誘拐1
クリスマスが終わると、すぐに冬休みに入った。
夏休みには半数近くの者が寮に残るが、さすがにお正月残るのは私くらいのものだ。
元日の朝、私は朝食の片付けとお昼の用意をしていた。
食堂のおばさんも3日間は正月休みでいない。
用意してくれてあった一人用おせちを食べたら、あとは自炊だ。
食材は山のようにあるので不自由はしない。
特別に寮の玄関の鍵も持たせてもらっているから、コンビニへ行くのも問題ないし。
今日のお昼はパスタにしようか。
ついでに夜の分も作っておこう。
玉ねぎをむいて、刻みはじめる。
とんとんとん。
まな板が小気味いい音を立てた。
「あ痛。」
調子に乗りすぎた。
左手の人差し指から赤い血が一筋、流れた。
もし、ここで手が滑って切ったのが指じゃなくて手首だったら・・・。
私は死ぬのだろうか。
いや、手を滑らさなくても、この包丁を自分の首に当てて滑らせたら。
流れる血を見ながら、つらつらと取りとめのない事を考えていたら、後ろに誰かが立った。
「!?」
訳の分からないうちに左手がグイっと引かれる。
目の前の状況が呑み込めず、私は目を見開く。
なんで木田先輩が私の指をくわえている?
「うま。」
「!!」
木田先輩が口を開けたので、私は慌てて手を奪い返す。
「ななななにをやってるんですか!?」
頬が熱い。
顔、赤くなってる!?
「何って、お前こそ包丁をじーっと見て何やってんだ?血も出てたし、ちょっとホラーだったぞ。」
「いや、あれは、別に。」
「死ぬつもりだった?」
さらりと木田先輩が言う。
死ぬつもり、なんてない。
とは言えなかった。
確かに私は死に魅了されていたから。
「お前、暇か?」
「えっと、今、食事の準備を・・・。」
「じゃあ、ちょっと俺に誘拐されてみない?」
「・・・。」
先輩、私と会話する気、あります?
強引に寮から連れ出され、学園を出た。
しばらくバスに乗り、着いたのは町外れにある病院だった。
「先輩?」
「ここに、俺の大事なやつがいる。お前に言われなかったら探さなかった、会えなかったやつだ。会ってやってくれるか?」
彼女の名前は美月さんといった。
透き通るような肌と、透き通るような空気を持った女性だった。
「ありがとう。」
彼女は別れ際に言った。
「私に祐真とお別れする時間をくれて、ありがとう。」
病院を出て、ファミレスに入り、食べ損ねたお昼を食べた。
「あいつ、もう長くねえ。いつ逝っちまってもおかしくないらしい。」
「・・・そうなんですか。」
私の脳裏に儚げに微笑む美月さんが浮かぶ。
「余命を宣告されたあいつは俺の前から黙って姿を消した。弱っていく自分の姿を見せたくなかったそうだ。それを見て俺が苦しむだろうって。」
木田先輩はパスタをもりもり食べながら続ける。
「でもそんなの独りよがりもいいとこだ。訳も分からず、ほっぽり出された俺の気持ちなんざ、これっぽっちも考えてねえ。嫌われた方が楽だったって言いやがったけど、嫌いにならなきゃいけない俺の気持ちはどうでもよかったのかって言ってやった。」
「・・・。」
私は黙ってパスタを口に運ぶ。
「晴可もおんなじだ。大事にしすぎて放りだすなんざ、鬼畜のやる事だ。俺の事、死ぬほどボコりやがったくせに、許せねえ。」
「晴可先輩は、私の事が嫌になっただけですよ?」
大事にしすぎてって、どういう意味だ?
「・・・まあいい。お前がそんな奴だって事は承知の上だ。」
木田先輩、哀れな子を見る目はやめてください。
「まあ、でもよ?美月に会って、思い出したろ?人の命は確かなものじゃないって事を。明日は約束されていない。それは全ての生き物に共通する。余命宣告されてる美月よりも早く、俺が命を落とす事もあるかもしれない。それはお前もよくわかってるはずだ。」
人の命は儚い。
本当に、笑ってしまうくらいあっさり、人は命を失う。
私がこうやって座っていられるのも、ある意味奇跡なんだろう。
分かってる。
分かってるけど。
「俺たちは約束された死に向かって生きていかなきゃならねえ。俺もお前も。」
「分かってます。」
「じゃあ、いつまでも拗ねてるのはどうかと思うが?」
「拗ねてるんじゃありません。私は怒ってるんです。」
私にだって分かってる。
非生産的な事をしてるって。
でも感情が追いつかないんだから仕方ない。
くちびるを尖らせふてくされる私を、木田先輩はおもしろそうに眺めていた。