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15 腥の森 2

 馬鹿を言うな。

 そう叫んだつもりだった。

 だがその声は、小さな喘ぎにしかならなかった。

 馬鹿を言うな。似ているものか。

 言葉にならぬ嫌悪が喉の奥で暴れている。

「どう違うの、かな」

 汀は屈み、男の胸に刺さった小刀を抜いた。手の中で玩びながら、じわじわと距離を詰めてくる。

「どちらにせよ、彼は死んだ。この肩の傷。致命傷だよ、ね。ぼくが彼を使わずとも、きみが、彼を殺した」

 汀は小刀をぽいと捨てた。土に落ち、軽く間の抜けた音を立てる。

「きみは、彼がどう死ねば、納得するの、かな?」

 落ちた小刀を高下駄で踏みやり、汀はことりと首を傾げて微笑んだ。

 一歩一歩、ゆったりと汀が近づいてくる。近くなる声に、気配に、紫呉はじりじりと後ずさる。

「ぼくもきみも、人殺しである事に変わりはない、でしょ?」

 後ずさる手のひらに何かが触れた。先程紫呉が殺した男だった。ねじれた首、泡を垂らす口。かっと見開かれた目に、震える紫呉の姿が映りこんでいる。

 紫呉は奥歯を強く噛みしめた。

 男から目を背け、紫呉は立ち上がった。男の腹に刺さったままの刀を抜き、後方へ捨てやる。

 汀に牙月の切っ先を向けた。頬を髪が撫ぜた。おかげで己が首を振ったのだと気がついた。汀の言葉を否定したいのか。否定できるはずもないのに。詮の無い。

 噛みしめた歯の隙間から息が漏れる。

 そうだ。汀の言う通りだ。

 己は人殺しだ。知っている。分かっている。汀が男を盾にせずとも男は死んだ。己が殺した。

 だけど。

 それでも。

(同じであるはずがない)

 こんな。部下を盾にする男に。似ているはずなど。

 く、と汀が喉を鳴らした。

「ふ、ふふ、ふふふふ」

 背を丸め、汀は笑う。手のひらで顔を覆い、肩を揺らしている。

「驕慢だ、ね」

 顔を上げた汀の目が、紫呉を射た。

「そして幼い。己は人殺しだと認めたつもりでいる。そのくせ否定したい。わがままで、幼く、驕慢だ」

 かちかちと歯が音を立てている。頬を伝った汗が首に流れ、傷にじりりと熱く染みた。

 噛みしめた奥歯が、ぎりと鳴る。

(揺らぐな)

