第五話
帝国暦 176年 9月
帝都を含めた北側の部分をフルヘンシオ中心とした北軍。
南側の部分をレイナルドを中心とした南軍として、両軍は対峙しており、膠着状態のまま二ヶ月の時間が流れた。
その間にもフルヘンシオは勅証を貰いうけ、南軍を朝敵として征伐し大義名分を得ようとしたのだが、皇家がその勅証を出さなかったのだ。
「パスクアラ様! 何故勅令を発していただけぬのですか!? レイナルドめを朝敵としこれを討たなければ帝国の未来はなくなりますぞ!」
バスクアラとは先代の皇帝の皇妃であり、現在の皇帝陛下の母親でもある人物だ。
歳は26と若く、その美貌はまさに感嘆の一言に尽きるほどの素晴らしさである。
大きなパチクリとした目はどこか子供っぽいところがあるが、それは彼女の印象を損なうものではなく、長い足と手に、綺麗で染み一つない白い肌、目の色は鳶色で、顔立ちは小さく小顔である。
また、豊かな金髪は歩くたびに常に波打ち、歩くと言う行為それだけでも人々の目を楽しませるほどだ。
14歳の若さで先代の皇帝に嫁ぎ、一子を産んだこの女性は白い肌に、綺麗な金髪の髪を優雅に編みこんで、王宮の一室にあるソファーに寝そべりながら菓子などを頬張っている。
フルヘンシオの腹違いのかなり歳の離れた妹でもある人物だが、フルヘンシオとの仲は一般家庭における兄、妹の関係とは程遠い。
「兄上、お一ついかがですか?」
まるでフルヘンシオの言葉を無視するかのように菓子を薦めるバスクアラだが、そのような事に興じている暇などない。
「バスクアラ様、今はそのような事をしている場合ではないと、何度も言っておるではないですか! 一体いつになったら勅令を発していただけるのですか!」
思わず語調が強くなるフルヘンシオ。
彼としては勅令さえ発してもらえれば、レイナルドについた貴族の大半は矛を引っ込めて彼を孤立させることが出来、後に改めて処罰すれば言いと考えており、一刻も早く勅証を貰いたいのだ。
レイナルドが蜂起して約半年、今は何とか膠着状態が続いているからいいが、日に日に彼に味方する多くの貴族が向こうについているとの情報がフルヘンシオの元に飛び込んでくる。
レイナルド自身、何を考えているか分からないが、現在彼は領地に戻り、特に動こうとはしない。
ゆえに前線にいるのは、アポリナルを中心とした貴族の大半だ。
彼らが到着する前に帝都から南にある二つの要塞、メクネス要塞とフェズ要塞を手中に収めることが出来たのは僥倖とも言える事であった。
帝都から食料を輸送し、この二ヶ月間の間何とか持たせてきたが必ず限界は訪れる。そう考え、一刻も早く勅令を発してもらいたいのだが、皇帝は11歳。
普通ならばある程度の教育を受け、それなりに判断出来る歳になりつつあるのだが、残念な事に彼は徹底的に甘やかされ育ってきたため「全て母上に任せる」としか言わないのだ。
ゆえにフルヘンシオはバスクアラに勅証を求めたのだが、まるで何を考えているか分からないような態度でのらりくらりとフルヘンシオの意見を無視している。
「バスクアラ様……いいですか? このままではあのレイナルドめに帝国が言いようにされてしまうのですよ? それでもよろしいのですか?」
「兄上、勅令は発しません」
いきなり、はっきりとそういい始めたバスクアラ。
フルヘンシオは一瞬自分の耳疑った。
「バスクアラ様? どういうことですか! こ、これでは…」
バスクアラは彼の言葉途中で手で制して、その手で菓子を掴み口の中に入れる。
ゆっくりと味わいながら、それはもう美味しそうに飲み込み、用意されている紅茶を一口すする。
「だってレイナルド様が皇家に敵対してきたら困るじゃない。あの人結構怒ると怖いのよね」
あっけらかんとした表情のまま再び紅茶をごくりと飲むバスクアラ。
あまりにも幼稚な答えにフルヘンシオは頭を抑えた。
