氷解
いつも読んでくださってありがとうございます。
今回で第2章夏の頃は終了です。
約束通り、荷物だけを預けて一人でバスを降りる。
懐かしい風景に瞬きを忘れた。
私が育った街。
バスが角を曲がっていくのを見送って私は歩き出した。
しばらく歩くと閑静な住宅街に入る。
まず向かったのは両親の眠る墓だった。
ここに来たのは一度だけ。
学園の寮に入る前の日だった。
墓前に立っても両親と別れのあいさつもしていない私には、なんの感情も湧いてこなかった。
けれど今、やっと心から手を合わせる事ができる。
もう会えない。
やっとそれを受け入れることができた。
両親の墓参りを無事終えて、私はまた歩き始めた。
もう一つの目的地。
緩い坂道を登った先に見える家。
この辺りで朝霧と言えばちょっと有名な家だった。
高くそびえる門扉の向こうには青々とした芝が広がり、その奥に白い洋館が建っていた。
晴可先輩の別荘とは比べ物にならないけれど、それでも裕福な家だった。
誰かいるだろうか。
もし留守なら帰ろうと、インターホンを押す。
しばらく待つと叔母の声が答えた。
久しぶりに入った我が家は何一つ変わっていなかった。
今にもキッチンから母が出てきそうなくらい。
だがキッチンから冷たいお茶を持ってきたのは叔母だった。
あたりまえだけれど。
「この家、何も変えてないのよ。あなたの部屋もそのままよ。良かったら見ていって。」
てっきり全部処分されていると思った。
確か従姉妹の京香はそんな事を言っていたのに。
「あのね、あの時あなたに言ったと思うんだけど。私たち、あなたが成人するまではこの家の管理をするけれど、その後はあなたに任せるつもりよ。」
「え?」
叔母はにっこり微笑む。
その顔に父の面影が重なった。
「あなたが成人したら、ここに住もうが売ろうが自由にしてね。もちろんそれまでに帰ってきたかったらいつでも帰ってきていいのよ。私はただこの家に誰も住まなくなって荒れていくのを見たくないだけ。だって私にとっても生まれ育った家だもの。」
「叔母さん、わたし・・・。」
「京香が酷い事を言ったんでしょう?ごめんなさいね。謝りたかったんだけど、あなたも聞けるような状態じゃなかったし。」
そう。私はこの人の言葉を聞こうとはしなかった。
どんな優しい言葉をもらっても、きっとその裏には何かがあると思い込んでいた。
『やっぱり神様は公平だったのね。ああすっきりした。雅ったらいっつも澄ました顔して何もかもを手にして。いい気味だわ。』
目が覚めて茫然とする私に、叔母の娘、京香が言った言葉が無数のガラスの破片のように心に突き刺さった。
そうなの?
私が悪いの?
私が恵まれた環境に感謝しなかったから、神様は私から全てを取り上げたの?
心配そうな人たちも陰では京香のように嘲笑しているのだと思いこんでいた。
「ごめんなさい。私、なにも聞こうとしなかった。」
「いいのよ。今日は来てくれてうれしかった。兄さんたちも喜んでるわ。」
叔母の笑顔に救われた気がした。
そうか、私はこの人とも血が繋がってるんだった。
私はこの家に戻るつもりがない事を叔母に伝えた。
それに関しては保留にしましょう、と叔母は困ったように微笑んだ。
帰りがけ、叔母は通帳と印鑑を手渡してくれた。
「遺品整理をしていたら、あなた名義のものが出てきたの。学園では必要ないかもしれないけれど、何か必要になったらこれを使うといいわ。」
両親は何を思ってこれを貯めていてくれたんだろう。
私の将来を楽しみにしてくれていたんだろうな、と思うと心が温かくなった。
叔母に礼を言って玄関を出る。
ふと、門扉の方を見ると、あるはずのない顔が目に入った。
「「「!!!」」」」
「・・・皆さん。なにやってるんですか。」
門扉の向こうでこそこそ怪しい動きをしていたのは、さっきバスで別れたはずの晴可先輩、真田くん、笹原くんの三人だった。
「えーと、その。笹原がどうしても気になるって言うし・・・。」
「えっ!?晴可先輩!?それは俺じゃなくて・・・。」
笹原くんの口を無理やり押さえる晴可先輩。
なに楽しそうにじゃれてるんだろう。
「あらあら、まあまあ。皆さん、雅ちゃんのお友達?ハンサム揃いね~。」
騒ぎを聞きつけた叔母が門扉まで出てきた。
「雅ちゃんのこと、皆さん、よろしくお願いしますね。」
叔母は深々と頭を下げた。
「雅ちゃん、行こか?」
晴可先輩が私に向かって手を出した。
私は見送る叔母に頭を下げて、その手をとった。
大きな手が私の手をすっぽり包み込んだ。




