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14 腥の森 1

 頬に跳ねた男の血が頬を伝う。唇に流れきたそれを舐め取れば、じわりと腥さが口中に広がった。

 五人だ。足元に転がる遺骸を抜いて、五人。夜闇に濡れた森の中、長羽織の白がさやさやと微風にはためく。

 朽葉を踏む湿った音がした。それが合図となった。護焔隊の面々は抜刀し、こちらに駆けてくる。

 紫呉は彼らに背を向けて走りだした。背を預けられる場を探さなければいけない。囲まれると厄介た。

 とはいえ森の中だ。そうそう壁になるものなどない。追ってくる足音に意識を向けながら、紫呉は壁の役目を果たせる樹を探す。

 それとも上か。樹上に身を隠し撹乱する方が得策か。何にせよ、囲まれてはいけない。一人ひとりを誘い込まねばなるまい。

 土を蹴る足音。木々のざわめき。短く跳ねる呼吸音。汗の滲んだ肌を撫でる風がひやりと冷たい。

 ひゅ、と風を切る音が背に迫る。紫呉は鞘でそれをはたき落とした。眼前の茂みに小刀が埋もれて落ちる。

 追いつかれたか。舌を打つ。紫呉は鞘を腰に差し、土を蹴り上げた。舞った土に、男は一瞬の躊躇いを見せた。

 その隙に距離を詰め、首を掻き斬る。噴き出す血しぶきを浴びる前に、身を翻した。残った者達が迫る気配がする。

 体が熱い。呼吸が浅い。血潮のにおいに肌が泡立つ。

(あと四人)

