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20 支暁殿

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 伝鳥の赤い目から輝きが失われる。途端に報酬を寄こせと主張する伝鳥を宥めると同時、襖がすらりと開かれた。

「おや、兄様。……聞いていらっしゃいましたか」

「気味が悪いほど似ているな」

 鼻で嗤い、由月は襖を閉めた。襖に仕切られた向こう側は由月の私室だ。

「気味が悪いとは、随分なお言葉ですね」

「やめろ。それよりもどういう事だ?」


 影虎。


 厳しい声音で呼びかけた由月が、影虎の側に佇む。腕を組み見おろしてくる姿を横目で見やりつつ、影虎は嘆息した。

「どうもこうも、あっちも言ってたろ。月が出てるかどうか、確かめたくなったんじゃねえの?」

 瑠璃の粒を与えてやれば、伝鳥は満足した様子で羽を休めて、大人しくなった。止まり木に移し、影虎は胡座していた足をだらりと投げ出す。

「答えろ。どういう事だ?」

 柱に背をもたせかけた由月の濃紫の目が、すっと細められる。冷ややかな声音には、拒否を許さない響きがあった。

 由月の問いたい事は分かっている。

 何故、お前が中央に戻っているのか。

 何故、草薙の居屋である左影舎ではなく、如月の御殿たる支暁殿に滞在しているのか。

 何故、この数日間を紫呉の私室で過ごしているのか。

 何故、お前が紫呉の声帯を模写する必要があるのか。

 何故、日生加羅が紫呉に接触を図ろうとしたのか。

 答えろと命じる由月の視線に、影虎は薄く笑う。

「答える義理は無いね。俺は紫呉の影だ。お前の命令に従う筋合いは無い」

 数瞬の後、由月は舌を打ち、視線をほどいた。見るからに不快げな由月の横顔に、影虎は笑みを深める。

 答えるべき理由はもちろんある。

 中央に戻ってきたのは、紫呉に命じられたからだ。留守を頼むと、そう、命令を下されたからだ。

 左影舎ではなく支暁殿に滞在していたのは、ここにいなくては意味が無いからだ。

 紫呉が捕らえられる事はないだろう。そんなヘマを彼はしない。そう信じている。

 だが、彼を知る者に姿を見られたら? 玻璃に在ると知られたら?

 その時には、あちらはきっと紫呉本人にまず連絡を取ろうとする。一手目からすぐさまに、如月桔梗へと知らせる事はない。もしも別人であるならば、如月に不名誉を被せたとして、玻璃にとっての損失となる。

 だから、まずは本人に接触を図ろうとするはずだ。非公式を装って。そして紫呉がその場にいないのなら、血筋の者に紫呉の在・不在を問う。

 そうなれば、由月をはじめ、彼の家族に紫呉の不在の理由を話さなければいけなくなる。それを、紫呉は望んでいない。己の所為で如月が動くことを、彼は望んでいない。

 紫呉の不在を在と成せるのは、己だけだ。紫呉の声を真似られるのは己しかいない。紫呉の不在を隠せるのは、己しかいない。

 だから、ここに来た。

 紫呉はもとより支暁殿で過ごす時間は少ない。普段は弐班の屯所に在ることが多い。

 しかし、それは裏でのこと。表向きには、如月の次男は支暁殿で過ごしている事となっている。

 瑠璃の民にとってそれが真実であるように、玻璃の者にとっても、それは真実だ。真実ではないと加羅は知っているはずだが、しかし公的な場では、虚偽の真実を真実と成すだろう。

 つまり、こうして加羅が支暁殿の紫呉の私室へと声を飛ばしてきたという事は、公的な力が働いているのだ。

 八重に命じられたか。それとも己の意志であるのか。

 それを判じる事はできないが、これは個としてのやりとりではない。日生と如月の、玻璃と瑠璃の、声の交換だ。

 ならば、如月紫呉はそこにいるかと、日生加羅が声を投げかけてくる意味は何だ。

 紫呉の身柄を拘束したのならば、戦の布告だろうが何だろうが容易いことだ。紫呉の身に刻み付けられた桔梗の墨で、彼が如月の血に連なるものだとはすぐ知れるのだから。こんな回りくどい手を使う必要は無い。如月の次男が捕らえられ、断りもなく玻璃の地に忍び込んだ事が公になったとするならば、焔である八重本人が、如月桔梗に声を飛ばすはずである。

