舌を噛む
宮殿で首都奪還の祝勝会が行われている頃、私は街の酒場で一人のんびりとお酒を飲んでいた。
周りの人間はお祭り騒ぎで、酒を飲んでいるが、混じる気は起きない。
時折、誘ってくる者もいるが、全て断り、酒場の隅でのんびりとちびちびと飲んでいる。
今は人と飲む気が起きないのだ。
(やっと終わった…)
長かった。
本当に長かった。
ただの村長の娘の私が、こんな本で見たような歴史上の出来事に混じれるとは思ってもいなかった。
頭と狩りの腕には自信があったが、大陸に通用する可能性なんて無いと思っていた。
混じれるとしても、軍に略奪され滅びる村その1程度だと思っていた。
こんな先も見えない暗闇だらけの道を。
最後まであるかどうかすらわからなかった道を。
来るかもわからない日々を信じ、努力を積み重ね続け、自分は何をしてるのかと虚しく思った日々も。
こんな暗闇の道を渡りきれるとは思わなかった、あきらめなくて良かった。
やっと終わる。
やっと終わった。
(これで約束は果たしたよ…)
村の近くの山に、ボロボロの豪華な服を着た子供。
それを見つけたのが私じゃなかったら、この結末は訪れなかったと思う。
村長の娘程度の自分の頭も身体の才能が大陸に通じる物だったかは未だにわからない。
しかし、あそこで彼を、国を乗っ取られ必死の逃亡劇を行っていた彼を、私が助けたからこそ、この結末を迎えられた、それぐら
いの自惚れは許して欲しい。
感激の余り、涙が出そうになる。
しかし人前で泣くなんて私のプライドが許さない。
というより最後に泣いたのは何年前だろうか。
(やっと…)
何かを考えようとした瞬間。
酒場のドアがドガシャンと、壊れたかのような音が鳴る。
一瞬酒場が静まり返るが、私は音の方向を見て、敵襲かと思い懐の銃を掴むが、すぐに手を離す。
「ロワール殿下…?」「おい何で王様がこんな店に」ドアをぶち破ってきた人間を見て、酒場の人間達が騒がしくなる。
酒場の人間の視線を一心に集めるその人間はこの国の。
先日首都を奪還した元王子であり、現在の王様だ。
その王様は私の座っているテーブルにツカツカと歩いてくる。
「どうして来なかった」
初めて出会った時のような、この世に絶望した顔でも無く。
初めて私の御飯を食べさせてあげた時のような不満そうな顔でも無く。
初めて戦争に負けた時の悔しそうな顔でも無く。
初めて親しい友人が戦死した時のような悲しんだ顔でも無く。
初めて私が殿を引き受けた時に見せた悔しそうな顔でも無く。
純粋な怒りの篭った。
初めての裏切りにあった時のような目で、私はロワール殿下に怒鳴られた。
そして酒場は成り行きを見守るがごとく、静かになる。
この場で王と話すことができるのは私だけなのだろう。
(どうしてって…決まってるじゃないですか、ただの村娘の私は貴族の祝勝会に行けないからですよ)
その言葉を飲み込み、私は舌を噛む。
じわりと口の中に血が広がり、少し痛む。
殺しを経験してから身に付いた自分を落ち着かせるための癖だ、血の味がしないと頭が落ち着かない。
「私が行く必要が、もう無いでしょう」
「お前のために頑張ったんだぞ、なのに何で来ない」
私のために頑張ってくれていた。
自惚れで無く、そんなことは当然知っている。
貴方が自分を捨てた貴族や市民のために戦っていないことを私は知っている。
村にいる時からあれだけ好意をぶつけられたのだ。
私に何かしらの好意を持ってくれてる事は、わかっている。
だからこそ行かなかったという事実に殿下は気が付いてくれない。
既に私はあの場に行ける権利が無くなっている。
「もう」という言葉で気が付いて欲しい。
(貴方はあの時と違って王様なのですよ、村娘にうつつ抜かすような人間に、貴族が従うはず無いでしょうが)
貴族とは何かは私にはわからない、でも今まで村娘の私を見下し馬鹿にし、無視されて来たからなんとなくわかる。
平民の私には居場所が無いことぐらいは。何しろ戦争時で功績を立てても馬鹿にされたのだ。
軍事はなんとか勉強し、実戦で学んできたが、政治に関しては無理だ。
もう既に前線で戦死しないようにと全ての権限が取られ、部下もいなくなり、王子の側近、侍女のような扱いだったのだ。
政治を学ぶ処か、政治上、私はもう終わっている。
亡国の王子と成り上がり英雄となる。
そんな妄想をしたことが無いとは言えないが、この扱いはあんまりにあんまりではないか。
王子も私に死んで欲しいくないとか言い賛成したから性質が悪い。
(とはいえ村の皆を騙し、人を殺し続けた村娘の末路なんてこんなものかも知れませんね)
もうほとんど死んでしまったジレットの村の皆を思い出す。
父親も祖父も戦争で死んだ、母親と祖母は避難中に死んだ、隣のおじさんも隣の幼馴染も兵隊となり、生きているのかもわからな
い。
再び舌を噛み、口の中に広がった血の味で精神を落ち着かせる。
「こんな安酒なんて飲んでないで、早く来い」
「お断りです、人の邪魔をし続けてまた私に迷惑かける気ですか」
「邪魔だと、今回は何もしていないだろ!」
もう私はあんな場所に行きたくないし、行ってもロワールの邪魔になるだけだ。
そもそも私みたいな村娘が、名門貴族や王族が出てるような祝勝会に出れるはずが無いでしょうに。