 こんな言葉に。

 分かりきっていたはずだ。汀の言葉は、ただの真実だ。

「良いことを教えてあげる、よ」

 汀はニタリと笑い、紫呉の側の遺骸を指先で示した。

「彼の妹はね、婚儀を控えていたんだ。ああ、ひどく首がねじれているね。かわいそうに、ね」

 思わず見おろしたねじれた遺骸は、光の無い目で紫呉を見ていた。

「彼は、確か恋人とじきに婚約すると聞いていた、かな」

 汀は側に転がる男を見おろした。お前がとどめを刺したのだろうと、喉元までせり上がる言葉を紫呉は飲み込む。どろりと紅く濡れた男の肩口が、夜闇にも鮮やかだった。

「かわいそうに、ねえ?」

 ひどく愉しげに、汀は笑う。そして、側に立つ男の肩を、両の手で軽く叩いた。

「さあ、彼を排除するんだ。上手にできたら、ご褒美をあげる、よ」

 男はこくりと深く頷いた。追い詰められたかのような目が暗く光っている。

 男はゆっくりとした動作で刀を抜き放った。一つ息を吐き、地面を蹴る。

 横薙ぎの斬撃が風を生み出す。まだ若い男だ。二十ほどだろうか。

 呼吸を押し殺して繰り出す斬撃に隙は薄い。訓練を重ねた戦法だと感じ取れた。

 切っ先が目を狙って伸びてくる。男はためらいなくこちらの致命傷を狙っている。

 殺すつもりだ。殺すつもりで男は刃を振るっている。

 己の浅い呼吸がやけに大きく耳元で聞こえた。

 そうか、殺すつもりか。僕を。

 熱が身体中を駆けめぐる。こめかみがどくどくと脈を打っている。

「……く、……ふ、ふふ」

 汀の漏らした笑みを鼓膜が拾った。

 男は一声吼えて、下段から足を払いにかかってくる。男の手首を蹴り、刀を弾いた。

 男の視線が刀を追う。逸れた意識の隙を狙い、紫呉は男の胸元から腹へと切っ先を滑らせた。

 男の肌を撫でる牙月は血でぬらつき、抵抗もなくやわい腹へと埋まっていく。

 腹を抜け、切っ先が夜を斬る。切っ先から跳んだ血がびちゃりと樹を濡らした。

「はは、……あっははは!」

 汀は笑っている。男は膝からくずおれて、血を垂れ流す腹を押さえている。

「まだ出来る、でしょ?」

 笑みまじりの声で、汀は滲んだ涙を拭う素振りを見せた。

「まだ立てる、よね?」

 汀の言葉を受けて、男はぎらついた眼差しで紫呉を射る。押さえた腹からはぼたぼたと、派手に血が零れ落ちていた。

「病がちのお兄さんが、きみの帰りを待ってるし、ね?」

 男は食い縛った歯の隙間から、鮮血と荒い呼吸を漏らしている。立とうともがく膝が震えていた。

「彼を始末できたら、いつもよりたくさん、お給金がもらえる、よ?」

 汀が指先で示す先に立つ紫呉を、男は見た。穿つ男の視線に、思わず息を飲み込んだ。

 男は血走った目で辺りを見回している。紫呉に弾かれた刀を探している。

 見つからない事を知ると、男は素手のまま、よろけた足取りでこちらに向かってきた。

 片手で腹を押さえ、もう片方の手をこちらに伸ばし、男は覚束ない足取りでやってくる。

 紫呉は後ずさった。首を振る。漏れた声は、きっと来るなと言った。

 伸ばされる手は紫呉の首を狙っている。絞めるつもりだ。死に間際しているとて、捕らわれ、そのまま引きずり倒されたら重みでおそらく呼吸はせき止められる。

 来るなと掠れた声が漏れ落ちる。背を這う熱が熱い。男は殺すつもりでいる。己を。殺そうとしている。

 排除せねば。殺される。生き抜くと決めたのだ。熱が。熱が背を這う。熱い。

 男の呼吸が触れるほどに、すぐ側に姿がある。熱い。熱い。

 あ、と喉が音を零した。もしかすると咆哮の欠片だったのかもしれない。

 紫呉は牙月を振り上げた。だが、おろせずに、そのままで動きは止まった。

「迷った、ね」

 男の指先が喉に触れる。血でぬるついていた。

「迷いは、死を呼び込むよ」

 男の肩越しに、汀が動くのが見えた。

 至近で男が目を見開く。カッと大きく見開かれた目に、情けなく震える紫呉の姿が映っていた。

 男の腹から刃が生えていた。男を貫く刃は紫呉の脇腹をも裂いた。

「どうして」

 小さく発した声が揺れる。抜かれる刃と共に男は崩れた。紫呉を巻き込み倒れる。支えきれず、紫呉は男もろともに尻餅をついた。

 男を貫いた刀を捨てて、汀は首を傾げる。

「何が、かな?」

 さきほど紫呉が弾いた男の刀だろう。捨てやった刀にはみじんも興味をくれず、汀は細い目を笑みの形に歪めている。

「部下、だろう」

 受け止めた遺骸の手は、今も紫呉の喉に触れている。まだ温かいそれがやけに気味悪くて、紫呉は男の身体をずらして伏せさせた。

 ずるずると後ずさる。脇腹が痛んだ。見上げた汀は、とても愉しそうだった。

「そうだね」

 喉に付着した男の血を手の甲で擦る。痛みが走る。先程、別の男の刃が皮膚を掠めたのだった。その男ももう既に死んでいる。紫呉が殺した。

「なら、どうして」

 脇腹から血が流れる。痛い。

「どちらにしても、彼は、致命傷だった、でしょ?」

「でも」

「君が、ぼくを責められる、かな?」

 脇腹を押さえて立ち上がる。膝が震えていた。

「君だって、彼を、斬ったじゃあないか」

 傷を押さえる手を血が濡らす。熱かった。まだ生きた熱だった。

「愉しかった、でしょ?」

 紫呉は首を振る。

「気持ち良かった、でしょ?」

 首を振る。

 違う、と声の限りに叫びたいのに、口から漏れるのは荒い呼吸ばかりだ。

「なら、それが正解だ」

 汀は己の手を指輪へとやった。銀細工のそれを、ゆるゆると指から抜く。

「きみは血狂いだ」

 濃い血のにおいがまとわりつく。

「ぼくと同じ、ね」

 汀の声が、絡まりつく。

「ほら、餌の時間だよ」


 籠星(かごぼし)


 銀細工の指輪が汀の声に応え、姿を変じる。黒鞘のそれを腰に差し、汀は柄に手をかけた。

 鞘から抜き放たれた籠星が、妖しく闇に光る。いっそ軽やかなまでに紅い湾刃(のたれば)が、ぬらぬらと夜を舐めている。


「さあ、ぼくと殺し合いといこうじゃないか」


 次男殿。


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