「バスクアラ様、何度も申しているでしょう! このままでは皇家があやつの好きにされると!」
「兄上はそう言っていますけど、彼の檄文には『フルヘンシオ公の専横が目に余るゆえ、皇家の臣としてこれを討ち果たし皇帝陛下をお救いもうしあげる』とあるわ。良く分からないけど彼が敵対しているのは私達じゃなく兄上って事よね? だったら私達が口出すことないんじゃない? ケンカなら他でやってね」
そういうと用事は終わったといわんばかりに、手でフルヘンシオを追い払い、彼はやり場のない怒りをそのままに部屋を出た。
「……あの馬鹿女めが! なぜレイナルドの狙いに気付かないのだ! あやつはこれを機に帝国を牛耳ろうと考えておるのだぞ! あやつについた貴族共も先代の陛下から多大な恩を受けておきながら……おのれ!」
そう言いながら王宮にある自分の執務室へと向かうフルヘンシオ。
そこへ別の人物がやってきて、彼に話しかけた。
ライムンド侯爵という人物で歳は40手前、黒髪に茶色い瞳を持ち、無精ひげを生やしており、伊達男と言われるような男っぷりを見せている偉丈夫だ。
フルヘンシオの姿を見かけるとニコニコと駆け寄ってきて彼に声をかける。
「よう、ファラムンド。やっこさんどうだった? あの馬鹿女の事だ。あんまり期待しちゃねえが……」
ファラムンドとはフルヘンシオのファーストネームだ。
公爵の地位にあるこの人物を、身分が下な上にファーストネームで呼び捨てにするという事から分かるとおり彼はフルヘンシオの親しい友と言える人物だ。
今回のレイナルドの挙兵に呼応せず、逆にフルヘンシオ側についた7候貴族のうちの一人でもある。
かつての遠征の際、冷静な戦いぶりで、最も被害のない戦いぶりから先代の信もあつく、守りや撤退戦にかけては随一を誇り、殿など最も危険な役割を部下と共に多く引き受けてきた人物であり、レイナルドとしては是非味方について欲しかった人物の一人でもあった。
しかし彼は実はフルヘンシオの幼馴染でもあり、自分達が安心して前線で戦えたのは、帝国からしっかりと補給などの兵站を整えてくれた彼の尽力によるものだと理解しており、レイナルド達を含めたフルヘンシオに反感を持っている貴族達をやんわりと諌めたが聞き入れてはもらえなかった。
ゆえに彼らとは敵対する道を選んだのだ。
また言葉からも分かるとおり、元々下級貴族出身で、ぶっきらぼうな言葉がかなり多いが、それも彼の魅力の一つとどこか思わせるような雰囲気を持っており、先代の皇帝もそんな彼を好ましく思っていたことから今は皆普通にそれを受け入れている。
「ウリセスか、お前の予想通りだよ。勅令は発せられない」
ライムンド侯爵のファーストネームを呼びつつ、どこか力を落として答えるフルヘンシオ。
嬉しくない予想が当たり、やれやれとライムンドは髪を掻きしだく。
「なあいつも思うんだが、あいつ本当にお前の妹なのか? いくらなんでも馬鹿すぎるだろ」
「言葉を慎めライムンド。仮にも皇家に連なるお方だ人目がある様な場所で罵るものではない」
フルヘンシオとて先程思い切り「馬鹿女」と罵っていたのだが、その事を棚に上げ、ライムンドをたしなめる。
「へいへい、それよりも何人こっち側についた? やつらが挙兵して二ヶ月だ。いい加減、ひよっている貴族共のケツを叩かねばならんのじゃないか?」
「取りあえずはやつらと同じだけの兵力は掻き集めた。そう簡単に負けはせぬよ。やつらに一度でも勝利さえしてしまえば他の貴族達もこちらになびく。そうすればあっという間に形勢逆転する」
「レイナルドは戦上手で知られている武将だ。そううまくいくか? それよりも周辺部族に呼びかけ、やつらを使いゲリラ的な攻撃を仕掛け持久戦に持ち込んだほうが有利じゃねえか? やがて冬が来るし、そうなればこっちのものだと思うんだがな? 食糧の輸送は冬は結構きついぜ。それはお前が良く知っているはずだろ?」
