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2 壱班保護舎


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 壱班の保護舎には医薬品のにおいが立ち込めている。行灯の火と、部屋の片隅に囲われた蝶灯が、狭い部屋に灯りを与えていた。

 影虎は須桜が必死の形相で治療を施す様を、壁に背をもたせ掛けて眺めていた。

「どうだ」

「治るわ。治すわよ」

 須桜は襷をかけ、着物が汚れるのも厭わず、雪斗の腕を取って治療をしていた。

 その彼女の手にも、切り傷があった。御影の血の効力を使用しているからだ。

「あたしは御影須桜よ。治せないわけがない」

 頬に伝う汗を肩口で拭い、須桜は早口に言った。指先から垂れる己の血の染みた糸で、傷口を手早く縫い合わせていく。

 御影の女の血は、治癒の効果を持つ。だが決して万能ではなく、自己治癒力を高める程度のものだと須桜は言っていた。誇れるものでも驕れるものでもない、とも。

 だから彼女は日々医療技術を磨いている。救えるように、と。己の血を更に役立てられるように、と。

 その彼女が治ると、治すと言っているのだ。だから、雪斗の腕は治るに違いない。腱を傷つけられていたようだが、それでも治る。また動かせる。

「……だってよ」

 と、影虎は傍らに蹲る主に声を投げかけた。

 今、ここの保護舎にいるのは影虎と須桜と紫呉。そして雪斗だ。壱班の者は外に出て行ってもらった。須桜が思うように治療ができなくなるからだ。

 紫呉は影虎の声に、僅かに肩を揺らした。彼はさっきからずっとこうだ。両膝を抱え、顔を伏せ、まるで祈るように指を組み合わせている。

 影虎は小さく嘆息した。壱班からの知らせを受け、慌てて駆けつけた。助けが必要なほどの怪我を負ったと聞いていたが、どうやらそれは己の主ではなくて雪斗のようだった。

 少しばかりほっとしてしまった自分は、どうやら骨の髄まで『影』であるらしい。そんな己を嫌悪しないでもないが、そういう生き物なのだから仕方がないと思う己もいる。

 大きな外傷は見当たらなかったが、紫呉も負傷していた。どうやら臓腑に衝撃を受けたようだ。血と反吐を吐いた様子だった。もしかすると、あばらの数本なり損傷しているのかもしれない。

 が、それを紫呉が影虎に伝える事はないだろう。彼は心配される己を嫌って、いつも傷を隠そうとするから。紫呉の治療をした壱班の隊員に、後でこっそり詳細を聞いた方が良いかもしれない。

 紫呉が組んでいた指をほどいた。ぐっと拳を固めた右の手を、左の手のひらで包み込む。拳を固める右の腕が、僅かに震えていた。

 感じるのは怒気だ。押し殺しきれぬ怒気が溢れだし、血の臭気に淀む空気を焼いている。

 影虎は側に膝をつき、紫呉の手に手を重ねた。半ばこじ開けるようにして、拳をゆっくりと開かせてやる。

「爪、刺さんぞ」

 紫呉の手は、いやに冷たかった。案の定手のひらにはくっきりと爪の痕が残っており、影虎はふっと息を漏らすようにして笑ってしまった。

 ようやく紫呉が顔を上げた。こちらを見る眼差しには、見覚えがあった。

 怒りに塗り固められた、真黒い眼。夜の淵を覗いたかのような、底の見えぬ漆黒だ。

 だが二年の昔のような、からっぽの眼差しではない。深い黒の中に怒りという明確な感情が窺えるだけ、ずいぶんとマシである。

 例えるなら炎だ。黒い炎だ。

「影虎」

 名を呼ぶ声はひどく掠れていた。酸に喉を焼かれた所為だろう。

 何だ、と視線で促がすも、紫呉はそれきり口を噤んでしまった。影虎は続きの言葉を引き出す事を諦め、重ねていた手を離した。

(炎か)

 よぎるのは、紅緋の眼と蜜色の髪。日生焔の血に連なる、齢十五の少年の姿。

 影虎は確信していた。紫呉とやりあった相手は、加羅に違いない。

 血反吐を吐くほどの腹部への攻撃を、紫呉がそう簡単に許すはずがない。それほどの大きな隙を生み出せるのは、加羅以外にいない。紫呉が防御も間に合わぬほどの、疾さを有するのも。

 きっと、雪斗を傷つけたのも加羅だろう。

(何を考えてんだ)

 笑みを含んだ紅緋の目は、どこまでも底を見せようとしない。

 可能ならば、この手であの存在を取り除いてしまいたい。だが、できるわけもない。加羅は日生加羅。玻璃の里を統べる日生の一族だ。

 それを、如月の狗である己が勝手に噛み付いて良いはずもない。主がそうするよう命を下す事もないだろう。己に流れる如月の血に誰よりも歯噛みしているのは、紫呉自身なのだろうから。

 もしも如月が日生に牙を向けようものなら、すぐさま二璃の里間に戦が起こるだろう。瑠璃と玻璃、軍事力を競えばきっと互角だ。だが問題はそこではない。民の血が流れる事を、紫呉は望んでいない。

 だからこそ、今までもずっと黙ってきたのだ。

 六年前、加羅が紫呉を刺した時も。

 二年前、加羅が翔太を殺した時も。

 ずっと、耐えてきたのだ。

(……何を考えてんだ)

 加羅の考えが、望みが分からない。加羅の行動動機が読めない。分からぬ以上、対処のしようもない。

「とりあえずは終わったわ」

 治癒の為に傷をつけた腕に手早く包帯を巻きながら、須桜が言った。流れる汗を疎ましげに肩口で拭い、大きく息を吐く。

「しばらくは様子見ね」

 影虎は巾を渡してやった。受け取った須桜はぐいぐいと荒っぽく汗を拭い、厳しい目で雪斗を見やる。

 ふいに、ばたばたと慌しい足音が聞こえた。二人だ。入り口で、壱班の者と問答する声が聞こえる。

「紗雪」

 はっとした声で、須桜が呼んだ。入り口へと向かおうとした須桜だが、血と薬品で汚れた己の格好を見おろし、逡巡した様子だった。

 代わりに、というわけでもないが、影虎が入り口へと向かう。

 戸を開けるなり、不安に濡れた赤銅色の目が影虎を見上げてきた。

「影虎さん、あの、雪斗が」

「ああ」

 落ち着け、というように、影虎は紗雪の肩を叩いてやる。紗雪の隣には母親であろう女性が立っており、同じく不安げな表情を浮かべていた。雪斗は坂崎の家を勘当された身だが、やはり息子は可愛いのだろう。

「今ちょうど治療終わったところだ」

「へ、平気なの? 腕って……。また、ちゃんと動くのよね?」

 血の気の引いた顔と震えた声が、かわいそうなほどだった。

 影虎の向こう側の雪斗を見ようと、紗雪が身を捩る。影虎は場所を入れ替えるようにして、中に通してやった。

 駆け寄った母子は雪斗の手を取る。浮かぶ涙が痛ましかった。

「大丈夫よ、安心して。あたしが絶対に治すから。誰にも悲しい思いはさせないから」

 信じて、と須桜が強く言う。母子は何度も頷き、涙を拭った。

 その様子を、紫呉は黙って、ただじっと眺めていた。


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