 逃がすわけにはいかない。悉く弑す必要がある。

 汀は言っていた。如月の次男だと。それを他の護焔隊の連中に知られたからには、彼らを生かしておくわけにはいかない。

 木の根に足を取られた。あ、と思った時にはすぐ眼前に幹が迫っていた。腕で衝突を和らげる。

 体の重みを受けた腕の骨がじくじくと痛む。荒い息を飲み込み、紫呉は樹を仰ぎ見る。良い枝ぶりだった。

 地を蹴り、幹を蹴り、一気に樹上までのぼった。襟巻きを引き上げて口元を覆う。荒い呼吸を押さえて隠した。

 枝の上、気配を殺す。枝に刺した牙月を抱え込むようにして身を縮めた。懐に手を突っ込む。

 取り出した小刀の鞘を払った。何やら腕がぬるつくと思えば、血が流れていた。先程幹に衝突した時に皮膚が裂けたか。

 袴になすりつけて血を拭う。次いで首を軽く振って襟巻きをずらし、小刀を咥えた。小刀の鞘をぐっと握る。

 牙月を枝から引き抜き、柄を強く握る。紫呉の腕から流れ落ちた血を受けて、牙月はまるで尾を振るように刀身を輝かせた。

 ざくざくと土を踏む音が迫り来る。額を伝い流れる汗が目に入り、紫呉は強く目を瞑った。そのまま、意識を研ぎ澄ます。

 一番ゆったりとした足音は、おそらく汀のものだ。最後尾を、駆けるでもなくゆっくりと歩んでいる。

 汀の側に一人。前方には二人。その二人が駆け巡りながらこちらを探っている。走り、時に止まり、紫呉を探している。

 ゆっくりと目を開けた。前方の二人は目視できる程に近づいてきている。汀ともう一人の姿はまだ見えない。

 呼吸を整え、小刀の鞘を振りかぶる。できるだけ遠くの茂みに投げやった。音を聞きつけ、一人がそちらに駆けていく。

 もう一人はちょうど真下にいる。紫呉は牙月を強く握り、枝から跳んだ。息を飲んだ男と視線がぶつかる。

 上段から振り下ろした刃は受け止められた。ギィンと高く鋭く金属音が響く。降り立ち、横に薙がれた刃を後方に下がって避けた。

 着地の衝撃に足が痺れている。間も無く繰り出される男の突きが髪を掠め、チ、と微かな音を立てた。

 男の口元には笑みが刻まれていた。爛とぎらつく目が痛い程に高揚を伝えくる。紫呉は下がって、男の斬撃をただ避ける。

 後方は幹だ。心の臓目がけて伸びる鋭い突きを、紫呉は跳んで躱す。突きを樹に捕らえられ、男はぐうと呻いた。

 紫呉は男の首に手を伸ばした。喉仏に腿をあてがい、頭部を抱きこみ共に倒れこむ。同時に首を捻れば、ごきんとにぶい音がした。

 二人、どっと地に倒れた。かびた土の香が立つ。起きるなり紫呉は男の喉を踏んで潰し、樹に刺さったままの男の刀を抜く。

 それを男の腹に突き立てて、息の根を止めた。茂みを探っていた男が、異変に気付いてこちらに駆けてくる。

 紫呉は咥えていた小刀を、男めがけて投げつけた。悲鳴がした。駆け、男との距離を詰める。小刀は男の肩に刺さったようだ。

 男は抜こうと手を伸ばす。だが眼前の紫呉に気付き、その手を腰の刀にやった。抜き様の斬撃が襟巻きを切裂く。

 切っ先は僅かに肌にも触れたようだ。喉から広がる痛みに、身の内に籠っていた熱が背筋を這い登っていく。

 男の瞳に映る己は微かな笑みを浮かべているようだった。男もまた笑っている。切っ先を濡らす紫呉の血を眺めやり、唇を歪める。

 距離を取る。男は刃の血を舐め取った。喉を震わして笑っている。気味の悪い。愉しげな笑いが静寂を揺らす。

 男は大きく口を開けて笑みを浮かべた。裂けそうな程にがぱりと開かれた口から、唾液に濡れた白い歯が剥き出されている。

 男は肩の小刀を抜いた。男の肩口からは、だくだくと血が溢れていた。長羽織が見る間に染まっていく。

 ゆらゆらと男の体が揺れていた。見るからに血が足りていない。それでも男は笑い、上体をぐらつかせながらこちらに迫る。

 抜いた小刀を男は投げる。しかし投擲は力無く、小刀は紫呉の背後の幹に当たってカランと虚しい音を立てて落ちた。

 男は上段に振りかぶる。あはぁ、とまるで息を吐くようにして漏らされた笑みがぬるついた。

 隙ばかりが目立つ。腹を断つのも首も断つのもたやすい。殺してくれと言っているようなものだ。

 男の命は残り少ないだろう。放っておいてもそのうち死ぬ。だがさっさと殺すべきだ。追いつかれる前に。敵が増えれば厄介だ。

 さてどうする。

 どう斬る。

 あと何人だ。

 さあ来い、全員消してやる。

「愉しそうだ、ね」

 ふいに、笑んだ声が闇に滲む。

「ようやく追いついた、よ」

 そう言いながらも、汀の佇まいに急ぎ慌てた様子は無い。

 男はぴたりと動きを止め、汀を振り返った。紫呉もまた、構えていた牙月を下ろす。

「ねえ、次男殿」

 懐手を組んだまま、汀は土を踏みしめて男の側に寄った。その側にはもう一人男が付き従っている。

「今、きみが考えていた事を当ててあげよう、か?」

 汀は傷を負った男の肩に、ぽんと手を置いた。途端に男はがくりと崩れる。呆けたその顔に浮かぶ表情は、安堵にも落胆にも見えた。

 紫呉は三人に目を据えたまま、じりじりと後ずさる。そのうちに、背中にどんと幹が触れた。

「あと何人だ」

 す、と背が冷えるのを感じた。

「どうやって斬れば良い」

 何かが踵に触れる。先程男が投げた紫呉の小刀だった。

「……違う」

「どうすればうまく斬れる」

「…………違う」

「違わない、でしょ?」

 笑みを含ませ、汀は言った。

 紫呉は屈み、小刀を拾う。冷たい汗が背を流れ落ちていく。

 ゆるく首を振って汀の言葉を否定するも、それに被せるようにして汀は言う。

「違わない、よ」

 愉悦に濡れた笑み声が絡まりつく。紫呉は首を振り、違うと吐息で言葉をなぞる。

 絡む声に四肢の自由を奪われるようだ。強張る体も、冷えた指先も、ひたすらに厭わしい。

 ただとにかく否定したくて、紫呉は手にした小刀をがむしゃらに投げた。

 汀は傍らに蹲っていた男の腕を、ぐいと引いた。

 立たせた男の胸に、小刀が突き刺さる。え、と男は小さく声を漏らした。疑問符を浮かべ、小刀の刺さる己の胸元を見おろす。

「違わない」

 手を離せば、糸が切れたようにして男はずるりとその場に崩れた。尚も浮かぶ疑問符を視線に乗せて汀を見上げるが、笑みを浮かべた汀はこちらを見るばかりだ。

 やがて男の目から、光が失われた。

「違わない」

 汀は繰り返す。足元に死した部下の亡骸には目もくれず、汀はただただ、こちらを見ている。

「ぼくには分かる、よ」

 くすくすと、小さな笑いが耳朶をくすぐる。

「だってきみは、ぼくとよく似ている」

 ざあ、と風が大きく森を揺らした。


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