「ウリセスよ。確かに戦においては謀の類も必要になってくるだろう。しかしこれはいわば反逆者相手の戦だ。正々堂々と真正面から討ち取ってこそ、価値があると私は考えておる。またレイナルドについた者の中には先代の恩を覚えている者達がいるはずだ。そやつらが我らに協力を申し出てくる可能性もある。そのような謀をしては、我等の正義が証明できず、そうしたもの達が協力を拒む事だってあろうぞ」
最後に「勅令さえあれば本当に反逆者に出来るのだがな……」と付け加えた。
この場においてこのように堅いことを口にする事が彼の性格を良く表している。
いわゆる真面目の一言に尽きるだろう。
同時に柔軟さに欠ける性格でもある。
「いやいや、ご高説最もだし、お前の性格からして小細工は嫌いだろうが、相手はあのレイナルドだぞ? 真正面から正々堂々と戦って勝てると思っているのか?」
「正義は我らにある。それを今様子を見ている貴族とて分かっているはずだ。これがレイナルドの私心から来ている戦だと言うことがな。なれば味方として馳せ参じてくると私は信じておる」
そのまま執務室に向かうフルヘンシオの背を見つめ、再び頭を掻きしだくライムンド。
「こりゃやべえかもな……」
ポツリとつぶやくその言葉には覚悟と同時にどこか悲しそうな響きがあった。
10日後、フルヘンシオの元に手に入れた二つの要塞が落ちたと報告が入る。
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「なぜ、レイナルド公はご出馬されないのだ!」
怒声を上げているのはアポリナル侯爵その人だ。
今この場において、レイナルドに味方した主要人物が一堂に集まっており、二つの要塞を目の前に攻撃を仕掛けず、歯噛みしている。
この二つの要塞は、かつての帝国の前線基地として使われていたが、版図が広がったことにより無用の長物と化し、ろくな防備を取り揃えておらず、一々包囲などしなくても力攻めで簡単に落とせることが容易に見て取れるが、では何故、彼らはこの場において留まっているのかと言うと、レイナルド公自信が檄を飛ばしたのはいいが、彼は領地に引っ込んでしまい、その場から動こうとしなかったのだ。
肝心のレイナルドが動かず、この場に集まった主な人物達は、何回も手紙でレイナルドに出てくるように促していたが、一向にその気配が見て取れない。
豪を煮やしているのはこの場にいるほとんどの者だが、それが一番良く現れているのは、やはり短期で知られるアポリナルとギオマルだ。
「落ち着きなされアポリナル候、レイナルド公爵には何か考えがあってのことであろう」
この場で最も若い人物の一人、いつかの時とは違い、ラディスラオがその身を鎧に包み込みアポリナルをたしなめる。
「しかしラディスラオ候よ! せっかくここまで来て餌が目の前にあると言うのに食いつくことが出来ないとはあまりではないか! レイナルド公は我らを見捨てるおつもりか!」
「レイナルド公とてここで我等が敗れてしまえばどうなるか、分かってはいると思うのだが……」
初老ともいえる年齢のベルガミンが静かに言う。
頭部はすでにはげており、また小柄な体躯をしているが、体つきは立派でありよく鍛えられている。
老いてもなお鍛錬を怠らず、未だ隠居せずに家を切り盛りしており、二人の息子からは「いい加減隠居してくれ」と懇願されている人物でもある。
今回は長男を伴っての参戦であり、次男は北軍についているベセラ伯爵の下でその手腕を振るっている。
万が一の事態に備えての保険だ。
この戦いに敗れたとしても、次男が向こうについているならば、家が絶えることはない。そう思っての処置であり、レイナルドに味方した者たちの中にはそうしたものがちらほらと見受けられる。
そして要塞を目の前にして約二ヶ月間、動きがなかったのは南軍の中心人物であるレイナルドが出陣してこないからであった。