貴方がどう考えてようが私があそこに参加出来る権利なんて存在していない。
白い目で見られ出て行く事になるか、貴方に見つからないように追い出されるか、そんな所だろう。
ジレットの村で万が一にも成功しないような反乱を起こした頃の零細組織とは訳が違うのだ。
「首都奪還の祝勝会に殿下が席なんて外してたら私が怒られるじゃないですか」
「殿下だと何を言っている、いつものようにロワと呼べ」
王様となった人間を呼び捨てに出来る人間なんてどれくらいいるのだろうか。
私は出来ない、別に誰もいなければ呼んでも良いが、人前でやると色々な人間に注意をされる。
「村娘如きが」「教養も碌に無い」などと罵られながら。
「殿下、私のことを考えるなら私のことなんてほっといて祝勝会に戻ってください」
「お前が来れば解決する事だろーが、お前はこの国の軍師だろうが」
何を言っているのか。
私が軍師らしい仕事をしたの何て、数回しか無いでしょうが。
しかもそれを言っていたの何て貴方だけ。
ただの村娘に軍師としての意見を求めて回りに白い目で見られていましたよ。
「軍師はフロス様じゃ無いですか、私は雑用係ですよ」
「あいつはただの文官だ、俺にはお前しか軍師はいない」
舌を噛む。
強く噛み締めて、自分の舌が千切れそうな程に噛む、痛い。
皇国の鬼才とか言われてるフロス様をそんな風に言ったらひどい事になりますよ。
でもそんなに私の事を評価してくださってありがとうございます。
殿下には一度しか軍師と呼ばれてませんし、とっくに忘れられてるものかと思ってました、ごめんなさい。
「ごちゃごちゃ言ってないで早く来い、命令だ」
真剣な顔で私の腕を掴まれ、無理やり連れていかれそうになるが払う。
あれだけ細かった腕がこんなに大きくなって、成長したんですね、殿下。
「お断りです」
うんざりした顔を殿下に見せ付ける。
多分うんざりした顔になっているはずだ、これでも殿下を誑かす悪女と言われた私だ演技には自信がある。
その手を払った時に見せた悲しそうな表情は私の演技に騙されたと見ますよ、殿下。
「どうしてだ、俺は何かしてしまったのか…?」
初めて出会った時のような。
殿下の弱気そうな、私の言ってる事が信じられないような、オドオドとした態度。
その度に相談や愚痴に乗ってあげましたが、もう駄目です。
もうこの国は貴方の目指した貴族の国になってしまいました、村人の私が付き合えるのはここまでです。
「何も」
(されるどころか、夢を貰い過ぎました)
口をあまりあけない様に呟く。
小さく首を振り、何もかも話しそうになるのを舌を噛み締め、我慢する。
噛み過ぎたせいで、口の中は血の味しかしない。
これで大丈夫だ、私は冷静でいられる。
「俺はお前の、あいつらのように王子だと言うのに媚びもせず我を貫き、夢物語だった反乱に手を貸すよう村の人間を説得して貰
ったことを深く感謝している、なあ舞、俺はそんなお前のことが好きなんだ、俺と結婚したら王女になれるんだぞ、最初に約束し
ただろ、俺のこと嫌いになったのか」
そんな捨てられた子犬のような目を見せるな卑怯者め。
そもそも貴方の事が嫌いだったら、戦争し続けて誰がここまで着いて来るか。
媚びもせず我を貫いたのは、弟みたいに思っていたからだ、姉が弱気になるわけには行かない。
王女になれるなんて言葉はまったく信じて無かった、どうせどこかの皇族や貴族の女性と結婚すると思ってましたからね。
どうせ村娘と王の恋愛なんて実るはずも無い、おとぎ話が好きな私でもそれぐらいわかる。
「嫌いどころか、元々殿下の事はどうとも思ってませんよ、さっさと帰ってくれませんか、迷惑なんですよ、私のこと考えてくれ
るならほっといてくれませんか」
「あいつらのせいか」
今までの弱気そうな態度からはうってかわり、切れ者のような風格に戻る。
「あの馬鹿どもに何か言われたんだな」
「家臣を馬鹿だなんて言ったらダメですよ」
一応名門貴族なんですから。
子供の頃から家庭教師を付け、勉強したらしいですし。
「否定しないんだな」
「………ねえ王子」
色々と言いたい事はある。
文句や愚痴も褒める事も色々ある。
でももういいのだ、私は疲れた、大陸の未来に関われただけで満足したのだ。
「なんだ、俺に出来ることなら」
「私如きが良い夢を見れました、今までありがとうございました」
席を立ち、目を瞑り頭を下げる。
ロワがどんな顔をしてるのかは見たくない。
見ていないからどんな表情わしたかは勝手に考えさせて貰う。
「………そうか、もういい勝手にしろ」
「 」
震えるような声を出すロワ。
それを聞き、何かを話そうとしてしまった口を閉じ、舌を噛み血を飲み込む。
これで良い、これで良かったのだ。
無言で立ち去るロワの後姿に頭を下げる。
感謝の気持ちと、謝罪の気持ちを込めて。
その日、皇国軍から一人の少女が姿を消した。
彼女に与えられていた部屋は整理され、荷物も服もそのままであったが、二つだけ物が無くなっていた。
ロワール王が感謝の気持ちを込めて送った、神器の一つである銃と。
「 」と共に。
そして彼女の名前は、皇国のどんな書物にも書かれる事無く消えた。
消えたはずであった。しかし。
後の魔界大戦で「救国の聖女」と呼ばれることを、王も彼女も誰も知らない。