明るくなり、青紫色の目が機嫌よく輝いていた。
「ありがとうございます、絡柳先輩」
「おつかれさま、与羽」
辰海も、薄茶色の包み紙を差し出す。
「ありがと、辰海」
こちらは与羽の好きな焼き菓子だった。はちみつで甘く味付けされた餡がサクリとした薄い生地に、包まれている。一口かじると、餡からじわりと黄金色の蜜がしみ出す。それを落とさないように、舌でなめとりながら与羽は焼き菓子をあっという間にたいらげてしまった。そして、かすのついた指を手巾で拭いて、机の書類を片付けようと手を伸ばす。
しかし、よほど疲れているのか、そうしながらも危うく書類の束に頭を突っ込みそうになっていた。精神に異常はなくても、肉体の疲労が著しい。
「与羽は先に帰って休め。あとの片付けは俺たちでやっておく」
何度もまばたきを繰り返して、閉じそうになる目と戦っている与羽を見かねた絡柳が言った。
「そうだよ。君はもう十分働いてくれたんだから」
与羽の髪をやさしくすきながら、辰海も低い声で絡柳に同意する。
「ん……、いや。片づけが全部済んで、皆が帰るまではおる」
与羽は言葉で抵抗を示したものの、彼女の頭は辰海の手に誘われるように不安定に揺れていた。
「もうすぐ日付も変わるんだから、寝た方が良いよ」
「もう歩くのがめんどくさい」
与羽は駄々をこねる子どものように言って、その場で膝を抱えてしまった。
「雷乱を呼んで、部屋まで運ばせるか」
「わざわざ雷乱に来てもらうのは悪いので、いざとなったら僕が運びますよ」
ため息交じりの絡柳の言葉に、すばやく反論したのは辰海だ。絡柳はもう一回深くため息をついた。
「素直に『雷乱にやらせたくないので』とか何とか言えばいいだろう?」
ごくごく小さな声が漏れた。
辰海は聞こえているのかいないのか、表情を変えることなく書類を集めている。油の節約のため、数を減らした灯りが辰海の顔に陰影をつけた。釣り目のせいで少しきつい印象を与えるものの、ほりの深い整った顔が一層際立ち、まじめで賢そうな雰囲気を醸している。
「どいつもこいつも――」
絡柳はさらにため息を繰り返した。
しばらくの間、紙を移動させる音と木々のさざめきだけが空気を揺らした。無言で書類を種類ごと、日付ごとなどにまとめてゆく。一番上に書類の概要を書いた紙を載せ、紐で束ねれば完成だ。書庫に戻されければならない書類は、保管場所が近いものをまとめて重ねた。