一同のストレスが最高潮に高まりつつある時に、レイナルドから使者がやってきた。
当然一同はその使者に対しての詰問を行う。
特にギオマルとアポリナルの勢いは凄まじく今にも切りかからんばかりの形相で使者を睨みつける。
「どういうことだ!」
「何故レイナルド公はご出馬されないのだ!」
「我らを見捨てるおつもりか! 返答次第によっては貴様を切り捨て、あのフルヘンシオの前にレイナルド公を討ち果たすぞ!」
この二人の迫力に使者はたじろぐも、主から受けた言葉をこの場にいるものに伝えなければと、なんとか口を開く。
実はこの人物、普段は無口であり、およそ使者と言う役目を背負うには不向きな人物で、レイナルドがこの人物を使者に指名した時、周りの者達は「この者は口下手であり、およそ使者としての役割は不向きにございます」といって反対をしたのだがレイナルドはその意見を無視して、そのまま役目をあてがった。
「み、皆様方には、我が主レイナルド公からのお言葉を伝えまする!!」
相手の気迫に押されまいと、声を上ずりながらそれでも大きな声で何とか声を出す使者。
この場にいる者達は静かに次の言葉を待つ。
「わ、我が主は風邪でございます!」
震えながら、そして今にも逃げ出したいと言う思いに駆られているのか、見ているほうが哀れになるような感じだ。
「何? この大事な時に風邪だと? ご無事なのか?」
ギオマルがレイナルドに倒られては事だと思い、いの一番に使者に問いかける。
「か、風邪ではございますが、それほど重くはなく、いつでも出馬できる用意をしております!」
「……貴様は我らを馬鹿にしておるのか!! 何が言いたいのだ! 風邪は引いているがいつでも出馬が出来る用意をしているだと!? もっと要領よく答えぬか!」
詰め寄るアポリナルをラディスラオが宥めて、落ち着かせる。
使者はすでに腰を抜かさんばかりに膝を震わせており、それでも主の言葉を最後まで伝えようと奮闘する。
「……レ、レイナルド公は不思議がっております! 皆様方は充分な兵力をお持ちなのに、何ゆえ要塞攻略に尽力なされぬのか? 私が皆様方の主であればああしろこうしろと命令するが、皆様方は私の部下ではございません。それゆえ皆様方の動向をうかがっておりましたが一向に動く気配がなく、このレイナルド出陣しようにも、中々出来ませぬ。皆様方は本当にフルヘンシオの専横から皇帝陛下をお救いしたいのかさっぱりでございます。もし本気であるなら、すでに動いていてもおかしくはなく、要塞の一つや二つ攻略されているのではありませんか? 皆様方が動き出せばこのレイナルドの風邪も治ることでしょう」
それを聞いた一同は思わず言葉を無くした。
静寂がこの場を包み、アポリナル、ギオマルの二人は思わず罰の悪そうな顔すらする。
「いやはや……これは面目ない……そうであったな……確かに使者殿の……レイナルド公の言うとおりである。我らはフルヘンシオの専横に対して立ち上がった言わば同士であり、そこに上下関係はあるはずがない」
「そういうことであるな。レイナルド公の戦に我等が助勢するのではなく、我等の戦にレイナルド公が助勢なさる。使者殿先程はすまなかった」
アポリナルは素直に使者に謝罪をした。
そしてそこからの動きは早かった。特に先陣争いを競って行ったギオマルとアポリナルの勢いは凄まじくあっという間に二つの要塞を落とし手中に収めてしまったのだ。
レイナルドは部下から「何故あのようなものを使者に」と言う質問に「この場合は余計な事を言わぬ口下手なものが使者にふさわしい」と一言だけ漏らし、ようやく重い腰を上げ自身も出陣した。
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二つの要塞の陥落の報を受け、フルヘンシオは慌てて兵を招集し、また味方についた各貴族にも手紙を出し、帝都から出陣する。