 だからおそらくは、あちらも、不明確な要素しかないのだ。紫呉の姿を見かけたか、そんなところだろうか。

 きっと、紫呉の不在を明らかにしたかったのだろう。瑠璃に紫呉がいない事を証明できたならば、玻璃で見かけた紫呉が、彼本人だと証明できる。

 それを証明してどうするつもりなのかは、影虎には想像がつかない。だが、瑠璃にとって喜ばしくない事態となるだろう事は分かる。

 しかし、こうして影虎が紫呉の声を真似た事で、紫呉の存在は作りだせた。あちらで姿を見かけた事も真であり、こちらに声がある事も真。不明瞭な要素しか持ち得ないのならば、八重が日生焔として、加羅が日生加羅として、何か行動を起こす事は、きっと無い。

 加羅が声を飛ばしてきた事も、ただ瑠璃に月が見えるかと、親交のあった紫呉へ問うたという事実が残るだけ。

 留守を頼むと、紫呉は己に命を下した。その命を、これで果たせただろうか。

 影虎は後ろについた手に体重を乗せた。思案顔の由月を見上げる

「今、紫呉はどこにいる?」

「んー、屯所」

「ならばどうして、お前はここにいる」

「べっつにー。深い理由はねえよ」

「主の側を離れず護るのが、草薙の役目だろう?」

「亮ねえだって、ずっとお前の側にはいないだろ。それと一緒だっての」

「どうして紫呉の部屋に居座っていた」

「ご主人サマの気配が恋しかっただけだにゃー」

「影虎」

「んだよ、しつけえな」

 由月は屈み、影虎に視線を合わせた。

「私の考えを聞かせてやろう。何らかの理由で紫呉は玻璃へと向かった。そしてあちらで、紫呉を知る者に姿を見られた。先程の伝鳥は、確認だ。こちらに紫呉がいない事を明らかにしたかった。だが、紫呉はいた。お前が作った。だから、あちらはもう動かない。どうだ?」

「ま、そういう可能性もあるだろうな」

「だが、だとしたら、どうして紫呉は玻璃に向かった? 何の為に?」

 由月は目を伏せた。その声は、影虎にというよりも、己自身に問いかけているようだった。

 問いの答えを、影虎は知っている。だが、由月に伝える事はない。

 由月は知らない。

 六年前、紫呉が大きな怪我を負った理由。影虎が足を失った理由。

 二年前、紫呉が大きな怪我を負った理由。翔太を手にかけた相手。

 ずっと、隠してきた事だ。これからも、紫呉が望む限り隠し続けていく事だ。

 由月はゆっくりと目を閉じた。長い睫毛の影が、白皙の頬に影を落とす。

「一つ言っておく」

 同じくらいにゆっくりと目を開けて、由月は長く息を吐いた。鋭い濃紫の視線が、影虎を射る。

「もしも紫呉がこの里に害を成すのなら、私はあの子を殺すよ」

 その声にも、視線にも、偽りの色は感じられない。

「ハ、そりゃあアレか? 亮ねえに命令すんの? それとも青生に? あいつを殺せって?」

「馬鹿を言うな。私自ら、手を下してやる」

「その前に、俺がお前を殺してやるさ」

「見上げた忠犬だな」

 ク、と由月は喉を鳴らす。立ち上がり、部屋を見渡した。あちらこちらに散乱する書物だの手紙だのを映した眼が、ゆるゆると和らぐ。

「……あいかわらず、汚い部屋だな。片付けておいてやったらどうだ」

「やだよ。勝手に触ったらあいつ怒るし」

「そうだな。私も怒られた」

「へえ。あいつ、お前にも怒ったりすんの?」

「するさ。意地が悪いだの何だの、よく言われる」

 笑みまじりの声を残し、襖が閉ざされる。しんと広がる静けさが、急速に眠気を連れてくる。首を振って、影虎は眠気を払った。

 もう、この場を離れても大丈夫だろうか。また、あちらが接触を図る事はあるのだろうか。離れずにいる方が、無難であるだろうか。とにかく何事もなく、帰ってきてくれたら良いのだが。

 今すぐにでも探しにいきたい心を押さえつけ、影虎は伝鳥に手を伸ばす。もう鳴いてくれるなよと、真白い羽を撫でつけた。

 障子窓にほの明りが差し込む。夜空が白み始めているのだろう。

 押し寄せる眠気に負けて、影虎は文机に突っ伏した。気配は研ぎ澄ませたままに、眠気に従う。

 おかえりと、やがて告げる言葉を反芻しながら、影虎は眠りに落ちた。


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