聖夜
会場を出た私はふらふらと歩いていた。
辺りはすでに真っ暗だ。
冷えた空気が頭と体を包む。
一人になりたかったが、寮の部屋に帰るのは嫌だった。
きっと部屋に一人でいたら、泣いてしまう。
自分を憐れんでしまったら、何かが終わってしまうような気がした。
当てもなく歩く私の足は、無意識に教会に向かっていた。
一応私はクリスチャンだ。
と言っても熱心だったのは両親で、私はあまり教会に足を運んだ事はない。
古びた教会には灯りが点っていたが、人の気配はなかった。
私は祭壇に進み、膝をついた。
懺悔したい事は山のようにある。
でもその前に、ひとつ願い事をしたかった。
『神様、もし本当にいらっしゃるなら、お願いがあります。もう、私に何も与えないでください。』
私は静かに祈った。
「あれ~?珍しいのがいるぜ~。」
突然の声に私は祈りを中断して振り返った。
教会の入り口に、男子生徒が二人、立っていた。
「晴可の・・・じゃん?」
その口ぶりに私は顔をしかめた。
「でも別れたって話だぜ?現にこんなとこに一人でいる事自体、おかしいじゃん?クリスマスイブにあの晴可が自分のエサを離しておく訳ないし。」
またエサ扱いか。
「旨いんだろうな。」
ぽつりと一人がつぶやく。
「そりゃ、晴可があれだけ夢中になったんだから、相当な上物だろうな。」
「晴可はもういらないんだよな?」
「だったら、俺たちがもらっても問題ないか。」
なにそれ。
私は意思を持った人間なんだけど。
二人が近づいてくるのを、私はじっと見ていた。
人外と人間。
そんな事で区別するのはおかしいと、木田先輩に言った私は愚かだったんだな。
彼らは私とはまったく違う価値観を持っている。
人間は彼らにとっては意思を尊重するべきものではない。
気に入らなくなったらぽいっと放りだす、ただの嗜好品。
絶望が、私の心を真っ黒に染めた。
「なあ、ちょっとだけ味見させてくれよ。」
いつの間にか私の目の前に立った二人が、ニヤニヤと笑いながら言った。
「味見って、なんですか?」
二人は視線を交す。
「何って・・・。晴可に食われてんだろ?お前。」
変な奴だな、二人の顔にはそう書いてある。
「さあ?」
私が首をかしげると、顎を掴まれグイっと顔を上げさせられた。
ツンツンに髪を立てた方の男が、私に顔を寄せて嫌な笑いを浮かべた。
「こうやって口移しでいただくんだよ。」
私の脳裏に初めて晴可先輩に口づけられた事が、鮮やかに浮かび上がった。
そういえばあの時、死にかけたような気がする。
そうか。
やっぱりあれは食べられていたんだ。
男たちは、顔を寄せられても怯えるでもなく、考え事をしている私を変な顔で見ている。
「なんだ?こいつ、変な女だな。」
「じゃあ、ほっといてくださいよ。」
冷静に答える私に、男子たちは戸惑った様子だ。
泣いて逃げようとするのが王道か。
でも今の私には守りたいものなんか何一つない。
心の中は空っぽで、大事なものなんて何もないから。
男子たちはじっと立ったままの私を少し気味悪そうに見ていたが、食欲が優ったのだろうか。
視線を交して一人が私に向き直った。
折角体力戻ってきたのになぁ。
また倒れちゃうんだろうか。
私は近づいてくる男子の顔をじいっと見つめていた。
どん、ばこん、どたん。
「!」
痛い。
私は盛大に尻餅をついていた。
目を上げると男子生徒の姿はなく、そこに立っているのは晴可先輩だった。
「何やってんの、雅ちゃん。」
久しぶりに聞く声は、明らかに怒っている。
何やってるって、別に私が誘惑してた訳じゃないんだけど。
冷えた頭が急激に熱くなる。
「一人でおったらいかんやん。なんで睦月と一緒に大人しくしとれへんの・・・。」
私を引っぱり起こそうと腕を伸ばしかけた晴可先輩が、私の顔を見て動きを止めた。
「雅ちゃん?」
「勝手な事ばかり言わないで。」
私はゆっくりと立ち上がった。
「私がどこで何をしていようと、先輩には関係ないでしょう?」
「雅ちゃん、そやけど・・。」
「私から手を離したのは先輩です。それを気まぐれで手を出されても、迷惑なんです。」
晴可先輩の顔が苦しげに歪む。
「私の事は放っといてください。助けてなんかいらない。もう二度と私にかまわないで。」
まっすぐに晴可先輩の目を見て、私は言い切った。
「みやび・・・。」
「私は朝霧です。」
そう言い捨てて、私は教会を飛び出した。
頬に当たる風がひやりと冷たくて、ようやく私は自分が泣いている事に気がついた。
晴可先輩は追いかけてこなかった。