彼の親友であるライムンド侯爵は「そのように慌てては事を仕損じる。陥落したのは仕方ないが、今は帝都の守りを固め、ちゃんと誰が味方かを判断した上で、出陣すべきだ」と主張したが、フルヘンシオにとっては裏切りなどあるはずがないと信じ込んでいるので聞く耳を持たず、帝都を発した。
ライムンドはため息をつきながらも、親友を見捨てるわけには行かないと覚悟を決め共に出発を果たした。
北軍、すなわちフルヘンシオ率いる兵力は約6万の大軍勢だ。
その中には彼の右腕であるエルミニオ、そして親友であるライムンド、そして最も多くの兵を持っているシントロン侯爵が味方についている。
他にもコルネート伯爵やエンリケス子爵などの者たちもおり、またフォンセカ公爵も彼についている。
フォンセカ公爵は昔からレイナルド公爵とは折り合いが悪く、常にライバル視をしていた人物の一人で、フルヘンシオの味方をするというより、レイナルドが嫌いだから北軍についたといっていい人物だ。
言うなればレイナルドよりフルヘンシオのほうがマシだと言う考えの人物で、レイナルドが公爵家筆頭に地位にいると言うことが気に食わず、自分こそがその地位にふさわしいのに何故あやつが? と不満を持っているのだ。
そしてこの人物がフルヘンシオについたからこそ他の貴族達が馳せ参じたと言っても過言ではなく、それなりに人望もある。
そして曲がりなりにも両軍は互角の兵力でラムダ台地と言う小高い丘がありでこぼことした地形の場所で対峙した。
北軍の兵力は約6万、南軍の兵力は約5万5千。
兵力差はほぼ互角である。
この地域は帝国最初期の時に当たるいわゆるかつての国境地帯であり、丘がいくつも見受けられるような場所だ。
そうして両軍はにらみ合いを続け二日ほどの時が立つ。
「決戦は明日とする」
一際立派な陣幕においてフルヘンシオが諸将を集めて、言葉を放つ。
「正面は我が軍、右翼はライムンド候、左翼はフォンセカ公にお任せしたい。陣は横陣。そこから右翼、左翼を突出させ相手を包み込む形で包囲殲滅とする。では諸将各自準備のほうを怠りなく頼むぞ」
横柄な言い方である。
まるで自分が彼らの上に立っているかのような物言いに、フォンセカをはじめとした幾人かの人間が不満をあらわにした。
またフルヘンシオは武官ではなく、文官の出であり、それほど戦に長けているわけではない。にも拘らず自分の決定が絶対だと言わんばかりのこの物言いは反感を買うのだが、彼としては命令などと言う気持ちは一切なく、ここに集まっている者達は真に帝国を思う者達であり、自分の思いを分かってくれていると考えているのだが、それを言葉にするような人物ではなく、こういうところに誤解が生じているのにも気がつかない。
ちなみにこの案は彼の腹心であるエルミニオの案でもある。
小細工を嫌う主にこのように進言をしたのだ。
横陣はそれほど攻撃や守備に優れた陣形ではないが、利点としては応用が利きやすいと言う事にある。
攻めるにしろ引くにしろ、各自連絡がとりやすく、戦上手で名の知れているレイナルドを始めとした人物相手に無理は禁物と考えたのだ。
また横陣であれば各自の動きが把握しやすく、誰がどのように動くか見張ることも出来るのだ。
ライムンドと同じようにエルミニオも一抹の不安を抱いている。
急編成された軍など、もろいもので、例え兵力が互角であっても、連携が取れなければあっという間に瓦解する事を良く知っているのだ。
これが統率力のある先代の皇帝の様な人物に率いられているのであれば、そのような心配などせずに済むのだが、この場に集まったもので信頼できる人物は、ライムンド侯爵一人しかいないと彼は思っている。
他の人間が何処まで本気で戦ってくれるか、相当な不安があるが、フルヘンシオは皆本気で戦ってくれると信じ込んでいるのだ。
ならばと思いせめて連携のとりやすい横陣を薦めたのだ。
「フルヘンシオ公、一ついいかな?」
「ん? なにかなフォンセカ公?」
作戦内容を説明しているフルヘンシオにフォンセカが、口を挟む。
「正面からやりあうのも結構だが、夜襲を私は提案する。とくに南軍は二つの要塞を勢い良く落とし、ここまでほぼ休み無しで駆け抜けてきたのだ。疲れも大分溜まっているであろう。そこをつけば恐らく勝利できるのではないかと思うが? 私に兵を預けてくれれば一泡吹かせれるがいかがかな?」
「フォンセカ公、そのやり方はあまりにも卑怯ではござらんか? ましてやフォンセカ公の言うとおり奴らは疲れ切っている。そのような兵達を相手に夜襲するなど物笑いの種になるではないか。むしろ正面から打ち破ってこそ価値がある」
「しかし正攻法ではあまりにも不確定要素があると思われるが? ましてや、わずかとは言え兵力は我等が上回っている。ここでせっかくの兵力差を有効に使わなければ勿体無いではないか」
「フォンセカ公、先にも言ったとおり、南軍の兵は疲れ切っていて、また兵力差においてはわがほうが上なのだ。夜襲など行えば、この先我らは他の貴族から白い目で見られることになる。これ以上は議論の余地などない。正々堂々と打ち破るのみだ」
そして次々と各諸将に役割を振っていくフルヘンシオ。
みな取りあえずは了承し割り当てられた場所へと兵を動かす。
「……フルヘンシオはいつから我等の総大将になったのだ? 彼が我等の代表であることは良しとしよう。しかし私は彼の部下になった覚えはないのだがな?」
陣から出る時にフォンセカ公爵がライムンド侯爵に疑問をぶつける。
「ああ……いえそうではございませんよフォンセカ公。彼はわれらの事を同士と考えてくれています。少しばかり横柄な態度でしょうが、特に深い意味などありません」
苦笑しながらもなんとか宥めようと必死に説得するライムンドだが、フォンセカは納得しない。
同じ公の位を持っているにも拘らず敬意を払われないこと、上から物を言われた事、せっかくの案を却下されたこと、相当な不満があるようだ。
「だと良いのだがな……しかし戦を前にしてあのように言われるとは思われなかったわ。せっかく馳せ参じたにも拘らず感謝どころか、馳せ参じて当たり前と言わんばかりではないか……どうにも納得が出来んな」
そういってそのまま背を向けて立ち去った。
「こりゃ本格的にまずいぞ……あの馬鹿! 少しはなんていうのかな……こうあるだろうがよ……せめてバルトロメ候が生きていればまだやりようがあったんだがなあ……ああクソっ」
ため息をつきながらも、自分の兵を纏め上げ言われた場所の配置に向かうライムンドであった。
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翌朝、ついに両軍はぶつかり合った。
最初に多くの矢が飛び交い、徐々に間合いを詰めて歩兵がぶつかり合う。
レイナルドは他の貴族に目もくれず、フルヘンシオのみに集中するように他の貴族に呼びかけ、フルヘンシオを特に憎んでいる、ギオマル、アポリナル、ラディスラオの軍勢が彼に襲い掛かる。
また牽制としてベルガミン公爵は6千の兵を率いて、フォンセカ公爵に当たっているが、文字通り牽制だけであり、まともに当たろうとはしない。
フォンセカ公爵のほうも、申し訳程度に戦うだけであり、本気でぶつかろうとはしない。
アストルガ公爵はライムンド侯爵に仕掛けており、ライムンド侯爵は左翼に配置されたフォンセカ公爵が前に出ないので、自分ひとりが突出するわけにはいかず、その場で守りを固め、被害を抑えている。
その指揮はさすがと言うべきで、引くべきところはきっちりと引き、敵の勢いが衰えた場所を的確に見抜き、矢を放ち槍衾を突きつける。
そのまま進めば相手を押し切り引かせることも可能なのだが、それをしてしまえば孤立するだけなので、中々思うように連携が取れないこと、嫌な予感がさらに大きくなる。
「ええい! なぜフォンセカ公は動かぬ! ライムンド候が必死でいくつもチャンスを作り上げていると言うのに! 使者を送れ! 何をしておるのだ! ここで敵を包囲できれば一気に有利に進めるというのがわからんのか!」
自分の陣にて怒りをあらわにし部下に八つ当たりに近い形で怒鳴りつけフルヘンシオ。
前線では彼の片腕であるエルミニオが必死で指揮をとり、ラディスラオ、ギオマル、アポリナルの三人を相手に奮闘している。
「弓隊敵をひきつけろ! 西に向かって思い切り放て! 槍隊準備が出来次第、地面に伏せ、敵の騎馬隊にあわせて一気に槍を突きつけろ!」
怒号がなり様々な音が大きく鳴り響く中、それらに負けない大声で次々と兵に指示をしていくエルミニオ。
三隊を相手にしっかりと取り乱すことなく、指揮をとり、時には自身が槍を振るい、時折押し返すまでに至っている。
「まだ突破できんのか! くそフルヘンシオめが存外にしぶとい!」
ギオマルが憎々しげにうなり声を上げつつ、気勢を上げてエルミニオの隊に襲い掛かるが、守りが堅くいたずらに被害が増すばかりだ。
「さすがの猛牛将軍も苦戦しておられるようですね。いやはや、真槍将軍と言われるだけあります」
猛牛将軍とはギオマルのあだ名でもある。
その名から分かる通り突撃力と言う意味においては帝都において並ぶもの無しとすら言われ、突破力は見事なものなのだが、エルミニオの隊を相手にはそれが裏目に出ており、見事玉砕していき被害が増えているのだ。
「エルミニオ殿は我らと同じ立場のはずであろう! 何故あのような者に味方しておるのだ!」
「ともかくここを突破できなければフルヘンシオに届きません! アポリナル候のほうも攻め倦んでいるようですね……」
ラディスラオがちらりとアポリナルの隊に目をやると、そちらも動きが鈍っており、中々に苦戦しているようだ。
「ともかく埒が明きません! このままでは被害が増すだけです。レイナルド公に判断を仰ぎましょう!
」
「わかった! だが下手に勢いを弱めれば、エルミニオに付けいれられる! 気をつけろよ!」
「分かっていますよ!」
ラディスラオはその場から一旦離れ、レイナルドに使者を飛ばす。
その間にもエルミニオの攻勢は止まらず、アポリナル、ラディスラオ、ギオマルの三隊を相手に約2キロの距離を押し返す攻勢を見せる。
「続け者共! きゃつらは皇家に弓引く反逆者だ! 遠慮はいらぬ打ち倒せ!」
最前線で自身も傷を負いつつも槍を振るい、馬を変えて、真槍将軍にふさわしい奮戦を見せるが、その勢いは徐々に陰りを見せ始める。
まともに戦っているのはライムンドとフルヘンシオ、エルミニオが率いている兵だけであり、他の貴族達はまるでやる気がないかのように戦っている振りをしているだけなのだ。
「後詰のシントロンめ! ここに来て日和やがったか! くそ! 奴を当てにするな! コルネートとエンリケスに援軍を頼め! グダグダじゃねえかよ! 槍隊! 今は突撃は待て! 孤立するぞ! 下手に突っかけるな! 弓で敵を牽制しろ!」
ライムンドも下手に攻撃を仕掛けずに堅固な指揮をとり、被害を小さくしているが、彼が率いている兵は4千程度であり、対するアストルガは7千の兵力でありその差は歴然としている。
それでもライムンドは必死で指揮をとり、時折突出する機会を幾度も作ってはいるが、フォンセカ公爵が中々動かず連携のタイミングが取れない。
中央でエルミニオが奮戦しているが、あちらは三隊を相手にしているので思うように動けないのだが、それでも少しずつ押しているようであるが、さすがにあまり頼りにしてはいけない。
やがて兵達にも疲れが見えているが、ライムンドの人望によるものか士気のほうは一向に衰えず、兵達は疲れた体にムチを打って、ライムンドの指示に的確に動いていく。